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68. 修行の終わり

 イチカがシオンと町で再会してからさらに二ヶ月が経った。


 寒さは日毎に厳しくなり、用意していた薪と新たに購入した薪を上手にやりくりしながら、エレノアの小さな家でその冬を乗り切っていく。


 そんな日常生活の中でもイチカの修行は着々と進み、薬作りは免許皆伝、日常の健康や安全を願うまじないも一つずつ学んでいき、エレノアからはそれなりに良い評価をもらっていた。


 以前作っていた札は一旦全て廃棄し、今は魔女の正式な札を木を使って作っている。これは一回限りではなく、弱いがそれなりに永続的に効果を発揮する札だと言うことで、練習のために身の安全を願ったものを三つほど作成し、一つは自分、一つはエレノア、そして最後の一つはシオンに渡すことにした。



 シオンはあの寒さの中で再会した日以来、週に一度はエレノアの家に顔を出すようになった。


 忙しかった時の話は修行が明けたら話すよと言われ、まだその時の事情は何も聞けていない。それでも彼は今多少余裕があるようでこうして時々会いにきてくれるので、イチカは安心して修行に打ち込めていた。



「イチカさん、そろそろ三ヶ月になるわね。」


 そして一月も半ばに差し掛かった頃、エレノアから今後の話があると言われ、夕食後のテーブルで話を聞くことになった。イチカはハーブティーを淹れてエレノアと自分の席の前にカップを置いた。


「イチカさんは私の最初で最後の弟子よ。本当によく頑張ったし、才能以上の成果を出せていたと思うわ。それでね。二月まではうちにいてちょうだい。私の秘術をあなたに受け継ぎたいの。」


 イチカは驚いて椅子をガタン、と動かしてしまう。


「あ、すみません!え、私でいいのですか?」

「あなたしかいないんだもの。好きな人とは結ばれなかったし、後継もいないから。」

「そう、なんですね・・・」

(その話はちょっと気まずい!)


 エレノアは平然とした顔のまま、イチカが淹れたハーブティーを飲む。


「明日から二週間みっちり教えます。秘術は全部で五つ。最後の一つは難しいので無理ならいいわ。とにかく二週間だけ。二月になったらここを出るのよ。」

「わかりました。」


 イチカは深く頷き、自分のお茶をゆっくりと味わった。体が温まり、少し眠気が襲う。


「今日は以上よ。疲れたでしょ。ゆっくり休んで。」


 エレノアは無表情のまま部屋に戻り、イチカはふうと息をついて天井を眺めた。三ヶ月近く眺め続けたこの天井ともあと二週間でお別れか、と、不思議な感覚に陥る。


 お茶を片付けて部屋に戻ると、イチカはその日、あっという間に眠りに落ちてしまった。




「一花、次の日曜はどこに行く?」


 翔太がこたつで寛ぎながら一花に声をかけてくる。一花がキッチンからお茶をお盆に載せてこたつに向かうと、彼が優しく微笑んでくれた。


「今度の日曜はねえ、猫カフェに行きたいな!」

「おお、いいね。あいつが虹の橋を渡ってから猫と触れ合ってないな。」

「うん。テオは可愛い子だったからね。あの子に勝る子はいないから。」

「だよなあ。可愛かったからなあ。顔も性格も!」

「他の猫とイチャイチャしたらやきもち、焼くかな?」

「えー、どうだろ?」


 翔太が目を細めて一花を見る。


「まあでも俺だったら、一花が幸せでいてくれる方が嬉しいかな。」


 一花はキョトンとした顔になり、その意味を理解して怖い顔になる。


「変なこと言うの禁止!私にはしょうちゃんしかいないんだからね!」

「あはは、ごめんごめん!だからテオもきっとそう思ってくれるんじゃないかって話。一緒になって遊んでくれそうだろ?」

「そうかなあ?そうだといいなあ。じゃあ行く?猫カフェ!」


 翔太はにっこりと微笑んで言った。


「ああ、行こう。・・・なあ一花、今、幸せ?」



 そしてイチカは、そこで目を覚ました。


「あの日の夢・・・でも最後の言葉は・・・何?」



 衝撃の言葉に、寒いはずがびっしょりと汗をかいて起きてしまったイチカは、気持ちを落ち着かせようとゆっくり階段をおりてキッチンに向かった。


 すると玄関からノックの音が聞こえ、玄関の方に戻ってドアを開ける。


「おはよう、イチカ。」

「シオン!おはよう。今日は早いのね。」


 シオンは真っ白な息を吐きながら玄関先で寒そうに立っていた。急いで中に入れると、彼の体から冷気が伝わってきて、汗をかいていたイチカは少し震える。


「悪い、寒いだろ。今日はこれを渡しに来たんだ。」

そう言って彼は封筒のようなものをイチカに手渡した。

「これは何?」

イチカが不思議そうな顔でシオンを見る。

「それはジェンクで働いていた時の報酬。向こうの手違いで遅れてたんだ。ごめんな。」


 イチカはすっかり忘れていた報酬に、何だか臨時収入のようで嬉しくなりつい顔がゆるんだ。


「おお!嬉しい!これで何を買おうかなあ。・・・え!?これ、多過ぎじゃない?」

「・・・ああ、どうも滞在していた人がかなり多く払ってくれたらしい。」


 なぜかシオンは浮かない顔でそうイチカに告げた。変なシオンと思いながらも、本当の臨時収入に心が浮き立った。


「まあいいか!良かったこれで修行を終えても少しは安心して生活ができるわね。」

「お、そろそろ終了か?」

「うん。あと二週間だって。」

「そうか。・・・じゃあまた二人でいられるな。」


 シオンのその言葉に、イチカはなぜかうまく答えられずに、曖昧な笑みを返す。そこにエレノアがいつものように静かに現れた。


「あら、シオン。また来たの。寒いから中に入ったら。」

「いえ、今日はこれで失礼します。町に行かなければいけないので。」

「そう。イチカさん、朝食をお願い。」

「はい!」


 エレノアが部屋に戻ると、シオンがイチカの頭に手を載せた。


「じゃあ、俺行くから。頑張れよ!」

「うん。シオンも気をつけて。あ!ちょっと待って!」


 イチカは玄関を出ようとしたシオンを引き留め、部屋に戻る。そして作っておいた身の安全のまじないをかけた木札と、渡そうかどうか散々迷ったあの剣の形のペンダントトップを手に取る。


『・・・なあ一花、今、幸せ?』


 夢の中で翔太が言った言葉が、胸の中でジリジリとイチカの気持ちを追い込む。



 そしてイチカは一つの決意をして階段をおりた。


「シオン。」

「ん?」

「これ、安全を願った木札、と・・・」


 手のひらに載せた少し長めに結んだ革紐のついたあのペンダントトップをシオンに手渡す。


「これはその、この間の手袋のお返し。もしよかったら」


 その言葉の続きはもう言えなかった。シオンはイチカを強く抱きしめ、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。彼の冷たいコートの表面が、イチカの熱を奪っていく。


「イチカ、嬉しい。嬉しすぎる。ありがとう、一生大事にする!」


 シオンの喜び具合が激しすぎてイチカは戸惑うが、そこまで喜んでくれたならよかったと、シオンの背中をポンポンと叩いた。


「大袈裟だなあシオン、でも喜んでくれて私も嬉しい。ほら、もう仕事なんでしょ?私も朝食作らないといけないから。ね?」


 シオンは名残惜しそうにイチカから離れ、渋々という顔で玄関から帰っていった。そしてイチカは、動かしてはいけない二人の関係を少しだけ変えてしまったかもしれないと、密かに後悔していた。




 そしてその日から、エレノアの最後の指導が始まった。


 秘術と言われるものは五つ。一つをマスターしないと次には進めず、イチカは苦戦しながらも日々練習を繰り返してなんとか三つ目までたどり着いた。


 水を清める秘術、風を起こす秘術、そして火を生み出す秘術という、最初に話してくれた特殊な術だ。どれも大きな力が出るわけではないが、いざという時生き残るために必ず役立つ術であり、これだけでも十分過ぎるほどだとイチカは考えていた。


 残り一週間となった日からは、四つ目の秘術を学び始める。それは、植物の成長を促す秘術で、イチカにとってこれほど嬉しい術はないと思うほどだった。嬉しすぎてたった半日でマスターしてしまい、エレノアにはかなり驚かれてしまった。



 そうしてたどり着いた五つ目の術、それは光を生み出すという秘術だった。


 継続的に発動するのは相当難しいようだが、ここぞと言う時一瞬光らせることはできるらしい。エレノア自身もこの術は使いこなせているわけではないらしく、手の中で見せてくれた光はまるで、蛍が発光しているかのような小さく柔らかい光だった。


 イチカはそこから五日間、全く何も光らせることができないまま、ただ時間だけを無駄に費やしていった。



 そしてとうとう六日目の朝を迎える。


「イチカさん。明日で最後ね。本当によく頑張ったわ。」

「エレノアさん。色々と本当にありがとうございました。最後の秘術もギリギリまで頑張らせてください。あと一日、よろしくお願いします。」

「わかったわ。」


 そうしてエレノアが部屋に戻ると、再びイチカは練習を始めた。


 水を清めるには石を使い、そこに汚れなどを閉じ込めていく。風は最初に葉っぱなどを使って小さな風を起こし、それを大きな空気のうねりにしていく。火は自然の中のあらゆる熱エネルギーを集め、着火するための紙や木材を用意して火をつける。植物の成長は実際に植物を目の前にして、互いの生命力を循環させていく。


 だが光は全くそれらとは異なる方法であり、イチカの中にある光をそこに顕現させるというある意味一番ファンタジーな術だった。


(私の中の光って、何?)


 いくら考えてもそれがわからず、苛立ちばかりが募っていった。


 そしてその日の夕方、シオンがふらっとイチカの元を訪れた。


「イチカ。いよいよだな。ちょっと外に出られるか?」

「うん。」


 シオンに連れられて、二人で草原を歩き始める。


「明日が最終日だろ。明後日の朝迎えに来るよ。」

「うん。」

イチカは小さな声で頷く。

「何だよ、今日は静かだな。」

「何でもないよ。」

「イチカ?」


 冷たい風を感じながらシオンの前を歩く。


「ねえ、私の中の光ってなんだろう?」

「イチカの中の、光?」

「うん。」


 シオンがイチカの横に並んだ。


「イチカの中にあるのは、お日様みたいな光、かな。」

「え?」

「暖かくて、いつもそこにあって、時々見えなくなるけど必ず戻ってきてくれる光。」

「シオン・・・」


 シオンはイチカの前に立って言った。その胸には、あの剣のモチーフのペンダントトップが輝いている。


「俺はその光に惹きつけられて、もうどうしても離れられないんだ、イチカ。」


 イチカは真っ直ぐなその瞳と言葉を、その言葉が含んでいる意味を、どうしてもまだ受け止めることができなかった。


「私・・・帰るね。」


 「イチカ!」と呼びかけるシオンをそこに一人残し、そのまま走って部屋に戻った。


(彼の気持ちに応えることはできない。彼を想ってはいけない・・・)


 結局イチカは、最後の秘術だけは習得できないまま、長いようで短かった修行の日々を終えることとなった。


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