89. 追われている男
翌朝はよく晴れて、前日の寒さが嘘のように暖かい朝を迎えていた。
「ふあーあ、おはようイチカー・・・」
「シオンまだ眠そうだね。おはよう!」
イチカは以前カーラに貰ったエプロンをつけて、キッチンで簡単な朝食を作ってシオンを待っていた。
その日早起きをしていたイチカは、一人外に出て共同浴場を発見し、最高の朝風呂を堪能してからその足で朝食用の買い物も済ませて帰ってきていた。そのため朝から食材をしっかりと調達し、野菜たっぷりのスープを準備する。
「イチカが、俺の家で朝食作ってくれてる・・・」
ぼーっとした様子でイチカを眺めているシオンがおかしくて、イチカはつい笑ってしまう。
「ふふ、なあにそれ!ほら、早く顔を洗ってきて!朝食にしよう?」
「うん・・・」
夢見心地な顔のまま洗面台に向かった彼は、戻ってくると少しスッキリとした表情になっていた。
「パンと野菜のスープだけだけど、どうぞ。」
「ありがとう。何か新婚夫婦みたいだな、俺達・・・」
「ゲホッ、ちょっと!?変なこと言わないでよ!」
「可愛い、イチカ。」
「ほらいいから早く食べて!!」
イチカは照れながらシオンにお茶を淹れ、自分のカップにも注いでから席に着いた。
「今日はレオン達とエリアスさんの今後のことを色々話し合うことになってるから、この後すぐ出かけるよ。イチカのことはまだ聖人を追っている者達に知られていないようだし、誰にも話すつもりはない。だけど彼の場合はおそらく人相が知られてるはずだから、早急に対処しなきゃならないんだ。」
「そっか、わかった。」
「で、イチカはどうする?」
シオンの言葉に下を向いてしばらく悩む。
「そこについていくわけにもいかないし、ここで薬作りを再開しようかな。あ、そろそろ手持ちが少ないからクライドさんにここ宛に薬草を送ってもらってもいいかな?」
イチカのその言葉にシオンが驚いたように目を丸くする。
「イチカ・・・俺の家に居てくれるのか?」
「あ!そうか、宿を探したほうがいいよね!ごめん!」
「バカ言うな!期待させといてそれはないだろ!?いいんだ、ここならいくらでも好きに使ってくれ。この町にいる間は一緒に暮らそう?」
必死にそう言うシオンを見ながら、イチカは苦笑しながら頷く。彼はそれを見て嬉しそうに笑った。
そうして二人は朝食を食べ終え片付けを済ませると、シオンは商会へ出かけて行き、イチカは家事をいくつか終わらせてから買い物に出かけた。
「イチカ!!」
買い物を終えて帰る途中、後ろから明るい声がイチカを呼び止める。振り返ると、そこにテオニタスの優しい笑顔が見えた。
「テオ!」
イチカも笑顔で近寄ると、彼は安堵した表情でイチカを見つめた。
「お、その様子だとシオンと仲直りできたんだな。」
「うん。ありがとう。・・・やっぱりテオは優しい人だよね。」
「そんなことない。イチカに恩を売っておこうと思っただけだよ?」
「ふふふ!そういうところが素敵だよ、テオ!」
そのイチカの言葉は、テオニタスの心の柔らかい部分に触れてしまったようで、彼は一気に顔を赤らめてイチカから目を逸らした。
「イチカは天然だよね。俺が欲しい言葉をポンポン投げてくるくせに、俺のことは好きになってくれないんだよな。」
「テオ・・・」
イチカにはそれ以上彼にかけるべき言葉が見つからず、そのふわっとした癖毛が風に揺れるのをぼんやりと眺めていた。
「俺は・・・ あ!?」
何かを言いかけたテオニタスの顔がみるみる青ざめていく。誰かの姿を見かけてしまって焦っている表情に見えたイチカは、眉を顰め、辺りの気配を窺った。
「テオ、誰かがあなたを追っているの?」
「イチカ?」
「私は気配を読み取るのだけは上手いの。ねえ、今だけ触れるけど、これは条件から外していいから。」
「え、あ、うん。」
イチカはその怪しい人間の気配を察知すると、テオニタスの腕に自分の腕を絡ませてその嫌な気配が無い方へと引っ張っていく。まるで恋人同士のようにニコニコと話しかけながら歩き、より人通りの多い場所へと紛れ込んだ。
「イチカ、このままじゃ君も巻き込まれるぞ!?」
「テオ、私達もう友達だって言ったでしょ?それにどうせもうあなたと一緒にいるところを見られてるんだからそんなの今更よ!」
「イチカ!君って人は!」
怒ると言うよりも泣く直前のような顔になったテオニタスは、イチカの腕をそっと離し、手を握る。
「今だけ、イチカの恋人っていう夢を見させて。」
そう言って指を絡ませるように手を繋ぎ、切ない笑みを浮かべながらイチカを連れてさらに前に進んでいく。
「テオ、このままあの路地に隠れられる?」
「うん。少し速く歩くよ?」
「うん!」
そうして歩くペースを速めたテオニタスに引っ張られるように少し先の細い路地に入り込んだ。そこには大きなゴミ箱や隣に入っている店の荷物らしき物がいくつか置かれていて、格好の隠れ場所だとイチカは少し安心する。
テオニタスと一緒にその物陰に隠れて追っ手をやり過ごし、気配が遠ざかるのを確認するとイチカは今度こそほっと胸を撫で下ろした。
「テオ、もう大丈夫。ああびっくりした!でも本当に」
「イチカ・・・」
「や、やだ何!?」
テオニタスが突然イチカの手を強く引っ張る。そして体がテオニタスにぶつかると、そのまま彼に抱きしめられてしまった。
「ちょっと嫌だ!離して!!」
「イチカ、昨日シオンに触られたんでしょ?」
「え!?」
「だってあんな状態から仲直りしたんならあいつが我慢するわけないよ。絶対に二人には昨日何かあったはず。」
「・・・それとこれとは」
「だからこれでおあいこ。できればイチカをもっとその気にさせたいところだけど・・・」
そう言ってテオニタスは抱きしめたままイチカの髪や首筋を優しく撫でていく。
「やっ・・・やめて!」
「可愛いなイチカ。でも今日は助けてくれたからこの位にしておく。またゆっくり触れ合おうね。」
「ふ、触れ合いません!!」
やっとのことでイチカを解放してくれたテオニタスは、そのまま建物の壁に寄りかかって目を閉じる。表情はあまり変わらなかったが、イチカは彼が何かに追い込まれ、心身共に疲れ切っていることを直感的に感じていた。
「テオ。今日は一緒にシオンの家に行こう。」
「え、はい!?って痛っ!!」
テオニタスがそのとんでもない提案に驚き、近くの箱に勢いよく脛をぶつける。
「大丈夫?・・・だってテオ、何かとんでもないことを抱えてるんでしょ?だったらシオンに頼ってみたら?彼、結構頼りになるよ?」
テオニタスはぶつけたところをさすりながら、心底嫌だと言う顔で首を振る。
「遠慮しておく。あいつには頼らない。頼れる話じゃないし。でも・・・イチカには、今だけ頼ってもいい?」
「テオ・・・」
テオニタスはイチカに近寄り、その肩にそっと頭を載せた。
「え!?いやあのちょっと!?」
「少しだけこのままでいさせて。イチカといると安心するんだ。君の心も体も今は俺のものじゃないけど、肩を貸してくれるくらいはいいだろ?」
「テオ、肩なんかよりも、困ってることがあるなら話してみない?できることがあるなら手伝いたい。」
「言えない。君を巻き込めない。」
「だからもう巻き込まれたのよ。」
「でも!!」
テオが苦しげな声でイチカの肩の上で揺れている。
「私は優しいテオを助けたい。私を助けてくれたあなたの力になりたいの。」
「イチカ・・・どうしてそんなに俺に構うんだ・・・俺は、そんな風に優しくされるともう、本当に君を・・・」
「テオ?」
「君を愛してる。」
その声は肩越しからイチカの右耳に届き、イチカは彼の切ない気持ちをダイレクトに受け止めてしまい、居た堪れなくなる。
「ありがとう、でも・・・あなたの気持ちに応えられなくてごめんなさい。その代わり友達として、できる限りあなたの力になるから。」
テオニタスがふっと顔を上げる。
イチカはその表情に見覚えがあった。
(ああ、これってもしかして・・・)
「む」
それはイチカの手のひらにテオニタスの唇が当たった時の彼の声だった。
「こら!何どさくさに紛れてキスしようとしてるのよ!!」
「ちぇっ。今の流れなら自然にいけたはずなのに、何でわかったんだ。」
「野生児の直感が働いたの!!」
「ふうん。てっきりキスをし慣れてるから気づかれたのかと思ったよ。」
「・・・」
(鋭いわね・・・)
テオニタスは今度こそイチカから離れて笑顔を浮かべた。先ほど真っ青だったその顔にはすっかり血色が戻っていて、イチカは少し安心する。
「とにかく、今からシオンの家で事情を説明して!ほらここにいても危ないだけだから行こう。それに今の一件はそう簡単には許さないから、許して欲しければ私についてきて!!」
叱りつけるようにそう言うと、テオニタスはもう一度さっきぶつけた脛を撫でてからため息をついた。
「はああ、仕方ない。俺のお姫様の言うことだからな。ご命令には従いますよ。」
「あー、もうそれでいいから早くいこう!!」
そしてイチカは辺りの気配をもう一度確認してから、テオニタスを連れて急いでシオンの家に戻っていった。




