10.おねだり
私はブリジット様にすっかり気に入られてしまい、案の定始まったフォレストバットを無力化させた魔法の使用者探しの容姿者から真っ先に外されることとなった。ずっと近くで見ていたはずのブリジット様の口から一切語られなかったからだ。
彼女を抱えて避けたり、風の壁で防ぐ様子を侯爵家の方々に熱く語られたのは小恥ずかったけれど、ちゃんと約束を守ってくれたことに私も胸を撫でおろした。ちなみにお父様もお母様も、根拠なく勝手にあれは私の仕業だと予想していたようだ。
その両親も侯爵家の方々に酷く感謝され、その怒涛の勢いに押されてたじたじになっていた。あんな二人を見るのは初めてだったけれど、これなら悪いようにはならないだろう。
そんな調子だったので領地に戻った後もブリジット様とは手紙のやり取りをするようになった。ここ最近は屋敷ですることといえば勉強と剣や魔法の訓練ばかりだったので、たとえ少しだけでも貴族令嬢らしい彩りが日常に加わったのは喜ばしいことだ。
今回のパーティを振り返ってみれば、珍しい魔物をじっくりと鑑賞し、襲い来る魔物との実戦を経験でき、女の子の友達が一人増え、パーティの豪華な料理に舌鼓を打ち、バーグマン伯爵領はルデン侯爵領とより親密な関係になれたのだ。これ以上ないほど実りの多い外出だったのではないだろうか。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
ある日、ブリジット様が遠路はるばるこちらまで遊びにきてくれた。対応する使用人のみんなが動き回っているので屋敷はいつもよりも慌ただしい。なので今は気持ちの良い晴れの日というのもあって、その慌ただしさから遠ざけられるかのように庭の東屋で彼女とお茶をして過ごしている。足元には愛犬のポムも一緒だ。
屋敷から殆ど出ないとはいえ一応私も女子の端くれ、普通にお喋りは好きだし、それが秘密を守れる信頼のおける相手ともなればこちらとしては大歓迎である。
「レナさんは普段は何をして過ごしていますの?」
――それがたとえ貴族の身分なんて何も関係のない、とても一般的で誰もが一度は必ずするであろう問いかけであってもだ。
「学園の入学に向けて勉強と訓練ばかりの毎日ですね」
「どこのご家庭も似たようなものですのねぇ……」
うちよりも階級が上ともなれば、その教育も更に厳しいものであろうことは想像に難しくない。現に彼女のそのウンザリとした表情がそれを如実に物語っている。
ただ私の場合は自身が望んでいることでもあるので、これでもかなり楽しんでやっている方だ。もし前世の記憶を持っていなければ、きっとブリジット様と同じ反応をしていたことだろう。
子供の頃にどれだけ退屈に感じていたとしても、大人になって振り返ってみれば勉強も含めた全ての体験が楽しかったと思えてしまうほど、年齢で物の見方は変わってしまうもの。私はこの歳にしてこの視点を前世の記憶から得てしまっているので、只々ありがたく勉強させてもらっているという感覚しかない。
「まぁこれも将来のためですから、今は我慢ですよ」
「うぅ……レナさんまでお父様たちと同じようなことを言うのね……」
眼前の同い年の女の子ですら味方ではないと知ったブリジット様は目に見えて意気消沈している。
……まぁ私は社会に出て経験を積む前にあっけなく死んでしまったので、実際には大人の気持ちも多少わかる子供でしかないのだけれど、それでもどちらかといえばお父様方寄りの思考なので、なんだか申し訳ない気分だ。
「うーん……どうしても苦痛だというのなら、考え方から変えてみてはどうでしょう?」
「考え方?」
「遠い将来のためと思うからやる気が続かないのですよ。もっと細かく区切ってみれば見え方も変わってくるのではないかと」
ブリジット様の表情的にこれだけではまだピンと来ていない模様。しかし興味はあるようで、ほんの少しだけ姿勢が前のめりになっているように思う。
「私は毎日屋敷の警備隊長さんと剣術の稽古をしています。まだまだ技量の差が大きくて簡単にあしらわれてしまっていますが、それでも一日に数回、隊長さんが焦ったり反応が遅れたりする時があるのです」
普段は余裕を持ってあしらわれているからこそ、それが際立って見えるのだ。
私は剣を振るう身振り手振りを交えつつ説明を続ける。
「その数回をどういう形で打ち込んだのか、どういう流れで打ち込んだのか、『何であの時反応が遅れたのかな?』って稽古の後しっかり振り返って分析するのです。そして翌日、自分なりに考えてそれを意識して実行してみる。これで昨日と同様の反応を見せてくれれば、私は『普段より少しだけ有効な攻撃』を身に着けたと言えるでしょう? 昨日の私より強くなったと言えませんか?」
私が問いかけるとブリジット様はゆっくり頷いて返した。その眼差しは真剣そのもので、普段のお勉強もこんな感じで一生懸命やっているんだろうなというのが伝わってくる。
「そうやって毎日思考を繰り返していけば、どんどん有効な攻撃の数が増えていって、ある日突然『決定打になる攻撃』を見つけて打ち負かせる日が来るはずです」
足元でこちらを見上げているポムに気付いてその頭を撫でたり、顎の下をくすぐってやると、ポムは天にも昇るような幸せそうな顔をしてくれる。それが可愛すぎて自然とこちらまで顔が綻んでしまう。
そのまま両手はポムから離さずに、顔だけはブリジット様の方へと向ける。
「与えられた課題を漠然とこなすのではなく、もっと小さな物事に目を向けて、その理由や意味を考えるといえば良いのでしょうか。成長の種は普段気付かないだけで至る所に落ちているはずです。それを拾い上げて昨日の自分よりも確実に成長しようと努力することが大事なのです」
「昨日の自分よりも……」
「えぇ。そうして毎日を大切に過ごしていれば、きっとさっき言っていた将来なんてあっという間に来てしまいますよ」
「なるほど……」
ブリジット様が口元に手をやりながら考え込みだした。きっと今の話を自分に当てはめているのだろう。つい自分にとって身近な例を挙げてしまったけれど、私とは違ってごく一般的なご令嬢である彼女に剣術の話は不親切だったかも……。
しばらくしてブリジット様も何かイメージが掴めたのか、その表情がぱっと明るくなった。
「なんだか私も、もう少し頑張ってみたくなってきましたわ……! レナさんはお話を聞かせるのが本当にお上手ね、先生みたい」
「あくまで考え方の一例ですけれど、お役に立てたのなら光栄です」
「ありがとう、これできっと学園で素敵な殿方を捕まえられますわ!」
両の手を合わせて力強く決意を口にするブリジット様。それは本来とても微笑ましいものであるはずなのだけれど、一方の私はその様子を見て前世との常識の違いをまざまざと思い知らされていた。目の前に座る八歳の少女ですら、当然のように婚約者探しに意欲的なのだ。
(やっぱり皆そういう感覚なんだなぁ……)
既に日本の感覚が根付いてしまっている私は、結婚がこの世界の成人年齢の倍の三十を過ぎようが全然気にしないのだけれど、きっとこの世界では変わり者と言われてしまうのだろう。
「それで、レナさんは誰か気になっている方はいますの?」
そしてこの話題になればこのような質問が来るだろうなという予感はしていた……。生憎、異性に関しては碌でもない経験しかしてこなかった私ではブリジット様が満足しそうな返事は出来そうにない。
「これまで他の貴族とは全く関りがありませんでしたから、先のパーティで挨拶をした王太子様と、レイドス辺境伯のウィリアム様しか同年代の殿方は知りません」
「あら、そうでしたの。それだと私の知る領地内の殿方を加えたところで王太子様とウィリアム様しかまだ選択肢がありませんわね……」
私はつい頭に「?」を浮かべて首を傾げてしまう。
「そう簡単にレナさんに釣り合う人がいる訳がないでしょう? こんなに強くて、賢くて、可愛くて、性格も良いのだから、最低でも家の階級が上の相応の相手でないと! うちの兄たちなんて年上であっても全く釣り合わないんだから!」
その金色の瞳を輝かせ、両手の拳を握りしめながら力説するブリジット様。彼女の中の私の評価は一体どうなってしまっているのだろうか……。
「――で、王太子様はレナさん的にはどうでしたの?」
「本人の前では絶対に言えませんが……私には少々子供っぽく見えました。それに王太子妃になんてなりたくないです」
ただでさえ普段から貴族に向いていないなと感じているのに、お妃様なんて無理に決まってる。正直私なんかよりブリジット様の方がよっぽど適任だと思う。少なくとも自分から目指そうとは全く思わない。
「――ではウィリアム様は?」
「まだまともにお話すらしたこともないですが、既に王太子様にベッタリではないですか。二人はフィーリングが近いのでは? あまり期待出来なさそうですね」
実際どういう人なのかよくは知らない。ただここで好意的なことを言ってしまうと後で大変なことになりそうな気がしたので、申し訳ないけれど結構キツめに突き放させてもらう。
「レナさんは顔や地位より中身が大事なタイプ? それとも想像を絶するほどの面食いなのかしら……」
ブリジット様は私の感想を聞いて、そう小声で呟きながら口元に手をやり唸り込んでしまった。「前者ですよ」などと余計なことは言わず、今のうちにさっさと話題を変えてしまいたい。
「……そ、そういえば今日は変わったチョーカーをつけていらっしゃいますね。そこから少し魔力を感じます」
ブリジット様の首元には黒いチョーカーがあり、小さな緑色の宝石が揺れている。少なくともパーティの時には付けてなかったはずだ。
「あぁ、これは魔道具なの。以前の襲撃があったからと両親がプレゼントしてくれたのよ。魔力を込めれば風の壁を作りだして守ってくれるんですって」
「もう危険な目に遭わせたくないという美しい親心ですね。それにしても……」
苦笑いをしている私の言いたいことが伝わったのだろう、ブリジット様が愛おしそうに首元のチョーカーを撫でている。
「ふふふっ、『風の壁』というあたりが良くわかっているでしょう?」
やはりあの時の私を意識して作られたもののようだ。成り行きとはいえ彼女の中で私はもう完全に騎士だとか王子様役になってしまっている気がする……。
なんだか小恥ずかしくて自分の顔が赤くなっていくのがわかる。話題を変えたはずなのにどうしてこうなった。
(えぇい、次、次! 何か話題はないか! 悩み事とか……)
「――あ」
「どうしましたの?」
私が頭の悪そうな声を上げたせいでブリジット様が目を丸くして首を傾げている。
「あ、いえ……。以前両親が『頑張っているから何かお願いがあれば聞いてあげる』って言ってくれたのを思い出しまして」
「あら、良いじゃない! それで? 何をお願いしたんですの?」
「それが……その時は特に何も浮かばなくて保留にしてあるんです」
「まぁ勿体ない! 丁度良いですわ、私も協力しますから一緒に考えましょう!」
ブリジット様がノリノリで話に乗っかってくれたので、何とか話題が逸れたことに胸を撫でおろした。相変わらずお願いは何も浮かんでいないので、ありがたく一緒に考えてもらうとしよう。
「レナさんは強いから私みたいなお守りは必要ないかもしれないけれど、とりあえず形に残る物が良いですわね。……間違っても普段から食べられるような物を要求しては駄目ですからね?」
「うぅ……」
じっとりと睨まれ、イチゴのタルトはダメだと早々に釘を刺されてしまった。
「お洋服はわざわざお願いするような物ではないですわね。勿体ないわ」
サイズが変わる度に新しいものを高いお金を払って仕立てていること自体が既に私には勿体なく感じるのだけれど、多分それとは違う話なのだろう。
「そうなるとやはりアクセサリーが一番かしら……」
「あまり興味が……」
お母様の持っているアクセサリーを見せてもらったことがあるけれど、それはもう沢山ありすぎて、前世が貧乏だった私は眩暈がしそうだった。流行を追って経済を回すことが貴族女性の義務みたいなところがあるとはいえ、私としては今あるもので充分過ぎる。
「うーん……難しいですわね……」
それからも二人でああだこうだと案を出し合ってみたけれど、結局これだというものが見つからないまま、お帰りになる時間になってしまった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「結局決まりませんでしたわね……。あぁもぅ! すっきりしませんわ!」
「私の悩みに付き合わせてしまってごめんなさい……」
「一緒に考えましょうと言い出したのは私ですからレナさんが謝ることではありませんわ。もし何か欲しいものを思いついたらお手紙で教えてくださいな。それまでは私も向こうで考えておきますから!」
「わかりました。ありがとうございます」
そんな会話をしながら、お見送りする場所まで一緒に歩いていく。玄関ホールの先には既に馬車が停まっており、御者や護衛の方々がブリジット様が乗り込むのを待っていた。
「……あ!」
そこで突然ブリジット様が大きな声をあげて立ち止まる。私も周りの人も皆、その声にビクッと驚き、視線がブリジット様に集まっていく。
「……剣! レナさん、剣はどうかしら!?」
ブリジット様は興奮した様子で左手で私の手を取り、右手で前方にいる護衛の人が腰に下げている剣を指さした。あまりにも唐突だったけれど、それがさっきのプレゼントの話だとすぐに理解する。
「確かに私、お稽古の時は借り物ですし自分の物は持っていません! 簡単に買い替えるようなものでもなく、長く使えそうですし良いかもしれませんね!」
思いがけない良案が降って湧いたことに私たちは手を取り合い、きゃあきゃあと飛び跳ねて喜んだ。
「お二人共、お喋りはそのくらいにしておいて下さいませ。皆戸惑っておりますよ」
アンナにそっと指摘され我に返ると、周りの人たちは皆揃って苦笑いを浮かべていた。私たちは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら別れの挨拶を済ませる。
「レナさんの剣が出来たら、また見せてくださいな」
「ええ、もちろんです。一番にお見せします」
そう約束して、ブリジット様を乗せた馬車を見送った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
さっそくお父様とお母様に自分の剣が欲しいと伝えてみる。
最初はもっと女の子らしいものにしないかと少し渋られたけれど、今日ブリジット様に相談に乗ってもらっていたことはアンナから聞いていたようで、たくさん悩んだ末のお願いならとオーケーしてくれた。
剣はショートソードを希望してみる。これについては魔法で色々出来るかもしれないと考え、基本の状態では取り回しの良さを重視したのだ。
デザインに関しては普通で良いと伝えたところ、「女性が持つには無骨すぎる」と却下されてしまった。
なのでお父様にお任せしてみると、最終的に中央にワインのような赤紫色の宝石が光る、鍔の部分に領地の繁栄の象徴であるブドウとその蔓が意匠に取り入れられた、黒地に金の装飾が施された小振りながらも豪華な剣へと仕上がった。
最初こそその豪華さに少し戸惑っていたけれど、時間が経つにつれ次第にその気持ちは薄れていき、自分でも不思議なくらいに愛着が湧くるようになった。
そしてそれは実際の稽古にも大きな影響を与え始めた。今までだって真剣にやっていたつもりだったけれど、モチベーションがまるで違う。毎日の稽古がもう楽しくて仕方がない。
剣ひとつでこうも変わるのだから、物に拘るというのは案外馬鹿に出来ないものだなと思い知らされた気分だった。
もちろんブリジット様に剣を見てもらうのも忘れていない。彼女は「剣に関する知識はないけれど」と前置きした上で、とても美しい剣だと褒めてくれた。
私が剣を提案してくれたことに改めてお礼を言うと、彼女は気恥しそうに頬を染めて「また何かあったら守ってね」とおねだりされてしまう。
もちろん私にそれを断る理由など何処にもなかった。