130.足がかり(クリストファー視点)
「お、ここだここ!」
翌朝、ヴォルフに案内されて昨晩言っていた不自然な痕跡とやらに辿り着いた。目の前には確かにこの樹海においては珍しい、道と呼べるものが東西に伸びていた。
「これはただの獣道ではないのか……?」
「いや、これを見てみろ」
ヴォルフが指し示したのは人の背より少し低い程度の細い木だった。その枝の伸び具合がとても歪だったので言いたいことはすぐに理解出来た。
「刃物で枝を掃った跡があるな……」
その短くなっている枝の断面が、ただ折れただけにしては綺麗すぎる。
「……だろ? 動物や魔物ではこうはならねぇ。新しい芽の出具合から考えて、そう日にちも経ってねぇだろうから俺たち以外のハンターの可能性もまずない。この道、お前さんの探している人物が使ってる可能性が高いと思わねぇか?」
「確かにその可能性が高そうだな……」
ここ数か月でようやく見つけた手掛かりなのだ、調べない手はない。俺はヴォルフに向き合った。
「お陰で光明が見えてきたよ。今後はこの先を調べることに集中したい。其方にはその間ディオールの住民たちを魔物から守ってやって欲しいのだが、頼めるだろうか?」
「おう、俺は構わねぇぜ。別にやることは変わらねぇからな」
「……感謝する。この道の先にバルゲルが居て、無事彼に認められたら改めて礼をしようじゃないか」
本当にこの先に彼がいるのならヴォルフの貢献度は計り知れない。しっかり感謝を示さねば罰が当たるというものだ。
「そいつはありがてぇな……。じゃあその時は王宮のとびきり旨い飯でも食わせてくれや」
まさかここでも飯の話になるとは。俺の提案にくつくつと笑うヴォルフの、レオナとはまた違う種類のブレなさに思わずこちらまで笑いが込み上げてくる。
「あぁ、約束しよう」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
本当はすぐにでもあの道の先へと進んでみたかったが、逸る気持ちを抑えて一旦ディオールへと帰還する。より確実に調査を進められるようにしっかりと準備をしなければ。
まずは片道二日間、往復で四日間分の水や食料を持って出発してみる。
帰りの道を見失わないように、そして今後の調査が楽になるように、生い茂る枝葉を丁寧に掃いながら樹海の道を進む。
しかし結局何も新しい発見はないまま、来た道を戻ることになる。道自体はまだ先へと続いているので、更に長い距離を歩けるよう準備しなければならない。
今度は片道四日間、往復で八日間分の水や食料を持って出発する。
既になかなかの荷物だ。これ以上重くなるのは勘弁して欲しいと思いながらも進むと、三日目に水源を発見する。ここで水を補充することを前提にすればいくらか荷物は軽く出来そうなのでほっとした気分だった。やはり水場を上手く経由して道は続いているようだ。
四日進んでもまだ先は続いているが、恐らくあと一日二日進めばまた水場があるような気がした。ここまでの道も整地出来て移動のペースも上がっているので、あと二・三回調査に出れば目的地に到着するのではないかと何となくだが目星がついた。
夕方に帰還した俺はまた調査に必要な物資を調達しようと雑貨屋に向かう。しかし女将が普段とは神妙な顔つきで話しかけてきた。
「……クリスさん。アンタ依頼を受けて樹海には行ってるみたいだけど、最近は何日も帰らずに何してるんだい?」
女将のその表情は、疑いと無関係であって欲しいという切望が半々といったところだった。
彼女の言う通り、街の住民のために依頼をこなしつつ魔物を討伐するだけなら日帰りで樹海の浅い位置にいる魔物を狩るだけで事足りる。それなのに俺が何日も帰らないものだから疑わざるを得なくなったのだろう。俺もそろそろこうなるだろうとは思っていた。
「……人を探している」
そして一度こうなってしまえば住民らを納得させられるような別の理由は用意出来ない、ならば腹を括るしかない。
貴族相手ならともかく、平民相手であれば素直に胸の内を打ち明ける直接的なコミュニケーションの方が結果的に良い関係を築けるのだとヴォルフとのやり取りでも実感した。
身分による権力を持たない平民は己の身を守るために、敵味方の線引きをはっきりと引きたがる傾向にあると俺はこれまでの平民とのやり取りから学んだのだ。
俺の返答に驚いた女将は店の主人を呼び、一言二言受けた主人は店の外へと出ていった。俺の予想ではバルゲルを守るために住民たちを集めて包囲し、こちらを問い詰めるつもりだろう。
「今更逃げも隠れも暴れもしない。……安心してくれ」
緊張の面持ちで俺の見張り役をする羽目になった女将にそう話し掛ける。カウンターで隠れて見えないが、手には何か武器になるものでも握っているはずだ。女将は俺の言葉に申し訳なさそうに目を伏せていた。
しばらく待っていると住民たちがぞろぞろと雑貨屋に入ってきた。当然全員見知った顔だ。彼らの表情は警戒、困惑、落胆など様々だが、ハッキリと敵対心を露にしている者はいなかった。
「誰を探してるって……?」
あの日酒場で俺に話しかけてきた男性がそう尋ねてくる。
「バルゲル・カーディルをだ」
躊躇なくそう答えると、住民たちから驚きと戸惑いの声があがる。
「だが誤解しないで欲しい。彼を貴族社会に連れ戻したり、危害を加える気は毛頭ない」
俺はヴォルフの時と同じように変装の魔道具への魔力の供給を断った。姿が変わった俺に今度はしっかり周囲がどよめいたことに密かに安堵した自分がいた。
「王太子様!? 一体何故そのような変装を……?」
「バルゲルさんに会ってどうなさるおつもりで!?」
「……では順番に答えていこうか」
いつの間にか店の外はすっかり暗くなっており、室内のランプの明かりがゆらゆらと揺れ、こちらを見つめる住民たちの真剣な表情を照らし出している。そんな彼らに応えるべく、投げかけられたもっともな疑問に答えていく。
「変装は穏便に事を済ませるために必要だったからだ。いくらこちらに害意がなくとも、貴族が堂々と周囲をうろついていては其方らも警戒していただろう?」
実際そうしていたであろう住民たちからは大きな反論はなく、一部は気まずそうに頷いている。とても正直で良いと思う、貴族相手ではこうはいかない。
「言葉を尽くすにしても、まずは行動で示さなければ碌に話を聞いてもらうことすら出来なかったのだ。そして今、ようやくその時がやってきた」
俺は一度深く息を吐いて、真っすぐに彼らを見、胸を張って宣言する。
「俺がバルゲルを探す理由はただひとつ。『いばら姫』レオナ・クローヴェルの師であり、育ての親でもある彼に、彼女に相応しい男であると認めてもらうためだ」
普段なら絶対に聞けないであろう王太子の言葉に、俺の視界に入っている住民たち全員が驚きの声を上げ、瞠目している。
「『女の尻を追いかける王太子』の噂くらいは聞いたことがあるだろう? 俺は彼女へのプロポーズをやり直さなければならない。そのためにも彼女の大切な人と実際に会って話をして、より理解を深めなくてはならないのだ」
「では、本当にあの人に危害を加える気はないのですね……?」
雑貨屋の女将が恐る恐るといった風に問いかけてくる。
「無論だ。彼女の大切な人は俺にとっても大切な人だからな。……あぁ、それと彼女が魔物を討伐してくれていたのが途切れたのは彼女を王都に呼び寄せたのが原因だ。王宮に騎士団やギルドへ働きかけるよう指示しておいたので、じきに状況は改善されるだろう。知らなかったこととはいえ其方らには苦労を掛けた」
俺がはっきりと頷くと、質問してきた男は住民たちと目線で会話をしだした。視線を送られた者は頷き返し、また別の者へ……というのを何度も繰り返した後、
「……わかりました。我々も王太子様がバルゲルさんと会えるよう、協力致します」
邪魔さえしてくれなければ良かったのだが、協力までしてくれるようだ。そして全員が頭まで下げてしまった。
「感謝する……」
俺も深く頭を下げて感謝の意を示す。ここでようやく張り詰めていた空気が少し緩んだので、俺はひとつ提案をしてみることにした。
「――さて、これだけ赤裸々にこちらの状況を話してしまったのだから、他にも俺と話してみたいことはないか? 不敬だと煩い側近も居ないのだから、又とない機会だぞ?」
「よ、よろしいのですか……!?」
「言っただろう? 彼女が大切にしている者たちは俺にとっても大切な者たちだと。ここでは店に迷惑がかかるだろうから酒場にでも移動しようか。俺も既に何度か奢ってもらっているから今度は俺が奢る番だな」
すると、先程まであれだけ戸惑っていた住民たちが一斉に湧き立った。男たちが満面の笑みでこちらに近づき、背中へ手を回して俺を酒場へと連れていこうとしてくる。
(まったく、現金なものだ……)
俺はその様子を心の中で苦笑いしながら連行されていく。クリスとして活動している間に学んだことだが、これは平民の彼らなりの愛情表現だ。王太子としての俺のことも受け入れてくれた証なのだから悪い気はしない。
俺の姿に驚く酒場の主人を余所に次々と注文が入り、俺の前方をぐるりと囲うように座った住民たちから次々と質問が飛び出してくる。
王族の仕事内容から始まり、王宮での暮らしについてや、貴族社会での苦労話などなど、平民では知りようがないものを中心に多岐に渡った。そして恋愛の話になってからは俺がいかにレオナが素晴らしい女性であるかを語ると、あちら側も嫌な顔ひとつせずに頷いてくれたことで大いに盛り上がった。
こちらとしても成人前の彼女とのやり取りなど、本人からは聞けないような庶民的でとても面白い話が沢山聞けて十二分に満足していた。




