69. 秘密の奥にある秘密
魔女の修行最終日は、静かに始まった。
水汲みと水を清める術の発動を行い、顔を洗って身支度を整える。朝食を作って掃除をして、そしてもうやるべきことがなくなってしまった。
エレノアからはその日はもうそれ以降何もしなくてもいいと言われていたので、ただひたすら自分の部屋を片付けたり、掃除をしたりしてゆっくりと過ごした。
翌朝はシオンが迎えに来てくれるとのことだったので、とにかく今日はリュックに必要なものを詰め込んでいく。冬物が増えた分少し重くなり、イチカはげっそりしながら試しにリュックを背負ってみて、あまりの重さに呻いてしまった。
それでもとにかく支度は終わったので、その日は村をめいいっぱい散策しておこうとコートを羽織って外に出た。
草原にはまだ春の風は吹いてきていなかったが、春に花を咲かせる木々の膨らみ始めた小さな蕾が、その訪れを微かに伝えていた。
そしてイチカは、繰り返しあの日の夢を思い出す。
『・・・なあ一花、今、幸せ?」
あれが夢の中の自分の願望なのか、それとも彼が夢枕に立ってくれたものなのか、イチカには判断ができなかった。そしてこの世界で翔太以外の誰かと幸せになることを、どうしても受け入れられない自分がずっとここにいる。
「私、今幸せなんだよ?でも、もっとって望んでも、本当にいいのかな、しょうちゃん・・・」
答えの返ってこないその問いは、冷たく強く吹く風の中で、小さく千切れて掻き消えていってしまうような気がした。
暗い気持ちのまま村の中を歩き回り、気がつくともう日暮れが近い時間帯になっていることに気づく。そしてイチカは冷え切った体を暖めようと、急ぎ足で家に戻っていった。
日が暮れかけてきた頃に家に戻ると、リビングにはすでに灯りがついていた。カーテンが開いていたのでなんとなく気になって中を覗き、そして、イチカはあるものを目撃する。
それは、シオンがエレノアを腕の中に抱き、彼女もまた彼にしなだれかかるように寄り添っている姿だった。
「シオン、と、エレノアさん?」
イチカは全ての思考が停止した。
その場で動けなくなり、どうしてそんなにショックを受けているのかに気づきまた愕然とする。
(ああ、私こんなにもう彼のこと・・・)
それはイチカの中にずっと前からあった気持ちで、見ないように蓋をしてきた思いで、口に出したらどうにもならなくなるとわかっていた事実だった。
(エレノアさんの好きな人、シオンだったのね)
シオンの表情は見えず、その気持ちはわからなかった。だが目の前にある光景は、美しい女性とそれを嬉しそうに愛おしそうに受け止める青年の姿にしか、イチカには見えなかった。
(彼の親友として、私はこれを受け止めないといけないのね)
そしてイチカは決断する。
「一人で、行かなくちゃ。」
イチカはその日の夜遅くこっそり帰宅すると、エレノアに置き手紙をしたため、その横に洗っておいたローブを置いた。そして音を立てないようにそっと荷物を持ち、静かに頭を下げて家を出る。
坂を下り、通い続けたあの小さな森に足を踏み入れる。蝋燭を入れた小さなランタンを持ったまま、暗闇に包まれたその森を進んでいく。真っ暗な森は本当に恐ろしかったが、ふと今ならできる気がして例の秘術を試すことにした。
(お日様みたいな、光・・・?)
シオンの言葉を思い出し、心が震える。自分のことをそんな風に見ていてくれたことへの嬉しさと、彼への自分の思いが一気に湧き上がってくる。
その思いがイチカの涙となって溢れ出した、その時。
「うわっ!?」
イチカの胸の辺りから、突然小さな光が生まれ始めた。それは徐々に大きくなり、両手で抱え切れないほどの大きさになると少し浮き上がって辺りを明るく照らし始める。それはまるでそこに昼の日の光が突如現れたかのように、明るく、暖かな色の光をイチカにも森にも一気に降り注いでいく。
その眩い光は少しずつ収まり、次第に大きさも縮んで、一、二分ほど経つと何事もなかったかのようにその場から消え去ってしまった。
イチカの涙はすっかり干上がり、あまりの出来事に頭が空っぽになる。どうしてかもう泣きたい気持ちは無くなってしまい、呆然としながらもイチカはまた前へと歩き出した。
そして森を抜けようとしたその時、後ろから走ってくる気配に気づき、振り返って驚く。
「イチカ!!」
それはシオンの声だった。姿は暗くてよく見えないが、気配は確実に彼のものだった。
「嘘、なんで・・・」
急いで逃げようとしたが、あっさりと荷物を掴まれ動けなくなる。シオンの表情はよく見えないが、怒っていることだけはその雰囲気からしっかりと伝わってきた。
「夕方からずっとお前を待ってたのに帰ってこないし、あちこち探し歩いてたら物凄い光が見えて走ってきたんだ!どうして勝手に一人で出発してるんだ、イチカ!?」
「ごめん。」
「謝ってほしいんじゃない。どうしてこんな、夜逃げみたいにして俺から逃げたのかって聞いてるんだ!!」
イチカは何をどう言ったらいいのかわからず、口を閉ざした。
「イチカ!」
「シオン。私、見たの。」
「何を?」
「夕方のリビングで二人が一緒にいるところ。」
「え・・・?」
シオンの雰囲気が変わる。
「前に言ったでしょ。あなたが人生のパートナーを見つけた時は、私が離れる時だって。」
「イチカ、違うんだ!!」
「言い訳なんて私には必要ないよ?だって私達は友達なんだから。それ以上でもそれ以下でもない。友達の幸せを願うのは当然のことでしょ?」
シオンが震えているのがわかる。だがイチカは話し続けた。
「シオンが幸せならそれが一番なの。私は魔女の力を使ってこれから一人で旅を続ける。でもシオンと一緒に過ごした時間を絶対に忘れない。お別れを言わずに出発しちゃってごめんね。今まで、ありがとう。」
シオンがイチカの手首を掴んだ。
「どうしてそんなことを言うんだ。」
「今、もう全部説明したじゃない。」
「言っただろ、俺はお前からはもう離れられないって!」
「何言ってるの。大丈夫だよ。シオンのことを大切にしてくれる人はたくさんいるでしょ?」
「だけど俺が大切にしたい人は一人しかいないんだ!!」
イチカはその言葉に身動きが取れなくなる。
「イチカ。エレノアさんとはそういうんじゃない。でも言い訳できないほど彼女のことを俺は利用してた。彼女の気持ちも知った上で。俺はずっとそういう人間だったんだ。でも今日はそれを終わらせるために、あそこにいた。」
「シオン?」
彼の血の滲むようなその告白に、イチカは少しずつ冷静になっていく。
「彼女は数少ない本物の魔女だ。俺は怪我をしたりすることも多い仕事をしているし、魔女の薬は・・・効くから。それに情報源としても彼女はとてもありがたい存在だった。だから俺は彼女の気持ちを利用してその利益を得ていた。彼女も利用されてるのはわかってたと思う。それでも俺を想って協力してくれてた。」
「・・・そう。」
シオンはイチカの両手を握りしめる。
「だけど俺はお前と出会って、自分の生き方を全部ひっくり返されたんだ。目的のために冷静に、冷徹に周りの人間や状況を利用していた俺には、いつも真っ直ぐで明るくて、秘密はあっても裏がなくて、光り輝いているお前がずっと眩しかった。お前のことだけは、利用したり表の顔でそつなく付き合うなんてことはどうしてもできなかった。」
「シオン・・・」
イチカは暗闇の中で彼が泣いているのを気配で感じていた。
「イチカにだけは、俺の駄目なところも嫌なところも全部暴かれて、あれほど隠せていたはずの気配まで読み取られて、何も隠すことができないんだ。でもそれが嬉しかった。何よりも嬉しかったんだ。こんな俺の味方だって言ってくれて、一緒にいて楽しくて、そんな人は今まで一人もいなかったから。イチカだけなんだ、俺が本当に信頼できて大切なのは。だから頼む、頼むよイチカ!友達でいい。親友じゃなくてもいい。頼むから側にいてくれ!!俺の、大切な光なんだ、イチカ・・・」
縋るようなシオンのその告白は、イチカの心にあった迷いも苦しみも全て吹き飛ばしてしまうほど、心の奥底に響いていく衝撃的な言葉だった。
彼はずっと苦しんできたのだ。優秀で孤独で、人当たりが良いがそれは上辺だけ、信頼できる家族も親友もおらず、利用できるものは利用しながら必死に生きてきたのだろう。そうせざるを得なかった彼の人生を思い、イチカは涙した。
そしてそんな彼がイチカと出会い、隠しきれない自分の素の部分をさらけ出し、ようやく家族のように、親友のように思える存在と出会えたと感じてくれたのだとしたら・・・
「シオン。あなたの五つの秘密の中に、今の話は入ってるの?」
「・・・入ってない。」
「そう。じゃあ一番シオンの奥深くにあった、秘密の中の秘密を教えてくれたんだね、私に。」
シオンは少し鼻をすすった。涙は暗くて見えないが、やっぱり泣いていたのかと、イチカは少しほっこりする。
「エレノアさんにはきちんとこれまでのことを謝って。他にも利用してきたって自覚があるならその人達にこれからたくさんお返しをすればいいわ。一人でできないなら私が手伝う。」
「イチカ!!」
シオンが掴んでいた両手をグッと引っ張った。
「シオン。もうわかったから。側にいるから。だからもう泣かないで。ごめんね、勝手にいなくなろうとしてごめん。ずっと、相棒として、親友としてなら側にいるよ。ずっとシオンの味方でいる。」
「イチカ・・・ありがとう。」
そしてシオンはイチカをいつものようにしっかりと抱きしめた。彼の涙の粒がイチカの肩を少し濡らしていたけれど、それも厭わず受け止めて、彼の背中に腕を回した。
「イチカ・・・」
「なあに?」
「一瞬だけ、親友の範囲を超えさせて。」
「え?」
そう言うと彼はふいにイチカから離れ、両手でイチカの顔を優しく包む。黒い影がイチカを覆い、その頬に柔らかいものが触れて離れていった。
「な!?」
「イチカ、ずっと一緒にいような。」
それがイチカの左の頬に落とされたシオンのキスだと気づき、イチカは思わず暗闇の中で叫ぶ。
「シオン!?ちょっとこれはやりすぎでしょ!!」
「あはは!ごめんって!でも減るものじゃないしいいだろ?」
「いいわけないでしょ!?何調子に乗ってるのよ!!」
「イチカだって満更でもないくせに・・・」
「何ですって!?」
「ほら、もう行くぞ!今から宿は取れないから、町で借りてる俺の部屋でいいか。寝室は一つしかないけど、まあいいよな?」
「シオン!!」
「早くついてこいよ。リュックは背負ってやるから!」
「あ、もう!」
暗闇の中でお互いの思いをぶつけ合った二人は、まだまだ言えない秘密と本音を隠したまま、新しい二人の旅を再びスタートさせていった。




