96. その別れは再会のために
イチカが医務室を出ると、ドアの横に当たり前のようにシオンが立っていた。気配は少し感じていたので驚くことはなかったが、じっとその目を見つめると、シオンはスッと目を逸らした。
「シオン、待合室にいるんじゃなかったの?」
「別に。ちょっと心配だったから。」
「それは・・・ミシェルさんがいたから?」
「まあ、色々。」
「そう。」
イチカは寒さを感じて持っていたコートを羽織る。シオンはその様子を確認すると、いつものように手を差し出した。
「イチカ、行こう。」
「うん。」
その手を握って歩き出したイチカはてっきり待合室かいつもの会議室の入るのかと思っていたが、彼はイチカの手を引いたまま本部の外に出ていく。
「シオン、どこに行くの?」
イチカの声に振り向き、シオンは一旦足を止める。
「今日は家で話そう。」
少し照れたような笑顔でそう言うと、シオンは再び歩き出した。
イチカはシオンの大きな手の温もりに包まれて黙々と歩いていく。外はもう暗く人通りも少なくなっている時間帯だったが、シオンがいれば何も怖くはなかった。
外は寒さは残っていたけれど、イチカはもうすぐそこに本格的な春が迫ってきていることを、体全体で感じていた。
二十分ほどして小さな煉瓦造りのシオンの家に到着し、家の中に入る。玄関のドアが閉まった途端、イチカはその場でシオンに抱きしめられた。
「え、ここで!?」
「イチカ。さっきの話、すごく嬉しかった。」
シオンの声が彼の胸から響くようにじんわりと聞こえてくる。イチカは彼の胸の前でボソボソと答える。
「さっきのって、ミシェルさんとの話のこと?やっぱり立ち聞きしてたんだ。」
「ごめん、心配でつい。」
イチカはふふっと笑う。
「そう。いいよ。聞かれて困るようなことは言ってないし、聞いてるんだろうなあって思ってたから。」
「俺は・・・俺以外の人にもあんな風に言ってくれるって思ってなかったんだ。イチカは俺とのことは他の人には誤魔化してしまうんじゃないかって、心のどこかで恐れてた。」
イチカはシオンの背中に回した手で、そっと背中をさすった。
「そっか。私シオンをそんなに不安にさせてたんだね。ごめんね。」
シオンがイチカの肩に顔を埋める。
「イチカが森の中で俺の名前を叫んでくれた時、嬉し過ぎてどうにかなりそうだった。こんなに俺のことを信頼してくれて、俺に頼ってくれて、って。そうしたらまさかミシェルとの話でもイチカの俺への想いを聞けた。」
「・・・うん。」
「嬉しすぎて、あの場所で話すなんて無理だと思ったんだ。イチカと二人っきりでゆっくり話して、こうして触れ合いたかった。イチカ、イチカ、嬉しい。俺・・・ああ、もどかしいな。」
イチカはその言わせていない想いを感じながら、シオンの頭をそっと撫でた。ビクッとその体が揺れる。
「イチカ、煽るな。」
「・・・ごめん。」
二人の間に静かな時が流れる。
「ねえ、シオン。」
「なんだよ。」
「今、お礼とお返し、してもいい?」
「ん?」
イチカは、肩から顔を上げたシオンのシャツの首元をクイっと下に引っ張った。目の前であの剣の形のペンダントが小さく揺れる。
「おい、なんだよ!?」
「じっとしてて!」
「!?」
そして、少しだけ背伸びをしたイチカは、シオンの右頬に軽く触れる程度のキスをする。
「側にいてくれて、助けてくれてありがとう、シオン。」
シオンはほんの少し口を開いたまま、イチカの顔を見つめて動かなくなった。
「シオン?」
「・・・」
「おーい、シオン!」
その声にようやくシオンの目の焦点が合い、そしてその頬が真っ赤な色に変わっていく。
「イチカ!煽るなって言った先から!!」
「キャッ!?」
シオンはイチカを再び強く抱きしめる。だがそれはいつもよりも少しだけ深く、イチカの体に巻きつくような抱擁だった。
「バカ。俺の理性が飛んだらどうするんだよ!!少しは手加減しろ!!」
「・・・反省しております。」
「はあ。前途多難だな。」
「ご迷惑おかけします。」
「お前・・・反省してないだろ!!」
「あはは!」
玄関先にも関わらず、二人はふざけ合い、いつものように笑い合った。だがいつもとは違う何かが二人の間に始まりつつあることも、二人はそれぞれに感じ始めていた。
翌朝、イチカ達は朝食と身支度を済ませると、すぐに本部へと足を運んだ。まだ早朝ということもあり待合室には誰もいなかったが、奥の事務室に入るとそこにはレオンとテオニタスが待ち構えていた。
「シオンさん!おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
テオニタスは黙ったままだったが、シオンが彼の顔を見つめるとシオンの前に立ち、深々と頭を下げた。
「シオン、ありがとう。それと、すまなかった。」
その姿にはもう以前の飄々としたところも、軽そうな雰囲気も一切残っていなかった。
「頭を上げろよテオ。俺は今回の件、イチカのためにやったんだ。だからあんたからの礼はいらない。謝罪だけは諸々あったってことで素直に受け取っておくよ。」
「・・・ああ。」
まだ何か言いたそうな様子のテオニタスを「その前に」とレオンが遮り、シオンに昨日の件を報告していく。
「シオンさん、昨日の五人とノックスの件ですが、シオンさんの手紙はしっかり渡しておきました。ですが・・・彼らをあのまま帰してしまって本当によかったんですか?」
イチカはその情報に驚いてレオンの方を見る。
「ああ。あれだけ脅しておけば平気だろ。まあ脅しというか事実だしな。こっちの事情や実力をノックスってやつに話してもらわなきゃならないし。」
「ああ、まあ、そうですね・・・」
レオンはまるで自分も脅されたかのようにシオンから身を引き、引きつった笑みを見せる。
(シオン、いったい何を言ったのかしら・・・)
「とにかくこれで少なくとも今後俺や商会、イチカに危害を加える気は失くすだろ。今回はこれで十分。やり過ぎて恨みを買っても面倒だし、ここが落とし所だろう。」
「わかりました。それとこれがシオンさんに届いていました。」
シオンが綺麗な封筒に入った手紙をレオンから受け取る。見覚えのあるそれは、以前エリアスに渡していたものとよく似ていた。
「ミレイナ様だな。後で用があるから俺からエリアスさんに渡しておく。」
「はい、よろしくお願いします。」
レオンは事務的な話を終えると安心したのか、テオニタスにどうぞと言って後ろにさがった。
そしてテオニタスは、シオンの方では無くイチカの前にやってきた。
「イチカ。とんでもないことに巻き込んですまなかった。怖い思いをさせたことも、結局君を守る力が無かったことも、全部謝る。本当に申し訳なかった!!」
イチカにも頭を下げようとしたテオニタスをすんでのところで止める。
「やめてテオ!私は友達だからそうしたかっただけ。テオは私が落ち込んでいた時、いつも助けてくれたから。だからそんなことしないで。ね?」
「イチカ・・・」
テオニタスの頬に一筋の涙がこぼれる。イチカはそれを見て微笑んだ。
「ほら、笑ってテオ!あなたのえくぼが見えないと寂しいよ。」
テオは一瞬目を丸くしてから下を向き、ふっと笑みを浮かべた。その頬にはもう涙は無く、あのえくぼが浮かぶ魅力的な笑顔が戻っていた。
「イチカ、俺、必ずイチカをさらいにくるから。」
「はあ!?あんたな!イチカが優しいからって調子に乗って!!」
シオンがイチカとの間に割って入る。
「ちょっとシオン!!」
「あはは!でも俺は本気だから。いつか俺のやるべきことをやり終えたら、必ず会いにくる。その時にもう一度、今度はプロポーズをするために戻ってくるよ。」
シオンが何か言おうとするのをイチカがそっと止める。
「わかった。その時は会いに来て。断るけど。」
「まだわからないだろ?シオンと喧嘩別れしてるかもしれないし。」
「ふふ、そうね!」
「おい、イチカ!?」
テオニタスはゆっくりとイチカに近づき、手の中にある紙をイチカの手に載せた。シオンは渋々イチカから離れ、その様子をじっと見つめている。
「イチカ、元気でいてくれ。必ず会いに来るから。それと、困ったことがあったら手紙を書いて。これ、俺が育った教会の住所。ここにはよく立ち寄るから。いい?」
「うん。わかった。テオ、無理はしないで。」
「了解!ねえイチカ・・・」
「え?」
テオニタスは紙を載せた手をグッと引っ張り、イチカを抱き寄せた。そして耳元で何かを囁き、その耳にキスをする。
「・・・!?」
イチカは真っ赤になり耳を押さえて飛び退いた。シオンが慌ててイチカの前に立つ。
「テオ、あんたな!!」
「あはは!じゃあ、二人とも元気で。また会おうね!」
そう言うとテオニタスは自分の小さな荷物を背負い、レオンにも小さく頭を下げてその場を去っていった。
「イチカ・・・何をされたんだよ!何を言われた!?」
「とても言えません・・・」
「はああ!?あいつ!!」
外に飛び出して行こうとしたシオンを必死で止め、呆れた顔のレオンを横目で確認しながら、イチカはただただ離れていってしまった大事な友達の行く末を案じて、その安全を心から祈っていた。




