14.★謎の少女(バルゲル視点)
謎の老人バルゲル視点、全四話です。
サブタイトル前に付いている「★」は他者視点で物語が進行していることを示しています。飛ばすとストーリーの流れが把握出来なくなる可能性が高いため、飛ばさないようお気をつけ下さい。
(付いていない他者視点のものは飛ばしても問題ありません)
「……昨日から外が騒がしいな」
普段通りに目を覚ました俺はやかましい遠吠えに苛立ちを覚えていた。あの遠吠えは狼型の魔物であるフォレストウルフが日中の狩りの最中に発するものだ。
狩りといっても獲物が弱るまで執拗に複数で追いかけ続けるという陰湿なもので、方法としては間違っちゃいないが、俺は気に入らないやり方だ。……まぁ俺の好みなんぞ奴らにしてみりゃどうでもいい話だろうが。
その遠吠えは昨日の夕方に一旦止まり、今朝になってまた再開されている。当然標的は俺ではない。遠い昔に囲んできたのを返り討ちにして以来、一度も襲われていないからだ。
「どうやら獲物も、もう長くないらしいな」
今朝になってから遠吠えが聞こえてくる位置が変わっていない。それはつまりもう移動も出来ないほど弱っているということを意味していた。
ここで俺は名案を思いつき、己の慧眼ぶりに思わずため息と薄ら笑いが零れる。
「どうせ魔物は飯食うためにやってる訳じゃねぇんだし、こっちはうるせぇ思いをして迷惑してんだ。獲物を横取りされても文句はねぇだろうよ」
この絶好の機会を逃す手はない。
俺はすぐに準備をして薄暗い森に足を踏み入れた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「……上流からか」
遠吠えの聞こえてくる方角を頼りに歩を進める。樹海に居を構えて二十年、このあたりの地形などとうの昔に頭に入っている。今はもう俺の庭のようなものだ。
三十分ほどかけて川のすぐ脇の木々の間を縫って坂を上り、ようやく遠吠えの中心らしき場所へとたどり着いた。
(やれやれ、思ったよりも手間を掛けさせやがって……)
背の低い木をかき分け、標的となっている獲物を視界に入れる。
――その瞬間、周囲の空気が張り詰めたのを感じて思わず身構えた。十メートル程先にいる小さな身体のそれが、確かな殺意を放っていたからだ。
しばらく動かずに様子を見ていると殺気は鳴りを潜め、その出所であるそれはゆっくりとこちらを振り返った。
それは淡い金髪に赤い眼をした少女だった。生気の薄いその瞳がじっとこちらを見つめている。
「こんなところに子供だと……!?」
驚くなというのは到底無理な状況だった。このような樹海の奥地で生きた人間を見ることなど、これまで一度もなかったのだから。
それだというのに、土で汚れてはいるが高価そうな衣装に身を包んだ年端も行かない少女が、フォレストウルフに狙われながら、今俺に強烈な殺気を放つまでしたのだ。
驚愕する俺を余所に少女はまるで糸が切れたかのように気を失い、その場に倒れ込んだ。
「おいっ! 大丈夫か!?」
急いで駆け寄ると同時に周囲からフォレストウルフたちが飛び出してくる。俺は身体強化の魔法を使って奴らの牙が届くより先に少女を抱き上げた。
「俺のために頑張ってくれて悪いな、何か別のもんを探してくれや」
この魔物は人間の言葉を理解してはいないはずだが、過去に脅威と判断した対象に獲物を奪われて奪還は不可能と悟ったのだろう、誰が見ても恨みがましい表情をその顔に浮かべながら森の奥へと消えていった。
「とはいえ、どう見ても朝飯にはならねぇな……」
予期せぬ拾い物に、そうぼやかずにはいられなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
フォレストウルフに目を付けられ休息が出来なかったであろう少女は、そのまま翌日の夕方まで眠り続けた。
「ようやくお目覚めか。飯は食えそうか?」
「……はい、ありがとうございます」
目覚めたばかりできょろきょろと周囲を見回す落ち着きのないそれに、自家製の豆や野菜と、この辺りの野草をぶち込んだだけの塩味のスープを出してやる。
落ち着いて少しずつ口に運ぶその姿はただの少女にしか見えない。しかしあの場所にいた時点で普通ではないことは確かだった。
「食いながらでいい、一先ず話をしようじゃねぇか。俺はバルゲル、この樹海に長年住んでる変わり者だ。死にかけてたお前さんを狼共から助け、ここまで連れてきた。いくらか質問するが寝床に飯まで出したんだ、隠し事はナシで頼むぜ」
少女はこくりと頷いた。
「お前さんの名前は?」
「……私はレナ。バーグマン伯爵の娘、レナ・クローヴェルです」
「バーグマンってぇと、俺の知る伯爵の孫ってところか。そのお嬢様が何でこんなところにいるんだ?」
すんなりレナと名乗った少女も、その問いには難色を示した。そりゃ何もなかったはずがないだろう、それくらいは聞かなくてもわかる。
「学園のある王都へ向かうために崖の上の道を進んでいたところをレッドドラゴンに襲われて……」
「レッドドラゴンだと!? あんな狭い場所でか!? ……お前さんよく生きてたな」
あれは国が威信をかけて入念な訓練と準備を行ったうえで討伐するような相手だ。とてもその場の人間だけで対処出来るような相手ではない。それもあの狭く足場の悪い場所でとなると、たとえ騎士団であっても討伐は困難極まるだろう。
「両親が命懸けで私を崖の下まで逃がしてくれたのです……。その場には私たち以外にも大勢の人がいましたけど、多分みんな……」
「そうか……。それで樹海に降りた先でフォレストウルフに狙われたんだな。とりあえずお前さんがどこの誰で、どうやって今に至ったかはわかった。――なら次はこれからの話だ。お前さんはどうしたい? 家に帰るか?」
だが少女はゆっくりと首を横に振る。
「家族のいない屋敷にも、貴族の身分にも、もう未練はありません」
家族のいない――ということは両親以外も既に亡くなっているのか。貴族を嫌って引退後にこんな場所に隠居している俺が言うのもなんだが、貴族の身分を捨てるなんていうのは普通なら有り得ない話だ。
「本当にそれでいいのか……?」
「屋敷に残した使用人たちが心配といえば心配ですけれど、みんな優秀な人たちですから、すぐに働き口は見つかるはずです。本当に食うに困るようなら屋敷の物を売って生活資金に充ててくれれば良いですし」
既に自分のことではなく身内の心配をしているあたり、本当に未練はないのだろう。
突然のことで自暴自棄になっている可能性も一応なくはないが、あまりに冷静に話している様子を見ると、どうやらその線は薄そうだ。
「……わかった。なら体調が戻り次第、近くの街に送ってやろう」
「それについてお願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「私を弟子にして下さい」
予期していなかった言葉に一瞬理解が追い付かず、この場が静まり返る。
(……こいつは何を言ってんだ? 弟子? 弟子になって何するつもりだ?)
こちらが混乱をしているのを察してか、少女は説明を始めた。
「魔物を倒すためにハンターになろうと思うのです。その為には一人で生きていける力が欲しい。屋敷にいる間もずっと剣や魔法の訓練はしてきましたが、この樹海を彷徨っていて、それだけでは全く足りていないのだと思い知らされました」
少女はかけられていた毛布をぎゅっと握りしめながら続ける。
「ずっとここで暮らしているバルゲル様ならその術をご存じのはずです。容姿も、佇まいも、身に纏う雰囲気も、どう見ても只者ではありませんから」
老いてなお溢れ出るこの力強さと知性と気品と色気はどうしようもない。まったく、こんな子供にすら只者ではないと言わせてしまうとは、我ながら罪な男だ……。
――とはいえ相手の要求を素直に聞いてやるほどお人好しでもない。何故わざわざ魔物との戦いに身を投じようとしている少女の、その背中を押してやらなければならないのか。
「だからそれを教えろと? 別に魔物を倒したいなら騎士団にでも行きゃいいじゃねえか、そこで鍛えればいい。女騎士は珍しいとはいえ貴族なら拒まれねぇだろうし、共に戦う仲間だっているぞ」
「仲間なんていりませんし、貴族の無駄なしがらみに囚われる気もありません。自由に生きて自由に恋愛がしたいので」
(無駄なしがらみ、か……)
この娘は俺が誰だかわかって言ってはいないのだろうが、俺にはとても否定しづらい言葉を使われてしまう。これでは明確な返答を避けるしかない。
「そもそも俺に何の得があるってんだ?」
「……特に何も。強いて言うなら孤独で枯れた生活に、美少女に身の回りのお世話をされるという潤いが足される程度でしょうか? 求められても困るので、あっちの方は枯れたままでお願いしたいですが」
ハッキリ何もないと言ってしまうとは馬鹿正直な奴だ。まぁそういうのも嫌いではない。
しかし確かに将来別嬪になりそうな面はしているかもしれないが、普通自分で言うだろうか。しかもお嬢様の癖に随分とませたことを言いやがる。
「なんだそりゃ。……それにまだ枯れちゃいねぇよ」
「あら、それは困りましたね……」
正直全く困っているようには見えないのだが、そう頬に手を当てながらしれっと言ってのける。
学園に通う歳だと言っていたが、こいつが今年十歳なんて嘘だろう。その二・三倍は軽く生きていそうなくらいの肝の据わりようではないか。
「困ってるのは俺の方だってぇの……。んで? 嫌だと言ったらどうするんだ?」
「樹海に一つ死体が増えるだけです。美少女の」
「近くの街に送るっつったろ。別に放り出しゃしねぇよ……」
「いいえ、樹海に増えます」
自身の生き死にの話だというのにえらく淡々とそう断言する少女。その意図がわからず、必死に錆び付いた頭を回転させる。
(……どういう意味だ? ここに戻ってくる? 何のために? いや、弟子になるためにか……)
しかも実力不足の自覚はあるから、戻って来ようとしても辿り着く前に死ぬだろうと言いたいのか。
俺は深い溜め息を我慢出来なかった。
こいつについてはまだ知らないことの方が多いが、もう何を言おうがハンター以外の道を選ぶことはないだろうというのだけはひしひしと伝わってくる。この年齢でこの目の据わり様は尋常ではない。
「ですからお願いです、私を弟子にしてください」
「言葉だけはしおらしいが、そりゃもうただの脅迫じゃねえか……」
もう俺もいい加減歳だ、貴族社会から離れる決意をした時ほどの行動力はもうない。そんな俺ではどう足掻いてもこの娘から逃れることは出来ないだろう。
「あぁもう、好きにしろ……。化けて出られても困るからな」
「ありがとうございます、バルゲル様。不束者ですが、どうかよろしくお願い致します」
そう言って少女は深く頭を下げた。
「……とりあえず『様』はやめてくれ」
「では『おじいちゃん』で」
「オイ!」
「……教えを乞うのですから『お師匠様』でしょうか」
「あぁもうそれでいい……」
結局俺の半分すら生きてもいない少女に丸め込まれてしまった。なんだかどっと疲れた気分だ。目覚めたのならその寝床を替われと言いたくなってきた。
「では私のこともレナではなく『レオナ』と呼んで下さい」
「どうしてまた?」
「ある種のけじめです。両親からもらった名前は今でも大好きで、大切なものですが、平民として生きる以上同じ名前では居られないと思いまして」
「俺は構わず名乗ってるが、そういうもんかねぇ。……まぁ好きにしろ」
こうして、訳のわからん押しかけ弟子との生活が突如始まることになった。