122.光明(フェリシア・バーネット視点)
次話から本編がフェリシア視点で進みます。
そして居心地の悪い馬車でようやくたどり着いたのが領地内の辺境、イェラ村。鬱蒼とした森に囲まれた小さな村で、名前は知っていたものの実際に来るのは初めてになる。
馬車を降りて、一足先に村へと駆け出したクローヴェル卿の後を追いかける。村の入り口は朽ち果てていると言っても良いくらいで、奥に見える家々もボロボロだ。平民は本当にこんな場所に住んでいるのだろうか、誰もいない廃墟だと言ってくれた方がまだ納得がいくかもしれない。
住人の姿を見つけて卿が村長の家への道を尋ねると、村人は「勝手に行け」と吐き捨てた。貴族相手に取るような態度ではなく、明らかに不敬だった。
それなのに卿は怒らずに礼を言ってあっさりと立ち去ってしまう。
レスリーがたまらず彼女に問い掛けると、「ただの事実だろう?」と面倒そうに答えて、そんなことを気にしている人間を「恥ずかしい奴」と両断してしまう。周囲の騎士たちもその様子を見て鼻で笑っている。
顔を真っ赤にして俯いてしまったレスリーを見て、私は困惑してしまう。何も間違ってことを言っていないはずなのに、何故彼女がこんな目に遭っているのだろうか。
私たちと騎士とで認識に何か大きな違いがあるのは間違いなかった。
一人だけでもそんな状況だったので、大勢の村人の前で説明する時も何も変わらなかった。これだけの大人数から敵意や不信感の籠った視線を受けるのは初めての経験で、恐ろしくて逃げ出してしまいそうになるのを必死に我慢する。一方のクローヴェル卿は怯むことなくそれに立ち向かっていて、その心の強さに衝撃を受けた。
何やら卿の知人がこの村の出身らしく、一転して歓迎ムードになる村人たち。その変わり身の早さに私とレスリーは不快感を覚えた。
あれほどまでに強烈な視線を送っておきながら、それがまるでなかったかのように振舞われるのは余りにも身勝手ではないかと。
それなのに卿はやれやれといった感じで苦笑いしており、彼らに夕食に誘われて連れていかれた。それには騎士たちも同伴しているのに、私たちは二人はその場に残されたまま。
慌ててレスリーが村長に話を付けて、村長宅の二階で寝泊まりすることになった。
無表情の女性が食事を運んできたけれど、出された食事はパンとスープだけの質素なもの。最初は嫌がらせかと思ったけれど、どうやら違うらしく彼らも同じようなものしか食べていないらしい。
このような村にはグラシアールにあるような飲食店などあるはずもないので、私もレスリーも不満をぐっと押し殺して粛々とそれらをお腹に入れるしかなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
朝、窓の外から賑やかな声が聞こえてくる。聴力強化を使って内容を拾ってみると、村人たちが夜間の警備をしていた騎士たちに感謝しているようだった。村人たちからすると久しぶりに落ち着いて眠れた夜だったらしい。
(私が寝ている間にも仕事があるなんて、騎士というのは大変なのね……)
これまであまり興味もなかった騎士というものへの理解がほんの少しだけ深まった気がした。
朝食を済ませて窓の傍で佇んでいると、クローヴェル卿が村人たちを引き連れてぞろぞろと村の外へと出ていくのが窓から見えた。彼女は夜も働いていたのに休まなくて大丈夫なのだろうか……。
しばらくすると大きな音と驚く声が聞こえ、続けて村人たちの掛け声が上がり始める。また同じ大きな音と共に視線の先の森の木が倒れたことで、木を伐り倒して運んでいるのだと理解出来た。
凄まじい勢いで伐り倒されていくそれらは村の入り口に集められていく。さきほど卿が村人たちに説明していた外壁作りに利用するようだ。
街道沿いや村の周りの木が次々と伐り倒されていく様子は結構見ていて楽しい。音はうるさいけれど。
しかしお爺様たちはこれを見て楽しんで来いというつもりで、私を送り出したのではないはず。学ぶためだと仰っていたけれど、それが何かはわからない。……クローヴェル卿であれば何か知っているだろうか。
私は昼休憩のタイミングに思い切って卿に尋ねてみた。しかし軽く突き放されてしまった。元々彼女が何か知っている確証があるわけでもないので、大人しく引き下がるしかない。
結局それが何なのかわからず胸につっかえたまま、その日は終わってしまった。
翌朝、また窓から村人たちの作業を眺めていると窓の下に子供たちがやってきた。
「……なぁ、お前は何してるんだ?」
「えっ……」
話し掛けられると思っていなかった私は咄嗟にまともに返事が出来なかった。
「昨日からずっと窓から外見てるよな」
「暇なら家のこと手伝えって私たちも言われてるのに、お姉ちゃんは何もしなくていいの?」
「そんなのズルくねぇ?」
「それは……」
投げかけられる子供らしい真っすぐで純粋な疑問。それは正に今私が悩んでいることであり、答えが出ていないせいでもあるので、これに関しては貴族だからと身分を持ち出すのもなんだかおかしい気がして言葉に詰まってしまう。
「あなたたち! フェリシア様に何という態度を!」
すると横からレスリーが身を乗り出して子供たちに怒鳴った。その剣幕に慌てて逃げ出す子供たち。
助かったと彼女に感謝するのと同時に、今のは何故か不敬だと感じていなかった自分がいたことに気付いて何ともいえない気分になる。
「もう私は我慢なりません! あの方たちも、村人たちも、あまりにフェリシア様を蔑ろにし過ぎです! 敬意が微塵も感じられません! フェリシア様、行きましょう!」
「えぇっ!?」
そのまま考える暇もなく、興奮してしまっているレスリーに手を引かれてクローヴェル卿の元まで連れて行かれてしまった。
しかしそこで待っていたのは「身分を振りかざすお前の価値は何だ」という卿の言葉だった。
「私は午前中は作業を手伝い、今も村の周りにいた魔物を二体討伐した。……今日のお前たちは村のために一体何をしたのだろうな?」
今日どころかこの村に来てから何もしていない。
――いや、私はこれまで価値を示せる何かをしたことがあっただろうか。
両親に殿下と結婚するように言われるままに動き、それすらももう諦めてしまっているというのに。
「それは平民を蔑ろにし続けるリヴェール領の大半の貴族たちにも言えることだ。価値を示せない者は価値のある者に取って代わられるのだという想像力すら働かない愚か者どもに、私は酷い嫌悪感と吐き気を覚えるよ」
(リヴェール領の大半の貴族たち……)
王都からリヴェール領に帰る馬車の中で彼女が吐き捨てた「リヴェール領の貴族にだけは言われたくありませんね」という言葉はそういう意味か。
私も身分を盾に他人に偉そうにしておいて価値を示せていない者たちの一人だと。
「――フェリシア様」
「……はい」
「領主様からの命を全うしようとするのは大変結構ですが、村人たちに対して価値を示せていない以上、彼らから何か言われても仕方のないことです。それが嫌なのであれば――――」
「せめて寝床と食事分の価値を示せ、ということですね……?」
殿下が彼女と結婚した瞬間に婚約者候補という見せかけの価値も失い、私が消えてなくなってしまいそうで怖い。自分に価値がないなんて思いたくない。
(私が価値を示せる人間であると、私自身が思えるようにならなければ……!)
「……あとはフェリシア様次第です」
「はい、ありがとうございます……!」
ただそのやり方がわからなくて戸惑っていた私の背中を押してくれた彼女の表情は、これまでのような冷淡で突き放すようなものではなく、温かく包み込むような慈愛に満ちたものだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
水のなみなみ入った桶の重さ、畑の雑草を取る際の土の匂い、振るった斧で薪が割れる感触、初めてだらけの仕事を子供たちから説明を受けながら進めていく。
息があがる。手足も痛い。汗だって掻いてる。
――でも嫌いじゃない。
公爵令嬢として学園に入る前に勉強や練習をしていた頃を思い出す。自分を高めることに一生懸命だった、自身の価値に疑いなど持っていなかったあの頃を。
あの時のひたむきさが蘇るようだった。
頑張れば目の前の子供たちが笑ってくれる。続けていけばその親が、親戚が、村の人々が笑って受け入れてくれる。
日を重ねるうちに私の価値を認めてくれる人たちがとても大切なものに思えてくる。
いつの間にか、その証が刻まれているこの掌がたまらなく愛おしくなっていた。




