129.悪食(クリストファー視点)
魔力供給を切って外見が変わったことに驚きはしたようだが、具体的に誰かはわかっていないらしい。ヴォルフは訝し気な目でこちらを見たままだ。同じ王族ならともかく、一般の平民であれば他国の王族の顔を知らなくても不思議はないか。
「俺はここローザリア王国の王太子、クリストファー・スヴァール・ローザリアだ。身分を隠すために其方の故郷を騙ったことについては謝罪しよう」
「王太子!? 女の尻を追いかけるのが趣味の王子様とやらが何でこんなところに!?」
顔は知らなくてもその噂はしっかり耳に入っているという事実に眩暈がしてきた……。しかもそれだと女性なら手当たり次第のように聞こえるではないか。俺が追い求めているのは彼女だけだというのに。
「……まぁそれとも無関係ではない。俺はこの樹海に隠遁している人物に会うために、その手掛かりを探しているところなのだ」
「は? こんな場所で暮らしてる奴がいるのか……!?」
当然彼が知るはずもない情報に驚き、自然と樹海の奥へと顔を向けるヴォルフ。俺もちらりとそちらを見れば、たき火で照らされているすぐ奥には木々が作り出した暗闇が広がっていた。
「……で、それは誰なんだ?」
「バルゲル・カーディル、元王国騎士団総長だ。其方も『いばら姫』は知っているだろう? バルゲルは彼女の師にあたる」
「あぁ、あの別嬪さんかよ……。ふふっ、さすが王子様ともなりゃ追いかける尻もレベルが高いな。そんで、会ってどうするんだ?」
「育ての親でもある彼に認めてもらう。――彼女の夫に相応しい男であるとな」
会話が途切れ、俺とヴォルフの間にたき火がパチパチと爆ぜる音だけが響く。
「……ふ、ふはははははは!!!」
すると少しの間を置いてヴォルフが笑いを堪えきれないように大声で笑い出した。
「……何が可笑しい?」
決意を馬鹿にされたようで不快だったため、目の前で笑う男を睨みつける。こちらの苛立ちが伝わったのか、ヴォルフは焦った様子で笑うのを止めて息を整えている。
「あぁいや、すまねぇ……一国の王子様でもちゃんと結婚前に相手方に挨拶に行くものなんだなと思うとちょっとな。……要するに自力で見つけ出して漢を見せたいってことだな?」
「……そういうことだ」
彼の中の王族のイメージがどんなものかは知らないが別におかしな話ではない。ただ今回はその人物と居場所が少し特殊だというだけだ。
「……王子様なんてもんはもっとナヨナヨした生き物だと思っていたが、なかなか根性あるじゃねぇか。俺も気に入ったぜ! 疑うのはやめだ!」
「其方よりもバルゲルに気に入られたいのだがな……」
俺はそうぼやきながら、荷物の中から水筒を取り出す。
「まぁそう言うなよ! 俺もちょっとは力になれるかもしれねぇぞ」
「……というと?」
一緒に痕跡を探すとでも言い出すのかと思いながら、水筒の蓋を外して口をつける。
「樹海に来てすぐに派手に迷ってな、その途中でちょいと不自然な痕跡を見つけたんだ。今の話からするとあれがその師匠とやらの通り道なのかもしれねえ。まぁ絶対じゃないが、結構その可能性は高いと思うぞ」
「…………ッ!? ゲホッ、ゲホッ…………本当か!?」
まさかの手がかりの登場にむせながら、木に体重を預けていた身体をぐいっと前に乗り出す。
「おいおい……とりあえず落ち着いてくれ。礼に教えるのはいいが、夜が明けてからだぜ?」
「あ、あぁ……わかった」
『ガサッ』
そこにヴォルフの脇から茂みが揺れる音が聞こえて反射的に身構える。だがヴォルフは腰のナイフを抜いて既に茂みの中に突き刺していた。
「まったく、油断も隙もねぇな……。だが、丁度良いところにやってきやがったな」
茂みから引き抜いたナイフには、額に一本の大きな角が生えている兎の魔物であるホーンラビットが貫かれて絶命していた。ヴォルフはそれを一旦引き抜き、ナイフを持ち替えて傷口から腹を裂き始めた。
(…………うん?)
最初は単に魔石を取り出そうとしていると思っていたのだが、手付きがどうもそれらしくない。不思議に思った俺はヴォルフに問いかける。
「――ヴォルフ、それは何をしているんだ?」
「晩飯がちょっと物足りなかったからな、コイツを食うんだよ」
「魔物を食べるだと!?」
魔物の肉を食すなどアルメリア教における禁忌中の禁忌。野生の動物すらも食べないそれを、まるで当然のように捌いて食べようとしているヴォルフに驚きを隠せない。
「……食べて大丈夫なのか?」
「俺は大丈夫だが、多分お前さんは食べない方が良いぞ。この『悪食』のヴォルフだけに許された所業だからな」
こちらの顔が驚愕で満たされているのを見てか、魔物を捌きながらヴォルフは溜め息をついた。
「まぁお前さんも祖国の連中に比べればマシにしても、やっぱりそういう風に見ちまうよな……。だが、俺にしてみれば命を繋いでくれたありがたいものに違いはねぇんだよ」
「そういえば其方のことについては、まだ何も聞いていないな」
「……別に大した話じゃねぇよ」
ヴォルフは捌き終わった肉を手近な枝に突き刺して、たき火の傍に立てた。彼は焼けるまでの時間を潰すようにゆっくりと語り出した。
「故郷のフィガロの村が大量の魔物に襲われ、住民の大半が死んだ。両手の数にも満たない数のガキだけが逃げ隠れて生き延びていたんだ」
じっとたき火を見つめながら語るヴォルフ。その赤い瞳の中にはたき火の炎がゆらゆらと揺れている。
「最寄りの町に避難しようにも村の周辺は魔物だらけ。着の身着のままで外に放り出され、食糧を取りに戻ることも出来ずにただ歩くしかなかった。途中何度も魔物に襲われ、戦えない俺たちは狙われた奴を見捨てて囮にして逃げ続けた。……飢えと疲労と恐怖と罪悪感で頭がおかしくなりそうだった」
ヴォルフは当時を思い出したのか、頭を抱えて俯いてしまった。聞くだけで壮絶な状況だったのは伝わってくる。平穏な日常が一変して地獄へと変わるその様子は想像に難くない。
ここローザリアでは父の代になってから集落が魔物によって消滅したことはない。だが『火竜事件』が山道でなく集落で起こっていれば、もしくはイルヘンの村でゴブリンの大群の襲撃時にちょうどレオナが居合わせなかったら、同じように壊滅していても何もおかしくはなかったのだ。対岸の火事だと思ってはいけない。
「生き残りが俺含め三人にまで減ったところでまた魔物に襲われたんだが、狙われた俺が何とか返り討ちにしてやった。色々限界だった俺たちは目の前にあるボアの死体に齧りついたんだ。意外にもちゃんとした肉だったよ、焼いてすらいねぇからクソ不味いはずなんだけどな。……だがそれでも俺には最高に美味く感じられたね」
あれだけ信じられないように思えたそれも、極限状態であれば目の前の魔物の肉に飛びついてしまうのも無理はないかもしれない。所詮宗教なんてものは人間らしく生きていられて初めて意識出来るものでしかないのだ。教えで腹は膨れないのだから。
「その直後に他のふたりは悶え苦しんで死んじまった。食べちゃいけねぇものだっていうのは間違いねぇんだろう。……だが俺は何故か死ななかった」
俺には食べない方が良いと言ったのも、自身にだけ許された所業だと言ったのも、その経験から来ているようだ。というか人によっては魔物を食す行為は直ちに死に至るものなのだという事実を初めて知り、身震いする。
「俺は町に逃げ込んで使い走りの仕事をすることでひとまず飢えることは避けられた。だがそれ以来ちゃんとした飯を食えていても、ある日突然また魔物の肉を食いたくなるんだ。成人になってハンターを始めてしばらくした頃にそれが周囲にバレて『悪食』の二つ名をつけられ、孤立したままソロで長年活動してきた。飯が食えることに感謝し、各地の美味い飯を食べるのを生き甲斐にしながらな」
「では、ローザリアにやってきたのは……」
ヴォルフは頷く。
「祖国の飯は粗方食って回ったし、周りから嫌われまくってるせいで風当たりが強くてな、いい加減嫌になって逃げてきたんだ。ここは祖国に比べりゃ緩いから助かってるぜ。まぁそれでも最初に活動していたエルグランツには少し居づらくなっちまったが……」
「……そうか」
この国の人間である俺ですらこんな反応なのだから、あのフレーゼ王国で教義に反したことをすればどうなるかなんて考えるまでもない。
突然食べたくなるというのだけは少々気にはなるが、人に勧めたりはしないし、日々食事が出来ることに感謝しながらハンターとして人々を魔物から救っている。確かに禁忌を犯しているのは間違いないのだが、俺にはこれ以上彼にとやかく言う気にはなれなかった。
状況的に仕方なかったのもあるし、なにより――――
「さて、そろそろ焼けたかね~……」
嬉しそうに魔物の串焼き肉に齧りつく彼のことは、嫌いではなかったからだ。
「お前さんも食うか? 死ぬかもしれんが」
「食わん!!!!」
少々デリカシーに欠けるところが玉に瑕だが……。




