109.敵と味方
婦人会議を乗り切ってホッとしたのも束の間、その三日後にヴァネッサ様から私の元にリヴェール公爵領への派遣の話が持ち込まれた。
会議の翌日に王国騎士団全体に向けて人員募集をしていることを伝えていたのは私も現場にいたので知っている。ただやはり人の集まりはすこぶる悪いらしく、ヴァネッサ様はとても疲れた顔をしている。
こういう一時を争うような緊急性のない遠征任務に関して基本的に強制は出来ず、騎士の自主性に任せるものと昔から決められているらしい。いらぬ誤解を生まないようにだとか、やる気のある者に機会を多く回したいだとかそういう理由だそうな。
以前行方不明事件の解決のためにレベッカたちを半ば強制的に同行させたのは、任務を依頼された私が騎士団の人間ではないからとかそういう屁理屈じみた理由で可能だったのだとか。騎士団総長夫人としてきっちり正攻法で人を集めなければならないヴァネッサ様は大変だ。
行けば手当も出るし、昇給等の評価にも繋がるのに避けられているのだから皆相当行きたくないらしい……。
「私としましてもあちらに睨まれている状態で行きたくはないのですが……」
「その気持ちはとてもわかるのだけど……王妃陛下としては、だからこそ向かわせたいらしいのよ」
「エレオノーラ様が?」
王妃様が私周辺の事情を知らないはずがないのに、それでも私に行かせたいなんて一体どのような意図があるのだろうか。
「えぇ。『あとはデボラから話を聞いて決めなさい』とのことよ」
「デボラ様から……」
それを聞いてますますわからなくなる。他でもない応援を要請したデボラ様本人からの提案に王妃様がそこまで同意しているくらいなら、何故最終的な判断を私に委ねようとしているのか。それこそ強制的に指名する案件ではないのだろうか。
何か手掛かりはないかと目の前のヴァネッサ様の顔を見ると、何やら難しそうな顔をしている。
「ヴァネッサ様は何かご存じなのですか?」
「……いいえ。思い当たる節はないわけではないけれど、想像の域を出ないものを下手に口には出せないの、ごめんなさい」
「そうですか……」
(あやしい……やっぱりデボラ様は敵だったり……?)
ついそんな考えが浮上してしまうが、それだと王妃様が許可していることに食い違いが出てくる。残念ながら私ごときの脳みそではもうお手上げだ。
「とにかく話を聞かないことには始まりませんね……。あちらからの接触を待ちます」
「そうして頂戴。良い返事を心待ちにしているわ……」
ヴァネッサ様は大きく溜め息を吐いた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その日の晩、明後日の夕方に話をしたいので、騎士団での活動が終わったらそのまま来て欲しいと王都のリヴェール公爵の屋敷から手紙が届いた。
ゆっくりとお茶を楽しむなんて出来るはずがないので、仕事として向かって良いのは少しだけありがたかった。
そして当日、約束通り王宮にほど近い場所にあるリヴェール公爵の屋敷へとやってくる。この短い距離でも馬車を使わないといけないのだから貴族というものは面倒くさい。
公爵家だけあってウェスター公爵の屋敷にも引けを取らない立派な玄関で私を出迎えたのはデボラ様ではなくフェリシア様だった。
「ようこそいらっしゃいました。来られると聞いて楽しみにしておりましたの」
もしかしなくても同じ屋敷なのではと心の準備をしていたおかげで、なんとか表情を取り繕うことが出来た私。
「お邪魔致します。……今回の話というのはフェリシア様もご同席なさるのですか?」
「……いいえ、お婆様には許可を頂けませんでした。なのでお出迎えとお見送りだけなのです。残念ですわ……」
「そ、そうですか……」
つまり話に混じろうとはしたらしい。まぁそもそも話題がフェリシア様とはあまり関係なさそうな騎士団の派遣についてなのだから断られるのも無理はない気がする。
「それではこちらへどうぞ。お婆様がお待ちです」
フェリシア様に案内されながら屋敷の廊下を進む。本来ならこんな案内なんて公爵令嬢である彼女がするようなものではないはずなのだけれど……。相変わらず彼女の後姿からは敵意が感じられなくて、私にとってそれが逆に不安で仕方がなかった。
「こちらです」
案内された応接室にはデボラ様と使用人がひとりだけ。ただ部屋の中の空気はとても張り詰めていて、時間的に夕日が差し込むはずの窓もカーテンで閉め切られている。
「ようこそ。どうぞお掛けになって」
「では失礼します。……お話があると伺って参りましたが」
促され、私がそう問いかけながらソファーに座ると、デボラ様は頷いて視線を使用人とフェリシア様へと向けた。
二人は速やかに退室し、扉が閉められた。
十秒ほどの間を置いて足音が遠ざかったのを確認してからデボラ様は口を開いた。
「貴女には領地の敵の排除をお願いしたいのです」
「敵……ですか」
一聞すると何でもない、ただ私にリヴェール領に来てくれというだけの言葉なのだが、「魔物」ではなく、わざわざ「敵」という単語を使っていることに違和感を覚える。
「まず前提として、私と夫は貴女の敵ではありません。王太子殿下との結婚にも反対はしておりませんし、今はもうフェリシアを嫁がせようとも考えておりません」
デボラ様の発言にぎょっとする。ここで自分たちを指して「敵ではない」と言うということは、その敵は魔物ではなく人間であることを示しているに他ならないからだ。
「……では誰を排除しろと?」
「貴女の師匠が見切りをつけた者たちです」
つまり、平民や騎士を蔑ろにする自己中心的な振る舞いをする貴族たちということか。それは確かに私にとっても敵ではある。しかしそれだけで首を縦に振る気は更々ない。
「そちらの領地の貴族です。領主であるあなた方がどうにかするべきでは?」
そもそも私がやらないといけない理由がない。そう私が突き放すと、デボラ様は目を伏せて首を左右に振った。
「もちろん私共も長年彼らの説得を試みてきました。しかしそれは今も叶っていません。敵は外だけでなく身内にもいるのです。上から彼らを押さえつけても息子夫婦が裏で手を回して助けてしまいます。私たちが若者に領地を現状を説明して騎士になるよう説得しても、周囲を扇動して若者のいる家に圧力を掛けて諦めさせる始末です」
公爵家の人間すらもがそのような状態であれば確かに厳しいのかもしれない。権力の伴った同調圧力があるとなるとそう簡単に人は変わることは出来ないだろう。何せ相手が公爵家なのだ、逆らうのも命懸けだし、上手く取り入ることが出来れば相応の見返りがあるだろうし。
「息子夫婦に邪魔をするのであれば跡取りから外す意向を伝えると、改善するどころかそれらをより巧妙に隠すようになりました。そして他の跡取り候補である分家であるロイの家の者にも危害が及ぶようにまで……正直これは失敗でした。お陰であちらの家との関係はほぼ絶たれてしまいました」
ロイというとリヴェール公爵の弟、現在の宰相閣下の名前だ。今の言い方だと分家の方はまともな人間だということだろうか。私も宰相閣下はおかしな人ではないと思うけれど……。
「そのような相手が私にどうにか出来るという根拠はどこから?」
話を聞けば聞くほど私も受け入れられないタイプの貴族だ。しかし正面から突っ込んでその首をちょん切って良いのならともかく、ちゃんとした手順でそいつらを引き摺り下ろすのは難しいように思えた。
「貴女が王太子妃候補であることが重要なのです。今ではフェリシアよりも世間のその知名度も高く、小手先の武力に屈しない強大な力を持っている貴女が……」
「……私に何を期待されているのですか?」
「息子たちは必ず貴女をその立場から排除するために行動に出ます。必ずです。それを完膚なきまでに叩き潰し、その代償を払わせてやって欲しいのです」
なるほど。私は吊し上げる証拠を掴むための格好の餌ということか。リヴェール公爵領という池に私を投げ込めば必ず喰い付いてくると。
「ですが、それですと……」
それで排除出来るのであれば、領民のためにも良い話なのではないかと思えてきている自分がいる。しかしその主犯格である息子夫婦をどうこうするとなれば、同じ家の人間であるデボラ様たちも只では済まないのではないか。
「……私も夫も覚悟の上です。三十年前に貴女のお師匠様に目を醒ましていただいてから、これまでに何も成せなかった償いでもあるのです」
「それを王妃陛下に?」
「両陛下とも『未来のためならば』と渋々ご納得いただきました。なので後は実際に狙われ、引導を渡すことになる貴女に頷いていただくのみです」
王妃様の伝言からもわかる通り、最終的な判断は私に委ねられている。そりゃそうだ、私が参加すれば必ず向こうが何かしらの実力行使に出るとなれば強制はさせられないだろう。そして最終的にはウェスター公爵領と同レベルの、国を支える柱がグラついてしまう事態になるのだから。
しかしそれでもお二人が首を縦に振ったのは未来のため。将来に障害になり得るものを、領主がまともである内に排除しておいた方が良いのではないかと提案してくれている。
それには賛成だ。クリスの治める国にそのような奴らなど必要ない。
今スルーしてもいずれ必ず別の時と場所で問題を起こしてくれるに違いない。そんな相手の敵意が私に向いているというのはある意味とても好都合だった。それであればいくらかコントロールが利く。これがもし、将来生まれる子供に対して向けられでもしたら私は……正気を保てる自信がない。
「……わかりました。その覚悟を見せていただくことにしましょう」
「両陛下と女神アルメリアに誓って……」
その後も問題のある貴族の名前などを確認し、実際の向こうでの活動について打ち合わせを続けていく。
ここまで話しておいて目の前の彼女らが裏切るというのであれば、その時は容赦はしない。
敵だろうと味方だろうと、いずれその首元に刃を突き付けられることになる彼女らの心境など、私には知る由もなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その大事な話し合いを終えてデボラ様と共に応接室から出ると、すぐさまフェリシア様が駆けつけてきた。
「長時間の話し合い、お疲れ様でした。夕食の準備が出来ておりますから、是非食べていって下さい」
「あ、いえ……そこまでしていただくわけには……」
実際そのつもりはなかったので、デボラ様に助け船を出してもらおうと視線を送る。
「今この屋敷には私とフェリシアしかおりませんので、宜しければ」
それなのに助けてはくれなかった。ここまで言われてしまえば断るのは逆に失礼になってしまいそうなので、御相伴に預かることにする。
食堂の長いテーブルでデボラ様とフェリシア様と私の三人だけの食事。それは警戒していたのが拍子抜けするくらいに穏やかなものだった。私に振られる会話も何の変哲もない日常会話で敵意どころか嫌味のひとつも込められてはいない。
しかし人数的には以前ブリジットたち次期領主夫妻と一緒に食事をした時と何も変わらないというのに、酷く寂しく感じる。それはもうどうしようもなく胸が苦しくなるほどに。
「――でね、お婆様」
「――だと思いませんか? お婆様」
目の前で繰り広げられる他愛のない会話はとても親しげで、本当にただの祖母と孫が行うそれだったことに私は戸惑いを隠せなかった。フェリシア様は私よりもひとつ年上だと言われてもとてもそうは思えないほど、完全に祖母に甘えている様子だったのだ。
先程まであれだけ悲壮な表情を浮かべながら物騒な内容を語っていたデボラ様も、これまで私が見た中で最も柔らかな顔をしている。
無事に事が運んでも彼女がただでは済まないように、目の前の孫娘も同じ道を辿る可能性が高いというのに何故そんな顔が出来るのか、私にはまるで理解出来ないでいた。
てっきり私は自分たちの邪魔をする身内に対して憎しみまで抱いていると思っていたのに、どう足掻いても目の前の光景をそのように受け取るのは無理がある。
(貴女はこれを見せつけて私にどうしろというの……?)
私にその仲睦まじい関係を壊せと言っているのか。
困惑する脳みそからはいつまで経っても納得の行く答えが出てくる気配がない。
こうなってしまえばもう食事どころではない。目の前の豪華な食べ物に彩られた皿に視線を落としながら、完全に手が止まっている私を見てフェリシア様が心配してくる。
やめて、私に優しくしないで。
ただ非情に断罪されるだけのロクでもない貴族でいて。
――でないと決意が鈍ってしまう。
当然だけど私の心の叫びは相手の耳には届いてはくれない。ただ表情を取り繕い、無難な言葉でお茶を濁すことしか今の私には出来なかった。
もしかすると私はあの人の言う覚悟というものを、どこか甘く見ていたのかもしれない。
これではむしろ試されているのは私の方ではないか。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「……そうだわ!」
夕食を終えて帰ろうとしていると、見送りについて来ていたフェリシア様が何か思いついたらしく、明るく私に話し掛けてきた。
「クローヴェル卿、今度こちらに来ているお友達とお茶会を開く予定ですの。良ければ貴女も参加していただけないかしら? あまり馴染みのない顔ぶれだとは思いますから、そちらもお友達を数人呼んでいただいて構いません。きっとお互い色んな話が出来て楽しい筈ですわ」
それはなんとお茶会のお誘いだった。それもリヴェール公爵領の令嬢が多く参加するものだ。
正直碌でもないことになりそうなイメージしかしないので、恐らく今日ここに来ていなければ何かしらの理由を付けて断っていただろう。だが今はそんなリスクなんてもう気にしてはいられない。
このまま言われるままにあちらの領地に赴き、ただ襲ってくる相手を返り討ちにするだけではダメな気がした。
「……よろこんで。いつ頃開かれるご予定でしょうか?」
「まぁ嬉しい! 楽しみにしておりますわ! 一週間後の予定です、忙しなくて申し訳ないですがよろしくお願いしますね!」
「承知しました。――ではまた」
虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
私も誰が敵なのかをしっかり見極めなければ。




