表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
131/158

131.バルゲルという男(クリストファー視点)

 住民たちの話によると道のりに掛かる時間はバルゲルが走って一週間らしい。もう齢八十前後のはずなのだが樹海を走って移動とは恐れ入る……。


 水を補給できる場所も道中にもう一箇所あるそうなので、それを前提に荷物を調節していく。




 翌朝、住民たちに見送られながら街を出発する。もうコソコソと探る必要もないので精神的にもとても気が楽だ。昨晩一緒に酒を飲んだ農家の面々とも軽く挨拶を交わしながら農道を進んでいく。


 ちなみにもう変装の魔道具は使っていない。魔力が勿体ないだけだ。


 樹海に到着してからは俺もバルゲルに対抗して走って移動することにした。俺も特務の団長なのだから負けてはいられない。


 途中フォレストウルフにも狙われたが、この樹海に生息していることは彼女の話から把握していたので、しっかり対策は練ってあったお陰でひとりでも全く問題なかった。




 そして出発して九日目の朝――――


「なんだここは……」


 背の高い樹木が密集して生い茂り、とにかく薄暗かった樹海の奥地に突然青空が広がる。その面積は王国騎士団の訓練場よりもよほど広い。


 そこには畑がずらりと並び、夏野菜が朝露に塗れて輝いている。向かって右側には母屋らしき建物や倉庫、鶏小屋、屋根付きの竈、東屋まである。とりあえず目的地に着いたのは間違いなさそうだったが、とても樹海の中とは思えないその充実した環境に言葉が出ない。


 俺は畑の間を通って母屋のドアをノックする。……だが反応はない。


「バルゲル・カーディル! 居ないのか!?」


「…………誰だお前」


「ッ!?」


 小屋の中からではなく背後から低い声が響いて、反射的に振り返りながら腰の剣に手を掛ける。


 そこに立っていたのは俺よりも背の高い、何故か上半身が裸の老人だった。その全く年齢を感じさせない鍛え抜かれた肉体を見れば只者でないことなど一目でわかる。


「……なに人の身体ジロジロ見てんだ、金取るぞコラ」


 そう言いながら真っすぐ俺を睨み付けながら両腕で胸元を隠し、身体を捻って右膝を持ち上げて前を隠すようなポーズを取ってくる。これが若い女性であれば良かったのだが、残念ながら無骨な老人では何も嬉しくない。


「うっ……失礼した。バルゲル・カーディルだな?」


「……知らんな、他を当たりな」


 バルゲルはドアの前の俺を押しのけて小屋の中に入っていくが、ドアを閉められはしなかったので俺もその後に続く。中は男性の一人暮らしとは思えないほど整頓されており、本人の几帳面さが伺える。


「ほぅ、ディオールのみなが嘘をついているとでも?」


 長年身を隠すのに協力してきた住民たちが、今回はそうではないという俺の言葉に、壁に掛けられていた服を手に取ったバルゲルの動きがピタリと止まる。


「あいつら……。んで、結局お前は誰なんだよ」


「俺はクリストファー・スヴァール・ローザリア。今の王太子だ」


「……ふん、王子様が何の用だ。今更連れ戻しに来たのか?」


 服を着たバルゲルはまたドアから外に出ていこうとしたので俺もそれを追いかける。すると隣の倉庫のドアを開けてゴソゴソと何かを探し始めた。


「馬鹿を言え、総長は其方の息子が立派に勤め上げている」


「そうかい、なら何なんだよ。……つーか俺にばっかり質問させてんじゃねぇよ。貴族の勿体ぶった話し方が鬱陶しくてしょうがねぇ」


 木の皮で編まれた籠を脇に抱えて出てきたバルゲルが倉庫の入り口で立ち止まり、うんざりとした顔で俺を見てそう吐き捨てる。


「では単刀直入に行こう。俺はレオナ・クローヴェルについて、其方と話がしたい」


 一瞬目を見開いた彼は俺から畑の方に視線を移しながら、ふんと鼻で笑う。


「アイツめ……こっちにまで面倒事を持ち込んでくるんじゃねぇよ、まったく……」


 そう呟く彼の目は細められ、口元には笑みが浮かんでいる。


「ほれ」


 突然バルゲルは俺にその手の籠を俺に投げ渡してきた。咄嗟に受け取り、その意図を探ろうと彼の顔を見上げるが、すぐに呆れ顔を向けられてしまう。


「王子様は人が働いてる間ずっとふんぞり返って見ているつもりか? お前も手伝うんだよ。年寄りの寝る時間は早えぞ。話がしたけりゃテメェでその時間を作りな」


 わかっていたことだが、ディオールの住民ですら正体を知った直後は敬語で話そうと努力していたというのに、彼からは王族に対する敬意など微塵も感じられない。


 だがレオナの名前を出した途端、そのぶっきらぼうな態度の奥に彼女への親愛の情が見え隠れしだした。俺としてはもうそれだけで充分だった。


「あぁ、任せてくれ。俺が居る間はすこぶる快適な生活を約束しよう」


 背負っていた荷物を置いて凝り固まった肩をぐるぐると回しながら、俺は広大な畑へと近づいていく。




 それにしても広い畑だ。ひとりで維持するのも大変なのではないのかと思いながら食べ頃になった野菜を収穫していく。その判断基準を尋ねたらまた呆れられたが……。


「こんなに食べるのか……?」


 籠いっぱいの色とりどりの野菜を見て素直な疑問を投げかける。


「アイツはちゃんと肉も食えって煩かったが、歳取るとそんなに食いたくならねぇんだよ。野菜は調理や保存の仕方次第で多少日持ちもするし、それでも食い切れないならアイツらの餌にすりゃいいから楽なもんだ」


 そう言って親指を立てて鶏小屋を指し示した。


「まさかこのような樹海の奥地にニワトリがいるとは……」


「あれもアイツが卵が食いてぇっつって街で譲ってもらってきたのがきっかけだ。畑だって昔はもっと狭かったんだがな……」


 そう言って畑を眺めているバルゲルはきっと当時を懐かしんでいるのだろう、纏う雰囲気は完全に家族を想うそれだった。彼らの間にだけある思い出、愛情――それがとても羨ましく思えて少しだけ胸が苦しくなる。


「さて、じゃあメシでも作ってもらおうかね」


「まったく、王太子遣いの荒い……」


 野営の心得はあるし、彼女と共に料理をしていたこともあってそれなりに自信はある。


 キッチンに入ってみればやけに調味料やスパイスなどが充実している。バルゲルがこれを駆使して料理をするようには思えないが、これも彼女の影響なのだろうか……。


 俺は脳内に突然思い付きで料理をしようと言い出すレオナと肩を並べて、困惑する料理長たちに見守られながら作業する光景を思い浮かべながら、孤独にその腕を振るう。


「……まぁまぁだな」


 そう言いながらも、一度お替わりまでしてしっかり平らげるバルゲル。口は悪いがどこか憎めない相手だなと思いながら、俺もご相伴に預かることにする。




「午後からは周囲の魔物を狩るぞ」


 そして食べ終えたかと思えば、剣や最低限の荷物をチェックし始めた。


「其方であれば襲われても大して危険ではないのでは?」


 こんな場所でもう三十年も暮らしていれば、敵と呼べるほどの相手はもう居ないだろうと反射的に言葉が口を衝いて出た。しかしそれも鼻で笑われてしまう。


「馬鹿野郎、暮らしていくために必要な金は勝手に湧いて出てくるもんじゃねぇんだよ。それに俺は大丈夫でもアイツらは大丈夫じゃねぇだろうが」


 そう言ってまた親指を立てて鶏小屋を指した。


「あぁ……確かにそうだな」


 俺は捜索ついでに依頼をこなして報酬を得ているだけで予め用意してあった活動資金に手を付けずに生活出来ていたが、確かにこのような場所で生活するとなると何かしらの収入源が必要だろう。その辺りの意識が抜けていたことを素直に認めて反省する。


「――よし、行くぞ。着いてこれねぇなら置いていくからな」


 一体どこまで行くのかは知らないがそれは困る。俺はこの辺りに関してはあの道しか知らないのだから逸れれば一巻の終わりだ。


 俺は気を引き締めてバルゲルの背中を追いかけ、樹海へと足を踏み入れる。




 隠れ家の周りといっても結構な範囲を動き回って魔物を狩るようだ。だが縦横無尽に動くその移動スピードは尋常ではない。身体強化の出力をかなり高めていても、本当にバルゲルの後ろをついていくので精一杯だった。力を合わせるどころか彼が仕留めた魔物の魔石を取り出して運ぶ荷物持ちになってしまっている。


 ディオールへの道は出来るだけ平坦で真っすぐ進むだけで済むように、かなり考えられて作られたものであることを痛感させられる。数メートルの段差など当たり前で、見たこともない大きさの巨木や岩をいくつも回り込み、乗り越えているうちに容易に方角を見失うのだ。


 これまで騎士団でも森の中を歩く訓練はしてきたというのにこのザマだ。彼女が『火竜事件』から逃れた後、あっという間に迷子になったと聞いた時にはほんの少しだけ呆れの気持ちを抱いたことを心の底から謝罪したいと思う。前人未到の樹海は伊達ではなかった。




 目が回る勢いで樹海を走り回り、ようやく隠れ家に戻ってくる頃には日が傾きかけていた。樹海の中は日中でもとにかく薄暗いので、もう日が沈んでしまっていると思っていたくらいだ。


「んじゃ晩飯も頼むぜ。食って片付け終わったら風呂の準備な」


「…………ッ!?」


 休む暇もなく次々と言い渡される家事に唖然としていると、疲れで表情を取り繕えていなかったせいで、またもや呆れ顔を向けられる。


「おいおい、アイツは十歳の頃から家事は全部やってたんだぜ? まさか一国の王太子様が出来ねぇなんて訳ねぇよな?」


 毎度のように彼女を引き合いに出されるのは仕方がない。にしても、どうしようもない魔力量の差やそれによる戦闘力はともかく、他の面まで劣っていると言われるのは俺が彼女にふさわしくないと言われているように感じられてあまり良い気分ではない。


 俺はその挑発に子供のようにムキになりながら、今朝の野菜の残りと途中の川で獲った魚を使って料理を作っていく。それを労うこともなく、また素っ気ないコメントを残しながらもしっかりと完食するバルゲル。




 そして風呂なのだが……屋外の調理場だと思っていたものがまさかの風呂だった。これも彼女が来てから作られたものらしい。


 年頃の貴族令嬢が水浴びで我慢出来なかったというのも一応納得はいく、といっても場所がこの樹海でなければの話だが……。


 俺が火の番をしていると湯船に浸かるバルゲルが大声で歌を歌い出した。まぁ普通なら微笑ましいと言えるのかもしれないが、実際に耳に飛び込んでくる雑音は酷いもので、とても聞けたものではなかった。『貴族嫌い』よりも『音痴』の方が余程彼の二つ名にふさわしいのではないだろうか。


 騒音に耐えて自分が入る番になった時の気持ち良さといったらなかった。洗浄の魔法でただ綺麗にするのとは明らかに違う、身体が温まり休まっていく感覚がたまらない。風呂は特別好きではなかったが、俺も彼のように風呂好きになれそうな気がしてきた。


 ただクローヴェル商会で取り扱っているのとほぼ同じシャンプーがあったりと、彼女がいた痕跡を見つけるたびにどこか嬉しいような、切なくなるような、そんな少ししんみりとした気分にさせられてしまう。




『ぐごおおおおお、ごああああああ』


 風呂に満足して小屋に戻ると既にバルゲルは盛大ないびきを立てて眠っていた。年寄りの寝る時間は早いとは確かに言っていたが、あんまりである。


(結局したかった話は何も出来なかったではないか……)


 俺は床に敷物を敷いて寝転がり、今日一日を振り返る。


 もう寝てしまっているのを見てもわかるように、俺が話をしたいと言ってもバルゲル側から歩み寄ってはくれない。しかし単にその気が一切ないのであれば、最初に出会った時に追い返しそうなものなのだが、そこまではしなかった。


 彼は「話がしたけりゃテメェでその時間を作りな 」と言った。話が出来なかったのは、その時間を作れなかった俺が悪いということだ。特に魔物狩りでバルゲルに着いていくのに必死になっているようでは、彼の「話をする気のないペース」から抜け出すことは出来ないだろう。


(――あぁ、そうか。俺はもう既に試されているのだな……)


 今日は余裕がなくてその発想自体なかったが、恐らく合間に本題を持ちかけても聞いてはくれないのだろう。正々堂々と、言葉を尽くす前に行動で示すしかない。


 そうと決まればこうしてはいられない。明日に備えて早く寝なければ。


 俺は部屋のランプを消し、喧しいいびきが少しでもマシになるよう頭から毛布をかぶった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ