11.お嬢様(アンナ視点)
侍女のアンナ視点、全一話です。
バーグマン領の領主である伯爵様のお屋敷で使用人として働きだしてもう十年になる。
実家の商家の跡継ぎには弟がいるので、私は成人と同時にこちらで雇われることになった。お屋敷には他にも行儀見習いの貴族令嬢から実家が裕福でもない本当にただの平民まで、幅広い人間が働いている。
大旦那様を事故で亡くされ、若くして跡を継いだ旦那様とその奥様はとても温厚な方で、使用人に対しても分け隔てなく接してくださる。そんな方々の下で働いている私たちも自然とそれに倣い、使用人同士でも元の身分などは気にすることなく接するようになっていった。
そんな人格者であり尊敬するご夫妻に八年前待望のお子様が産まれた、それがレナお嬢様だ。大変な難産だったのもあって、母子ともに無事だった時には使用人総出で喜んだものだ。
お屋敷の人間全員に祝福されて産まれたレナお嬢様は皆に愛されながらすくすくと育っていった。レナお嬢様の侍女を任された私は身の回りのお世話をするようになり、お嬢様のすぐ傍でその成長を見守っていくことになる。
それも最初のうちは子育て経験のない私にはとても大変だったけれど、周囲には助けてくれる同僚もいるし、いつか自分の子を持った時の為の勉強にと懸命に取り組んだ。
そうして少しずつ手が掛からなくなってくる頃には、そのプラチナブロンドの髪や顔立ちが、貴族の学園で絶世の美女として注目を浴びていたという奥様とそっくりになっていた。本当に生き写しかと思うくらいで、目がキリッとしていて瞳の色が深い赤色なところと、小柄な奥様よりも将来背が高くなりそうな予感がするくらいしか違いがない。
個人的にこの目がとても好きなのだ。知的に見えるすまし顔が無邪気に微笑みかけてくれた途端にとても柔らいものに変わる、その瞬間にいつも骨抜きにされている。
私ですらそんな状態なので、旦那様も奥様もそれはもう毎日可愛いと言って悶えていらっしゃる。愛情を隠さずに注ぎつつも、それでも溺愛とまではいかないお二人のバランス感覚には素直に学ぶところが多い。
そんな愛情を一身に受けて日々可愛らしく育っていくレナお嬢様に、ある日不思議なことが起こった。
お庭で遊んでおられたところに突然雷が降り注いだのだ。
傍で控えていた私も目を疑った。何せ空は雲一つない晴天だったのだから。状況が状況であったため、旦那様たちに説明するのも大変苦労する。
ベッドに静かに横たわるお嬢様。お医者様が命に別状はないと仰っていても生きた心地がしなかった。目覚められた時には心底ほっとしたのを覚えている。
あれが何だったのか未だに良くわからないけれど、とにかくお嬢様が無事であればそれで良いと思うようにした。
それからだろうか、天真爛漫で元気いっぱいだったお嬢様から落ち着きと思慮深さを感じるようになったのは――。
我々使用人は身の回りを世話をする存在であると同時に、いたずらをする遊び相手でもあるという認識だったであろう彼女が、まるで旦那様たちのような大人の対応を取り出したのだ。
元々無邪気ではあったものの、自分勝手で我儘などではなかったので我々もそこまで困ってはいなかったというのに、突然我々の仕事を邪魔しないように配慮するだけでなく、時折真っすぐに感謝まで述べられるようになった。
相変わらず可愛らしい面も見られるので完全に人が変わったとまでは言わないけれど、その変貌ぶりにはみんな首を傾げていた。
旦那様や奥様に相談してみると、お二人もそのような印象を確かにお持ちになられていたものの、実際に害がある訳でもないので静観なさっていたようだ。
他の使用人たちも集めて話し合いまでした結果、最終的には学園や将来の結婚といったものを意識し始めて大人になろうとしているのではという結論に至った。ここまでしたのだから我々使用人は違和感があったとしても以降は飲み込むしかない。もともと別に悪いことではないのだから。
他の大きな変化といえば、お風呂に入っている時間が長くなったことだろうか。旦那様や奥様でも十分ほどですぐに終えるものを、お嬢様は最低三十分、長くて一時間近く入られている。
しかもどこから知ったのか、オリーブオイルや塩、ハーブ、酢などを用いて様々な液体を作らせ、それを髪を洗う時に使用するようになった。
最初は何をしているのかと怪訝に思っていたものの、みるみるうちにツヤが出てサラサラの髪になっていったのでその効果には驚いたものだ。
当然奥様がそれを見逃すはずがなく、お嬢様から聞き出して真似しはじめた。
そしてその効果を肌で感じられた奥様は、お嬢様が成人なされてからの武器になるからとこれを外に漏らさないように使用人たちに言いつけた。これまで身を清めるだけだったお風呂に新たな価値が生まれると興奮しておられたので、それだけ凄いことなのだろう。
何故そのようなものをご存じなのかと本人に尋ねてみても、悪戯っぽく「雷に打たれて閃いちゃったの」と何とも反応しづらい答えしか返ってこなかったため、現在においても情報の出所は未だに掴めていないままだ。
季節が過ぎ、そんな変化にも次第に慣れてきた頃、お嬢様は初めて屋敷の外に出てルデン侯爵主催のパーティへとお出掛けすることになった。屋敷の外の世界に興味津々なご様子のお嬢様を眺めていると私もとても楽しい。
私のような者はパーティの会場には同行出来ず、別室で控えていたので直接その様子を見ることは叶わなかったが、お嬢様はなんと侯爵様の孫娘であるブリジット様を会場に乱入してきた魔物からお護りしていたらしい。
その結果ブリジット様はレナお嬢様を大層気に入られたようで、それ以降文通やお茶をしたりして積極的にお嬢様と関わりを持って下さるようになった。これまで外との交流が一切なかったお嬢様にご友人が出来たのはとても喜ばしいことだ。
そのブリジット様が屋敷に遊びにこられ、お二人でおねだりの品を考えた結果、なんと剣を欲しがったお嬢様。それを聞いた旦那様たちには少し同情してしまう……。
しかしその日ずっと悩み続けて、お帰りの際にようやく思いついて興奮していたお二人の姿を見ていただけに「諦めましょう」とは言えず、私も援護に回ってようやく首を縦に振ってくださった。
実際に自分の剣を手に入れたお嬢様はお稽古にも更に熱が入ったご様子で、相手をしている警備隊長さんからは「他の警備の者も見習って欲しい」と褒められるほど。
その警備隊長さんは魔法の授業でのお嬢様の様子をどこからか聞きつけ、好奇心から彼女に魔法ありでの勝負を挑んだらしい。「らしい」というのは、私はその様子を離れた位置から見ていただけなので、後からお嬢様に尋ねて詳しく教えて頂いたからである。
その内容によると合計二回の勝負は『身体強化』の魔法を半分の出力と、全力とで条件を変えて行われていたようだ。
一度目の勝負はギリギリで警備隊長さんが勝っていた。勝負の直後は二人とも息を切らして座り込んでいたぐらい拮抗していて、戦いの素人の私から見てもいい勝負だったように思う。
対して二度目の勝負はお嬢様の圧勝としか言いようがなかった。最初の一撃で警備隊長さんの持っていた剣を弾き飛ばしてしまったのだ。
警備隊長さんが「一戦目で覚悟はしていたのに、強引に持って行かれた」と言っていたと、お嬢様は教えてくれた。
まだ年端も行かない女の子が警備――つまり戦いを生業としている平民を圧倒してしまうなど、魔法とは恐ろしいものだ。
これが騎士団のベテランの騎士の方々であれば一体どれほどの強さなのだろうか。ここバーグマン領にも騎士団は存在しているが、戦いの現場に同行したことは流石にないのでわからない。
とにかくお嬢様は日を追うごとに強く、美しくなられているのは間違いなかった。
その一方で私の生活にも変化があった。庭師のマルコと結婚し、しばらくして妊娠が発覚したのだ。これには使用人の仲間たちも、旦那様も、奥様も、お嬢様も、屋敷に住まう者全員が祝福してくれた。
出産して育児が落ち着くまで休暇をいただけるうえ、「その間の生活も保障するから、この屋敷でゆっくり過ごしてくれれば良い」とまで言っていただけた。
私はなんと恵まれた環境に居るのだろうか。
それもこれも、このお屋敷の主である伯爵家の方々のお陰であると強く感謝し、マルコやこれから産まれてくる子供と共に、全力で仕えていきたいと改めて強く心に刻み込んだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夏のある日、もういつ産まれてもおかしくないお腹をさすりながら部屋で過ごしていると、奥様付きの侍女であるニーナと、私の代わりにお嬢様の侍女を担当するようになったリリィが休憩時間中に様子を見にきた。
「アンナ。どう、調子は?」
ひょっこりとドアから上半身を覗かせながら問いかけてくるニーナ。そのまま二人とも私の座る窓際の椅子までゆっくりとやってくる。
「えぇ、大丈夫よ。ちょっと怖いけど待ち遠しいくらい」
「なら良かった。何か違和感があったら早めに人を呼びなさいね」
「家政婦長が隣の部屋に控えてくれているから、その点も安心よ」
いつでも飛んで来られるように、動き回らなくて良い仕事を集めて隣の部屋で待機してくれているのだ。本当に至れり尽くせりである。
「おかげで私も動きやすいから助かるわぁ~」
「ふふっ、リリィらしいわ」
「アンタねぇ……」
よく家政婦長に怒られているリリィが大きく伸びをしながら、自分から注意が逸れていることを喜んでいる。ニーナに呆れを含んだ目で睨まれても彼女はどこ吹く風といった様子だ。
「でもごめんね、学園での付き人まで任せちゃって……」
「気にしないで。私も久しぶりに学園に行けると思うと、ちょっと楽しみなのよ」
お嬢様は次の春から学園に通うので一人だけ付き人としてお供する必要があるのだが、その頃には育児で動けないであろう私の代わりにニーナが行ってくれることになったのだ。
ニーナは行儀見習い中の貴族令嬢なので学園に通った経験がある。平民で侍女としても経験の浅いリリィが一緒に行くよりはニーナに行ってもらった方が良いと旦那様たちは判断されたようだ。
「そう言ってもらえると助かるわ。土産話、期待してるから」
「ニーナいいなぁ~! 私も行きたかったのに!」
「アンタはもっと勉強しなきゃダメでしょ。私のいない間にせいぜい奥様にしごかれなさい」
今リリィが付いているお嬢様と、奥様の侍女であるニーナが居なくなれば必然的にリリィが奥様の侍女役になる。奥様は優しいのでビシバシとはいかないだろうけれど、リリィはもっと経験を積む必要があるのは確かだった。
「まだまだ若いんだから、これからよね」
「あんまりリリィを甘やかしちゃダメよ。すぐ調子に乗るんだから……」
「も~! あんまり説教してると老けるわよ!」
「何ですってぇ!?」
「ほ~ら、妊婦の前で騒がないの! ニーナもまだまだねぇ」
「ぐぬぅ……誰のせいで……!」
こんな感じで口の回るリリィに真面目なニーナが翻弄されるのが二人のいつもの流れだ。それでもなんだかんだで二人は仲が良い。
「こら! 騒がしいわよあんたたち! まさかサボってないでしょうね!?」
騒ぎを聞きつけた家政婦長が部屋を覗きにきてくれたようだ。
「うわっ!? 休憩中ですからっ!」
「うるさくしてごめんなさ~い!」
熟練のおばちゃんである家政婦長にはリリィはもちろん、ニーナも強くは出られない。
「ごめんね、アンナ。私たちそろそろ行くわね!」
「えぇ、ありがとう。お仕事頑張ってね」
そう言って二人はそそくさと退室していった。
(ふふ……。本当、皆がいるから安心だわ……)
私には沢山の仲間と尊敬する主がいる。平民でここまで満ち足りた生活が出来る者もそう多くはないだろう。
お腹の子が産まれれば更に素敵な暮らしが待っているのだと期待に胸を膨らませながら、それから産気づくまで終始穏やかな気持ちで窓の外の景色を眺めていた。