99. 新しい仕事、そして再会
結局その日、流されるようにシオンと家に帰ることになってしまってまともに仕事を探せなかったイチカは、翌日再び商会本部の掲示板の前に立っていた。
しかし思うような仕事が見つからず、イチカはため息をついて今日は帰ろうと呟いた。メモ帳をバッグにしまって歩きだすと、知っている人の気配が近づいているのを感じ立ち止まる。
掲示板の前に立つ大勢の登録者達の合間からふわっとした髪が揺れているのが見える。するとすぐに笑顔のミシェルがイチカの前に現れた。
「イチカ!」
なぜか興奮気味のミシェルがイチカの右手を両手で掴む。
「おお!?なになにどうしたの?昨日のデートはどうだった?」
「聞いてよイチカ!・・・あ、ここはダメよね。ちょっと外に出よう!今から早めのお昼休憩なの!」
「うん。」
そうしてイチカは興奮したミシェルに連れられるまま、近くの小さな食堂に向かって歩き始めた。
「あのね、イチカが紹介してくれた彼と、昨日色々話をしたの。でね、すごく私のこと気に入ってくれたみたいなんだけど、でも私まだほら、少し引きずってて・・・」
イチカは居た堪れない気持ちになり、あははと苦しげに笑う。
「あ、イチカは気にしないで!でも本当に、いい人だったんだけど、なんかこうしっくりこなくて。」
「うん。」
「そしたらね、カフェを出た所でレオンさんに会ったの。」
「おお!」
そこでミシェルはチラッとイチカを見る。
「ねえイチカ、場所を教えたの、あなたでしょ?」
「あはは、バレたか。」
「やっぱり!もう、勝手なことして!・・・でも助かったんだー、なかなかその彼が帰してくれなかったから。それで、レオンさんが近くに来てくれたから、助けてもらっちゃったの。」
イチカは驚いてつい声の音量が上がってしまう。
「レオンさん、何かしてくれたの?」
「うん。『女性にしつこくするのはやめてください、ましてや僕の大切な仲間に!』って言ってくれたのよ。」
「へえ!あのレオンさんが・・・」
へたれっぽい彼にしては意外だけど頑張ったんだなあ、とイチカが感心していると、ミシェルが少しだけ頬を赤らめながら言った。
「ああいうの、なんかいいわよね。まあ、ちょっとカッコよかった。」
「ふうん?」
「何よ、意味深な返事ね!」
「別に〜?」
「もう!からかわないでよ!はああ、話したらスッキリした!あ、そうだ、さっきイチカにナタリアさんからお話があるって連絡きてたわよ。今日午後時間があるなら行ってみて。大事な話だから明日でもいいけど、早めに話せたら話したいって!」
イチカはその連絡内容に思わず首を傾げた。
(明日も仕事が入っているのに・・・何か緊急の用件なのかしら?)
「わかったわ。じゃあミシェルと昼食を食べたら早速行ってみる。」
「ええ、よろしく!」
そうして二人は近くの食堂で今日のランチのハンバーグセットを頼み、楽しいおしゃべりと美味しい食事で心と身体が満たされてから、それぞれの仕事と用事に戻っていった。
その日イチカの仕事は休みだったが、ナタリアの呼び出しに応じて早速町長の家に向かう。商会からさほど距離もないため、十五分もすると到着してしまった。
日中はだいぶ暑さすら感じるようになってきた五月半ば。イチカは持っていたタオルで軽く汗を拭ってから裏門をくぐり、裏口のドアをノックした。
「あれ、イチカさん、どうしたの?今日は休みだよね?」
料理人のシリルがドアを開けて驚く。四十代半ばの彼は昔のイチカには馴染みのある年齢の男性で、普段からとても仲良くさせてもらっていた。
「シリルさん、こんにちは。今日は休みなんですけど奥様に呼ばれてて。」
「ああ、そうなのかい。さあ、入って。今からちょうど休憩しようと思ってたんだ。奥様との話が終わったらケーキでも食べるかい?」
「うわあ、嬉しい!いいんですか?」
「ああ。もうすぐここも終わりだろう?イチカさんがいなくなると寂しいよ!」
「私もです。また機会があったら遊びに来ますね!」
「そうだな。じゃあ奥様のところに行っておいで。」
「はい!」
約束の時間は特に決められていなかったが、午後のこの時間帯はだいたい自室で本を読んでいる。イチカはそれを思い出し、ナタリアの部屋へと向かった。
静かにノックをして返事を待つ。
「はい、どうぞ。」
「奥様、失礼致します。」
「まあ、イチカさん!よかったすぐに来てくれて!」
ナタリアは笑顔でイチカを迎え入れてくれた。持っていた本を膝に置き、イチカにそばの椅子に座るよう促す。美しい刺繍の入った生地が貼られたその椅子に座るのは緊張したが、できるだけ浅く腰掛けるようにしてナタリアに向き合った。
「イチカさん。うちの仕事が終わった後って何かもう仕事は決まっているの?」
ナタリアが身を乗り出すようにイチカに話しかける。
「いえ、実はまだ何も決まっていないんです。この時期は農作業の仕事は多いのですが、家事代行は少ないみたいで。」
「そうなの?ではもしよかったら、うちの別宅の方で住み込みで働いてみない?とりあえずは二週間ほど、それが終わればよければまたどこか紹介するわ!」
イチカは急な仕事の話に驚いて椅子から落ちそうになる。慌てて座り直してから詳細を聞いた。
「ありがとうございます!嬉しいです!あの、別宅というのはどちらにあるのでしょうか?」
「ほら、この町の東側に少し小高い丘があるでしょう?あの近くなの。景色がよくてちょっとした別荘のように使っていてね。大切なお客様が来たときに泊まってもらったりするのよ。」
「ああ、なるほど。」
イチカはシオンと一緒に登ったあの丘のことだとわかり、あの日のことを少しだけ思い出す。
「あら、イチカさん、顔が赤いけど大丈夫?」
「はっ、大丈夫です!ええとそれで、いつからそちらに伺えばよろしいでしょうか?」
「急なんだけれど、明後日からお願いしたいの。うちでの仕事は早く終わる形にはなってしまうんだけど、その分の報酬を削ったりしないから安心してね。」
「お気遣いありがとうございます。明後日からですね、わかりました。頑張ります!」
イチカはその後さらに細かい仕事内容やお客様の情報などを確認し終えると、シリル特製の美味しいケーキを食べてから家に帰った。
「ただいまー。」
この時間は家に誰もいないとわかっていても、イチカはつい癖でただいまと言ってしまう。だがその日はなぜか奥から「おかえりー」という返事が聞こえてきて、急いでリビングを覗き込んだ。
「おかえり、イチカ!」
シオンがリビングのソファーで寛ぎながら、イチカの方に顔を向けて微笑んでいる。
「どうしたの?早いじゃない!」
「今日はなぜかミシェルの機嫌が良くてさ。さっさと帰れって言われてありがたく帰ってきた。」
「へえ・・・」
(現金な子ね、あの子も)
イチカがニヤニヤしながらそんなことを考えていると、シオンが素早く立ち上がってイチカをぎゅっと抱きしめた。
「な、何?突然!?」
「久しぶりに今日は二人でゆっくり夜を過ごせるんだなあと思ってさ。」
「・・・うん。」
「なあ、今日は何か買ってきて、二人でのんびり、家で食事をしないか?」
イチカはシオンの腕の中で、小さく頷く。
「よし、じゃあ買い出しに行こう。」
「あのね、シオン。」
「なんだよ。」
「私、明後日から二週間、住み込みの仕事が決まったの。」
「・・・え?」
シオンが何とも言えない表情でイチカから離れた。それでもその手はまだイチカの両腕を優しく支えている。
「だからしばらくの間家を離れるけど、食事はちゃんととってね。まあシオンのことだから掃除とか片付けは心配ないけどやっぱり食事は健康の基本」
「イチカ。」
シオンがイチカの唇に右手の親指をそっと当てた。イチカはふっと顔を上げ、シオンの細めた目と視線が合う。
「寂しいな。」
「うん。」
「じゃあなおのこと今夜は一緒にゆっくり過ごそう。」
「・・・そうだね。」
そうしてもう一度シオンの腕の中に包まれたイチカは、もう全面的にシオンが心の中を覆ってしまったことを、認めざるを得なかった。
そうして二人でただただ穏やかで幸せな夜を過ごした翌日。
イチカは予定通り町長宅で最後の仕事を済ませ、他のメイドやシリル、そしてもちろんナタリアにもお別れの挨拶をした後、すぐに家に帰った。
(お偉い様が来るって話だったけど、まさか王国の中でも一二を争うほど大きな領地を持つ領主の家の方とは・・・そんなすごい方がいらっしゃる場所で粗相なんかとてもできない!気合いを入れて頑張らないと!)
イチカは前回の時のようにしっかりと前日準備を済ませ、その日は早めに就寝することにした。シオンは、まだ帰っていなかった。
翌朝、結局シオンには会えないまま家を出て、目的の丘の中腹にある町長の別宅に向かった。朝から雲がかかりどんよりとした空の下、イチカは薄手のコートを羽織って歩いていく。
その日は風も無く寒さも特に感じていなかったが、なぜか建物が見えてきた瞬間にイチカは身震いしてしまう。それは心をざわめかせる不思議な予感がイチカを覆った瞬間だった。
そしてその家の全景が視界に入ってきたと同時にある人の姿を目撃し、イチカは驚愕して動けなくなる。
「ハル、さん・・・?」
数十メートルは離れていたはずなのに、まるでイチカの呟いた声が聞こえたかのように、その男性がゆっくりと振り返った。
「イチカさん?」
それは紛れもなく、あのジェンクの町で出会った、翔太そっくりのハルという男性の姿だった。




