117.掌
そして夕方、作業を終えた私の元に子供たちが駆け寄ってくる。
「レオナ様! 言われた通りにフェリシアに教えてやったぞ!」
「違うってば! 『フェリシア様に教えました』だよ!」
どうやら問題なく過ごせたようだ。子供たちから昼間の時のような嫌悪感は感じられない。
彼らに遅れて、いつの間にか平民の服に着替えているフェリシア様もやってきた。疲れこそ見えるものの、どこか清々としたような爽やかな顔をしている。
「みんな偉いわ! 明日もよろしくね! さぁ、ご飯を食べていらっしゃい」
『は~い!』
お腹を減らした小さな怪獣たちが走り去っていくのを見送ってからフェリシア様と侍女頭の方に向き直る。
「今日はいかがでしたか?」
「あの子たちに教わりながら各家庭の薪割りや畑の草取り、水やりなどをしていました。とても疲れましたし、手足も痛いですが……ここ数日のただ外を眺めるだけの暮らしよりも充実していた気がします」
フェリシア様は自身の掌をじっと見つめながら、柔らかい表情を浮かべている。
「卿が仰っていた通り、難しく考えすぎていたようです。これまでの知識や技術で出来ることが見つからないのであれば、新しく覚えれば良いだけの事だったのですね……」
この一日で平民と一緒に働くことへの忌避感はかなり薄れたように見える。これならもう身分を盾に何もしない理由を並べ立てることもないだろう。
私としても、そして領主様たちとしても、とても好ましい流れになってきたように思う。
「あの……もし宜しければ、手を見せていただけませんか?」
「手ですか? 別に構いませんが……」
彼女はさっきも自身の掌を見つめていたので、何か彼女の中でそれが特別な意味を持つようになったのだろうか。とりあえず減るものでも、見られて困るものでもないので、手甲を付けていない左手を彼女の前に差し出す。
「では失礼して……」
フェリシア様は私の手を取り、掌をまじまじと観察しだした。彼女のすべすべの手で包み込むように撫でられるとなんだかくすぐったい。
「やはりそうですよね……」
「やはりとは……?」
フェリシア様はそう呟くが、何に納得したのか私には全くわからない。こちらが戸惑っていることに気付いたフェリシア様は「あっ、申し訳ございません!」と慌てて説明を始めた。
「子供たちに手を引かれた時、その繋いだ手が想像以上に固くて逞しいものだったので、つい気になってしまって……。そして卿の手からは、あの子たち以上に様々なことを経験してきているのが伝わってきました。それだけ自らの価値を示してきているということなのですから、村人たちに慕われるのも当然ですね……」
私の手は一応ケアはしてはいるけれど、それでも貴族女性として見ればもう目も当てられない状態になってしまっている。そんな手を彼女的には褒めてくれているらしい。
「まぁ私も来てすぐは信用されていませんでしたけどね……。それでもハンターとして活動してきた経験が回りまわって受け入れられるきっかけになったので、何でもやってみる価値はあるのだと思います」
フェリシア様は両手を握り込み、強く頷いている。
「だからでしょうか、私も様々な経験をしてみたいと思えるようになりました。これまでのようにただ周囲に言われてするのではなく、『私が』したいのです」
「せっかく城を離れているのですから、向こうでは出来ないことを何でもやってみれば良いでしょう。そして貴女に価値を感じた周囲の人間の反応がどう変わるのかを自身の目で確かめてみてください」
「えぇ! レスリー、行きましょう。とりあえず試しに卿の真似をして村人たちと一緒に夕食を取ってみましょうか」
「は、はいっ!」
やる気を漲らせて立ち去っていく彼女はこれまでに見た姿のどれとも違っていた。たった一度の経験でここまで極端な反応を示しているのは、それだけ彼女が公爵令嬢として、そしてあの両親の娘として、抑圧されて生きてきた証拠なのだろう。
だから領主様たちは彼女を両親から引き離し、まるで価値観の違う私と一緒に居させることによって、それから解放させようとしている――今回彼らがフェリシア様を送り出してきた理由を私はそう解釈した。
であれば私はそれに協力するのは吝かではない。彼女がクリスの婚約者候補だとかそういうのはこの際どうでもいい。まともな貴族が増えることは国にとってプラスだし、私もこのまま順調に行けば彼女が好きになれそうだからだ。
ただそれだけに、今後の公爵家のことが心配でならない。
ここまでしても彼女が家ごと罰を受けてしまえば意味がなくなってしまう。公爵様たちにはそれを回避する術があるのだろうか。こんなことをしているくらいだからあるのだと思いたい。
何にせよ今の私に出来ることは村人たちを護りながら、彼女の変化を見守ることだけだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そして私たちが村に来てから一か月が経過した。
村を取り囲む丸太の外壁は完成し、今は警備のための櫓を組みながら、剣や弓の扱いを経験のない村人たちに教えているところだ。
外壁の外側には私が魔法で土を動かして空堀まで作ったので、魔物もそう簡単には村に侵入出来なくなった。何も知らない人間が外観を見れば砦か何かだと勘違いしそうなくらいだ。その内側はもう初日の暗く静かで寂びれた印象などどこにもなく、人々の元気な声で溢れている。
私も頻繁に村の周囲を『全てを見透かす波紋』で探る必要がなくなったのでかなり楽になったし、これでようやく村から更に離れた場所の魔物の討伐にも向かえそうだ。
フェリシア様もただの大人しい令嬢だった印象から一転、快活な女性へと変貌を遂げている。もちろん所作や言葉遣いは貴族らしいままだけれど。子供たちの手伝いから始まって、そこから少しずつ周囲に認められていったのが嬉しいらしく、一緒に働きつつ時おり掌を眺めては顔を綻ばせている。
別に価値を示すのは肉体労働でないといけない訳ではないのだけれど、彼女としては案外そちらの方が性に合っているようだ。元々婚約者候補として色々と学び、周囲から成績優秀と言わしめるだけの根性が備わっていたからなのだろう。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「じゃあ手筈通りにお願いね」
『はっ!!!!』
ようやく村人たちを残して村の外に出て来れるようになったので、私と騎士四人で魔物の討伐を開始する。ウィリアム・ハロルドペアとレベッカ・ミーティアペアにはお互いにフォロー出来る距離を保ちながら動いてもらう。索敵範囲や攻撃の射程が違いすぎるので私だけは別行動だ。
いざ討伐を開始すれば魔物を探すのには全く苦労せず、人里から離れれば離れるほどその数は増えていく。これではあちらの四人もなかなか気が抜けなさそうではある。
一方の私にとっては『全てを見透かす波紋』で見つけた魔物を気付かれすらしない超遠距離から『刺し貫く棘』で刺し殺すだけの、危険も何もないただの作業でしかなかった。
そうやってしばらく淡々と討伐を続けていると、前方の索敵に引っ掛かる魔物の数が突然少なくなった。
(なんだろ……どうして急に?)
四人は別方向に居るはずだし、別の街に行った隊と偶然かち合うにしても位置的にまだ早すぎる。
不審に思った私は、索敵に引っ掛かる魔物の数が少ない方向へと意識して進んでみることにした。
探り出して十分ほど経過した頃、私の『全てを見透かす波紋』が人間の集団を捉えた。
その数は二十人ほど。その内三人が私の魔力に反応して身もだえしたのがわかる。どうやら騎士団の人間などではなく、その大半が魔法を扱えない平民で構成されている集団のようだ。
(こんな場所に人間の集団? 野盗じゃないわよね……)
居場所を掴んだ私はすぐさま飛翔の魔法で上空から接近する。そして木々の間から武装した集団を確認して、すぐ傍に降り立った。
(侍女頭ってレスリーって名前だったんだ……)




