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87. 本気と策略

 ザインへ向かう道中、馬車の中の雰囲気は最悪だった。


 シオンはイチカから離れた場所に座り一切目を合わさず、テオニタスはイチカの隣に陣取って微笑みかける。エリアスは何となくその微妙な空気に気づいて、触れないでおこうと言わんばかりに下を向いて眠り始めてしまった。


(うう、居心地が悪い・・・)


「イチカ、ねえあれ見て!ほら、あそこに小さな赤い屋根が見える!何かの店かな?」


 テオニタスが外を見ながらイチカに呼びかける。ぼーっと考え込んでいたイチカは、言われるがまま外を眺め、その見覚えのある屋根の色に少しだけ意識がはっきりしてきた。


「あ!あのお店!?ねえシオンもしかしてあれって・・・」


 言ってしまってからハッと気づく。シオンと一瞬だけ目が合い、スッと逸らされる。


「ああ、例の食堂繋がりだな、ここも。」


 それだけ言うと、シオンはこちらに背を向けた。そしてそのままイチカと反対側の窓の景色を眺め始める。


「ふうん。面白いことになってるね、イチカ?」


 テオニタスが悪戯っぽい視線をイチカに向けるが、イチカはそれをほぼ無視してシオンと反対側の窓の外に目を向けてしまった。


(私が望んだことなんだから、この状態に早く慣れないと・・・)


 心を占めていく寂しさを紛らわすかのように、イチカはリュックから本を取り出し、一人の世界に閉じこもっていった。



 先ほど発見した赤い屋根の店で四人は簡単に昼食をとり、再び馬車に揺られてザインへと向かう。風はまだ強く冷たく吹きつけていて、時々馬車が風に煽られて大きく揺れた。


 結局午後も午前中と車内の空気はほとんど変わらないまま、四人はそれぞれの時間を過ごしていく。そんな拷問のような時間が二時間ほど経過し、ついに見慣れたあの町の景色がイチカの目に入ってきた。


「久しぶりね・・・」

「イチカはこの町の出身なの?」


 イチカの独り言に反応してテオニタスが声をかけてくる。


「ううん、私はこの先にある大きくて深い森の中で暮らしてたの。」

「へえ、そうなんだ!森の中の美少女、いいね。」

「そんなんじゃないよ。ただの野生児。」

「あはは!それもいいね!」

「・・・うん。」


 そんなふざけたやりとりをしていても、ただシオンの時とは違うと思い知らされるだけで、決して心が浮き立つような楽しさは感じられなかった。


(同じようにふざけ合ってるだけなのに、どうしてこんなに違うのかしら・・・)


 そこからまたしばらく馬車は前に進み、見慣れた町の中へと入っていく。そしてその間にもイチカは自分の心と向き合い続けていた。


 今の自分の年齢に引っ張られて心までも幼くなってきている気がする。そして翔太への想いを貫くためと彼を突き放しておきながら、彼が自分から離れたらこんなに振り回されている。寂しく思ってしまう。そんな自分の幼さと弱さにとことん落ち込み、イチカは窓の縁に顔を伏せた。


(そう、本来なら私は彼より二十歳も年上なのよ?この機会にもう一度自分を取り戻さないと!)


 年上だと言うことを免罪符にして心の中を占領し始めていた彼を少しずつ追い出していく。それが今イチカにできる最善のことだと思い込み、手始めに彼に貰ったあの手袋をリュックの奥にしまい込んだ。



「さあ、降りてくれ。ここが目的地のザインだ。とりあえず一旦荷物を商会本部に置いて宿を取ろう。」


 シオンが先に馬車を降り、他の三人に声をかけた。


「俺はたいした荷物も無いし、一人でこの辺りで探してみるよ。イチカ、いいところがあったらイチカの部屋も押さえとくけど。」


 先に降りたテオニタスがその声に答え、イチカにも助け舟を出してくれる。イチカは重いリュックを背負いながら「お願いするわ」と返事をして、イチカも降りようとドア付近に手を掛けた。


「イチカ、気をつけて降りろよ。」


 目の前にいたシオンがそれだけ言ってすぐにそこを離れていく。


 その胸に、イチカがプレゼントしたあのペンダントは、もう無かった。


 イチカは胸の奥がキリキリと締め付けられるような痛みを覚え、コートの胸元をぎゅっと握りしめた。


(いつもならきっと、手を貸してくれてた・・・それに、ペンダントも外してしまったのね)


「うん。」


 もう届かないその声は、強い風にあっという間にかき消されていく。


(シオンの後ろ姿がこんなにも遠く感じる日が来るとは思いもしなかったな・・・)


 イチカはその気持ちを振り切ろうとリュックをしっかり背負い直し、一気に馬車から飛び降りた。




 テオニタスは宿を探しに行き、イチカはエリアスとシオンと共にグリーズ商会の本部に久々に足を踏み入れた。


「シオンさん!?帰ってきてくれたんですね!!」


 そこに見覚えのある女性が現れ、シオンに飛び付かんばかりに近寄ってきた。その女性の姿をまじまじと観察し、イチカがこの町を出発しようとしていた日にシオンの腕を掴んでいたあの女性だ、と思い出す。イチカの胸の中にチクリと微かな痛みが走った。


「ミシェル、ただいま。何か報告ある?」

シオンが帰ってきたことに喜びを隠せない彼女とは対照的に、シオンは至って事務的に対応していく。

「いえ、ほとんどのことはレオンさんが対応してくれましたから大丈夫です。でもよかった、シオンさんがいないとなんか不安で・・・しばらくこっちにいるんですよね?」

「ああ、その予定。レオンいる?ちょっと話があるんだけど。」

「はい、奥の部屋にいます。」

「ありがとう。・・・エリアスさん、一緒に来ていただいて宜しいですか?」


 シオンが振り返りエリアスだけを呼ぶ。


「あ、はい、ですがあの、イチカさんは・・・」

「イチカは待合室で待っててくれ。」

「・・・うん。」


 ほとんど目も合わさないままこちらも事務的に指示をされたイチカは、自分でも驚くほど落ち込みながら待合室のベンチに座り込んだ。


「イチカ?」


 その声に気づきゆっくりと上を向くと、上から見下ろしているテオニタスの心配そうな目と視線が合った。


「どうした?シオンと何かあったのか?」

「ううん、何でもない。」

「そんな泣きそうな顔して何でもないわけないだろう?」

「大丈夫。これは私が望んだことだから。」

「・・・イチカ。」


 テオニタスが横に座る。


「じゃあ俺と行こうよ。」

「え?」


 イチカは言っている意味がわからず、ぼーっとしながら彼を見つめる。


「一ヶ月なんて約束関係ないよ。だって俺が君を落としたらそこで終わりなんだから。あんな根性のない奴見捨てて、俺と一緒に今すぐ逃げてみない?」

「バカなこと言わないで!」

「本気だって。イチカをこんなに悲しませてることにも気づかないアホは放っておけばいいさ。おおかた、俺とイチカが朝楽しく話してたのが気に入らなくて拗ねてるんだろ。自分が傷つかないように好きな人から逃げるような臆病者、はなから俺の敵じゃないよ。」

「ちょっとテオ、声が大きいよ!!あ・・・」


 話しながらどんどん声が大きくなるテオニタスを諌めようとイチカが彼の方に目を向けた時、その視線の先にシオンの姿があった。テオニタスはそれに気づいているようではあったが、イチカを見つめたまま話し続ける。


「いいんだ、わざとあいつに聞こえるように言ったんだから。俺、敵前逃亡するような軟弱な男と君を取り合うつもりはないんで。まだたいした日数も経ってないのにあいつが君から逃げるつもりなら、俺はすぐにでも君を連れて逃げるから。ああ、だけどごめん、宿は一部屋しか取れなかったから今日だけは別の場所を探して!」


 テオニタスは言いたいだけ言った後、シオンをチラッと見てから待合室を出ていった。



「イチカ。」


 シオンが無表情でイチカの前に立つ。イチカは声も出せず、顔を下に向けたまま固まっていた。


「今話せる?」

「・・・うん。」

「じゃあ、ちょっと移動しよう。」


 イチカはゆっくりと立ち上がり、シオンの後について待合室を出て廊下を歩く。そして見覚えのある小さな会議室に通されて、俯いていた顔を上げた。


「この部屋って・・・」


 イチカより後に部屋に入った彼が、焦茶色のドアを静かに閉める。


「そう、再会した時にお前と話をした部屋。」

「やっぱりそうだよね。」

「イチカ、俺、お前をそんなに悲しませてた?」


 イチカは振り向けない。頷くことも首を振ることもできない。


「そうだったらいいな、って心のどこかで思ってる俺がいるんだけど、それって最低かな。」

「・・・」


 シオンがイチカの背中に近づく。


「こっちを向いてよ、イチカ。」

「いや。」

「イチカの顔が見たい。」

「私は見せたくない。」

「イチカ、本当は俺に離れて欲しくないんじゃない?」

「そんなこと・・・」

「だとしたら、それはなんで?」


 シオンの言葉の一つ一つが、小さな棘のように胸に刺さる。


「そんな風に追い詰めないでよ!」

「言ったろ?時々追い詰めたくなるんだよ、お前を。」


 その声は最初からずっと冷静なままだ。


「酷いよ。」

「お前だって酷いだろ?」

「・・・まあ、そうだけど。」


 シオンの熱を背中に感じる。


「言えよ、側にいて欲しいって。」

「シオン!?」


 イチカは思わず振り返ってしまい、その余裕の表情を見て再び目を逸らす。


「顔が見えた。イチカの顔。可愛い。」

「ちょっと!?恥ずかしいことさらっと言わないで!!」

「本当のことを言っただけだろ。なあイチカ、たった半日で、もう降参?」


 イチカはこの瞬間、シオンの策略に嵌められていたことにようやく気づいた。


「シオン、それって、もしかして・・・」

「これでわかっただろ?『諦めないから』って言った意味。」


 今まで見てきたどのシオンとも違う、イチカと出会う前の彼がそこにいた。必要とあれば周りを上手に利用し、赤子の手を捻るように人心を掌握してきた彼の手腕が自分にも振るわれたことを悟り、イチカは彼の本気の想いに体が震えた。


「イチカ、俺がお前から離れるわけないだろ?でも、これまでのように振り回されるばかりじゃお前を手に入れられないってわかったんだ。だから俺の全力でお前の心を手に入れてみせる。多少狡くても、以前の俺を引っ張り出してでも。イチカ、俺の本気がわかったなら、もう絶対に、俺以外を見るなよ。」

「シオン・・・」


 この時イチカはようやく、シオンの笑顔を見ることができた。だがその不敵な笑みは、『もう遠慮も容赦もしない』という彼の気持ちを明確に映しだしていて、すでに自分が彼に逃げ場のないところまで追い込まれてしまったことをイチカに思い知らせるものでしかなかった。


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