86. テオニタスの秘密②
「はあー、美味しかった・・・最高のローストチキン、香り豊かなコンソメスープ、そしてあの絶品のパン・・・」
「今日はさすがに食べ過ぎじゃないのか?」
イチカがうっとりしながら夕食の余韻を楽しんでいると、シオンが呆れたような声で水を差す。だが美味しかった食事で心が満たされているせいか、イチカは珍しく腹も立てずに余裕の笑みで返事をした。
「いいのいいの。今は私のお腹がぽっこりしたからって気にする人も触って確かめる人もいないんだから!」
「前はいたのか・・・俺も触りたい。」
「こら、シオン!?」
その時、ふざけながら宿に向かっている二人の前を見知った影が通り過ぎ、二人は驚いて立ち止まった。
「あれ?」
「今の・・・テオ?」
すぐに人混みに紛れて見えなくなってしまったが、見慣れたその横顔は間違いなくテオニタスのものだった。
「イチカ、どうする?」
「尾けるに決まってるでしょ?」
「だよなあ。まあ仕方ない、行くか!」
「うん!」
そうして彼の気配を追いながら夜の町を突き進んでいくと、次第に人気の無い場所に入っていく。
「イチカ、あんまり雰囲気の良くない場所だ。離れるなよ。」
「わかった。」
そこは暗いだけではなく、全体的にうす汚れているという印象を受ける場所だった。ぐったりとした様子で座り込んでいるボロボロの服を纏った人、明らかに犯罪者らしき人相の悪い人などとすれ違う。さらに、細くなっていくその道にはゴミにしか見えないような物がたくさん転がっていて、先に進むにつれより歩きにくくなっていった。
「テオはこんな所に何の用があるのかしら?」
「さあな。まあでも碌な用事じゃないのは確かだな。」
イチカは歩きながら小さく頷き、そしてシオンの顔を見上げる。
「・・・ねえ、関係ない話だけど、やっとこういう場所にも私を連れてきてくれるようになったのね。」
シオンは少しだけ眉を顰めてイチカを見た。
「本音は嫌だよ。でももう俺、イチカと離れたくないから。」
「う、うん。」
よく聞くその言葉なのになぜか今日は心に沁み入り、頬がほんのりと熱を帯びる。
「何だよ、今さら照れてるのか?」
「照れてません!」
「強がっちゃって!」
「うるさいな!ほら、あの角を曲がったみたいだよ!」
「・・・」
二人がテオニタスが曲がった角までたどり着くと、シオンが先に奥の様子を窺う。
「イチカ、これ以上二人で進むのは厳しい。俺は剣も持ってないし、イチカをここに置いて先には進めない。今回は諦めて一度宿に戻ろう。」
「そうね、仕方ないわよね。」
「やけに素直だな。」
「シオンに迷惑かけたくないもの。」
「イチカ・・・なあ、こっそり抱きしめていい?」
「ダメよ。」
「はああ。」
完全に落ち込んでしまったシオンの服を引っ張って、イチカは元来た道をずるずると戻っていく。数分歩いて最初にテオニタスを見かけた明るく広い道に出ると、二人はそのまま宿に戻った。
イチカは部屋に戻り翌日の準備を整えると、喉の渇きを覚えてロビーまでおりていく。すると階段の途中でテオニタスにばったり出会った。
「ああ、イチカ、今からどこか行くのかい?」
「テオ!ううん、お水か何か貰おうと思っておりてきただけだよ。テオは結局外で食べたの?」
外で見かけたことはあえて言わずに、さりげなく質問してみる。
「うん、なんか隣の店だと食べたいものがなくてさ。」
その時、きゅるるるる・・・という音が小さく耳に入る。テオニタスのお腹が鳴る音だとわかり、イチカは思わず笑いがこぼれてしまう。
「あ」
「・・・うふふ、ふふふふふ!テオって案外お茶目さんだよね!」
「あー、参ったなー。」
「もっと飄々としてる人かと思ってたけど、そうじゃなくて安心した。ねえ、私が朝食用に買っておいたパンがあるけど、食べる?」
イチカが微笑みながらそう言うと、決まりが悪そうな顔でテオニタスが頷いた。イチカはおりてきた階段を上がっていく。
「ここで待ってて!今持ってくる!」
そのまま階段を駆け上がって部屋に入り、パンの入った袋を持ってドアを開けると、目の前にテオニタスが立っていた。
「わ!びっくりした!ってえ!?」
テオニタスはそのままイチカごとドアを押して部屋の中に入ってくる。そして彼はドアを閉めた。その表情はこれまで見たどの表情とも違う、様々な感情が入り混じった複雑な顔をしていた。
「イチカ。もしかして外で俺を見た?」
「え、っと、あはは、ごめん、つい気になって・・・」
「尾けてたんだ。そっか。」
テオニタスは特に気にする素振りも見せず、口元に微かに笑みを浮かべた。
「ごめんね、でも何をしてたかは見てないよ。嫌な思いさせちゃったかな?」
「うーん、許してあげるけど、代わりにお願いがある。」
「何?」
「イチカ、俺のものになってよ。」
イチカは一瞬息を呑み、そしてはっきりと意思を伝える。
「・・・それは断ったよね?」
「うん。でも俺は諦めてない。」
「どんなに言われても無理なものは無理なの。」
「じゃあ力づくで俺のものにしていい?」
テオニタスが一気に距離を詰める。
「いいわけないでしょ!?何考えてるの!?」
イチカは素早く後ろにさがった。
「イチカは俺にとってもう特別な人だよ。愛してるって言うのも嘘なんかじゃない。軽く見られがちだからふざけてるように思ってるのかもしれないけど、俺、本気だから。」
「テオ・・・」
イチカは彼の瞳が見せる真実に、この時初めてしっかりと向き合った気がした。少しだけ心臓の音が速まる。
「そんなに俺の秘密を暴きたいならイチカのことも教えてよ。秘密だらけのイチカのこと、俺ももっと知りたい。シオンみたいに。」
「言えないことが多いのよ。」
「だろうね。でも俺がこんなに知りたいと思うのは君だけ。ドキドキさせられるのも君だけ。唇を奪いたいのも・・・」
イチカは警戒して椅子が盾になるような位置まで逃げる。だがその椅子を無理やりどかして、テオニタスはイチカの目の前に立った。
「イチカだけだよ。ねえ、俺に君をちょうだい?」
溢れ出る色気に圧倒されながらも、イチカはもう一度だけ今度はドアの方に逃げる。
「私に触らない約束でしょ!?約束を破るならもうあなたには会わない!」
彼は微笑みながら奪い取った椅子に座り、足を組む。その姿もまた様になっていてイチカはつい見惚れてしまった。
(いやいや、見惚れている場合じゃ無いって!)
「じゃあイチカが俺に触れたくて堪らなくなるように俺は頑張るしかないね。」
「何度言われても私の意志は変わりません!早くパンを持って部屋に戻って!!」
にっこりと微笑んだ彼はおもむろに椅子から立ち上がり、警戒しているイチカの手からパンの袋を受け取ってからドアを開けた。
「はーい!仕方ないから今日のところはイチカの言うことを聞いて部屋に戻るよ。パンありがと。おやすみイチカ、愛してる。」
「・・・おやすみ。」
目の前でドアが静かに閉まり、イチカはすぐに鍵をかけた。胸に手を当てて深呼吸をしながら、彼の真剣な瞳を思い出す。
「はあ、どう断ったら諦めるんだろう?」
イチカのその嘆きは誰にも届くことなく、イチカは軽い頭痛を感じながら着替えを済ませてベッドに入った。
翌朝はよく晴れてはいたものの、朝から冷たい風が強く吹いていた。外に買い出しに出たイチカは、コートを抱きしめるように体を縮めて歩き、朝食用のパンと飲み物を買って部屋に戻る。
「おはよう、イチカ。」
「あ、お、おはよう。」
テオニタスと再び階段の踊り場で出会い、昨日の言葉を思い出してイチカはつい目を逸らしてしまった。
「可愛い・・・そんなに意識してくれたんだ、俺のこと。」
「違います!ちょっと昨日のことを思い出して、どう接したらいいか一瞬わからなくなっちゃっただけ!」
「ふうん。強がるイチカも可愛いな。早く俺のものになってね、イチカ?」
イチカは軽くテオニタスを睨み、その言葉には返事をしないまま彼の横をスルッと抜けて部屋に駆け込んだ。
「イチカ、可愛い・・・」
テオニタスはその後ろ姿を目で追いながら、小さくそう呟いてから階段をおりていった。
そしてその光景を、気配を消したシオンが二人の死角から目撃していた。
「何だよ、今の二人のやりとり・・・」
青ざめた顔のシオンは、ロビーに向かおうとしていた足を止め、テオニタスがいなくなったのを確認するとすぐにイチカの部屋へ直行した。
ドンドンドンドン!という強いノックの音に驚いてイチカがドアを開けると、シオンが明らかに怒った表情でそこに立っていた。
(あれ、この感じ、もしかしてさっきの話聞いてた!?)
「イチカ、俺が言いたいこと、わかるよね?」
「えっと、わかるようなわかりたくないような・・・」
悪いことをしたわけでもないのに何故か目が泳いでしまう。
「俺が近くにいたのに、気配に気付かないくらいあいつの言葉に動揺してたわけだ。」
「・・・」
痛いところを突かれてイチカは何も言えなくなる。
「なんであいつの言葉に狼狽えちゃってるの?どうして俺だけを見てくれないの?イチカは・・・どうしてそうフラフラするんだ・・・」
イチカはその言葉に反応して顔を上げる。
「シオン?フラフラなんてしてないってば!ねえそんな風に思い詰めないで。私達はそういう関係じゃないし、シオンが私にそういうことを言ってくるのは本当に困るよ。それに私はシオンのそんな顔、見たくないの!」
シオンはドアの中には入らない。そしてその顔はもう怒りではなく、ただの嫉妬と切なさが入り混じった表情に変わっていた。
「俺、どんな顔してる?」
「・・・言いたくない。」
二人の間になんとも言えない空気が流れる。そしてシオンが決意を固めたように真剣な表情で口を開いた。
「わかった。しばらく俺、イチカとは距離を置くよ。」
それは、イチカの予想を遥かに超えた言葉だった。
「え・・・」
ショックのあまり二の句がつげず、ただシオンを見上げることしかできない。
「このままだと俺、お前に詰め寄って何を言ってしまうかわからない。俺達は確かにそういう関係じゃないけど、少しは心が通じ合ってる気がしてたから。」
「シオン?」
シオンは少しだけ後ろにさがる。
「こんな風にお前のことで不安になってばかりいる自分が苦しいんだ。俺だけがずっと苦しいのは辛い。だから、少しイチカから離れてみたい。もちろん相棒として友達としてそれなりに近くには居るし何かあったら助ける。でも、昨日みたいに楽しい時間ばかりじゃなく、今日みたいなことがあると俺は・・・約束を破るかもしれないから。だからお前から離れるよ。」
「・・・」
イチカは彼の苦しい気持ちを絞り出すような言葉に、もう何も言えなくなってしまった。
(そうだ、それが私が彼に望んでいたことじゃない。何度も彼にお願いしていたのはむしろ私でしょ?どうしてショックを受ける必要があるの?)
「イチカ、今日はあと一時間したら出発する。宿の前で待ち合わせしよう。じゃあ。」
考え込んでしまったイチカの返事を待たずに、シオンはドアを閉め去っていく。
そんなシオンを追いかけることも縋ることもできず、イチカはただ押し潰されそうな気持ちの中で、ドアに寄りかかるようにして立っていることしかできなかった。




