140.自責の念
話し合いが終わると私はすぐにレベッカとミーティアに連行されて、教会の一室でザックリと切った髪を整えられた。
「もぉ~! 何でこんな勿体ないことを……。ブリジット様が知ったら卒倒してしまいますよ……」
ぷりぷりと怒るレベッカ。彼女の言う通りブリジットからは何かしらの反応はありそうだ。正直そこまで考えていなかった……。
「あはは……ここ最近の私があまりにも不甲斐なかったからケジメを付けたかったの」
「……まぁ短くてもレオナ様はレオナ様ですし、綺麗なのは何も変わらないんですけどね」
私の苦笑いにもレベッカは優しく微笑んでくれる。あれほど情けない姿を晒したにも関わらず、変わらず接してくれる彼女の懐の深さには感謝しかない。
「あの……レオナ様」
すると横にいたミーティアが控えめに声を掛けてきた。私がそちらを向くと、突然勢いよく頭を下げてしまった。
「いきなり殴ったりして、本っ当にごめんなさい!」
どうやらさっきのビンタを気にしているらしい。罪悪感からかミーティアの小さな身体が更に小さく縮こまっていっている。
「……ううん、あれで目が醒めたわ。むしろお礼を言いたいくらいだから気にしないで」
私が皆を守ると言葉と行動で示し続けることが大切な人たちへの活力や救いになるのだと気付かせてくれた。そんな恩人であるミーティアに怒りの感情を覚えたことなど一切ないと胸を張って断言できる。
こうやって心配させてしまったのも元を辿れは私が弱かったからだ。魔力がどうこうではなく、心が弱かった。
そんな私のために動いてくれた彼女を、私は尊敬する。
「本当にありがとう……」
ミーティアの小さな身体を再びぎゅっと抱きしめる。だめだ、また泣きそうかも……。
「お役に立てて良かったです」
彼女も私の鼻声が移ったらしく、少し泣きそうになっている。
しばらく私がその可愛らしさに癒されていると反対側から視線を感じた。
そちらに振り返ればレベッカがわざとらしく、羨ましそうに口を尖らせてこちらを見ていた。
「もちろんレベッカもね。わざわざこんな遠いところまでありがとう」
私がクスッと笑って腕を広げると、レベッカは良い笑顔でその中に滑り込んできた。
「そうですよ~! この暑くて煩い中頑張ったんですから、もっと褒めてもらわないと!」
「あはは、ほんとこの国の町って賑やかよねぇ。偉いえらい……」
一通り二人を抱きしめ、撫でまわして一息つく。
「――さて、殿下に謝罪してこないと。勢いで酷いことを言ってしまったわ……」
本当にあの時は怒りで真っ白になっていて、気付いた時にはもう全てを吐き出していた。
私が死んだとされていた頃のフェリシアとの関係についてはともかくとして、それ以降は国の方針として仕方なかったり、私も納得していたことなのに棚に上げて掘り返したりと、明らかにおかしい内容で責め立ててしまった。
許してもらえるかはわからなけれど、とにかく謝罪しなければ。
「流石にそれについてはお手伝い出来そうにないですね……」
「きっと大丈夫です、健闘を祈ります……!」
二人に送り出されながら部屋を出る。陽の沈んだ教会の廊下はとても暗くて足元すらもよく見えない。扉のすぐ横に燭台があったものの、よそ者の私たちが無駄遣いするのもどうかと思ったので魔法で右手に簡単な光源を作り出して済ませた。
(ほんと立派な教会……)
この周囲の民家に全く馴染んでいない教会はシスカ村が出来る前からずっとこの場所にあって、新しい教会が町に建てられるまで多くの人々がここを訪れていたらしい。そうしてお役御免になってから、町に居られなくなった人々が集まって祈りを捧げる場所になったのだとか。
村人たちが熱心に掃除してくれているお陰でこうして私たちも休めているのでありがたい。今日はもう護衛は不要と言われ、女性騎士三人、男性騎士二人、殿下と三部屋に分かれて休んでいる。
コツコツという足音を廊下に響かせながら殿下の部屋の前までやって来た。そして一度深呼吸し、ドアをノックする。
「殿下、少しお時間よろしいでしょうか」
「――わかった、礼拝堂の方で話そう。先に向かっておいてくれ」
「畏まりました」
すると中からそう返事が返ってきたので、私は大人しく礼拝堂へと向かった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夕方の礼拝を終えて人気のなくなった礼拝堂は厳かなイメージよりも不気味さの方が勝っていた。
手元の魔法の明かりでは少し心細かった私は光を大きくして、祭壇の少し手前の空中に漂わせる。
そうして礼拝堂が明るく照らし出されたことにほっとしながら、手近な長椅子に座って殿下を待った。
「静けさというものにまさかこれ程ありがたみを感じるとはな……」
しばらくして上着を脱いだ殿下が姿を現した。その口振りから察するに、殿下もこの国の住民の賑やかさには食傷気味のようだ。その気持ちはとてもよくわかる。
礼拝堂の中央の通路の両脇に長椅子が並んでおり、その最前列左側に私が、通路を挟んで右側に殿下が座る。そして二人して目を合わさず前を向き、自然と視界に入ってくる女神像を見上げた。
これまでなら同じ椅子に座っていただろうことを考えると、お互いの心の距離が離れてしまっていることが目に見える形で現れているようだった。
「先程は自分勝手に捲し立ててしまい、本当に申し訳ございませんでした……」
「いや、別に構わない。そう的外れなことを言っていたとも思っていない。それにもっと上手く其方の目を醒まさせる方法があったのではないかと俺も反省していたところだ」
真っ先に謝罪するものの、逆に理解を示されてしまう。しかし私にとってそれは謝罪を受け入れてもらえず拒絶されているように感じられて、きゅっと胸が苦しくなる。
「王宮に帰還した際は、そのあまりの状況の変わりように心底驚いたよ。まさかリヴェール公爵家と、彼らと繋がりの深い貴族たちが断罪されることが決定し、挙句の果てにはフェリシア嬢が其方の侍女になっているとは……」
殿下が帰ってきた直後の王宮での状況を語る。確かに殿下の立場に立ってみれば何事だと混乱してしまうのは仕方のないことだと思う。
「公爵夫妻から頼まれたのです、『敵を討って欲しい』と――。実際のところは私が手を出すまでもなくその準備は整っていて、フェリシアを私の庇護下に置かせることが彼らの本当の狙いだったのですが……。結局私も彼らの『孫娘だけは守りたい』という愛情を無視は出来ませんでした」
「あぁ。まんまと其方の情を利用し、今の彼らが望める最大の利益を勝ち取ったようだな」
「……勝手ですね、貴族って」
「……そうだな、勝手だ」
会話が途切れて沈黙が流れる。
私の方から話したいと持ち掛けておきながら早々に何を話したら良いのかわからなくなってしまい、声が出てこない。これまで沢山話してきたはずなのに……。
「……其方の捜索のために王宮を出る前に、仕着せに身を包んだフェリシア嬢と話をした」
すると殿下が女神像を見上げながら、力無く呟いた。
「そこで彼女に『自分の何がいけなかったのか』と尋ねられた。きっとそれは未来を歩むために、過去を糧にするために必要なことだったのだろう」
家族の中で一人だけ牢の外にいて、これまでとはまるで違う生活を送ることになったフェリシア。まだ慣れない環境の中で気持ちの整理も付かないうちに殿下と会ってしまった時、彼女は一体何を思ったのだろうか。
頭の中で想像するものの、私では当時の彼女の心境まで思い描くことは叶わなかった。
「その答えを考えれば考えるほどに、知らず知らずのうちに目を背けていた自身の不誠実さが浮き彫りになっていった。『其方は何も悪くない、悪いのは俺の方だ』と答えると、『反省すらさせてもらえないのか』と震えた声で詰られたよ」
(フェリシア……)
彼女はそこで自分のせいじゃないと開き直れるような人間ではない。それだけ真剣だったから、尚のこと許せなかったのだろう。
「……正直、かなり堪えた。其方への一度目のプロポーズの後からは心を入れ替えたつもりだったのだが、結局俺も身勝手な貴族の一人でしかなかったのだ」
そう語りながらも女神像を見上げていた殿下の頭がどんどん下がっていき、最終的にがっくりと項垂れてしまった。私が作りだした光源が影を作ってしまっているせいで、その表情まではわからない。
「己の感情にばかり目を向けていてはいけないのはわかっている。だが俺の不誠実の被害者である彼女に出来ることがもう誠心誠意謝罪することと、せめて今後は心穏やかに過ごせるよう陰ながら支援することくらいしか残されていないことが申し訳なくて仕方がないのだ……」
彼女はもう婚約者候補どころか貴族でもなくなってしまっている。そのような者に表立って支援をしてしまっては余計な噂や周囲の不満の種になってしまい、下手をすれば立場の弱い彼女に害が及んでしまう可能性すらある。彼女のことを想えば波風は立たせない方が無難だ。
「こうやって俺が其方を国に呼び戻す役目を負うのは当然の流れとはいえ、気が重かった。其方の気持ちを理解していると言いながら、フェリシア嬢の気持ちに寄り添いもしていなかった、こんな不誠実な男の言葉の何処に説得力があるというのか……」
「殿下……」
「いずれ周囲の人間に害が及び、其方が傷付くことになるのは予想出来ていたことだ。だからそれを支えたいという俺の想いをバルゲルも認めてくれたというのに……まさか俺が、自分自身を認められなくなるとは思わなかった。ここまでの道すがら、ずっとどうすれば良いのか考えてはいたが……結局王太子という立場から、其方の騎士長としての行動を咎めることしか出来なかった。ミーティアたちが居なければこうしてまともに話すことも叶わなかっただろう、なんとも情けない……」
(だからあんなに重苦しい雰囲気だったのね……)
あの時は騎士のみんなも戸惑っていたように見えた。彼らに相談も出来ないまま、殿下は私が何故このような行動に至ったのかも全て理解した上で、自分にはそれを責める資格がないと思い詰めていたのだろう。
実に殿下らしいと思う。根が真面目だからこそ、自らの過ちとその結果を真っ向から受け止め、その罪悪感で潰れそうになってしまっているのだから。
でも今回、大事なことはミーティアだけでなく彼からも教わっている。『民の上に立つ者は逃げずに戦い続けなければならない』そして『周囲には仲間がいる』と――。
つまり殿下も己のすべきことはわかっているのだ。足りていないのは前を向くためのきっかけだけ。
そんな彼の背中を押せるのはこうして胸の内を曝け出してくれている私しかいない。
――望むところだ。
私ももう二度と逃げないと心に決めたのだ。一人の人間として、共に現実と戦う同志として、彼の心を支えてみせようじゃないか。
「確かにフェリシアには酷いことをしていたと思います。お互いがちゃんと向き合って言葉を交わしていれば、今よりももっと良い関係でいられたかもしれません」
「……そうだな」
「ですが――」
椅子から立ち上がり、項垂れている殿下のすぐ傍まで歩み寄る。
私の足音と気配の接近に気付いた殿下が顔を上げてこちらを見上げる。その顔はエルグランツの屋敷を出る前にガラス窓に映っていた私の顔にそっくりで、自分を見失い途方に暮れているようだった。
「殿下は逃げずに正面からそれを自らの非として受け止めておられます。今の彼女に対して出来ることを考えて、過去からも、来たる未来からも逃げずに戦っておられます。過去から目を背け、己の殻に引きこもり、未来から逃げようとした私とは違います」
この人は彼自身が思っているほど弱くない。過去の過ちを事実として受け止め、将来に向けて努力していける強い人だ。
そうでなければ彼のプロポーズを待ったりするものか。彼を認めているからこそ最近の私は人々のために、領地のために、そして国のために頑張ってこれたのだ。
「フェリシアに関しても私の侍女になったのですから、こちらも彼女が今後幸せになれるように計らうつもりです。貴方一人が抱え込む必要はありません。……もう私も逃げませんから」
「君はこんな俺でも見限らずにいてくれるのか……?」
「私に理不尽に立ち向かう仲間がいるように、貴方様にも仲間がいる――それだけのことです。むしろお力にならなければという気持ちが一層強くなったくらいですよ」
私の言葉を受けた殿下は口を強く引き結び、下を向いて右手で目元を覆い隠してしまった。
「あぁ……やはり君は本当に強い人だ。ミーティアの言っていた前向きな君の姿が人々の心の支えになるというのが良くわかる。俺もいつまでも俯いては居られないな……」
殿下はすっくと立ちあがり、こちらに向き直る。
「俺も改めてここに誓おう、逃げずに戦い続けると。たとえこれからの長い人生の中でまた間違えることがあったとしても、失敗を真摯に受け止め、決して前へ進むことを止めはしない」
これまでの自信を失っていたものとは違う、私の良く知る彼の真剣で力強い眼差し。夜会や彼の誕生日の日に見たものと同じなのだ、誓ったことへ真っすぐに突き進んでくれることは最早疑いようもない。
「――だからこそ、君にはすぐ傍でそれを支えてもらいたい」
そこからプロポーズに繋がりそうな言葉を口にした殿下は、突然ハッとして焦った様子で自らの懐やポケットに手を当てて探り始めた。そして最終的に額に手をやってガックリと肩を落としてしまった。
「なんということだ……」
「ど、どうされたのですか……?」
「プロポーズのために用意した指輪を、慌てて出てきたからか国に置いてきてしまった……」
折角いい雰囲気だったのに、まるでこの世の終わりのような顔をして頭を抱えてしまった殿下がおかしくて、自然と笑いが込み上げてくる。
「うふふふ……あはははは!」
「レ、レオナ……?」
その様子に戸惑いながらもようやく「其方」でも「君」でもなく、私の名前を呼んでくれた。
もう遠慮しなくても良いだろう、私もずっと名前で呼びたくて仕方がなかったのだ。
「とてもクリスらしいわ。ホラホラ、顔を上げて! 失敗を真摯に受け止めて前へ進むのでしょう?」
己の大失敗を私が怒っていないことに心底安堵した様子のクリスは、いつもの凛々しくも優しい顔に戻っていく。
「……あぁ! すまないが、国に帰ってからちゃんとした形でやり直させてくれ。必ず君の望む言葉を贈ろう。ただ、そうだな……『今もずっと変わらず、君を愛している』。これだけは伝えておきたい」
「えぇ、楽しみにしているわ。――大好きなクリス」
真面目で、優しくて、決めたことに一直線で、それでいてどこか抜けていて頼りないこの人が――とても愛おしい。
私は自らの右手の人差し指と中指を揃えて口づけをし、部屋の方へと歩きながら、すれ違いざまにその指でクリスの口元に軽く触れる。そしてそのまま彼の顔を見ることなく礼拝堂を後にした。
部屋のドアノブに手を掛けるあたりで、廊下の先のこれまで静かだった礼拝堂から長椅子が倒れるような大きな音が聞こえてくる。
「おかえりなさい!」
「その顔は無事仲直り出来たみたいですね!」
構わず口元が緩んだまま部屋に戻るとレベッカとミーティアが出迎えてくれた。廊下の外では物音に驚いたウィリアムたちがバタバタと礼拝堂の方へと走っていく音が聞こえる。
「今の音は……?」
「さぁね~?」
レベッカが不思議そうに尋ねてくるけれど、それも私がニヤついたままなのを見て何となく察しがついたのか彼女もニヤニヤし出した。
きっと今頃クリスは心配で駆けつけた二人にたじたじになりながら、その理由を誤魔化そうとしていることだろう。
その様子を想像するだけで、どんどん愛おしくなっていく。
(――帰ろう、ローザリアに)
プロポーズを受け、彼にちゃんと「好き」ではなく「愛している」と伝えたい。




