65. 試用期間のイチカ
シオンを見送り玄関のドアを閉めると、イチカは先ほど座っていた大きなテーブルがある部屋に戻った。しばらく部屋の中を見渡しながら立ってエレノアを待っていると、奥の部屋から大きな、しかもとんでもない厚みのある本を手に、彼女が戻ってきた。
その重そうな本を静かにテーブルの上に置くと、エレノアはその上に手を置いて話し始める。
「これがうちに代々伝わる魔女の本。三ヶ月間ここに置いておくから毎日空いた時間に少しずつ読んで。私教えるのとか苦手だから、基本的な知識は自力で習得してちょうだい。それとこの一週間は試用期間。うち不便だから耐えられるかどうかをみるわ。」
イチカはどう不便なのかわからず答えに困ったが、とりあえず黙ったまま頷いた。
「じゃあまず水汲みから。うちの裏手、少し下ったところに井戸がある。そこの水を家の中の甕に溜めてるわ。甕と水汲み用の桶はキッチンの中にあるからそっちを見て。甕が一杯になったら呼んで。水を清めるから。ちなみに水を清める術、火を生み出す術、風を起こす術は秘術だから、一定の基準に達したら教えてあげる。本には書いてないことだから。」
イチカは驚いて目を丸くした。
「水を清めたり火を生み出すなんてこと、本当にできるんですか!?」
「できるけど誰でもは無理ね。しかも他の魔女は知らない。だから秘術。」
「すごい・・・」
エレノアは「じゃ、水汲みよろしく」と言ってまた奥の部屋に入っていってしまった。とりあえず荷物を部屋の隅に置かせてもらい、イチカは早速腕を捲って水汲みに出かける。
森で暮らしていた頃は、井戸ではなく川から水を汲む生活が普通だったイチカにとって、そこまで離れていない井戸から水を汲んで運ぶことなど、大した手間ではなかった。
何回か往復してようやく甕一杯に水を溜める。奥の部屋のドアをノックしてエレノアを呼ぶと、彼女はキョトンとした表情でドアから顔だけ覗かせた。
「何かしら?」
「あの、水を汲み終わりました。」
「・・・嘘でしょう?」
「え?いえ、嘘ではないのですが・・・もしかして他にも甕がありましたか?」
「いえ。キッチンのところにあるものだけよ。じゃあすぐに確認するわ。」
エレノアは部屋を出てキッチンに向かい、甕の蓋を開けて再び驚く。
「体力、あるのね。」
「あはは、体力だけは自信があります!」
(シオンには負けるけど)
「・・・いいわ合格。じゃあ次は掃除と夕飯作り、お願い。食材は今日はそこにあるものを使っていいわ。明日以降はお金は渡すから下の商店で買ってきて。」
「わかりました。」
エレノアは甕の蓋を閉め、奥の部屋に戻ろうとしてふと思い出したかのようにキッチンに戻った。
「水を清める術、見たい?」
イチカはハッとして顔を上げる。
「ぜひ見たいです!!」
「・・・いいわ。」
そう言って再び甕の蓋を開けると、キッチンの棚の中に置いてあった大きめのボコボコとした形の石を取り出す。少し重そうなその石を軽々片手で持ち上げて、何かしらの呪文を唱えた後、それを甕の中に沈めていった。
「これだけ。魔女の術はその力が強ければ強いほど目に見えない。今何も起きてないと思ったなら成功してるということよ。」
「そうなんですね!」
「だからよく魔女でもない人が呪文や呪いだけ使おうとすると、影としてその失敗が現れる。」
「ああ!それ、私実際に見ました!」
「よくある話よ。ま、とにかく掃除と夕食よろしく。」
エレノアは甕の蓋を閉め、スタスタと部屋に戻っていった。
「さて、じゃあイチカさんの本領発揮ね!」
イチカは掃除用具を探して数分彷徨い、キッチンの奥にあった小さなパントリーのようなスペースに置いてあった箒、ちりとり、雑巾を見つけて掃除を始めた。
(クライドさんの家を片付けたことを思えば、ここは楽勝ね!)
イチカはむしろウキウキしながら、入れそうな部屋には全て入って掃除をしていった。リビングもキッチンもピカピカになり、満足して他の場所も確認する。
外に出ると家の裏手に別の小さな建物があり、そこにはトイレと風呂が設置されていることがわかった。この場所は井戸から近いので、せっかくだからとトイレと風呂の掃除を済ませ、さらに風呂には井戸から水を汲み、たっぷりと溜めておいた。
薪置き場も発見したので、お風呂とキッチンで使う分の薪を運び込んでおく。久しぶりに体を動かして働いたことで、イチカは清々しい気持ちになってキッチンに戻った。
そうしてサクサクと片付けを終えたイチカは、いよいよ夕食作りに取り掛かる。キッチンにはパンとチーズと野菜と牛肉の塊が置いてあったので、それを使って煮込み料理とサラダ、じゃがいものチーズ焼きとパンを焼いて夕食の準備を終わらせた。
(おかしいな、そこまで不便さは感じなかったけど・・・まだ何か隠されている大変さがあるのかな?)
イチカは首を傾げつつ、出来上がった夕食をテーブルに載せてからもう一度エレノアを呼んだ。
「エレノアさん、夕食ができました!」
イチカの声に、今度はスッと体全体でドアの外に出てきたエレノアは、テーブルの上の料理を見て口をぽかんと開けて驚いていた。
「これ、本当にあなたが作ったの?」
「え?はい、そうですけど・・・。あれ、もしかして食べられないものがありましたか?ごめんなさい、確認もしないで作ってしまって!」
イチカがオロオロしてそう言うと、エレノアは違うと言うように首を振った。
「いえ大丈夫。いただくわ。」
テーブルに着くと彼女は静かに夕食を食べ始める。イチカはよけておいた自分の分の食事を見ながら、先に洗い物を始めた。
そろそろ水の冷たさが手に痛い季節になってきているなと思いながら、かまどでお湯を沸かし、少し熱めの湯の中でしっかりと調理器具の油を落としていく。
しばらくの間洗い物に集中していたイチカは、エレノアから思ったよりも近くで声をかけられて驚き、顔を上げた。
「イチカさん。」
「はいっ!?」
イチカが大きな声をあげすぎたと反省しながらエレノアを見ると、目の前に立つ美しい彼女が微かに微笑んでいた。
「とても美味しかった。一週間と思っていたけど、あなたは大丈夫そうね。今日から三ヶ月間、よろしく。私は他の魔女とは違って本物なの。いい加減なことは教えない。その代わり魔女の力が引き出せなかった場合にはきちんと諦めて。」
「はい、わかりました。」
「それとあなたの部屋は屋根裏にするわ。大丈夫、綺麗にしてあるし快適なの。ベッドもあるから。お客さん用だし。」
そう言ってエレノアに案内されたイチカは、玄関の奥にある小さな階段を登り、天井にある取手のついた小さな蓋のようなものを開けて屋根裏部屋に入った。
「素敵・・・」
ランタンで照らして微かに見えるその部屋は、思っていた以上に可愛らしい部屋だった。低めのベッドには小花柄のカバーが掛けられ、ベッドの枕元には小さな窓もついている。カーテンは開いたままで、そこから外の草原と美しい星々が見えていた。
「イチカさん、遅くなったけど食事にして。明日からは一緒に食べましょ。それとお風呂に入るなら自分で沸かしてちょうだい。いつでも自由に入っていいわ。その代わり掃除はよろしく。」
「はい、ありがとうございます。明日からよろしくお願いします!」
「ええ。」
イチカは再び窓に近寄り、外を眺める。あの空の下にシオンがいて、彼もまた空を眺めているのだろうかとふと考え、それ以上考えるのがなんとなく怖くなって、急いでカーテンを閉めた。
その日イチカは少し冷えてしまった夕食を食べ終えると、顔を洗ってベッドに入る。どうかしょうちゃんの夢を見させてくださいと願いながら、しばらくお世話になる部屋の天井を眺めてから目を閉じた。




