123.★生きる(フェリシア・バーネット視点)
三か月ぶりに帰ってきた自室はとても綺麗で広いのに少し落ち着かない。いつの間にかすっかり平民の暮らしに慣れてしまっているようだ。
「ふぅ……」
ベッドに腰掛けて一息ついていると、何故かレスリーが突然ふふふと笑い出した。
「随分嬉しそうですね」
「そうかしら……?」
「ずっと頬が緩んでおりますよ」
そう言われて慌てて両手で頬を押さえた。そうなってしまっている理由はわかりきっている、クローヴェル卿――レオナとお友達になれたからだ。
殿下との関係まで話してしまった今、身近にいるレスリーを除けば彼女が最も私のことを理解してくれている存在と言えるまでになった。
これまで本当の意味で友達と呼べる相手がいなかったのだ、嬉しいに決まっている。
明日からは何をしようか。レオナはまだ任務があるみたいだけれど、もう彼女に背中を押してもらわなくても自らの価値を高めることは出来る。
町に繰り出してイェラ村とは違う平民たちの生活を間近で見てみるのも良いかもしれない。
『ガチャッ』
こちらが明日の予定を考えていると、突然扉が開く音がした。そこには夕食の時には一切会話をしなかったお父様の姿があった。
「お父様……?」
「――お前には失望した」
これまでに何度も見てきたお父様の不機嫌な顔が近づいてくる。それだけで身体が強張ってくるのがわかる。
「王都の協力者から連絡があった。お前が王太子との結婚を諦めて努力を放棄しているとな」
「それは……」
あれから必死に言葉を選んで弁明をしたが、あれだけ盛大に指摘されてしまえばやはり誤魔化しきれるものではなかったようだ……。娘から親に、親からお父様へと連絡が行ってしまった。
「これまでの周囲の努力と期待を棒に振るのか、この馬鹿娘が! その為に一体いくら掛けたと思っている!?」
頬に鋭い痛みが走り、衝撃で床に倒れ込む。
これまで傷を残して見つかっては不味いと言って、どれだけ怒っても手だけは決して出してこなかったお父様が頬を張ったのだ。
「お前も……あちらの国の奴らも……私の計画の邪魔ばかりする! ならばせめて最後くらいは障害の排除のための囮として役に立ってみせろ!」
お父様の背後からぞろぞろと見たこともない連中が部屋に押し入ってきた。そして私を強引に拘束し、どこかへ連れ去ろうとする。
王太子妃になれないと決まった時、私の扱いがどうなるか考えたことはこれまでにもあった。しかしここまで強硬手段に出るなんて思いもしなかった。まさか家族相手にこんな……。
これはこの人にとっての私というものが、その程度の存在だったということを示していた。
「旦那様! お嬢様に何をなさるのですか!?」
「うるさい! こいつを黙らせろ!」
「……うぐっ!」
お父様に詰め寄ったレスリーの胸に、押し入ってきた男の一人が躊躇なく刃物を突き立てた。彼女は立ったまま、身体を少し折り曲げた状態で硬直してしまう。
「レスリー!!!!」
「お嬢様……」
瞳に涙を浮かべてこちらに伸ばされた彼女の手が遠ざかっていく。
「あっ……!」
そして彼女の手を取ることすら叶わないまま、鈍い痛みと共に意識が途切れてしまう。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
(う…………)
ズキズキする後頭部の痛みに顔を歪めながら上体を起こすと、そこは見知らぬ建物の中だった。とても古びていて、至るところから草が伸び、石壁の隙間から月明りが差し込んでいる。
動こうとして手元の鎖がカチャリと音を立てたことで、捕らえられているのだと気付いた。――気を失う前があんな状況だったのだから当然か。
(レスリー……)
「お~起きたかぁ元お嬢様?」
飄々とした声の方を向くとそこには同じく見知らぬ顔の男たちがいた。松明に照らされているその男たちの全員がニヤニヤとしていて、遠慮のない視線をこちらに向けてくる。
「あなたたちは……」
今話し掛けてきた男は立ち位置的にリーダー的な存在なのだろうか。乱雑に積まれた木箱の上に座って私を見下ろしてくる。
「そんなことはどうだって良いんだよ。お前もこれから呼び出した女をブッ殺してから、ちょいと遊んだ後は誰かに売ってサヨナラするだけなんだからよ」
部屋に乗り込んできた連中が彼らだとして、最終的に売られることまで決まっているとなると、やはりお父様に捨てられてしまったのは間違いないのだろう。
「おーおー良い顔だぜぇ、残念だったなぁ~! ダンナに見限られちゃもうおしまいだ、一生まともな暮らしなんて出来ねえよ」
呼び出した女というのがレオナのことであれば助かる可能性はあるのかもしれない。けれど捨てられてしまってはお父様のいる城にはもう戻れない……。
価値を示すというのも結局は自分が公爵令嬢であるということが根底にあるからこそ出来ていたのだと今になって気付かされる。
そうでなければ今これほどまでに絶望してしまっていることに説明がつかない。
(もう……おしまいなのね……)
「うぅ……」
目の前が真っ暗になる感覚と共に自然と涙が込み上げてくる。
「へへっ、アイツも馬鹿だぜ。こんな楽な仕事で尻尾巻いて逃げるなんてな。魔法使いの弱点を何もわかってねぇ。――ま、お陰で首領になれたんだ、感謝しておかねぇとな」
「お頭、まだ手出しちゃいけねぇんですかい?」
一人の大男がよだれを垂らしながら私を覗き込んでくる。何日お風呂に入っていないのだろうか、酷い悪臭が漂ってくる。
「ひっ……!」
「あ~? ダンナが言うには俺たちの好きにするとヤりすぎて人質の価値がなくなるから、全部終わらせるまでは我慢しろってよ」
「そりゃつまりヤりすぎなけりゃ良いんじゃねぇですかい?」
大男の反応に首領の男がケラケラと笑う。
「お前もちょっとは賢くなったじゃねぇか! ――良いぜ、ちょっとだけな?」
「やったぜぇゲヘヘヘ……」
「ちょっ……! 俺たちもヤりてぇよ!」
「うるせぇ! 残りはジャンケンで決めろ! あと二人までだ!」
勝手に湧き立ってジャンケンを始める男たちを気にする様子もなく、大男がしゃがみ込んで大きな手をこちらに伸ばしてきた。
その手は私の寝間着の首元の布を掴み、力任せに引きちぎる。
「イヤッ! やめて!」
「ゲヘヘヘ……」
「お、お頭……!!」
すると血相を変えた仲間らしき男が部屋に飛び込んできた。私を含めたその場の全員がその男に視線を向ける。
「ば、化け物が……あがっ!」
しかし男は全てを言い切る前に床から伸びた棘に身体を貫かれて息絶えてしまう。言葉を紡ぐはずだった口からは棘が飛び出しているというのに、あまりにもあっさりと逝ったせいで目の前で人が死んだという実感が湧いてこない。
その一瞬の出来事に周囲も息を呑んだ。
『コツ……コツ……』
男がやってきた部屋の外の方向から足音が聞こえる。それはとても落ち着いていて、一定のリズムを刻みながらゆっくりと近づいてくる。
「う、おぉぉ……」
そしてその姿を認めた瞬間、周囲から感嘆の声が漏れだした。暗がりの中、松明に照らし出されたその美貌に目を奪われるのに性別など関係ない。
(レオナ……)
彼女は感情の読めない表情のまま部屋を見回し、そしてこちらと目が合った。それだけで私はほっとして、肩の力が抜けていく。
しかし彼女は顔色を変えることもなく高い位置にいる首領を見上げる。
「……お前が盗賊団の頭か」
「そうだ。わざわざ殺されにご苦労なこった」
首領は立ち上がり、そのまま木箱の上からジャンプして石床に着地した。レオナよりも背の高い男は少し身体を仰け反らせて彼女を見下している。
「どいつもこいつも、その自信はどこから来るのだろうな」
「そりゃ当然実績と経験よ、俺は魔法使いをこれまでに何人も殺してるからな。『鏡映しのレグナー』とは俺様のことよ」
「……知らないし、どうでも良い」
呆れたように溜め息を吐くレオナ。それに苛立ったのか声を荒げる首領。
「おーおー『いばら姫』様の知名度に比べりゃそうかもしれねぇな! だがそれで手の内がバレてることを後悔しやがれ! 『刺し貫く棘』!!!!」
男が右足を持ち上げて力強く石床を踏み付ける。
――しかし何も起こらない。
予想外の状況にしんと辺りが静まり返る。
「ぶふっ! あっははははははは!」
するとレオナが噴き出し、大声で笑い始めた。
「……『鏡映し』とは要するに相手の魔法を真似るということか? ……実にくだらない」
「何だと!?」
「わざわざ『魔法使い』などという言葉を使っているのを見るに、これまで魔法に関する知識の浅い平民しか相手にしてこなかったのだろうな。そんな当たり前のことを得意げに語られてしまってはこちらまで恥ずかしくなってしまう」
「ど、どういうことだ……」
「普段魔法を殆ど使わない一般の貴族はともかく、日頃から魔法を扱う者であれば自身の知らない魔法を見た時に自分でも出来ないか考えるのはごくごく自然なこと。それはつまり自分の魔法も相手に使われることを念頭に置いておかなければならないということでもある。――まさか私が自身の魔法の対策をしていないとでも思ったか? 既にこのアジトの床、壁、天井、その全てに私の魔力が通っている。お前如きの矮小で貧弱な魔力の付け入る隙間など一ミリたりとも存在しない」
淀みなく語り続ける彼女に見入る男たち。
するとレオナはそんな中、何故か突然こちらに歩き出した。
「さて、王国騎士団の騎士長からの有難い授業を受けられたのだから、授業料はその命で払ってもらおうか」
『ぎゃああああああああ』
途中、軽い調子で彼らに話し掛けたと思った途端、部屋中に悲鳴が響き渡った。
彼女が近づいてくる背後で串刺しにされている男たちが映る。
私の横に居た大男は地面から斜めに伸びた棘に貫かれて視界から消え去っていた。その血だけが棘を伝って流れてきて、私のすぐ傍に血だまりを作り始める。
――怖い。
身体の震えが止まらない。
近付いてくる彼女は未だに帰りの馬車の時のような優しい顔を向けてくれない。友達のはずなのにどうして……。
すぐ目の前までやってきたレオナは腰に下げた剣に手をかけた。
私も殺される――。
『キィン!』
そう感じて反射的に目を瞑ると、すぐ近くで渇いた金属音が響いた。おそるおそる目を開けると手枷の鎖が切断されていた。
「貴女はこれからどうするの?」
「……え?」
どうやら私が父親に見捨てられたことを知っているらしい。口調はいつもの彼女に戻ったけれど、その顔は未だに無表情で感情が読めないままだ。
「わからないわ……」
私は目を伏せて首を振る。公爵令嬢でなくなった今、私は何をしたら良いのかもわからない。
「――ならここで死ぬ?」
驚愕の言葉が飛び出して思わず顔を上げる。無表情の彼女の顔が、変わっていないはずなのにとても冷たいものに見えた気がした。
「外に出て死ぬのも、私が今ここで殺すのも変わらないでしょう?」
「どうしてそんなことを言うの!? せめてお爺様たちに相談くらいは――」
「もうそんな余裕はないのよ!!」
これまでとは打って変わって悲痛な顔になったレオナが声を荒げて私の言葉を遮った。
お爺様たちに相談も出来ないほどに余裕がないとはどういう意味だろうか。
「どういうこと……? 今城では何が起こっているの?」
「貴女の両親は外観誘致の罪で捕えられた。それを摘発した領主様たちも身内から罪人が出た以上、連座での処罰を免れられない」
「そんな……!」
まさか両親がそんな大それたことを目論んでいたなんて……。私を怒鳴りつける以外はいつもどこかで誰かと会っていたのはそんなことをする為だったのか。
(それだとバーネット家はもう……)
外観誘致ともなれば最大級の犯罪になる。これではお爺様たちだけでなく、娘である私ももうおしまいだ。
「それでも領主様たちは貴女だけはそれを免れるようにと、ずっとその方法を探していたのよ。他の兄弟とは違って悪事に手を染めていなかった孫娘を深く愛していたから」
もう死ぬしかないのかと項垂れていたところに、思いも寄らない言葉が飛び出した。
「お爺様……! お婆様……!」
いつも控えめに見守ってくれていた二人が、そんなにも愛してくれていたなんて知らなかった。
どうしてこれまで言ってくれなかったのだろうか。これでは二人に与えてもらった愛情を何も返せていないではないか。
(なのにもう逢えないなんて……!)
情けない、ただ守られてばかりの自分に涙が溢れ出てくる。
「貴女が生き残れるかどうかはまだ確約は出来ない。貴女が家族と身分を失うことに絶望して、生きる気力もなくしてしまうなら意味がないから」
彼女は剣の切っ先を私の喉元に突き付けてきた。唾を飲み込むと死んでしまうのではないかと思ってしまうほどの圧が私に降りかかる。
「だから改めて問うわ。貴女にこれから一人で生きていく覚悟はある?」
死ぬかという問いはそういう意味だったのか。
しかし何もわかっていなかった先程とは違う。
改めて問われたことで彼女にまだ諦めて死ぬ可能性があると思われていることが不愉快だった。
私が祖父母の愛情を無下にするような人間なのだと決めつけられていることが我慢ならなかった。
涙が止まらなくても、ぐっと歯を食いしばり、必死に目の前のレオナを睨み付ける。
「――生きるわ。お爺様お婆様から与えられた命、無駄にする訳にはいかないのよ! 貴族でなくても、豊かでなくても、地面に這いつくばってでも生きてやるわよ!!!!」
これまでの人生で出したこともない感情を込めた大声。
露骨に怒りをぶつけたというのに、彼女はふふっと笑って剣を下ろしてしまった。
「その言葉が聞けて良かった」
戸惑う私に彼女はすっと手を差し伸べる。
「貴女の心と未来は私が絶対護るから。――約束する」
――その時になって私はようやく、イェラ村の住人と同じように、私も彼女の『いばらの加護』の内側に居たのだということに気が付いたのだ。




