根倉のねぐら
階段を「カン、カン、」と景気よく下っていく。
堅くて、遠くまで響くようなこの音が私は好きだ。
時々立ち止まって「カカッ、カッ、」とリズムよく鳴らせば、その音は遠くまでなり続ける。非常階段なんてそんな場所。
後に続くように「カン、、カカン、、カン」とさらに足音が聞こえる。
足音の主は足がいつも震えており、両端で鳴る音が明らかに異なる。その特徴的な音は、意図して鳴らすことはできなくて、私は悔しいから時々練習するのだがまだ成功していない。
「置いてくよー」
「まぁまぁ、相手さんは逃げやんから、ゆっくりでよかろうて」
このビルにはエレベータがついている。そのため一般の入居者は、非常階段をまず使わない。しかも20階より上になれば、歩いて登り下りするなんて相当な変人である。何百人と働いている人がすぐ隣にいるにも関わらず、この非常階段には誰も立ち入らない異空間になっている。
さらにしばらく降りていくと、階段の踊り場に『33』と表記されたプレートが見えた。目的地までの目印だ。
「ついたー、早く早くー」
階段の隙間から上に向かって声を掛けると、「まぁまぁ、」という声と、特徴的な足音が聞こえる。
「それにしても、36階からしか来れないなんて、変な構造だよねー」
「だからこその『ネグラ』じゃ。思考の隙間を突き、思いもよらない場所に拠点を設ける」
34階から33階に到着する寸前。ビルの柱が出っ張り、2段分の階段を柱の壁が食い込んでいる。
私がその柱が出っ張った部分の壁に手を当て、少し力を込めて押すと、少しの反動の後に、壁が扉となって中に入れるようになった。
「この扉の幅て、すごく狭いよねー。ネグラには体格制限がある支部もあるって話は、もしかしたら本当かも」
私が柱の中に先に入る。辰美さんはその後に続いて入り、扉をもとに戻した。これで外からは柱にしか見えない。
「なんじゃ、知らんかったんか。その体格制限は本当の話じゃ」
「え、まじ?前のネグラにいた人が愚痴ってたから、そういう場所があるかもと思ってたけど、本当にあるんだ」
「ここの支部長は現場出身だからの。ここ入口の構造とは別に、体格維持に凄く厳しいぞ」
扉を閉めた柱の中は暗く、先の方の壁に目印の明かりが見えた。
「もう着くが、気を引き締めて行けよ。前の支部で多少有名になっても、ここじゃ葵も大勢の内の1人じゃ」
「分かってる。何度も聞いた。人間関係もネグラからの信頼も何もかも」
「まぁでも有名な私と一緒だからの。多少は色眼鏡してもらえるじゃろうが、期待するでないぞ。」
後ろを振り返るが、あまりの暗さに辰美さんの顔は見えない。足音とシルエットからその存在が確認できる程度だ。
でもたぶんニヤニヤし顔をしてそう。
「一緒に行動していたことは隠しようがないけど、あまり構わなくていいから。自分でやるし」
虎の威を借りて交渉を優位にするのも悪くないけど、私の好みではない。
ようやく明かりのついた壁に着くと、その明かりは看板であることが分かった。
簡素な看板がバックライトで照らされており『名古屋支部』とだけ書かれている。
「葵ももう大人じゃからの。あー、私淋しいいの〜」
横に立つ辰美さんは、そう言いながら身をよじるポーズをとる。
「きもい。それにそんなに長い付き合いじゃないし、」思わず心の声が漏れた。
「きもいは酷いぞ。でもまあいい。兎に角もう一度だけ言っておくが、早死にだけはするでないぞ」
辰美さんはそう言うと、照らされた看板の下にあったドアノブに手を伸ばす。
「大丈夫。逃走は得意。それにもう普通の人間は辞めたし、簡単に死なないよ」
それに私には、会わないといけない人がいる。いつの日か、その人に会うまで、私は決して死ねない。
「そういうことじゃないんだが、あとは経験じゃな」
辰美さんはゆっくりとドアノブを回し、扉を開いていく。
「ようこそ、寝倉の名古屋支部へ。
寝倉は、『世俗の安眠』と『月下の静寂』を其方らに期待する」
開けた扉を背にして、辰美さんはまるで役者のように手を広げて言う。
どこか言い慣れている感じもした。
今回引き受けた白石辰美の護衛依頼。その実は道中の話相手になることであったけれど、彼から教えてもらったこと、受け取ったことは多く、実りのある依頼だった。
「承知しました。」
私はネグラでは定番の返しをして、私は部屋の中に踏み込んだ
to be continued (?)
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