134.彷徨
エマをベッドに寝かせて傍についていたら、アンナに「お嬢様もお休みください」と部屋を追い出されてしまった。
渋々自室で横になるものの、未だに感情がグチャグチャで全く眠れる気がしない。溜め息を吐きながらベッドから起き上がり、なんとなくカーテンをめくって外を眺めてみる。
月明りに照らされている北東区域の高級住宅街には人の気配はなく、それぞれの屋敷の庭に住まう虫たちが鈴のような音で鳴く声のみが響いている。
目線を手前に持ってくると、背中を丸めて覇気のない表情を顔に貼り付けた女が窓ガラスに微かに映っていた。
――――私のせいだ。
あの男は明らかに私に嫌がらせをするためだけにエマを狙った。命に別状はないとは言っても彼女の心に大きな傷を負わせてしまった。
あれだけ皆を守ると宣っておきながら、身内の女の子ひとりすら守れなかったのだ。
そのような者に一体何の価値があるのだろうか。私自身が理不尽をもたらす原因になっていて、その防波堤にすらなれていないのであれば、皆の傍にいては迷惑が掛かるだけじゃないか。
皆に傷ついて欲しくない。
――なら、私はここに居てはいけない。
(どこか遠くへ行かないと……)
周囲に気付かれないように着慣れた衣装に着替えた私は、部屋の窓から空へと飛び立った。
誰も私のことを知らない、大切な人がいない場所を目指して――。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
行先に悩んだ私はエルグランツの南にあるフィデリオ港へと向かった。フレーゼ王国ならローザリアと違って迷惑が掛かるような知り合いはいない、そう考えたからだ。
元より大した距離ではないので夜のうちに到着し、そのまま宿で休憩を取った。そして朝一で船旅の準備をしていく。
都合良くフレーゼ行きの船のチケットが取れたので、すぐさま乗り込んだ。
「おぉ、レオナちゃんじゃないか!」
フレーゼ王国を目指す沢山の人々でごった返している薄暗くて汚い船室でじっとしていると、乗り合わせたエルグランツの住人が私に気付いて話しかけてきた。普段であれば笑いながら世間話をする仲だけど、とてもじゃないがそんな気分ではない。
「何か元気ねぇな? どうした?」
「……うぅん、何でもないわ。任務でフレーゼに行かなきゃいけなくなったから憂鬱なだけよ」
「ワハハハ、海外は初めてか!? 大好きなローザリアを離れる辛さはわかるぜ! まぁあっちはあっちで底抜けに明るい奴が多いからよ、向こうに着けば案外悪くないかもしれねぇぜ」
私の適当な嘘を疑うこともなく、そう言って男性はリンゴをひとつこちらに差し出した。
「まぁこれでも食って元気だしな!」
「うん……ありがとう」
私が受け取ると、男性は満足そうに頷いて離れていった。
手の中にある好意の重さを肌で感じ、その優しさが骨身に沁みる。そして同時にそれを拒み、距離を取ろうとしていることに罪悪感を覚えてしまう。
(でも……そんな皆が大切だからこそ、私は……)
最初のうちは先程の男性と同じように話しかけてくれる人がいたけれど、騒がしい船室の隅で気配を消して過ごすうちにそれらはすっかり無くなった。
たとえ任務であったとしても貴族である私がこのような安い船室で過ごすはずがない。皆そのことに気付いて、そっとしておいてくれている。
――そんな皆の優しさに、私は何も返せないでいた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
いくつかの港を経由しながら、約二週間かけてフレーゼ王国に到着した。船室を一歩外に出れば、煌々と輝く太陽がお出迎えして私や他の乗客の肌をジリジリと遠慮なしに焼きはじめる。
私は思いつきで作り出し、長年使いつつもちゃんと効果があるのかイマイチ実感が湧かない紫外線避けの魔法の出力を強めて頭上の太陽を睨んだ。
(さすが南国……思っていた以上に暑いわね……)
港で積み荷を降ろしている男たちは少数がベストを羽織っているくらいで、その殆どが上半身裸でマイクのような日焼けした肌を堂々と晒している。長袖を着ている者など何処にも見当たらない。
船を降り、港を街の方向へと歩きながら私もそれに倣って、ジャケットを脱いで鞄にしまい、ブラウスの袖のボタンを開けて肘の手前まで腕まくりをする。ついでに長い髪も後ろでひとつに纏めてしまう。
その様子を見ていたらしい作業中の男たちがニヤニヤしながら口笛をピュウと吹いてくる。それも一瞥する程度で相手にせずに乗客の列に流されるように歩き続ける。
――そういえばそうだ、ここは私のことを知らない人間ばかりだった。
周囲から理解のある大切な人たちを遠ざけて迷惑を掛けないようにしようとすると、私はまた表面だけ見てナンパやセクハラをしてくる相手に寄って来られるようになるのだと気付いてしまい、ただでさえ落ち込んでいた気分が更に沈んでいく。
(でも自分が貴族だとか、S級ハンターだと言って回るのは不味いわよね……)
ローザリア王国騎士団の騎士長、そんな地位の者が何も言わずに自国を飛び出して良い筈がない。それは私も理解しているつもりだ。この身勝手な行動に対して何かしらの罰は覚悟している。だからせめてフレーゼとの国際問題にはならないように目立たずにいたい。
しかし私はこれからどうしたらいいのだろうか。
行く宛てもないまま、港から出て繁華街に入る。フレーゼ王国の玄関口であるポルサトール港は健康的な色の肌の人々が行き交う、噂に聞いた通りの明るい雰囲気の町だった。
市場の入り口から既に何やらスパイシーな香りが漂ってきて、これまでの船旅で麻痺していた鼻が刺激されて潮の香りをまた認識しはじめる。
中に入ればローザリアでは見ない南国の果物や、沢山の魚、不思議な模様の布などがズラリと並んでいて、それらが今、故郷とは別の国にいるのだということをハッキリと教えてくれる。
「そこの美人のお姉ちゃん! フレーゼ特産の果物はどうだい!? 試しに食べてみりゃ元気も出るぜ!?」
青果店の前を通ると店の主人が私に話し掛けてくる。その口振りからするに私がこの国の人間でないことに気付いているのだろう。私ですらフレーゼの住民とそれ以外から来た人間の区別が付けられるほどなのだからそりゃそうか。
「買うからひとつ教えてくれない? 人の少ない落ち着ける場所ってないかしら? 人混みは苦手なの。別にこの町の中じゃなくても良いわ」
「まいどあり! 俺らが喧しいのは性分だからな~! なかなか難しいこと言ってくれるなぁ~……」
笑いながら店主は少し考え込むが、思い浮かばないのか隣の雑貨店の店主に尋ね始めた。
「この辺で人が少なくて落ち着ける場所ってどっかあったか?」
「あぁ? ラジーンの保養地なら高い金払えば落ち着けるんじゃねえか? そんなところでもなけりゃ人間の代わりに魔物が出ちまうから落ち着くのは難しいな」
「おぉサンキュー! 確かにそのくらいしかねぇわな! ラジーンならここから乗合馬車も出てるはずだぜ!」
「すまねぇなぁ姉ちゃん! 喧しくてよ! 女神の御加護がありますように!」
「ラジーンね、ありがとう」
こんな賑やかな場所でナンパされ続けていると、いずれ必ず厄介事が舞い込んで来るに違いない。さっさとそのラジーンとやらに行ってみよう。
店主から見たことのない南国の果物をカットしたものを受け取ってお店を後にした。そのまま街中を歩きながらそれを一口食べてみる。
(あ、見た目ちょっとグロいけど甘くておいしい……)
ピンク色の実の果肉は血肉を思わせる濃い赤色をしていて、種らしき黒いツブツブが散りばめられている。グチャっとしてそうな見た目に反して食感はシャキシャキしていて、さっぱりとした甘さだ。これなら甘いものが苦手なクリスも無理なく食べられそう。
(こんな果物もあるんだ、世界は広いわねぇ……)
ふと、勝手に国を飛び出してきた癖に楽しんでいて良いのかという考えが頭をよぎった。しかし正直なところ皆から距離を置くことが出来た今、どのような心持ちで過ごしたら良いのかすらわかっていない。
「お姉さんどこから来たの?」
「俺とお茶でもしない?」
「一目惚れしました! 俺と付き合ってください!」
考えなければならないことは山積みだというのに、頻繁にやってくるナンパ男たちによって思考が妨害されてしまう。もう一刻も早くこの町を離れたくなってきた。
私は強引に町の中を突き進み、さっさと乗合馬車に乗り込んだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そうして到着したラジーンの町のすぐ傍には保養地らしく美しい浜辺が広がっていた。……が相変わらず周囲は人だらけ。
ローザリアとは国土の広さも違えば、そこに住まう人々の数もまるで違う。授業で数字を聞かされていてもイマイチ想像がつかなかったけれど、こうして目の当たりにしてみればその凄さを嫌でも実感させられる。
仕方なく通行人に尋ねてみると、人が少なくて落ち着ける場所となると高級ホテルくらいだと言う。貴族の別荘付近にはそもそも近づけないし、庶民が出歩く場所は例外なく喧しいからと。
ならばとその高級ホテルに行ってみると確かにその周辺には人は殆どいなかった。その中々に広い敷地の入り口には警備の者が立っていて、ホテルを利用しそうにない人間を近づけさせないようにしていたからだ。
私ももしかしたら貴族らしく馬車にでも乗っていないと弾かれるかもと思ったけれど、特に止められることはなかった。
「え”……そんなにするの!?」
しかしその宿泊料金を受付で聞かされて私は固まってしまう。騎士団の訓練のために利用していた王都エリーナの宿の値段の数倍もしていたのだ。そちらだって高級に入る部類だったのに、いくらリゾート地とはいえ高すぎではないだろうか。これではあっという間に手持ちの資金が尽きてしまう。
残念だけど受付の人に嫌な顔をされながら静かな高級宿を諦めるしかなかった。
(もうどこかの森の中とかでいいかな……)
いくら魔物が出るといっても人混みよりはマシだ。ただ落ち着いて考え事をしたいだけなのに、何故こんな苦労をしているのだろうか……。知り合いから離れたい一心でこの国を選んでしまった自身の計画性のなさにうんざりしてしまう。
ナンパを振り払いながらラジーンの入り口を出て人通りの多い道を歩いていく。そして適当なところで道を外れて森の中に入ってみる。外は相変わらず憎たらしいほどの快晴なので、その日差しが木々に遮られるおかげで森の中の方がいくらか過ごしやすいくらいだった。
そのまま進み続けると森が途切れて崖に出た。その真下は海かと思いきや、どうやら入り江になっているようで、砂浜と海が一部分だけ切り取られて崖で囲われている空間が広がっていた。町からも道からも離れているので当然人の姿などどこにもない。
(おぉ……凄くいい感じじゃない!?)
私は少しワクワクしながら崖を飛び降りて砂地に着地する。広すぎず、狭すぎず、見晴らしも良くて、人も魔物もいない。ただ波の音が控えめに聞こえてくるだけの美しい空間。完璧ではないだろうか。
さっそく日陰になっている岩の上に座って一息つく。
私はこれからどうするべきか。国に帰るのか、帰らないのか、帰るならいつ帰るのか、帰るまでの生活はどうするのか、考えなければならない事柄はいくらでもある。
しかしどれも確かな正解なんてない。ひとまずハッキリしているのは、私が傍にいると理不尽が他人に降りかかってしまうことと、国に帰れば何かしらの罰が待っていることくらいだ。
ローザリア王国は今でも大好きな場所で、そこに住まう人々もとても大切な人たちだ。立場を投げ出している罪悪感だってある。しかし自国に帰ればまた誰かに理不尽を振りまくことになってしまう。
そのジレンマを解消出来る良い考えが浮かぶと良いのだけれど……。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そうやってどれくらい過ごしていただろうか、気が付けば日が傾き始めていて、私が座っていた日陰も砂浜を覆い尽くすべく、その範囲を拡げていた。
(これだけ悩んでも答えが出ないなんて……)
元々ローザリアに居られないから出てきただけで、何かをしたくてこの国に来たわけではない。しかし何をするにしても、普通に暮らそうと思えば人と関わることを避けられない。そうなればこの国にも大切な人たちが増えていくことになるだろう。これまでと何も変わらない。
それを避けるには最低限の付き合いだけに留めて、人と関わらない暮らしをしなければならない。――そう、まるで樹海に暮らすお師匠様のように。
ただ私はどうしてもそうやって暮らす踏ん切りがつかない。それだけ人に囲まれながら自分らしく振舞える生活が心地良いものだったから。
(ブリジットは今の私をなんて言うかしら……)
好きなように生きろと言うだろうか、それとも迷っている私に具体的にこうしろと道を示してくれるだろうか。もしかすると突然姿をくらましたことに腹を立てているかもしれない。
(それにクリスも……)
私にプロポーズするため、お師匠様に会いに樹海へ向かったクリス。私がリヴェール領の遠征を終えてもまだ帰ってきていなかった。ようやく王都に戻ってきたのに私が行方不明と知った時、彼は何を思うのだろうか。
『ぐぅぅぅ……』
私のお腹が情けない音を立てたことでまた思考が中断される。
「……そういえば今日は何も食べてないや」
流石に空腹には勝てない。そう遠くもないのだから、大人しく町に戻って夕食にしよう。
崖をサクッと魔法で上り、森の中を真っすぐ突っ切ってちゃんとした道へと戻る。そして日が暮れる前に帰ろうとしている早足の通行人たちに混じってラージンの町を目指した。
しばらく歩いてラジーンの入り口の門にある松明の明かりが目に入ってくる。その炎の明るさに少しだけほっとしながら門をくぐろうとする。
「そこの女、止まれ」
すると横からこちらを呼び止める声がした。




