133.語らい(クリストファー視点)
『……なぁ、お前さんはアイツのどこが気に入ったんだ?』
一見軽い調子で発せられたその言葉には、これまでの比ではないほどに俺という人間を試す意図が籠められていた。回答を間違えればここ数か月の行いはあっけなく水泡に帰すだろう。
しかし不思議と緊張はしなかった。
それだけ彼女に対する気持ちがしっかりと定まっているからだ。
「うーむ、それが最近困っていてな……」
「あ?」
何を勘違いしたのか、バルゲルのこちらを見る目が鋭くなる。
「俺は最初のプロポーズで『君の全てが』と言ってフラれてしまって以来、それを具体的な言葉で伝えるための努力をしてきたのだが、彼女のことを知れば知るほど好きになってしまってな……。また『君の全てが』と言ってしまいそうで、どうしたものかと……」
「ふはは……何でぇそりゃ……」
恐らく想像と違っていた返答に、見るからに力が抜けた様子のバルゲル。
「彼女の外見についてはわざわざ言う必要もないだろうから、彼女の内面についてこれまででわかったことを話してみようか。俺も少し整理をしたい」
バルゲルは左肘をテーブルについて、頬杖をしながらこちらの話を聞く姿勢になった。
「彼女はその美貌故に外見ばかりを見て近づいてくる相手に辟易し、相手に己の内面を見られたいと心の底から望むようになった。それもあって彼女自身も相手の外見に囚われなくなり、結果として内面――感情を読み取る能力に特化していったようだ」
あの夜会でようやくそれを理解出来た。同時に望んでいながらも内面を見られ慣れてはいないことも。最近では気難しい弟妹たちともすぐに打ち解けていたあたり、今でもその能力は遺憾なく発揮されている。
「そんな彼女は自分の味方を、慕ってくれる人間をとにかく大切にしようとする。その美貌と、その力と、その真摯さが、どれだけ人の心を魅了するのかをあまり自覚してはいないようだが……」
「……違ぇねぇ。アイツはあっという間にディオールの連中と仲良くなっちまったからな」
バルゲルも半笑いで当時を思い出しているようだ。認識が彼と違っていないことにほんの少し安堵しながらも俺は続ける。
「だが同時に大切にしているものが害されるのを酷く恐れてもいる。それらを守るためには己を後回しにして尽くす献身ぶりだ、結果的に尽くされた側の心酔は凄まじいものになる」
俺もまさか年単位でディオールの住民のために尽くしているとは思わなかった。彼女の商会設立の経緯を聞いた限りではイルヘンの村がその典型だろう。他にもバーグマン領では水の汚染を食い止めたと領主から報告があったし、彼女の影響力が強いとされているエルグランツ、アジェあたりでも何かしらの行動を起こしているはずだ。
「一方でそれらを害する相手にはとても攻撃的になる一面もあるようだ。その相手が魔物ならまだ良いのだが、人間であればそれは同時に敵を作ってしまう危険性を孕んでいることを意味している」
俺も一部でお人好しと言われているが、俺の場合は打算も込みで人に優しくしているつもりだ。
――だが彼女は違う。彼女は理屈よりも感情の人間であり、その情を向ける相手のためなら敵を作ることを厭わない。もちろん自ら進んで敵を作りたがるような性格ではないのだが、目的のためなら手段を選ばないという意味での残酷さも持ち合わせているのは間違いない。
「彼女に実力行使で勝てる者は居ないのだから、理性や知恵のある者ならば距離を置くか、上手く取り入って彼女の庇護下にあろうとするだろう。……だが、そうでない者は自然とその敵意の矛先を彼女が大切にしている者たちへと向けるはずだ。彼女の顔を曇らせる、ただそれだけのために」
俺は立ち上がり、バルゲルから目を離さずに、訴えかける。
「だが、俺はそれが我慢ならない! 俺はこの立場を使ってこの国を彼女の大切なもので満たしてやりたい。そしてそれらを護る役目を彼女と共有したい。それが俺が将来国王として目指す国と本質的に同じものなのだ!」
国を本当の意味でひとつにする――。
それには彼女が必要だし、彼女が幸せに暮らすにはそれが必要だ。
ここまで話して少々熱くなり過ぎたかと冷静になり、また椅子へと座り直す。
「……結局俺の彼女への気持ちの根幹は、人々と触れ合い、楽しそうに笑う彼女のその笑顔を護っていきたい、というものだと思う。彼女の隣で、彼女と共に、一生を懸けて理想の国を作っていきたいのだ」
そう、彼女が傍にいて笑いかけてくれたなら、それだけで俺は幸せでいられる。そして彼女の望む幸せな家庭というものを共に作っていければ、それ以上はない。
「ふっ……アイツのことよく見てんじゃねぇか」
「バルゲル……」
「アイツは両親の命を奪った時のような『理不尽』ってもんが大嫌いなんだ。その理不尽に立ち向かうだけの力がアイツにはある。だが理不尽ってのは理不尽だからこその理不尽だ、アイツにもどうしようもない時はあるだろう」
そこで何故か席を立ったバルゲルは、何やら戸棚の奥の方をごそごそと漁り始めた。あそこには使う機会の少ない雑貨しか入っていなかったはずだが……。
「俺はそういう時にアイツが折れないように支えられる奴が傍に必要だと考えている。……それこそアイツが前を向き続けるために命を懸けられる人間がな」
そして何かを掴んだバルゲルはそれをテーブルに乱暴に置きながら、また椅子に座った。
目の前に置かれたものは黒い色をした瓶と、二つの小さな透明のグラスだった。
(これは酒瓶……? いや、だが飲まないと言っていたはずだが……)
「……良いだろう。俺からすりゃ剣の腕は少し物足りねぇが、認めてやる」
稽古初日の時のように怒鳴られたり、言い合いになったりするものだと覚悟していたというのに、バルゲルはあっさりと俺が求めていた言葉を口にした。
「本当か……!?」
だが俺はまだ認めてくれたことを素直に喜べないでいた。嬉しいには違いないが、彼の考えがまだわからない。
この後語られるであろうそれを聞き洩らさないように目の前の相手に集中する。
「……あぁ。そこまで相手のことをちゃんと見られるなら、独りよがりな真似はしねぇだろう。求めるだけでも、与えるだけでもなく、互いを尊重して上手くやっていけるはずだ」
そう言いながらバルゲルは瓶の栓を抜き、その中身をグラスに注ぎ始めた。飴色に輝くそれは、窓から差し込む夕日に照らされて更に濃い色の影をそのグラスの向こう側に落としている。
それと同時に濃厚な葡萄の香りと柔らかな木の香りが注がれる勢いに乗ってこちらに漂ってくる。この香りはやはり酒で間違いなさそうだ。
「……酒は飲まないんじゃなかったのか?」
「くたばる前に飲もうと思って取っておいたんだが、気が変わった。ちょっと付き合えや」
酒を飲み交わす行為は一般的な平民にとっては友好の証。これまでずっと酒を我慢してきた彼が、そのとっておきを共に楽しもうと言ってくれているのだ。この樹海の奥深くで出来る最上級のお祝いを一体この世のどこに断る馬鹿が居るだろうか。
「あぁ、いただこう」
俺の返事を聞いてバルゲルは片眉と口の端を持ち上げながら二つ目のグラスにも酒を注いでいく。そう大きくもないグラスになみなみと注がれ、俺の前にずいと差し出された。
『――乾杯』
グラスをかち合わせたりせず、零れないように慎重に持ち上げて口をつける。
その芳醇な香りとまろやかな甘みが鼻と口の中を通り抜けていき、喉の奥へと落ちていく。するとカッと胸が熱くなり、全身の体温が上がって急激に頭がぼやけていくような感覚に襲われる。
(旨いが、かなり強い酒だな……)
ちらりとバルゲルを見れば、これを一気に呷って上を向いていた。ぎょっとした俺は意を決してそれに続く。付き合うと答えた以上、この場では彼に合わせなければ……。
「かぁ~……! たまらんね」
幸せそうに酒気を帯びた息を吐くバルゲル。ようやく飲み干した俺を見て嬉しそうに笑っている。
「おっ! 王太子様にしてはやるじゃねぇか!」
既に胸の熱が既に喉元まで上がってきている。今のをもう一杯、一気に飲んだら俺は倒れてしまうかもしれない……。
こちらの確認など取るはずもなく、追加の酒がグラスに注がれていく。焦った俺は酒瓶を奪ってバルゲルのグラスに注ぎ返す。
彼は新たに注がれた分をまた一気に飲み干してしまった。恐ろしい……が同時に彼の年齢を考えると少し心配だ。倒れてしまわないだろうか……。
「俺はよぉ……安心したんだよ」
「……安心?」
「アイツを本気で求めているのが、人に感謝し、人のために動ける人間だったことにだ」
手元の酒をどうすべきか悩んでいると、ここまで幸せそうに酒を楽しんでいたバルゲルの勢いが落ちてしみじみと語り出した。
「俺が行方をくらませた理由くらいはお前さんも聞いてるだろ?」
「……あぁ」
「騎士たちを使い捨ての駒のように扱い、平民をまるで塵のように見ている温室育ちの貴族共に、あの時俺は絶望したんだよ。こんな奴らがデカい顔して人の上に立っている社会なんて碌でもない。もう勝手にやってろってな!」
バルゲルは酒瓶を手に取り、中身を自身のグラスに乱暴に注いだ。
そのグラスを持って立ち上がったと思えば近場のランプに火を点け、窓際に移動して夕日が沈みかけている外の様子を眺め始めた。
「人は独りでは生きられねぇ。他の生き物の命を糧にしながら、それを仲間と分かち合いながら生きている。それを理解してねぇ、世話されて当然、守られて当然だと思っている豚共と同じであれば俺は断固として結婚を反対した。場合によっては樹海から生きて返さねぇつもりだった。……だが、お前さんはそうじゃなかった」
そう言いながらバルゲルはこちらに振り向いた。その顔はとても真剣だったが怒りは込められていない。
……というかさらりと物凄いことを言ってのけている。確かに彼の実力なら可能だろうし、魔物にやられたと言えばここではそれで済んでしまうのだろうが……眼鏡に適って良かったと心から思えた。
「お前は王太子だろうが平民にも感謝を忘れず、平民のために動くことが出来る人間だった。決め手としては剣の技量が二割、さっきの好いた理由は三割ぐらいのもんで、残りはディオールでの住民とのやり取りから判断した。……聞き耳を立てるのは趣味じゃなかったがな」
誘っても酒場に飲みに行かなかったのは偶々ではなく、俺の住民たちへの対応を探るためだったようだ。あの時の俺は軽くとはいえ彼について愚痴を吐き出してもいたのだがそれは大丈夫だったらしい。
「今の気持ちを忘れるんじゃねえぞ。じゃねえと化けてでもぶん殴ってやるからな」
「――あぁ。我が魂に誓って」
俺は背筋を伸ばし、右の拳を胸に当てて騎士団の敬礼のポーズで誓いを立てる。ヴォルフとのやり取りがあったからか、女神に対して誓う気にはなれなかったのだ。
「そうだ、最後に頼れるのは女神じゃなくお前自身だからな。……きばれよ、若造」
こちらに向けられる力強くも優しい視線、さすが彼女の師匠と言うべきだろうか。厳しさの中に込められた深い情がガッチリとこちらの心を掴んで離さない。……師弟揃って見事に人たらしである。
「さ~て、今夜は飲むぜぇ!」
すると今度は別の戸棚から酒瓶を複数取り出してウキウキでまたテーブルに着くバルゲル。今までのがとっておきだと思っていたのにまだ隠していたらしい。
これには呆れるしかないが、本当に嬉しそうにしているのでこちらまで釣られて笑みが浮かんでしまう。
「ふふっ、また飲みたくなっても知らないからな」
「なぁに、そんときゃ未来の王妃様にお願いして飲ませてもらうさ」
「そこは未来の国王にじゃないのか……」
「馬鹿野郎、どうせなら美人に注いでもらった方が美味いに決まってんだろ!」
「ははは! それもそうだ!」
それからは樹海での二人の生活や樹海の外での彼女の活躍など、お互いの知らない彼女の話をずっと語り合った。
両親を失った心の傷から夜はうなされることが多く、心配で傍で寝ていたこと。
訓練の厳しさに泣きながらも意地で食らいついてきたこと。
ディオールの若い男たちが彼女に寄って来るのを一生懸命追い払っていたこと。
変化に乏しかった顔に少しずつ表情が戻ってきたこと。
着替えの現場に出くわして一週間口を利いてもらえなかったこと。
寝ている間に鶏小屋が壊れて脱走され、慌てて二人で樹海を探しまわったこと。
風呂で歌うと下手だと言われ、一緒に練習したが全く上手くならなかったこと。
試し撃ちした竜巻の魔法で森が破壊され、仕方なく畑を拡張したこと。
ついでに東屋も作って、畑に囲まれた中で二人でお茶をして過ごしたこと。
旅立ちの時に涙を浮かべながら微笑んだ彼女が誰よりも美しかったこと。
彼から語られるエピソードは最初は聞いていて辛いものもあったが、次第に仲良く暮らしている様子がわかるものが増えていく。
あの頃は楽しかったと笑っていられる、とても樹海の中とは思えない思い出の数々。この隠れ家の各所に視線を向ければ、その時の様子が目に浮かぶようだった。
俺は懐かしみながら語る目の前の男と共に、そんな彼女の幻影を確と脳裏に焼き付ける。
それが彼女が望む幸せな家庭のひと欠片であることに、疑いの余地はなかったからだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「俺の可愛い可愛い弟子を頼んだぜ、優男さんよ」
翌朝、ほんの少しの皮肉を含んだ言葉に見送られて隠れ家を発った俺は樹海をひた走った。その足取りは何時になく軽い。バルゲルに会いに来て本当に良かった。彼に認められたことが俺の背中を猛烈に後押ししてくれている。
――王都に帰って早く彼女にプロポーズしたい。
今なら間違いなく彼女が望む言葉を贈れるはずだ。手を取り合って、互いの望む未来を目指していけることに胸の高鳴りが止まらない。
これからの生活を想像して、顔が綻ぶのを我慢出来ない。
――そう、俺は浮かれていた。
まさかこの先王宮で俺を待っている現実に、自身の不誠実さをこれでもかと突き付けられることになるとは、この時は思ってもみなかったのだ。
これにて第四章終了です。次の話から第五章が始まります。
新たに明かされる真実と、結婚を阻む障害に立ち向かう二人をお楽しみください。




