107.★繋がり(シャルロット視点)
(始まった……)
この親善試合の本当の目的は、レオナの実力をこの国の人間に思い知らせること。これまではただの前座でしかない。ここからが本番だ。
「まだ一度も戦っていない者もいるだろう。負けて悔しい思いをした者もいるだろう。我は諸君らにチャンスを与えよう! 同時に何人で掛かっても構わない、このクローヴェル卿に勝てた者にローザリア王国の国土の一部をくれてやろうではないか!」
予想通り、隣国の王による突然の宣言に闘技場内は騒然となる。その混乱と動揺はこの場にいる王族たちにも広がっていた。
「なっ!? アンドリュー、血迷ったか!?」
「俺は正気だ! それに嘘は好かぬ! 勝てたなら我が国のレイドス辺境伯領を全てくれてやる!」
ローザリアで唯一リリアーナと地続きで接している、通常であれば国防の要になる領地を差し出すなどあまりにも気前が良すぎるのだから警戒して当然だ。ここですんなりと頷ける王族など存在しないだろう。
「其方、一体何を考えている……!?」
「なぁに、俺は可愛い娘の身の安全を確保したいだけだ。そちらにいる戦争、戦争と煩い奴等を黙らせてやろうというのだ」
「それは……っ! 正直なところ、とても助かるが……」
「ならば騎士団に指示を出せ。数が多ければ多いほど効果があるからな」
お父様が闘技場に向かって顎をしゃくる。
当のレオナもお父様から物凄い無茶振りをされているはずなのに、一切動揺もせずに落ち着き払っているのだから、さぞ陛下の目には異質に映っていることだろう。
実際ジョルダン陛下は眼下に佇む彼女を「まるで信じられない」というような目で見つめている。
「あの騎士長にはそれが可能だというのか……?」
「そうだ。実際に見てみれば理解出来るだろう。リリアーナを攻め落とす気があるのなら、このようなまだるっこしいことなどせず初めからやっていると」
するとジョルダン陛下は返事をすることなく、真剣な顔で私を除いたリリアーナの王族たちと相談を始めた。お父様の言っていることが本当であれば自分たちを滅ぼす戦力が今既にこの場に揃っているということでもあるのだから慎重にもなるだろう。
アレックス様がチラリとこちらに向けたその瞳はこれまでのような自分の妻を見る優しいものではなく、他国の姫君を見る余所余所しいものに逆戻りしていた。
「……いいだろう。だがハインツは傍に付けるぞ。全てを鵜呑みにして殺される間抜けとして名を遺すのは御免だ」
「それでそちらが納得するのであれば、それもよかろう」
闘技場内がざわついている中、ハインツが見学席に戻ってきた。その表情はとても苦々しいもので、レオナと戦う前に纏っていたような覇気が感じられない。
「其方にはここで我々の護衛を頼みたい」
「……畏まりました」
「それと、あの騎士長と戦ってみた率直な感想を聞きたい」
その言葉を受けてハインツはただ目を伏せて首を振る。これから聞かされる内容が決して自分たちに都合の良いものではないことに、唾を飲み込んだジョルダン陛下の喉がごくりと鳴る。
「……実力の底が見えません。儂がまるで赤子扱いでした」
「そうか……」
ジョルダン陛下は諦めたように頷いた。
しかし拡声の魔道具を手に取る頃には王族らしく背筋を伸ばし、堂々とした振る舞いに戻っていた。覚悟を決めたのだろう。
「勇敢なるリリアーナ騎士団の諸君! 王太子妃シャルロットがこの国で安心して暮らしていけるのか、国防を担う諸君らの覚悟を見せて欲しいと希望されている。我々は今試されているのだ! そして我々は国の名誉にかけてこれから逃げることは許されない! 戦える者を集めよ! 我らの覚悟を、我らの誇りを確と見せつけるのだ!」
『うおおおおおおおおおお!!!!』
「ひっ……!」
観客の拍手、歓声、そして雄たけびのような騎士の声が闘技場内に響き渡り、ビリビリと大気が揺れる。そのあまりの気迫にこの堅牢な建物が揺れているような錯覚すら覚えた。
「大丈夫かい……?」
アレックス様が思わず身が竦んだ私の肩に優しく後ろから手を回して抱き寄せる。先程の視線で互いの距離を感じたものの、やはり根は優しいお人だけあって放っておけなかったのだろう。
「大丈夫です、突然の大声に少し驚いただけですので……」
そう気丈に振舞おうとはするものの、実際はその熱気が恐ろしくて仕方なかった。今私を委縮させているこれは国家の意地の発露であり、そこからは決して侮っていい相手ではないことが嫌でも伝わってくる。
そしてその熱気の全てがこれからレオナひとりに向かっていくであろうことも……。
……恐ろしい。しかし目を逸らしてはいけない。これは私の為を想ってやってくれていることなのだから。
「シャルロット、君を信じていいんだよね……?」
アレックス様が不安の入り混じった顔で私を見つめる。――彼も揺れているのだ。
私は表情を一層引き締めて彼を見つめ返す。私は既にこの人の妻なのだ、決して敵ではないと理解してもらわなければ。
「えぇ。どうか私を、そして彼女を信じてください。私たちが望むものは平穏……ただそれだけですから」
「……わかった、僕も覚悟を決める。シャルロット、一瞬でも君を疑ったことを謝ろう」
最初は戸惑っていた彼も表情を引き締めて頷き返してくれた。
安堵した私はようやく闘技場の方へと視線を向ける。
既に闘技場は最低限の戦うスペースを残してあちらの騎士団の人間で埋め尽くされ、中心に立つレオナを取り囲む形になっていた。
それでもなお背筋を伸ばして凛と佇む彼女。その手には拡声の魔道具があった。
「この風変わりな挑戦に対して、逃げずに立ち向かう諸君らの勇気に敬意を表する。私からそんな諸君への餞別だ。最初は少し違和感があるだろうが、怖がらずに受け取って欲しい」
『軍隊魔法:身体強化』
いつの間にか手甲を取っ払っていたレオナがその細い腕を振り上げると、空中に無数の赤い薔薇の花びらが舞い上がる。それらがヒラヒラと騎士たちに降り注いでいく様はとても幻想的だ。
「ひょわ!」「ふおおお!」
「うへっ!?」「はああん!」
しかしその美しさを台無しにするような珍妙な声が至るところから上がり始めた。花びらに触れ、身もだえしている騎士たちから発せられているようだ。
『おお……っ!』
だが次第に彼らの声はまた別の驚きを含んだものへと変わっていく。
「――さて、効果を肌で感じて、その魔法をこの規模で扱える私の実力を幾らか察することは出来たはずだ。こちらが一人だからと侮らず、使えるものは全て使い、全力でかかってきなさい。私はそれを全て受け止め、乗り越えてみせよう」
これまで背筋を伸ばして堂々と立っていたレオナが腰を落とし、姿勢を低くして今にも襲い掛からんとするような構えを取る。「これ以上の言葉は要らない」と言っているようだ。
呼応するように取り囲む面々の表情が険しくなり、模擬戦用の剣を抜く音が立て続けに闘技場内に響いていく。そうしてあちらの騎士全員が剣を手にしているのに対し、レオナはハインツとの戦いでは振るっていた剣を腰に下げたまま。どうやら素手で戦う気らしい。
『ゴクリ……』
睨み合いの沈黙の中、自身の唾を飲み込む音が酷く大きく聞こえる。
この場の空気が張り詰め、爆ぜる寸前の緊張感に包まれる――。
「始め!!!!」
その開始の声と同時に包囲の中心にいたレオナの姿が消えた。元々彼女が向いていた方向の人の壁から何人かが宙を舞ったことで、そこに突っ込んでいったのだとようやく理解する。
『うおおおおおおおおおお!!!!』
当然周りの人間が雄たけびを上げてそちらへと殺到していく。
観客席もこれまでにない程に湧き立っていて、騎士たちが吹き飛ばされるたびに大きなどよめきが走り、双方に対して声援が飛んでいる。
開始二十秒ほどで包囲の五分の一は既に彼女に打ちのめされてしまったようだ。密集していたところに多少のスペースが空いたことで互いの姿を視認しやすくなったのか、戦いの流れに変化が出てきた。
「波状攻撃だ! 直接攻撃が出来ぬ者は魔法を放て!」
『うおおおおおおおおおお!!!!』
隊長らしき者が拡声の魔道具で出した指示を皮切りに、距離が遠い者から無数の魔法が彼女目掛けて放たれ始めた。
しかしレオナはそれらを寸でのところで回避しながら、なおも攻撃の手を止めない。本当に武器も持たずに拳で、蹴りで、時に投げ飛ばして、一撃で目の前の相手を沈めていく。
時折大きく跳躍し、闘技場の壁を蹴って勢いをつけて後方で魔法を放とうとしている者を強襲し、その周辺を混乱の渦に陥れている。
目まぐるしく変わる状況、絶えず響く雄たけびと足音、飛び交う怒号、苦痛混じりの声。この闘技場内はまさに小さな戦争の様相を呈していた。
「捕まえたぞ!」
レオナから打撃をもらいながらも戦闘不能にならずに喰らい付き、その腕を取った者が現れたところで空気が変わる。動きが鈍ったところに次々と騎士たちが彼女へとのしかかっていき、あっという間に人の山が出来上がってしまう。
(あぁ……!!)
『うおおおおお!?』
するとその山を中心に外側へ向けて強烈な風が巻き起こり、上に乗っていた人間が全員周囲に弾き飛ばされてしまった。
人の山からまたその姿を現したレオナ。あれだけの人間にのしかかられても膝を折らずに立っているではないか。
そのまま風で体勢を崩した者たちには目もくれずに、離れている者からまた攻撃を仕掛けていく彼女。ずっと動きっぱなしだ、一体いつ呼吸をしているのだろうか……。
「わはははははははははは!!!!」
見学席にいる者の殆どが戦いを見て唖然としている中、お父様が楽しそうに両腕を広げ、これ以上ないほど豪快に笑い出した。
「これが笑わずにいられるか! 何と力強く、野蛮で、そして美しい戦いだ! これほど心が湧き立ったことがこれまでにあっただろうか!!!!」
お父様は興奮の絶頂といった感じだ。あんなに子供のようにはしゃぐ姿なんてこれまでに見たことがない。
逆に幾らか冷静になれた私は視線を眼下に戻し、レオナの戦う様子をじっと見つめる。
(でも本当に綺麗……)
攻撃、防御、回避、移動、全てが繋がって淀みなく動き続けていて、彼女のその輝く金髪を華麗にたなびかせている様はまるで踊っているかのよう。お父様の言う通り、確かにそこには見入ってしまうほどの美しさがあった。
ブリジットが彼女に夢中になるのもわかる気がする。
私もあの力を自身のために振るってくれる喜びを知ってしまった。
平民たちがよく口にしているという『いばらの加護』を今まさに得られているという安心感、充足感。それは酔いしれるには充分過ぎるものだった。
現に私の胸はかつてない程に高鳴ってしまっている。
そうこうしているうちに、あれだけいた騎士たちはもう十人程度にまで数を減らしていた。
改めて闘技場内を見回せば、そこには死屍累々な光景が。……と言っても死んではいないけれど、早めに倒されて復活した者たちがまだ意識のない者たちを端に移動させて介抱しているような状態だった。
「うおおおおおおお!!!」
そんな状況でも残っている者は臆することなく彼女へと向かっていく。勝てる見込みが殆どなくても決して諦めていないその姿勢に私も胸を打たれる。
――そして最後のひとりが彼女の拳を受け、その場に崩れ落ちた。
「勝負あり!」
『ワアアアアアアアアア!!!!』
決着の合図と共に盛大な拍手が巻き起こり、口笛や健闘を称える声が飛び交う。
「ははは……本当に勝ってしまったよ……」
アレックス様が呆然とその様を眺めながら、渇いた声で呟いている。
レオナは闘技場の中央へと移動して腰の剣を抜き、身体の前でそれを真っすぐ持った状態でこちらを見上げ、一礼した。
そして彼女は剣を鞘に納め、また右腕を振り上げた。
『軍隊魔法:癒しの花びら』
すると今度は赤ではなく白いバラの花びらが宙を舞い、倒れている騎士たちに降り注いでいく。どうやら白は癒しの魔法らしく、花びらに触れた者たちから次々と立ち上がり始めた。
「結果こそ私の勝利だが、諸君らの気迫や勇気、最後のひとりまで諦めない覚悟は紛れもない本物だった。戦いの中でそれを確と感じ取り、心が震え、胸が熱くなった気分だ。諸君らは強い、誇りたまえ」
そんな彼らに語り掛ける彼女の声は落ち着いていて、その凛々さは変わらないものの、試合前の時よりも優しさに溢れたものだった。
一度大きく深呼吸するレオナ。
「そんな諸君にならば安心して任せられる。どうか――――我らの大切な姫君を、よろしく頼む」
そして目の前の集団に向けて深く頭を下げた。
「整列!」
その集団の中から上がった一声をきっかけに、闘技場内に散っていた者たちが物凄い勢いで彼女の前にずらりと並び立ち、背筋を伸ばしていく。
「敬礼!!!!」
右足を踏みしめる音と、右手の拳を心臓の位置に持って行く際の衣擦れの音が、その大人数によって一瞬だけザッと大きな音を立てた。
「…………ありがとう」
くるりと身を翻し、こちらを見上げた彼女は風を纏ってふわりと浮き上がる。
それを見た周囲からまた驚きの声が上がるが、彼女は気にすることなく高度を上げ、見学席の縁へと降り立った。戦いの後で上気している彼女からは言葉では言い表せない艶を感じる。
「シャルロット様!」
こちらに近づいてきた彼女は喜色の混じった声で、そう私の名を呼びながら目の前で跪いた。
「どうぞ、こちらをお受け取りください」
そして差し出されたのは片手に収まるような小箱。彼女の手によって開けられたそれに入っていたのは、赤い宝石のついた金色の指輪だった。
「これは……?」
「魔力を込めると私の持つ指輪が光り、追跡できる仕組みになっております。これがあれば何時如何なる時も、危機を察知して馳せ参じることが出来るでしょう」
まさか先程の戦い以外にもまだ私のために考えて動いてくれていただなんて……。
この指輪があれば遠く離れていても彼女といつでも繋がっていられる、呼べば来てくれる。それがどれだけ心強く、精神的な支えになるかなんて言うまでもない。
「……試してみても?」
彼女が微笑んで頷き、指輪が見えるように左手の甲をこちらに向ける。魔力を込めてみると、私の指輪と共に彼女の人差し指に嵌められた指輪の無色だった宝石が赤く輝きはじめた。
その様子を見た彼女は満足げに立ち上がり、私の背中に手を添えて見学席の縁の方に行くように促した。そして移動した先で彼女は闘技場を見下ろした。
「親愛なるシャルロット様。新たな門出を迎える貴女様に、この指輪と、眼下に整列する今ここで心をひとつにした同志たちを贈ります。……貴女様はもう独りではありません。この地で健やかに過ごされることを、一同心より願っております」
私も続いて見下ろせば、騎士たちはみな誇らしげな表情を浮かべてこちらを見上げていた。
ただ力を見せつけて抑止力になってくれるだけでなく、真摯にお願いをして味方を作ってくれたのだ。全ては私の心と身体の平穏のために――。
きたる孤独に絶望して沢山のものを諦めていた私に共感し、理解者として彼女の持てる限りを尽くしてくれた喜びに、涙が溢れて止まらない。
「結婚おめでとう……シャル」
そんな私を彼女は優しく抱きしめてくれた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
あの日、ブリジットが提案してくれた作戦は想定以上の結果をもたらした。
当初の目的だった危険な思想の貴族たちの抑制は勿論のこと、あれほどの武力を持ちながら実力行使に出なかったことから、ローザリア側の融和の姿勢も明確に伝わることとなり、リリアーナ側の親ローザリアの流れが加速している。
どう足掻いても勝てない相手に対抗するより、仲良くなって一緒に護ってもらおうというのは実に合理的だ。
お陰で私も周囲からの印象をプラスの状態から生活を始めることが出来た。
新たに家族になった王族のみんなとも上手くやれていると思うし、彼女の息が掛かった騎士団の者たちからはそれはもう大切にしてもらえている。後はこれを維持していけば良い。私の腕の見せ所だ。
それにしても国内でのレオナの人気は凄まじいものとなっている。色々な意味で衝撃的すぎたのでそれも無理はない。『いばら姫』以外にも『戦乙女』だとか『鮮血の薔薇』だとか、様々な通り名が行き交っていてとても面白い。
彼女はここでの滞在期間中、こちらの騎士団からの熱烈な希望を受け、彼らに稽古をつけていた。やっていることが自国とまるで変わらないのが可笑しくて本人を前にして笑うと、彼女も苦笑いを浮かべていた。
みんなが帰国した後、騎士団ではいつの間にか彼女のファンクラブが出来ていたので、私は権力を使って会員番号一番を手に入れた。リリアーナのファン一号は譲らない。ローザリアの一号はブリジットに譲ってあげることにしよう。
国内で唯一彼女に迫ったリチャード様は陰で勇者だとか身の程知らずだとかファンクラブ内で色々と言われている。当然それを正面からイジれるのは王族の私だけだけれど、元から遊び人だと散々言われているだけあって、イジってみても中々へこたれない強い人だった。
「シャルロット、今日も遠方の領地の貴族との顔合わせだ。大丈夫かい?」
「勿論よ、アレックス」
朝、ようやく慣れてきた寝室のベッドでいつも通り気遣ってくれる優しい夫の顔を見ながら、右手の人差し指に嵌められた、私や彼女の髪や瞳と同じ色の指輪を撫でる。
私たちの繋がりを象徴するこれは、私の一番の宝物だ。
『いばらの加護』はローザリアだけに留まらず、此処リリアーナにも及び始めた。
きっとこれからも彼女は沢山の人々をそのいばらの内に囲い、護っていくのだろう。
――もう私は寂しくなんかない。