103.儚き者のために
酒場での実験の一週間後、私の元にエドワード殿下の遣いがやってきた。前回の実験の続きをしたいとの事だ。特に私に断る理由などないので頷いておく。
翌日王宮の馬車乗り場に到着してみると、私や護衛以外にも十人ほどの見知らぬ男性の集団がその場に待機していた。それら全員が両手に沢山の荷物を下げている。
そこに少し遅れてエドワード殿下がやってくる。
「おはようございます、殿下。こちらの集団は一体……?」
「――あぁ、前回の実験を受けて急遽作った医師団だ。これからはすぐに魔法で対処しようとするのではなく、医学や薬学の知識を深め、研究していく方針に変更していく」
魔法で治療するにしても知識に基づいたイメージがないと充分な効果は得られないとわかって、魔法の研究からすぐさま方針転換したらしい。さすが殿下、判断の思い切りも良ければ行動に移すのも早い。
「其方を呼んだのは最後のダメ押しだ。そう時間は掛からないだろう。其方にまでこちらの研究を手伝わせる気はないしな」
そう説明しながら馬車に乗り込む殿下。私もそのまま後に続く。
「それで今回はどちらへ向かうのでしょうか?」
「ベルモント伯爵領の郊外にある男爵の屋敷だ」
それなら退屈な馬車の旅もそこまで長くはならなさそうだと安心していると、殿下が普段のしかめっ面をより一層表情を引き締めて呟いた。
「クローヴェル卿、先に言っておく。――入れ込み過ぎるなよ」
「……? ……畏まりました」
正直に言うと、この時の私は良くわからないまま返事をしていた。
しかし現地に到着した私はその言葉の意味を心の底から思い知ることになる。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
一日半かけてベルモント領の男爵の屋敷へと到着した。屋敷自体は私の屋敷と同じくらいだけど、庭を含んだ敷地面積でいえばこちらの方が遥かに広かった。
馬車を降りるとすぐに一組の夫婦らしき男女が近づいてくる。どちらも三十くらいだろうか。
「おぉ……エドワード殿下、よくぞおいで下さいました。――そしてお初にお目に掛かります、クローヴェル卿。ロラン・グレイスと申します」
「妻のタニアでございます」
そして男性側には見覚えがあった。ついこの前の成人式で男爵と一緒に参加して殿下たちに挨拶していたのを覚えている。私のことを既に知っていてもあの時の私は護衛として空気になっていたので、挨拶までは出来なかったのだろう。
「うむ」
「よろしく頼む」
「さぁどうぞお入りください」
案内されて階段を上り、廊下を進むと一つの部屋の前で止まった。
「皆様が来てくださった。――開けるよ」
そう言いながら扉が開けられ、可愛らしい家具の並んだ部屋が視界に飛び込んできた。そんな可愛らしい空間に大人の男性ばかりの可愛らしくない集団がぞろぞろと入っていく。
中のベッドには淡いオレンジ色の髪をした少女が寝ていて、私たちに気付いてゆっくりと起き上がった。見た感じ十歳前後だろうか。
「娘のレイチェルです」
「このような格好で失礼致します。ロラン・グレイスの娘、レイチェル・グレイスと申します……ゴホッゴホッ……」
弱々しくレイチェルと名乗った少女は苦痛に顔を歪めながらも、その透き通るような青い瞳でこちらをじっと見つめている。
「肩章のついたコートを羽織った金髪女性騎士……ということはもしかして……」
「そうだよ、この方があのクローヴェル卿だ」
ロラン殿が横から肯定した途端、少女は目に見えて興奮しだした。
「……まぁ! まさかクローヴェル卿とお会いできるなんて! ……ゴホッゴホッ」
「嬉しいのはわかるけど落ち着いて……レイチェル」
奥様が彼女をなだめている様子を困ったように眺めるロラン殿。
「この子は貴女のファンなのですよ」
「そ、そうなのですか……?」
まさか私にこんな小さなファンがいるなんて思ってもみなかった。そういえば前世にあったようなファンクラブはこちらでは聞いたことがない。……いやまぁ欲しくもないけど。
「……悪いがこちらは作業に移らせてもらうぞ。会話は後からいくらでも出来るだろう」
普段の仏頂面に少し不満気な空気を纏わせながらエドワード殿下が部屋の奥の方へと進みだし、医師団がその後を追いかける。……自分に関係ない話ばかりで拗ねちゃったのかも。
「失礼致しました。邪魔にならぬよう、一旦下がらせていただきます。どうか娘を……よろしくお願い致します」
そのまま両親は頭を下げて退室していった。
殿下は部屋に残っていた少女の侍女らしき女性に話し掛ける。
「症状は?」
「……はい。一週間ほど前から突然体調を崩され、見ての通りの咳や、高熱、頭痛、下痢、倦怠感や胸の痛みなど様々で、最近は息苦しくもなってきているようです」
「この病気に心当たりは?」
振り向いた殿下がこちらに尋ねてくる。
「具体的には何もわかりません……。咳が出ていて息苦しいとのことなので肺の病気なのではといった安易な想像くらいしか……」
「……そうか。まずはクローヴェル卿に試してもらう。一時間、肺を中心に全力で彼女の身体に魔力を流し続けてみろ。その程度は其方であれば全力だろうが苦でもないだろう? 一時間経って流すのを止めてみて、それで快方に向かっているようであれば治療の効果はあると見て良いはずだ」
酔っ払い相手ならほんの数秒でも効果は出ていたものを全力で一時間……。殿下としてはそれ位はしないと効果は期待出来ないと考えているということなのだろう。
ここに来る前には思ってもみなかった重篤な患者。今の殿下や後ろの医師団の反応を見るに、治療出来る見込みは少ないのだと嫌でもわかる。そもそも殿下は今回「治療しにきた」という言葉は一度も使っていない。
(『最後のダメ押し』……か)
とにかくやってみなければわからない。
「最初はちょっと変な感覚があるだろうけど我慢してね」
「……はい、よろしくお願いします」
私は彼女のベッドに腰掛け、右手で彼女の左手に触れて魔力を流していく。そして予想通り彼女はその魔力に小さく驚いている。
「ひゃっ……」
「……大丈夫?」
「大丈夫です……。それに凄い……とても息がしやすくなりましたし、身体も自分のものじゃないみたい!」
これまでとは打って変わって大きな声が出せるようになったレイチェル。
「安心するなよ、それは恐らく身体強化で身体が軽く感じるようなものだ。病の治療が出来ているとは限らん」
「は、はい……」
殿下がすかさず釘を刺してくる。返事をしたのは浮かれていた彼女だったけれど、今のはきっと私に向けた言葉だったように思う。
(お願い……! 治って! じゃないとこのままじゃ……)
私は表情が険しくなるのを必死に我慢しながら、彼女と何気ない話をして過ごした。
そして――――
「……時間だ。魔力を切れ、クローヴェル卿」
遂にこの時間がやってきた。この子の運命が決まってしまう、この瞬間が。
ありったけの願いを込めて流していた魔力を止める。
「――ゴホッ……ゴホッ……」
止めた途端に、これまで殆ど抑えられていた咳が再び出始めた。呼吸の辛さも戻ってきたのだろう、表情も一気に曇ってしまった。
(あぁ……)
間近にいる彼女の顔を見ていられず、殿下の方へと振り返る。
「クローヴェル卿、こちらへ」
すると殿下は手招きをしながら部屋の外へと歩き出した。
「……ご苦労だった。其方はもう王都へ帰るがいい」
「なっ!?」
廊下に出て、そのまま屋敷の庭園まで来ると、殿下は突然そんなことを言い出した。
「今ので今回の実験は終わった。あとは経過を見ながら、彼女や周囲から病気の原因の可能性となるものを探し、持ち帰って研究をするのみだ。もう其方に出来ることはない」
彼女の治療がもう絶望的だからといって、そんなにあっさりと帰れるはずがない。それもあんなに私と会って喜んでくれた相手に。
「……ですが!」
「第一残って何をしようというのだ!」
食い下がろうとする私に殿下が声を荒げる。こちらを睨むその目にはシャルの部屋で怒りをぶつけられた時以上の感情が込められているのが見て取れる。
「さっきのように魔力を流し続けるつもりか!? それも彼女が苦しまないよう四六時中!? その間の其方はどうするつもりだ! まさか寝ないで頑張るなどと世迷言を言い出したりしないだろうな!」
彼の言う通り、私に出来ることはそのくらいしかない。
それでも私の心は……彼女のためにそれをしてあげたい、そう思って止まない。
「出発前に『入れ込み過ぎるな』と言ったはずだ! 俺は其方を連れ出す了承を得る際に両親や兄上から『決して無理をさせるな』と忠告を受けている。貴様はその気遣いを踏みにじり、また無茶をして周囲を困らせるつもりか!?」
あの言葉は確かにエドワード殿下らしくないなと私も思っていた。元々私のことを嫌っていたのだし、あのような気遣いをするタイプでもないのだから。
しかし私はそんな彼の語気に怯むことなく、力強く睨み返す。
「ですが理不尽に泣く人々を護り、寄り添うこと――こればかりは曲げられません」
どんな状況であろうと私の中の『強者の筋』を曲げる気はない。
これを曲げてしまえば、私は生きる目的を見失ってしまうに等しい。
「もちろん両陛下や殿下のお心遣いを無下にする気も御座いません。……なので双方に折り合いをつけ、彼女の結末を享受したうえで、無理をしない範囲で私は力になりたいのです」
――長い沈黙。
私がじっと殿下の反応を待っていると、考え込んでいた様子の殿下は盛大に舌打ちをして睨み返してきた。
「チッ……その言葉、二言はないな? 約束を守れない奴など、いくら美人で魔力が多かろうと信用に値しない。もし破るようであれば兄上との結婚も、騎士長としての立場にも俺は異を唱え、必ず排除してやる」
「――我が魂に誓って」
「……他の者のように女神には誓わないのか」
「このような理不尽をもたらしてくる女神相手にどうして誓えましょう?」
「フッ……確かにな」
私が嫌そうにそう答えると、殿下は口の端を持ち上げて鼻で笑った。