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82. 聖人エリアス

 お茶を飲んで体が温まった頃、イチカはふと、窓の外からシュルシュルシュル、という微かな音が聞こえてきていることに気づいた。慌てて窓に近寄り外を見るが、暗くてほとんど何も見えない。仕方なくランタンを手にして外に出ようとしてシオンに止められた。


「イチカ、一人で行くな!一緒に行こう。」

「俺も行く。」


 シオンとテオニタスも椅子から立ち上がり、三人でランタンや蝋燭を持って外に向かった。


 すると仄かな光に照らされたそこには、黒々とした太い蔦のようなものがゆっくりと地面から伸びていく恐ろしい光景が広がっていた。蔦の太さは人の腕や足の太さほどもあり、じわじわと蠢き広がる様子を見て、イチカはハッと何かに気づいた。


「シオン、これってもしかして・・・」

「ああ。アレと同じ種類の何かだな。」

「アレって何だい?」


 テオニタスには悪いが今は何も答えられない。イチカは例の言葉をここで言うべきかどうか迷い、その間にシオンが剣で植物を切り裂いていく。


 だがやはりあの洞窟で見た黒い何かのように、切ってもまた別の場所から地面を這って広がっていき、シオンの攻撃は全く効果が無いことがわかっただけだった。


(テオニタスがいる前であの言葉は言えない、でも・・・)


 イチカが再び迷い始めたその時、辺りにうっすらとした青白い光が突如として現れた。その光は弱々しく儚げだったが、黒く蠢く植物にはそれなりに効果があったようで、シオンが切り裂いた後はもう新たに出てくることはなくなっていった。


 そうして見える範囲の黒い植物は全ていなくなり、イチカはようやく大事なことに気がついて大きな声を上げた。


「ねえこの光って、もしかしてあの人がいるんじゃ!?」

「そうか、今のは彼が・・・!!」

「・・・?」


 イチカとシオンが二人だけで納得し驚いている様子を見て、テオニタスは怪訝な表情を浮かべている。


 イチカは一瞬だけ悩んだが、一か八か、例の彼を見つけるために魔女の秘術を使うことを決断した。



「私の中の光・・・お日様のような・・・光。」


 イチカは目を閉じてあの日のシオンの言葉を思い出す。



 『イチカの中にあるのは、お日様みたいな光、かな。』


 『暖かくて、いつもそこにあって、時々見えなくなるけど必ず戻ってきてくれる光。』


 『俺はその光に惹きつけられて、もうどうしても離れられないんだ、イチカ。』



 切なくて嬉しくて、思わず涙を流してしまったあの瞬間の気持ちが、イチカの心に一気に蘇る。


 そしてその瞬間、胸の辺りからあの時と同じ、太陽のような暖かく柔らかな光の球が生まれていった。


「イチカ!?」

「すごい・・・何これ?」


 二人の驚く声をぼんやりと聞きながら、イチカは光を上に押し上げるように力を送り込み、高く上がっていくその光を頼りに辺りを見渡して彼を探した。


「シオン!!あの大きな木のところ!!」

「了解!」


 シオンはすぐにその人物を発見し、驚異的な速さで走って近づき、無事彼を捕まえることができた。


「ヒュー!足が速いんだな!!」

テオニタスは感嘆の声をあげる。

「はあ、もう限界!」

イチカが力を入れていた手をおろすと、上に留まっていた光はスーッと弱まって消えていった。


 そしてシオンがフードを被った男性と一緒に、笑顔でイチカのところに戻ってきた。


「イチカ、お手柄!」

「シオンもね!」


 二人はハイタッチをしようとして、テオニタスの視線に気づき、慌ててそれを止めた。


「イチカ、こちらが探していた彼、エリアスさんだ。」

「・・・どうも、初めまして、エリアスと言います。いやまさかシオンさんだったとは。驚きました。」


 全く驚いていないように感じるほど淡々とした話し方のこの男性こそ、シオンが長期に渡り探していたあの聖人の力を持つ男性、エリアスだった。


「ねえ、これって俺にもどういうことか説明してもらえるのかな?」

テオニタスが遠慮がちに二人に問いかける。

「ダメだ。」

「ダメなの。」

イチカとシオンの声が揃い、テオニタスは目を丸くする。

「・・・そっか。じゃあ俺部屋に戻るよ。説明できそうなことがあったら明日の朝教えてくれ。」


 そう言ってテオニタスは機嫌を損ねることもなく、微かに笑顔を浮かべて手を振り、自分の部屋に戻っていった。




 そしてイチカ達はリビングに戻り、三人での話し合いの場を持つことになった。


「エリアスさん、まず自己紹介をさせてください。私はイチカと言います。・・・私もたぶん、聖人と呼ばれる一人だと思います。」


 エリアスはゆっくりとイチカの方に目を向け、一呼吸置いてから話し始めた。


「そうなんですか。まさかこうして再び他の聖人に会える日が来るとは思ってもみませんでした。」

 

 そう言って彼はおもむろにフードを外し、その美しい青白く光る銀の髪をイチカに見せてくれた。


(懐かしい、この色・・・)


「ですがあなたの髪の色は違うようですね。もしかして死の淵から帰られた方ですか?」

イチカは首を振る。

「いえ。私は魔女の術と組み合わせて髪の色を変えているんです。」

エリアスはまさかというように口を開き、驚いた表情を見せた。

「・・・そんな方法があるのですね。」

「ええ。私でよければ、術をおかけします。」


 エリアスは椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、イチカの手を握った。


「ぜひ、お願いします!!」


 シオンがため息をつきながら立ち上がり、丁寧にその手を外していく。


「それはまた後で相談しましょう。それよりもエリアスさん。あなたへの手紙をお預かりしていますよ。」


 そう言ってシオンがリュックの中から一通の手紙を取り出した。それはかなり高級そうな封筒に入れられ、明らかに庶民が用意したものでは無いことが一目でわかるものだった。


 エリアスも同じことを思ったのか、誰からの手紙なのかすぐに理解したようだった。その表情は苦痛に歪み、手紙を開くことを躊躇していた。


 イチカはスッと立ち上がり、シオンに目配せをして部屋を出る。きっと彼はその手紙を一人で読みたいのだろうと思ったからだ。



 廊下に出て二、三分が経った頃、シオンが何かを決意したかのようにイチカに近づき、小さな声で話しかけてきた。


「なあイチカ、さっきの光、あれってもしかして俺が前に・・・」


 イチカは廊下に出る前から、その質問がくることを密かに恐れていた。あの光を見てシオンもあの日のことを思い出してしまうかもしれないと。


「少し、参考にしただけよ。」

「へえ、覚えててくれたんだ。」


 イチカは手持ちの小さな蝋燭ランタンしかない仄暗い廊下で、顔が赤くなっていることを気づかせないように少し下を向いていた。


「あの言葉は、嬉しかったから。」

「イチカ・・・」


 シオンが手を伸ばす。だが頬に触れようとしたその手は、宙に浮いたまま行き場をなくした。イチカはその手に気づかないふりをしながら、いつもの調子でシオンに声をかける。


「もうお手紙読み終わったかな?そろそろ部屋に戻る?」


 そう言って先に戻ろうとしたイチカの前に、彼女に触れられず彷徨っていたシオンの手が伸びる。壁に手をつくようにして腕で進路を遮られ、イチカは驚いて顔を上げた。


「何?どうしたの?」

「イチカ、もしかしてもう俺のことで頭がいっぱいなのか?」

「え・・・?」

「だってほら、顔が赤い。」


 シオンは体には触れないまま、イチカを囲うようにして近づいてくる。イチカはすぐ側から伝わる彼の熱を感じながら、目を泳がせていた。


「そんなんじゃない。というかこんな暗がりじゃわからないでしょ!」

「動揺してるくせに。ま、一ヶ月後が楽しみだな。」

「・・・ばか。」


 シオンが微かに笑っているのが気配で伝わる。数センチしか離れていない彼の気配を身体中で感じながら、イチカはどうにもならない自分の気持ちに必死に抗っていた。


 何とかシオンの囲いをくぐってリビングに戻ると、エリアスは開封した手紙を膝の上に置き、呆然と、ただ空を見つめて座っていた。その表情は暗くそして切なく、手紙の主を想っていることがイチカにも伝わってくる。


「エリアスさん。こんな時に申し訳ないが、少し今後のことを話させてほしい。」


 後から部屋に入ってきたシオンが、落ち着いた声でエリアスに語りかけた。彼はゆっくりと顔を上げ、そして頷いた。


「ええ。大丈夫です。お願いします。」


 シオンはイチカに椅子を勧め、自分も手近な椅子を持ってエリアスの近くに座った。


「まず、明日はイチカの術をかけてもらって髪の色を変えましょう。フードは逆に怪しまれるので外してしまった方がいい。それと私はザインの町に一旦戻る予定です。あそこであれば仲間もいる。ある程度はあなたを保護することも可能です。もちろん状況が許さなくなればまた対策を考えますが、一度私達と一緒にそちらに移動してみてはどうですか?」


 エリアスは真剣にその提案について考えていた。これまで幽閉されることを恐れて逃げ回っていた彼が、そう簡単に「はい」と言えるはずもないだろうな、とイチカは思う。


「少し・・・考えさせてください。どうしても人混みは怖いので。」

「わかりました。それともう一つ、これはお願いなのですが、あなたの知っている聖人としての知識を、彼女に教えてもらうことはできませんか?」

「シオン!?」


 イチカはシオンの言葉に驚いて声をあげる。


「構いませんよ。私も以前たまたまお会いした聖人の力を持つ男性から教わったことしか知りませんが、そんなことでよければ、ぜひ。」

「ありがとうございます!」


 エリアスが優しく微笑んでくれたのを見て、イチカも何となく安心した気持ちになっていった。


(確かに何かあった時のために、聖人としての力も使えた方がいいわよね)


 シオンは、何かを決意し頷くイチカの様子を目を細めて見つめた後、再びエリアスに向かって話し始めた。


「それから先ほどのあの植物に関しては、もうあれで出現することは無さそうですか?」

エリアスはシオンの言葉に少し神妙な顔つきになる。

「どうでしょうか。私は穢れを払う力が弱いので、強い力を持つ者にもう一度力を振るってもらった方が確実かとは思います。」


 イチカは少し悩んでから口を開いた。


「それなら、あなたの手紙で教えてもらった方法で、私がやってみます。」

「ああ、洞窟のあの手紙を読まれたのですか?」

「はい。」

「そうですか。つまり本当にあなたは聖人だということですね。」

「ええ、そうみたいです。」


 シオンは二人のやりとりを見守りながら、黙って座っている。イチカはそんな彼の目を見て立ち上がった。


「私、やってみるよ。シオン、テオがあれを見ないように何か対策してくれる?」

「・・・ああ。任せろ。」


 そう言ってニヤリと笑った彼は、すぐに部屋を出ていった。


「エリアスさん、この間の文言を言えばいいんですよね?」

「ええ。ですが言葉はある程度その意味を成していれば何でも構いませんよ。あなたが心の底から望むことを言葉にすればいい。聖人の力に言葉が必要なのは、より神の力を引き出しやすくなるからです。黙ったままの祈りでも弱い力は引き出せますが、声に出すと確実に力となって現れます。」


 イチカは頷いて窓の外を見る。そしてシオンがリビングに戻ってきた。


「イチカ、大丈夫。」

「ありがとう。じゃあやってみるね。」


 そしてイチカは今度は一人で、その暗闇の広がる外の世界へと足を踏み入れていった。


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