01.麗緒奈
私、井野原 麗緒奈はとびきりの美人だった。
女の子はみんな小さい頃、親戚に「将来は美人さんね~」なんて言われて育ってきたと思う。大人にしてみれば子供は可愛いものだし、身近な人ほど評価も甘くなるものだ。
実際に美人かどうかは年頃になってからの周囲の目で大体は察せられるようになる。私の場合は最初に言った通り、道行く人を老若男女問わず振り向かせるほどの美人に成長していくことになった。
小学生までは私も周りも子供だったからか静かなもので、自身の容姿について特に意識してはいなかった。
……ただそれも中学生になった瞬間に一変する。周囲が恋愛に興味を持ち始め、その興味の対象となることで私も自身の容姿が他よりも優れているのだと嫌でも自覚させられざるを得なかったのだ。
そのモテ具合は凄まじく、もはや性別や年齢、通う学校すらも問わないほど。男子から、女子から、先輩から、後輩から、自学の生徒から、噂を聞きつけた他校の生徒から、挙句の果てには教育実習の先生まで、とにかく思いつく限りの相手からモテたと言っても差し支えなかった。
浮かれている男子は親衛隊だとか言って勝手に盛り上がり、女子も特に下の学年の子たちが遠くから熱い視線を送ってくる。ファンクラブなんてものが勝手に作られ、こちらが視線を向けると「キャー!」と黄色い声をあげながら走り去っていく。ただの公立の学校なのに、まるで漫画に出てくるお嬢様学校のよう。
そんな状態だったので、告白されるなんてイベントは日常茶飯事だったけれど、結局誰かと付き合うなんてことはただの一度もなかった。
理由は二つ。――別に大して難しい話でもない。
一つ目は異性に興味を持てなかったから。
当時から顔だけでなく早熟で出る所は出ていたせいもあっただろうし、年頃の男子なんて性欲の塊みたいなものだから仕方ないのかもしれないけれど、あまりにも告白してくる相手の全員が、その下心をまるで隠せていなかった。
容姿だけを見て寄ってきて、私の内面――何を感じて、何を思っているかなんて一切考えていないのが手に取るようにわかる。一人の人間として見ているかすら怪しい奴らなんてこっちからお断りだ。
勝手に浮かれている奴らは一度断られても繰り返し告白してくる。それでもへこたれずに断り続けていくと、その後は大体三パターンに分かれていく。
諦めずに繰り返し告白する自分に酔う奴。
告白はしてこなくなるけど、諦めきれずにストーカー化する奴。
勝手に逆恨みして変な噂を流したりといった嫌がらせをしてくる奴。
――この三パターンだ。こいつらと最初から告白してこないストーカーを加えたものが周囲に溢れてしまっては、私が男というものに幻滅してしまうのも無理もないだろう。
私だってまともな男性もどこかにいるのだと思いたい。ただ少なくとも私の周囲にはそういった人はいなかったとしか言えなかった。
そんな中でも身近な女子の大半は私に同情的で仲良くしてくれていた。ただそれでも私に言い寄ってくる男子の中に好きな人がいた子に嫌われてしまうのは避けられない。そんなこと言われたって私にはどうしようもないでしょうよ……逆恨みもいいところだ。
周囲の視線を集めがちな私には直接的なイジメはしたくても出来なかったようで、それだけは不幸中の幸いだった。……別にイジメが全くなかったとは言ってないけど。
二つ目は金銭的な理由。私の家が片親で貧乏だったから、恋愛なんてしている暇が無かったといえば良いのだろうか。お母さんは朝から晩まで働いていたから家事や幼い弟の送り迎えは私の仕事。塾に通うお金もないから、中学時代はずっと家で暇を見つけては勉強していた。
これだけなら優等生のように聞こえるかもしれないけれど、成績は特別良くもなく極々平凡。これが学校一の美女で秀才とかなら格好も付くのに、現実はそう上手くはいかない。
そんな家庭環境なので消しゴムひとつでもストーカー共に盗まれると結構ダメージが大きい。もし体操服や水着を盗まれてしまった日には結構どころではないダメージなので、かなり厳重に管理させられる羽目になってしまっていた。
そうして誰とも付き合うことなく迎えた高校生活は中学時代よりも更に悪化し、混沌としていた。みんな多感な時期なので人間関係はぐちゃぐちゃだ。
なので放課後は逃げるようにスーパーのレジ打ちのアルバイトに明け暮れた。私がレジに立っていると売上があがると喜んでもらえるし、パートのおばちゃんたちが店長のセクハラから守ってくれるので居心地が良かったのだ。
おばちゃんたちから息子の嫁に来ないかとか見合いの話が飛び出してくるのが玉に瑕だけど、学校に比べれば余程マシだったので、そのくらいは笑いながら受け流していられた。
奨学金を使って大学に入っても私の行動にそこまで大きな変化はなく、授業以外はアルバイトばかりの日々を送っていた。部活やサークルに入ったところで内部の人間関係が崩壊するのが目に見えていたから、最初から入る気が起きなかった。
アルバイト先の数少ない同年代の子に勧められたのをきっかけに漫画やゲームに手を出すようになり、一人でも楽しめるというのもあって結構な勢いでハマってしまった時期でもある。
誤解されがちだけれど、それが招く面倒事に辟易しているからあまり自己主張をしたくはないというだけで、自身の容姿それ自体は気に入っている。
就活を始めて早々に第一志望から内定の通知がきた時ばかりは、色々と面倒事を呼び込んできたこの容姿にも感謝したものだ。何はともあれ、女手一つで私たちを育ててきてくれたお母さんにやっと楽させてあげられると思えばやる気も出るというもの。
……でもそんな希望が、あんな形で打ち砕かれることになるとは思ってもみなかった。
性質の悪いナンパから逃げようとしてトラックに轢かれてしまったのだ。運転手さんも私なんて轢きたくなかっただろうし、本当に誰も得をしない結末だった。
その時のナンパ相手は仲間連れでお酒も入って気が大きくなっていたのか、ただ断っただけなのに勝手に逆上して力づくで言うことを聞かせようとしてきた。
私にはその思考が本当に理解出来なかった。
理不尽としか言いようがなかった。
こんな奴らに絶対に屈したくなかった私は、逃げるのに夢中になり過ぎてしまったのだ。
地面に横たわり、意識が途切れる前のその頭の中には様々な感情が渦巻いていた。その中で特に大きな領域を占めていたのが、命を落とすキッカケにまでなった、これまでの男絡みの面倒事の数々とその理不尽さへの『憤り』だった。
何故こんな目に合わないといけないのか、一体私が何をしたのかという怒り。これが無ければ一体どれほど平穏な暮らしが出来ただろうかと。
お母さんに恩返しも出来たのに。
弟の成長も間近で見届けられたのに。
私にだってきっと良い人が見つかって、子供も生まれ、幸せな家庭を築けたはずなのに。
悔しくて、悔しくて、涙が溢れて止まらなかった。
そんなやるせない想いを抱えたまま私は神様に祈った。「このまま死ぬのなら次は平凡な容姿で生まれ変わりたい。女がダメなら男でも良い。周囲の目を気にして縮こまって生きるのはもう嫌だ」と――。
一度はこんな人生を歩ませた、ある意味鬼畜な神様に頼んで良かったのかはわからないけれど、心からの願いを吐き出さずにはいられなかった。
そうしてあっけなく、井野原麗緒奈の人生は静かにそこで幕を閉じたのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
(これは一体…………?)
ベッドから起き上がった私は、頭の中の領域の一部にこれまでには無かったものがあることに気付く。
――それは私ではない、知らない誰かの人生の記憶。
その知識や経験、そこから得た価値観、血の通った感情までもが確かに私の中に刻み込まれている。そこには家族と過ごした心温まるようなものだけでなく、世の中の理不尽を憎むどす黒い感情も含まれていた。
その記憶がこれまでの私を急激に歪めていく。
目に映るものの印象ががらりと変わっていく。
自分が自分じゃなくなったようで怖くなってたまらずベッドから起き上がり、そしてすぐさま部屋にある鏡に駆け寄る。
鏡には肩まである癖のないサラりとしたホワイトブロンドの髪に深い赤色の瞳、長い睫毛、切れ長の目、薄い唇、鼻筋まで通っている美少女が映っていた。
大好きな両親が可愛いと褒めてくれる大好きな自分の顔。お母様の美貌を受け継いだ、いつもの見慣れたそれであったことに思わず安堵の息を吐く。
――そう、私はレナ・クローヴェル。領主であるバーグマン伯爵の一人娘であって、決して井野原麗緒奈という女性ではない。
「『将来は美人さんね』……か」
鏡に映る自身の姿をぼんやりと眺めていると、ひとりでに呟きが零れた。
記憶の中にある井野原麗緒奈の顔は若干タイプは違えど、確かにとても美人だ。その子供時代に引けを取らない顔が今、目の前の鏡に映っている。私もこのまま成長すればお母様のような美人に成長しないはずがない。
そんなこれまで何の違和感もなく見られていた自分の整った顔が、これまでにないほどの不安を呼び込んできていた。
最初からいきなり重たいですが、次話以降はそうでもないので
続けて読んでいただけると嬉しいです……!