92. ミシェルとの出会い
「イチカ、イチカ!?」
「う、ううん・・・」
「どうしたんだ、しっかりしろ!!」
「あれ・・・ああ、シオン?」
イチカが目を覚ますと、顔のすぐ横にシオンの心配そうな顔が見えた。慌てて起きようとするがなかなか力が入らない。
「いったい何があったんだ!?」
「ごめん心配かけて。大丈夫、ちょっと眠くなっただけ。」
「眠くなったって・・・寝不足だったのか?その・・・昨日の件で・・・」
シオンの頬が少し赤くなり、イチカも釣られて赤面してしまう。お陰で一気に覚醒し、バッと上半身を起こした。
「ち、違うわよ!やめてよ恥ずかしいんだから思い出させないで!」
「お、おう。じゃあ何で眠ってたんだ?」
「エリアスさんが言うには、慣れないうちは力を使うと眠くなるって。」
シオンが少し考え込む。
「そうか、使うタイミングが重要だな。それとやっぱり例の札も作っておいて貰った方が安全かもな。」
「うん、そうだね。それは私も考えてた。ねえシオン、テオとはどういう話になったの?」
イチカがそっとシオンの腕に手を添える。
「イチカ・・・嬉しい。」
「あ、えっと、ごめん。」
「いいよこのままで。」
シオンがその手の上に自分の手を重ねたまま話し始める。
「テオを追っている男は今のところ一人みたいだな。イチカも気配を感じたのは一人だったんだろ?」
「うん。でも他にいたとしてもあの人混みだとわかりにくいかも。」
「そうか。その男は父親との連絡係兼あいつの見張りとしてずっと付きまとっていた奴らしい。この町で見かけたのは昨日が初めてだそうだ。だから動くなら早い方がいい、という話になった。」
イチカは言っている意味がわからず瞬きを繰り返す。
「どうするつもりなの?」
「案は二つ。一つ、人員を増やされる前にテオを遠くに逃がす。」
「もう一つは?」
「奴を捕まえる。」
「え!?」
イチカは驚いてついシオンの腕を強く掴んでしまう。
「痛いよイチカ。」
シオンはなぜか嬉しそうにイチカを見つめる。
「あ、ごめん!痛かった?」
「冗談、平気だよ。それじゃ話を戻すけど、つまりその追ってきた奴を捕まえて、俺達を本格的に敵に回すのがどれだけ無謀なことなのかお伝えするって感じかな?」
シオンの目が生き生きと輝く。それはイチカがまだあまり知らない本来のシオンで、たぶんそれはイチカが想像している以上に遥かに恐ろしい何かを隠し持っているのだろう。
「シオン、ちょっと怖い。」
「あ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。」
イチカの声に、シオンはすぐにあの優しい笑みを見せる。だがどちらも彼の本質で、どちらも本当の彼だと、今のイチカなら理解できる。
「いいの。私は過去のシオンも全部ひっくるめて受け止めるから。そのままでいて、ね?」
「イチカ・・・もう少しお手柔らかに頼む。俺・・・色々我慢がきかなくなりそうだから。」
イチカはその言葉とシオンの切ない表情に、心臓の鼓動が一気に速くなる。
「えっとそういうつもりじゃなかったんだけど、あのそれで結局」
その言葉に被さるようにキュルルルル・・・という可愛い音がお腹から聞こえてきて、二人の間に一瞬沈黙が訪れる。
「ぷっ、あはははは!!イチカ、笑ったりしてごめん!でも、ははははは!!」
「はああ。私のお腹、どうなってるんだろう。もういい。とにかく昼食を食べてから話の続きを聞かせて?」
「はあ、笑った。わかった、もういい時間だな、昼食後に話をしよう。」
それからイチカ達はレオンの家で簡単な昼食を済ませて、今度はテオニタスとレオンと一緒に応接室にて四人での話し合いが進められた。
結局テオニタスは逃げるという選択肢を捨て、シオンと共に追ってきた男を捕まえる作戦を選んだらしい。もし他に隠れた仲間がいる場合には、全員確保するくらいのつもりで準備するとシオンはイチカに説明した。
とにかくその間イチカはできるだけシオンと共に過ごすこと、テオニタスはあえて町に出て彼らの注意を引き、護衛をつけながらわざと接触されるようにしていこうということになった。
「今夜はこのままレオンの家に宿泊して、明日から行動開始だ。レオン、明日ミシェルに頼みたいことがある。明日は朝から商会に出てくれと伝えておいてもらえるか?」
「わかりました!」
レオンはあの日ビビカナで出会った時のように、イチカには少しよそよそしかった。だがシオンのことは崇拝していると言っても過言ではないほど、今日もキラキラした目で見つめている。
そのまま二人は廊下に出て何やら話を始めてしまい、イチカはテオニタスと二人、応接室に残された。
(レオンのあの目はシオンへの尊敬の気持ち?それとも恋!?)
うーん、と悩みながら俯いていると、テオニタスが不思議そうな顔で声をかけてくる。
「イチカ、どうした?」
「え?ああ、なんでもない!どうでもいいこと考えてただけ。」
「そうか。・・・イチカ、今回のこと、本当にごめん。」
テオニタスが真面目な顔でイチカに語りかける。
「やめてよ。友達なんだからそんな水くさいこと言わないで。それよりお互い、自分の人生のために頑張ろうね。」
「イチカは、優しいな。」
「そんなことないって!ほらほらそんなしょぼくれた顔してないでいつもみたいに笑って!私テオのえくぼは結構気に入ってるんだ。笑うと必ず出るからつい見ちゃう。」
テオニタスはふっと微笑み、そのえくぼを見せた。
そして座っているイチカに近づき抱きしめた。
「ちょっと!?何してるの?それはダメでしょ!!」
「イチカ・・・どうして君は俺をどうにもならなくさせるんだ!」
「テオ!!」
「・・・絶対に君を守る。俺の力は弱いけど、俺、変わるから。君のために。」
イチカは言葉を失い、テオニタスはそっとイチカから離れた。二人はそれからシオン達が部屋に戻ってくるまで、一言も話さず、目も合わすことは無かった。
翌日イチカはシオンと共に商会の本部へと向かう。本部の待合室には誰も人がおらず、イチカはそのだだっ広い部屋をぼんやりと見渡した。
「誰もいない・・・」
「ああ、緊急事態だからな。」
「そう、そうね。」
二人が静かに話をしていると、事務室のようなところからレオンとミシェルと呼ばれたあの丸く大きな瞳の女性が現れた。明るい色の髪がくるっとカールしていて本当に可愛らしい。イチカはつい顔がにやけてしまうのを自分の頬をつねって引き締める。
「何してるんだよ?」
シオンが訝しげな顔でイチカを見る。
「・・・何でもない。」
(可愛い女の子に見惚れていたなんてとても言えない)
「シオンさん、お待ちしてました!会議用の書類できてます!」
「ミシェル、ありがとう。」
「いえ!あの、それでこちらの方は・・・」
イチカは自分のことを言われているのだとわかり、姿勢を正して彼女の方に体を向ける。だがイチカが自己紹介をする前にシオンが話し始めた。
「彼女はイチカ、俺の相棒で、その、大事な人だ。」
シオンが照れたようにそう紹介したことで、その場は一瞬で凍りついた。
(な、何言っちゃってるのこの人!?)
イチカは口を開けたまま呆然とシオンを見つめ、レオンは額に手を当てて上を見上げている。そしてミシェルは、明らかにショックを受けたような表情でシオンのことをじっと見つめていた。
(ああ、そうか、彼女はシオンのこと・・・)
「あ、あの、イチカ・アオキと申します。よろしくお願いします!」
下手なことを言うと混乱を招きかねないと判断したイチカは、無難な挨拶にとどめてその場をとにかくやり過ごした。目の前の二人もその挨拶で少し気持ちを立て直したようで、ミシェルはショックを隠してイチカに向き合い、自己紹介をしてくれた。
「ミシェル・オルセンです。本部の事務全般を統括しています。」
「イチカ、ミシェルは若いが優秀なんだ。何か困ったことがあればいつでも彼女に聞いてくれ。」
「あ、はい、ミシェルさん、よろしくお願いします!」
ミシェルはイチカの方に顔を向け「もちろんです、よろしくお願いしますイチカさん」と優しく微笑んでくれた。
(辛いはずなのに・・・優しい人だな)
イチカはふと横にいるシオンを見つめる。彼はミシェルの気持ちに気づいているのだろうか。
(絶対に気づいてるよね・・・シオンだしね)
「なんだよ?」
「何でもない。」
「変なイチカ。」
するとそれまで黙っていたレオンが、シオンに何やら書類のようなものを手渡しながら話し始めた。
「ミシェルがこれを準備してくれたんです。」
シオンはその紙を受け取って目を通す。
「これは・・・」
「これまでに登録者の方々から報告に上がってきていたおかしな出来事や小さな事件の中でも、おそらく例の組織に関わっているんじゃないかと思われるものを集めておきました。今そこにあるのは番号だけですが、棚から出して揃えてあるのでいつでも参照してください。」
シオンはにっこりとミシェルに微笑みかけた。ミシェルの頬は少し赤みが差したように見える。
「ありがとう。さすがだな。彼らの動きを調べるのに使える。助かったよ。」
「い、いえ!私のできることをしただけですから!それと、テオニタスさんという方を追っているのは一人ということでしたが、私がいつも依頼している例の人達に念のため他にいないかどうか調べてもらってます。怪しい動きがあったらすぐにシオンさんにお知らせしますので!」
「ああ、頼む。」
ゆっくりとミシェルに頷いたシオンは、イチカの方を見て手を差し出す。
「イチカ、今後のことについて話がある。行こう。」
イチカは一瞬躊躇う。だがここで彼の手を断って良いことは何もない。そっと触れる程度に彼の手を掴むと、ぎゅっと握られて逃げ場を無くした。
「レオン、後でイチカと一緒に事務室に行く。ちょっと待っててくれ。」
「はい。」
「・・・」
イチカはミシェルの顔をうまく見ることができず、二人に軽く会釈をして、シオンに連れられるまま例の小さな会議室に向かった。
会議室の中に入ると、シオンは突然イチカを抱きしめる。
「ちょっと!突然何!?」
「なあ、もしかして今度こそやきもち焼いてくれた?」
「え?」
突然の抱擁ととんでもない発言にイチカは目を丸くする。
「この町を離れた時、俺聞いたよね?」
「そんな前のこと、よく覚えてるわね!」
「忘れない。イチカとのことは全部。」
「・・・彼女、シオンのこと好きでしょ?」
「ああ、そうだな。」
何でもないことのようにそう言うシオンに、イチカはため息をつく。
「何とも思わないの?」
「思わない。俺にとって大事なのはイチカだし、彼女には思わせぶりなことは何もしてない。仲間だからな。」
「そっか。」
シオンはイチカから少し離れてその頬を両手で包み込んだ。
「イチカ以上に大事に思う人はいない。やきもちは正直嬉しくないわけじゃないけど、もうお前を不安にさせたくないんだ。だから俺はこれからも堂々とお前を大事な人だって言って紹介するから。」
「シオン・・・」
シオンはそのまま顔を近づける。イチカは頬を固定されて全く動けない。
「え、ちょっと・・・」
そしてシオンは、近づけた顔をそっと横にずらし、イチカの右の頬にキスをしてから離れた。
「このくらいは、もういいだろ?」
その顔は、もうイチカが何を言っても意志を曲げるつもりのない、強情な男の顔だった。
「シオンのバカ!」
イチカは真っ赤になった顔を隠すことも動かすこともできず、ただひたすら嬉しそうに笑う彼の顔を見つめることしかできなかった。




