72. 魔女とテオニタスと爆破事件
イチカは翌日から、生活のために薬作りを再開することにした。売る場所は今のところ全く思いつかなかったが、いざという時のためにもあって困るものではない。エレノアのところで薬草を粉末にしたものはかなり準備してあったので、まずは手持ちのそれらを使って作れるだけ薬を調合しておこうと動き出す。
スペースの無い部屋の中でできることは限られてしまうので、一応セイナさんに許可を取り、他の人の邪魔をしない限りはキッチンの空いている場所を使えることとなった。
「あら、あなた新入りさん?」
その日の午後、イチカがキッチンで早速薬の調合を始めていると、どうやらもう一人の入居者である女性らしき人が、イチカに声をかけてきた。
「はい、よろしくお願いします!」
元気にそう挨拶をすると、彼女は少し面倒そうに手を振ってはーいと返す。気怠い感じの美人な女性だったが、特に害もなさそうだったのでほっとしていた。
もしかしてキッチンを使うのかしらと彼女の様子を気にかけていると、ふいにドアが開いてテオニタスも入ってきた。入居者全員が図らずも勢揃いし、イチカは少し緊張してしまう。
「テオニタスさん!こんにちは!!」
するとその女性が飛び付かんばかりにテオニタスに近寄り、先ほどの気怠そうな様子など嘘のように、元気な笑顔で挨拶を交わしていた。
「ああ、リュイさん、どうも。」
テオニタスは昨日イチカと会ったばかりの時のように、少し警戒した目つきで彼女を見る。そんな彼の様子に全く気づかないのか、リュイと呼ばれたその女性は嬉しそうに彼を見つめていた。
(あら、若い二人のロマンスがここで・・・)
久しぶりに昔のイチカが顔を出す。ついにやけそうになって、ゴホンと軽い咳払いをしてそれを誤魔化した。そしてその咳払いで気づいたかのようにテオニタスがイチカの側にやってくる。
「あれ、イチカさん、何やってるの?」
テオニタスはリュイへの態度とは全く違い、気さくな感じでイチカに声をかけてきた。
(それは気まずい!気まずいよテオニタスさん!)
イチカは焦って微妙な表情になっていたが、彼は気にせずイチカの手元を覗き込んだ。
「え?もしかしてイチカさんて魔女なの?」
「あはは、まあ、そんな感じです・・・」
早くテオニタスがどこかへ行ってくれないかなと思いながらリュイを見ると、明らかに嫉妬のこもった目でこちらを睨んでいた。
「あの、ここをお使いになるようでしたら私は失礼します!お邪魔しました!!」
イチカはそれ以上揉めごとの種を作りたくなくて、慌てて片付けを済ませると彼らの返事を待たずに部屋に戻った。
数分後、イチカが薬や道具を整理していると、軽快なノックの音が部屋に響いた。急いでドアを開けるとそこには、微かに笑みを浮かべたテオニタスが立っていた。
「イチカさん。変な気を回したでしょ、さっき。」
前置き無し、直球の問いかけに、イチカは焦ってブンブンと首を横に振った。だがえくぼを浮かべた悪戯っぽい笑みで、
「あの人にはもう何度もデートに誘われて何度も断ってるから気にしないでいいよ。」
と言われてしまい、イチカはあっさりと白旗を揚げた。
「はあ。ああいうのに巻き込まれると面倒だと思ってしまってつい・・・すみません。」
テオニタスはその言葉を聞くと面白そうに笑いながら、イチカの顔をじっと見つめた。
「あはは、面倒か、確かにそうかも。ねえイチカさん、今日飲みに行かない?俺が奢るよ。昨日のお礼。」
「え?昨日は私の方がお世話になったのに・・・」
イチカが遠慮するようにそう言うと、テオニタスは軽くウインクをしてドアに寄りかかって言った。
「じゃあそれが俺へのお礼ってことで、今夜付き合ってよ。大丈夫、店はすぐ近くだから。暗くなってもこの辺りは結構工房から灯りが漏れてて明るいし。ね?」
イチカはウインクなんて久しぶりに見たなあと思いながら、その自然な表情と誘い文句にのせられて、むしろちょっと今夜もお酒が飲めるかもとの期待もあって、ついつい頷いてしまった。
「良かった!じゃあ、後で誘いに来る。またね!」
彼はそう言うと静かにドアを閉め、去っていく。
「はあ、なんだかよくわからないけど、お酒を飲めるのは嬉しいし、まあいいか!」
イチカは特に深く考えもせず、夜の楽しみに向けて頑張ろうと張り切って準備をする。小さなテーブルの上でできる範囲にはなってしまったが、お楽しみの時間までいそいそと薬作りを進めていった。
夕方になりだいぶ日が落ちてきた頃、約束通りテオニタスがイチカの部屋に迎えにやってきた。イチカは少しだけウキウキしながら外に出る。
「イチカさん、ワイン好きでしょ。今日行く店色々置いてあるから楽しみにしてて。」
「え!本当ですか?やった・・・って喜びすぎですね、すみません・・・。」
「あはは!別にいいんじゃない?ま、美味しく食べて飲んで、喧嘩した嫌な気持ちを吹き飛ばしてよ。」
イチカはその言葉に苦笑しながらも、テオニタスが自分のことを気にかけてくれていたことをありがたいなと感じていた。
その夜は飲み過ぎない程度にワインを嗜み、美味しいチーズやちょっとしたつまみになるようなものを頼んで、ささやかな飲み会を全力で楽しんだ。
話しやすくて人当たりの良い彼は、イチカの事情に深く首を突っ込むこともなく、当たり障りのない楽しい話でゆったりとした時間を過ごさせてくれた。
イチカは久しぶりにこうして気のおけない友人のように話せる相手と飲むことができて、ああ、今の自分にはこういう時間が必要だったんだなあ、と軽く酔った頭で考える。
夜も更けてそろそろ帰ろうかと二人で話し、お金を出し合って気持ちよく店の外に出た。ほろ酔いになったイチカだったが、割合しっかりとした足取りで下宿先に向かって歩きだす。
「イチカさん、今日は楽しかった。また飲もうよ。」
「そうですね。私も楽しかったです。おっと!」
目の前にあった段差に気づかずイチカがよろめいた、その時。
ドーーーーーン!!
という物凄い音と爆風が突然二人を襲い、一、二メートルほど吹き飛ばされた。
イチカはテオニタスを庇うようにして倒れ、飛んできた建物のかけらや埃にまみれて、髪も服も真っ白になる。
「イチカさん!?」
テオニタスは血相を変えてイチカを抱き起こし、爆風で意識を失いかけていたところをなんとか正気に戻してくれた。
「テオニタス・・・さん?ご無事で、何より・・・」
とんでもない見た目になっているんだろうなあなどと暢気に考えていると、テオニタスが今にも怒り出しそうな形相でイチカの顔を見つめていた。
「なんて人なんだ、君は・・・!」
イチカは埃が口に入って咳き込みながらも、ほぼ無傷の状態で立ち上がった。服についた埃を手でざっと払う。
「・・・大丈夫なのか!?」
「あ、はい。たぶんかすり傷程度はありますけど、中身は平気です。私優秀な魔女ですから!」
「え?」
「守りのまじないをかけた札、持ってるんです!」
そう言ってテオニタスににっこりと微笑んだ。彼は呆気に取られた表情になり、そして徐々にあのえくぼを浮かべた優しい微笑みに変わっていく。だが次の瞬間、イチカはその微笑みを見失っていた。
「え」
気がつくとイチカはテオニタスの腕の中で、ただぼんやりと見えなくなった景色と人の温もりを感じて立っていた。
「イチカさん。俺、君が好きかも。」
「はい!?」
そしてその彼の右手がイチカの髪を優しく掬いあげ、その唇で触れる。
「最初からいいなとは思ってたけど、まさか命を懸けて俺のことを助けてくれる女性だなんて・・・そんな人に俺初めて出会ったよ。ねえ、イチカさん。イチカ、って呼んでもいい?」
「いやあのえっと、それより離してもらえませんか!?」
「どうして?」
「おい!!何してるんだ!!」
その時、聞き慣れた声が、イチカの心を揺り動かす。腕が引っ張られ、冷やっとしたコートの中に閉じ込められた。
テオニタスがイチカから離れた場所に立っているのが見えて、自分が当たり前のようにシオンの腕の中にいることに気づく。久々のその場所は驚くほどに居心地がよく、そう感じてしまった自分にイチカはどんどん頭が混乱していった。
「イチカに触るな。」
その声に驚いて見上げると、これまで一度もイチカに見せたことのない冷徹な男の顔がそこにあった。人を殺しそうなほどの冷たい目には、ひと欠片も普段の彼の優しさを見つけることができなかった。
「シオン?」
「イチカに近づくな。」
「おっと、怖い人が来たね。イチカ、彼が喧嘩した仕事仲間?俺には恋人か犯罪者にしか見えないけど。」
「あの・・・」
テオニタスはうっすらと笑みを浮かべたままシオンと睨み合っていたが、ふっと目を逸らすとくるっと後ろを向いた。
「まあ今回は彼女を返すよ。でも俺はイチカのことかなり気に入っちゃったから、喧嘩なんかしていると横から掻っ攫っていくよ?」
「・・・」
「じゃあ、イチカ。またね!」
テオニタスは一度振り返ってからイチカに笑顔を残し、手を振りながら先ほどと変わらず陽気にそこを去っていく。そしてイチカは、すぐ側で怒りに震えているシオンが恐ろしくて、酔いなどすっかり吹き飛んで青ざめたまま立っていた。
彼は一旦離れると、少し屈んでイチカの目の前に立ち、真顔でその目をじっと見つめた。
「イチカ。」
「は、はい!」
「どういうこと、この状況。」
「えっと、あの、爆破事件に巻き込まれてしまったようで・・・」
「・・・怪我は?」
「うん、平気みたい。魔女の札が守ってくれたよ。」
シオンは一旦ため息をついてからギロリとイチカを睨む。
「そうか。ところで今の男、誰?」
「今住んでいる下宿先の、人・・・」
「で、どうしてまた告白されてるの。」
「いや、ちょっとそれは私にもわからないんだけど・・・」
シオンの手がイチカの頬を捕らえる。その目はもうイチカを絶対に逃さないと決意してるように見えた。触れられている頬が熱い。
「イチカ・・・もう俺、お前にもお前の旦那にも、遠慮しなくていいんだな?」
「何言ってるの!?」
「知らないふりをどこまで続けるつもり?」
「死ぬまで!!」
見たことのないほど怖い目をした彼を受け止めきれず、イチカは全力でシオンを突き飛ばし、その場を逃れた。
だが結局すぐに捕まり、後ろから抱きしめられる。
「もう離さないから。」
「うう、シオン・・・離して・・・」
「うちでじっくり、この二日間何があったか聞かせてもらうよ、イチカ?」
「・・・」
そして結局イチカはシオンに引き摺られるようにして、彼の家に連れ戻されることとなった。




