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141.胸の高鳴り

 翌朝、村人が口々に女神に感謝するのを苦々しく思いながら見送られ、この国でもっとも慣れ親しんだ村を発った。


「この国は君の目にはどう映る?」


 分かれ道よりもこちら側に用事のある人間は村人以外に誰もいないからか、村の入り口の石橋を超えてラジーンへと向かう森の中でクリスはそんなことを尋ねてきた。


「差別を知るまでは皆この日差しのようにただ明るいだけかと思っていましたが……今ではアルメリア教を心の支えにしながら厳しい現実を明るく笑い飛ばすことで耐えているのではないかという印象に変わりました。なのでそのような暮らしを強いる残酷な国……でしょうか」


 上を向いて木々の間から覗く太陽を目を細めて睨み付けながら正直に答えてみる。明るく賑やか過ぎるのも考えものだけれど、実際はこの太陽ではなく木々の根元に延びる陰の方だというのだから闇が深い。


「……そうだな。この国のアルメリア教は多くの国民を救いながらも同時に逃れられない枷になっているという、とても歪な在り方をしている」


「ローザリアはその辺りが大らかで本当に良かったです……」


 私がしみじみとそう溢すと、後ろの三人が深く頷いた。ハロルドに至っては両手を後頭部に回して欠伸までしている。


「ふわぁ~……敬虔な信者でも金を払えないと差別されるというのに、こうやってアルメリア教批判をしているのを聞かれたらどうなるんでしょうね俺たち……」


「外交でもこの国の人間と会う際にはアルメリア教の作法に人一倍気を遣わなければ馬鹿にされると言われているくらいだからな、それはもう大事になるぞ」


(うげぇ……)


 他国との関係よりもアルメリア教を優先するとなると相当なものだ。しかもそれはつまり私も将来的にその作法を完璧にこなせるようにならなければならないということではないか。なんだかもう学ぶ前からうんざりしてきた……。


「おぉ怖い怖い! やはりローザリアが一番です、早く国に帰りましょう!」


 言葉遣いはまともになったけれど、根っこのところは相変わらず飄々としたハロルドがオーバーに怖がるフリをしながら私やクリスを追い越して帰国を促してくる。


「当然そのつもりだ」


「ホント、私もどうしてこの国に来ちゃったのかしらねぇ……」


 冷静になってみれば本当に意味がわからない。ローザリアから離れるにしても、ここに来るまでに寄った別の国の港でも良かったはずなのだから。


 私の素直な疑問を自虐か何かだと勘違いした皆は苦笑いを浮かべていた。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ポルサトール港へと戻ってきた私たちは、満場一致の早く帰りたいという思いから真っ先に船のチケット売り場へと足を運んだ。


 しかし何やら様子がおかしい。私たちの他にもチケットを購入しようとやってきた客たちがチケット売りの男に文句を言っている。


 あちこちで騒いでいるので細かい内容まではわからない。なのでカウンターに群がる人々を掻き分けてチケット売りの男性に話を聞いてみることにした。


「……何? 嵐で欠航中だと?」


「あぁ、この時期には良くあることなんだよ。先に港を出た船も次の港に辿り着けなくて戻ってきちまったのさ」


 建物の窓から見える海を眺めてみても嵐が来ているなんて想像も出来ないほどに晴れ渡っている。なので私だけでなくこの場の全員が眉を顰めて疑いの目を売り場の男性に向けている。


「そんな目で見ても売れねぇよぉ! いつも治まるまで大体一週間くらいは掛かるから、それまでは大人しく待っててくれって!」


 疑惑の視線の集中砲火に男性は慌て始めた。この慌て様であれば嘘は吐いてなさそうだ。


「ぬぅ……歯痒いが致し方ないか……」


「そうですね、大人しく待ちましょう」


 まだ納得がいかずに騒ぐ客たちとチケット売りの男性を残して建物を出て、すぐにそれまでの時間をどう過ごすかの話し合いが始まる。私はそれに耳を傾けながら、何となく水平線の向こうまで広がっている海を眺めていた。


(……ん!?)


 すると相変わらず照りつける太陽の下にいるのに、何故か急に寒気に襲われた。私は身震いをして反射的に両手で自らを抱きしめるように二の腕を擦る。


「どうした?」


「いえ……何でもないです」


 すぐにクリスが気付いて不思議そうに尋ねてくる。しかし寒気はすぐに収まってしまい、私自身よくわからず首を傾げるしかなかった。


「とはいえ一週間程度しかないとなると、ここから別の町に移動する余裕はなさそうだ。素直にこの町を観光でもして時間を潰すしかないな」


「観光ですか……。一応任務中なのですが、よろしいのですか?」


「正直よろしくはないが……部屋でじっと過ごすか、それくらいしか現状で出来ることはないだろう」


 真面目なレベッカが難色を示しているのに対し、クリスはそれも承知の上だと言いたげに溜め息を吐いている。


「まぁ前向きに捉えれば卿と他国をゆっくり歩ける良い機会かもしれん。国に戻ればプロポーズだ結婚だと忙しくなるからな」


 そう言って今度はその背後に広がる海よりも深い青い目を細めて嬉しそうに頷いた。この人ならきっと大丈夫だろうと私自身思っているくらいだ、それだけ次のプロポーズには自信があるのだろう。


 この世界では一般的ではないけれど、要するに一足早めのハネムーンのようなものなのだと意識してしまい、カッと顔が熱くなっていくのを感じる。


 ちらりと横を見るとレベッカとミーティアがニヤニヤしていて、ハロルドが囃し立てるように口笛を吹いてくる。


「その間の我々はどのように……?」


「…………では出歩く際には護衛兼、連絡役として一人は付いてもらおうか。他の三人は休暇とするので、一日毎に交替で回してくれ」


「はっ! 承知致しました」


 ウィリアムが困ったように尋ねてきたので、クリスは少し考えてそのように指示を出した。


 でも立場上仕方ないとは思いつつも、本当は護衛を付けたくなかったんだろうなというのがひしひしと伝わってくる。


 何故ならほんの一瞬だけ、彼が唇を不満気に尖らせたのが見えてしまったから。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 一旦宿に向かい部屋を確保すると、待ってましたと言わんばかりに早速クリスに一緒に町を歩こうと誘われた。ウィリアムが護衛としているけれど、クリスに何か言われたのか、かなり遠慮がちに遠くから後ろを付いてきている。


 久々に歩くポルサトールの街中は「こんな町だったかな?」と疑問に思うくらい受ける印象が違っていた。初めてここを訪れた時はそれほど色々と精神状態がおかしかったということだろう。


「おっ、美人のお姉ちゃんまた会ったな! しばらく見ないうちに顔色も良くなったじゃないか! 良かった良かった!」


 市場を歩いていると青果店の店主にまた話し掛けられた。しかも言葉から察するに結構心配されていたようだ。


「おかげさまでね」


 店主は苦笑いを返す私の向こうにいるクリスに気が付いたらしく、身体を斜めにしながら覗き込んできて何やら意味深な笑みを浮かべている。


「……ほーん、なるほどな? 兄ちゃんも他所の国の人ならコイツはどうだい?」


「それは……あぁ、ウィリアムの報告にあったのはここの店だったのか。そういえば俺は食べなかったな」


 店主は面白がるように、私に以前食べさせた果物を差し出してきた。クリスはその毒々しい色の果物になにやら見覚えはあるようだ。


「見た目はちょっとアレだけど、さっぱりとした甘さだからクリスもきっと気に入ると思うわ」


「……ならひとつ貰おうか。どこか落ち着けそうな場所で一緒に食べよう」


「えぇ」


「まいどあり!」


 私の言葉にクリスは柔らかい笑みを浮かべた。




 果物を受け取った私たちはしばらく街中をうろうろして、最終的に港の端の人が比較的少ないスペースを見つけ腰を下ろした。


「ふぅ……。こうして観光するぶんにはこの賑やかさも悪くないな。非日常感とでも言えば良いのだろうか」


「ふふっ、確かに……。毎日だとちょっと疲れてしまいそうだけどね」


 何気ないクリスの呟きにそう答えはするものの、あれだけ騒がしいと感じていた周囲の声はあまり耳に届いていなかった。


 今朝ハネムーンを意識してからずっと心が浮足立ってしまっているせいだ。


 さっそく先程購入した既にカットしてくれている果物を、添えられていた二本の木の串で口に運ぶ。


「――うん、美味いな。確かに俺にはこのくらいが丁度いい」


「でしょう? 初めて食べた時、貴方も食べられそうって思ったのよね」


 やはり私の見立てに狂いはなかった。そう少し得意げにクリスの顔を覗き込むと、彼はすぐさま串を持っていない左手で顔を覆って俯いてしまった。


「……どうしたの?」


「いや……そうやって離れていても俺を思い浮かべてくれたことが嬉しくて、幸せで堪らないんだ。きっと変な顔をしているだろうから、あまり見ないでくれ……」


 どうやら嬉しかったらしい。そんな可愛いことを言われてしまっては見たくなるのが人の性。私はずいと身体をクリスの方へ寄せて、より近くからその顔を覗き込もうとする。


「私が相手なんだから隠す必要ないわよ。これから二人で幸せになるんでしょう? 私もクリスの幸せな顔が見たいわ」


 悩んでいるのか、少しの沈黙が流れる。


 しばらくして意を決したようにクリスの手がゆっくりと下がりだした。そうして現れたのは頬を真っ赤に染め、潤んだ瞳でぐっと唇を引き結んでいるクリスの顔だった。見せてはくれたけれど、まだ我慢しているようだ。


「ほら我慢しないの!」


 私には素直に感情を出しても良いのだと伝わるように、満面の笑みを浮かべてみせる。こちらに釣られるように、次第にクリスの整った顔がくしゃくしゃの笑顔に変わっていく。


 いつも真面目で優しい王太子としてのクリスではなく、ありのままの彼本来の表情を見るのは私も初めてかもしれない。


 王太子という殻を完全に脱ぎ捨てたそれは、きっともう両陛下ですら簡単には見ることは出来ないものなのだろう。それを私に見せてくれたことが、私を誰よりも信用してくれている証であることが、たまらなく嬉しかった。


「……うん! いつもの凛々しい貴方も素敵だけど、その顔もとても素敵!」


「はは……まいった、降参だ」


 満足して頷くと、クリスは困ったように笑った。


「はい! あ~ん……」


 すかさず果物を刺した串をクリスの口元に持っていくと、少し戸惑いながらも食べてくれた。誕生日の時の仕返しが出来てニヤつく私を見て彼も笑っている。


「君がずっと求めていた『自分のことを理解して受け入れてくれる存在』というのは、こういうことなんだな……」


「……それも貴方が私のことを理解しようと努力してくれたからよ」


 これは自分から相手を探すことを諦めた私の、理解してくれた相手への礼儀。


 でもこうして理解され、受け入れられることを喜んでくれているのを見れば、私が求めてきたものは間違っていなかったのだと――そう思えた。


 もうじき前世を含めた長年の夢が叶う。


 心から愛せる人と幸せな家庭を築ける。


 私の胸はかつてない程に高鳴っていた。




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