66. 魔女の修行
イチカは翌朝からほとんど家事代行の仕事をしているかのような生活を始めていった。家中の掃除、洗濯、買い物、食事作りに加え、水汲みや薬草の整理なども行っていく。
だが全く時間がないわけではない。やるべきことの隙間を縫って、テーブルに置いたままのあのぶ厚い本を読ませてもらう。そこには形だけの魔女の技法だけではなく、どのように魔女の力を引き出していくかについても書かれていた。
「自然の中に満ちる力を借りる・・・」
「だいぶ読み進めたわね。」
イチカがぶつぶつと呟きながら本を読んでいると、エレノアが静かにそこに現れた。相変わらず美しい彼女は、今日もあの薄い灰色のローブを身に纏っている。
「エレノアさん、おはようございます。はい、二、三十ページは読みました。」
「そう。じゃあ今日はちょっと外に出ましょう。」
イチカは驚いて立ち上がった。
「外で修行ですか!?」
「そう。これだけは一緒に外に行かないとできないから。外、寒いからこれ貸してあげる。ここにいる間は着ていていいわ。」
そう言ってエレノアは厚みのあるフード付きのコートを貸してくれた。冬向けの服を何も準備していなかったイチカにとって、それは喉から手が出るほど欲しいものだった。
「ありがとうございます!」
「うん。じゃあ行くわ。」
ぶっきらぼうで無表情なエレノアだが、本当はとても気遣いの人で優しいことを、イチカは数日の間にしっかりと把握していた。
(美人なツンデレさん・・・素敵)
冷え込みが厳しくなってきた外に出ると、体が一気に冷えて、イチカは身震いしてしまう。コートを借りていなかったらあっという間に凍えていただろう。
坂を下り、最初に通ってきた道とは反対方向に二十分ほど進むと、そこにはまばらな木が生える小さな森が広がっている。その中に細い道が一本通っていて、その道をさらに先に進むと大きな町があるらしい。だが今日はこの森に用があるとのことだった。
エレノアはその森の中で急に立ち止まり、イチカもその後ろ姿を見ながら慌てて足を止めた。振り返った彼女がいつものように無表情のまま、話を始める。
「イチカさん。魔女はね、きちんと力が作用すればそこには何も現象が起きていないように見えると言ったわ。でも、使っている本人と本当に魔女の力がある人には『感じられる』力ではあるの。」
「感じられる・・・」
「そうよ。それはね、自然の中に満ちている力。木々が持つ強く穏やかな生命力。薬草が持つ自分を守ろうとする力。花々がその美しさや香りなどで虫などを惹きつけ子孫繁栄を目指す力。川の流れとそれが持つ自浄作用、地面が抱えている多くの水や命を育む大地の力。そうした自然の中に息づく力を借りて術を使うのが魔女なの。神の膨大な力を一瞬で行使できる『聖人』とは違ってね。」
イチカはその言葉にハッとしたようにエレノアの顔を見た。
「何も聞かないし誰にも言わないわ。でもあなたのその髪色は魔女の力と聖人の力の両方が入っている特殊なものね。その力を自然に使えてきたと言うことは、それだけあなたが自然の中で、そこにある命の力を身近に感じて生きてきたということよ。」
エレノアの表情に特に変化はなかった。聖人について何かを追求されるというわけではないらしいと、イチカは少し安堵する。
「本物の魔女には、魔女や聖人の力が働いていることがわかってしまうんですね。」
「そうね。でも私の知る限りこの国には私とあと一人二人しか本物と呼べる存在はいないはず。他は皆薬を作ったりしてるだけでたいした力は持っていないから、気づかれる心配はないと思うわ。」
イチカは深く頭を下げた。
「内緒にしてくださってありがとうございます。精一杯頑張りますので引き続きよろしくお願いします!」
「いいの。本物の魔女もまた迫害されてきた歴史がある。聖人とは助け合っていく関係よ。それじゃあ、今から一時間ここにいて、自然に宿る力を感じてみて。やり方は任せる。」
エレノアは手に持っていたブランケットを一枚イチカに手渡した。
「これ使って。寒いから。一時間後に迎えに来る。できなくてもいいからやれるだけやってみて。」
「はい!」
そうしてイチカはその小さな森の中で、自然の力とやらを探るべく、ブランケットを肩からかけて辺りを歩き始めた。
(自然の力かあ。森にいる間はその恩恵がありがたかったし、日本人としてはやっぱり万物に神様が宿るっていう考えが自然と身についていたけど、それに近いものなのかな?)
そんなことを考えながら、秋から冬へと移り変わる季節の気配をその森の中で次々見出していく。
木に触れ、川の水を飲み、岩の冷たさと硬さを確かめる。地面にはたくさんの枯れ葉が積もり、その中にも見えないたくさんの生き物達が命を繋げているのを想像する。
寒さの中でどうにかまだ生き残っていた薬草は、どんな効果があるものだったかを思い出しながら、その香りや感触を五感で確かめる。
自然と向き合い、自然をじっくりと感じる時間をゆるゆると過ごし、その全てに感謝しながら森の中を歩き続けていくと、突然目の前に大きな木が現れた。太さも高さもあるその木を見上げ、思わず「凄い・・・」と声に出してしまう。
「神社によくある御神木みたいな感じの木ね。太くて大きい!」
その木の幹にそっと手のひらで触れ、ゴツゴツとした表面とその内側に流れる生命の流れを微かに感じる。幹に耳を当てると、水が流れる音が聞こえたような気がした。
「聖人だとか魔女だとか関係なく、一人の人間として、この大きな木の命がここにあるのは感じる。生きているのって本当に奇跡なんだよね。生きてさえいれば・・・こうして命の力を感じることも、触れ合うこともできるのに・・・」
目の前の木の命に思いを馳せつつ、翔太の笑顔を、彼と重ねてきた日々を思い出す。
いつも優しく触れてくれた彼、温かったその手、毎日仕事を頑張っていた姿。どれもがその時確かに存在していたはずの彼の命の輝きだった。生きている時は当たり前過ぎて気づかなかったその輝きが、今になってイチカの胸の中で光を放つ。
イチカは木を抱きしめるように幹に腕を回し、寒さも忘れて、翔太に似たその温かく輝く命を感じていた。
すると次第に、体の中に何かふわっとした力が生まれていく感覚が訪れる。体を浮きあがらせるような、体の中から膨らんでいくような不思議な力だった。
優しくて怖くて、温かくて冷たい力。自分の思い一つでその力の方向性が決まってしまうのだろうと思わせる何か大きな力、体の中にじんわりと流れ込んでは広がっていくその感覚を、イチカは驚きと共に体の中に受け入れていった。
力に集中して木に抱きつくように立っていイチカだったが、突然ガサっという足音が背後から聞こえ、慌てて木から離れて振り返った。するとそこにはエレノアが、心底驚いたというような表情で立っていた。
「すごいのね、もう力を借りられたの?」
「これが、そうなんですか?」
「そうよ。聖人の力は神の力を一瞬にして無尽蔵に引き出す力。そこに自然や命を介す必要が無い。でも魔女の力は、神がこの自然の中に与えてくれた命の力を少しだけお借りして、より良い生活ができるようにしていく補助的な力なの。ふわっと体に沁みて広がっていくような感覚。それを理解しないと本当の魔女の力は使えない。あなたは、才能があるわ。」
「そうなんですね・・・よかった!」
エレノアは微かに微笑むと、じゃあ帰りましょうかと言って家に向かって歩き始めた。イチカは先ほど感じた力を思い出しながら、ゆっくりと彼女の後をついて家に戻った。
それからの二週間、イチカはひたすら森に行き、大木の側で力を感じる練習を重ねていった。毎回感じ方は少しずつ違っていたが、体が浮き上がるようなあの不思議な感覚はだいぶ掴めるようになってきていた。
そしてさらにその後の二週間は、本に書いてある内容を実践していいと言う嬉しい許可をもらい、イチカはまず薬草を使った薬作りと、それに魔女の力を込める方法を練習し始めた。
「いいわね。よくできてる。きちんと効果が出ると思うし、前作っていたものみたいに速くて効き過ぎるということもないと思うわ。体に備わる自然治癒力を伸ばしてくれる効果があれば十分だし、その方が本人にとってもいいことなのよ。まあ、緊急の場合は仕方ないけれど。」
出来上がった薬をエレノアに確認してもらうと、一応の合格点はもらえたようだった。イチカはふと、湖に面したフディナのことを思い出す。
「そういえば私、フディナで薬をお売りしていた方々とお別れの時に色々お話ししたんですけど、皆さん私がいなくなると薬が心配って仰っていて。もちろんお医者様はいらっしゃるみたいなんですけど、庶民には高くてなかなか行けないそうなんです。エレノアさん、あの町の魔女の薬は効果が薄いんですか?」
エレノアは少しだけ眉根を寄せてイチカの方を向き、話し始めた。
「フディナ・・・あの町にはそこまで力や知識のある魔女はいないと思うわ。もし常連さんが薬に困っているならいい人を紹介するけど。」
「いいんですか?」
「困っている人の助けになるのが魔女の仕事。当然よ。私の知り合いに、魔女としてはもうほとんど仕事をしてないけど、薬なら効果が高いものを作れる人がいる。フディナの近くに住んでるけどだいぶ年配の方だから、無理させないなら紹介してもいいわ。」
イチカは目を輝かせて喜ぶ。
「ありがとうございます!やっぱりエレノアさんは素敵で優しい方ですね!じゃあ早速ゾーヤさんに手紙を書かないと!」
エレノアはイチカのその言葉に照れたように一瞬で無表情になり、魔女の住んでいる場所を素早くメモすると「明日は休みでいいわ」と言って、すぐに奥の部屋に入ってしまった。
「さすがツンデレ美人魔女・・・」
イチカはそのメモを元に、明日は手紙を書いて町に行ってみよう、と心に決めた。




