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62. イチカの味方

「おはよう、シオン!」

「うう、今何時?俺まだ眠いんだけど・・・」


 イチカは翌朝、シオンの部屋のドアをノックもせずに開けて、元気いっぱいの声で朝の挨拶で彼を起こした。シオンはベッドの中で寝癖をつけたまま頭だけ起こしてイチカの顔を腫れぼったい目で見る。


「まだ六時過ぎ!でも今日は元気が有り余っているしいい天気だから洗濯をします!ほら、洗濯物出して!私もだけどシオンもそのまま寝ちゃったんでしょ?シーツも洗うからソファーで寝てて!」

「おいおい、まだ早いじゃないか!?もう少し寝かせてくれって!昨日はさすがの俺も疲れたんだよ・・・」


 イチカは「昨日元気だったじゃない」と言って全く取り合わず、シオンをベッドからおろそうと手を引っ張り始めた。


「ほらほら、ソファーだって寝心地は悪くないって!ね?シオンー、シーツ洗わせてよー!」

「この洗濯好き!!あと一時間くらい寝かせてくれたっていいだろ!?」

「でもほら、日が短くなってきたから、ね?」


 シオンは渋い顔をしたまま、布団の中からイチカの手を引っ張り、布団の上に引き上げる。


「ひゃあ!?ちょっと!びっくりするじゃない!!」

「イチカ」

「な、何よ!?」

「前にも言っただろ?男の部屋に勝手に入ってきて、何もされないとでも思ってるの?」


 シオンの視線がイチカの気持ちを絡めとっていく。だがイチカはあえて冷静にその言葉に答える。


「だってシオンのことは信頼してるもの。何も、起きるわけがないよね?」

「・・・」


 彼は不機嫌そうな顔でイチカの手を離し、布団に潜る。


「あと一時間は寝るから。今は出ていってくれ。」

「うん・・・ごめんね。」


 イチカが少し落ち込んで外に出ようとすると、シオンがガバッと布団から出てイチカに後ろから抱きついた。


「な、なに?どうしたの?」

「イチカのバカ!俺が悪いみたいだろ?落ち込むな!」

「え、え?」

「どうしてお前はそう俺を困らせるんだ!」


 その甘く切なさに満ちた声がイチカの耳をくすぐり、どうにもならず動けなくなる。


「こ、困らせてるつもりはないんだけど、ちょっとおふざけが過ぎたよ。ごめんね?もう少し休んで?」

「イチカが添い寝してくれたら許す。」

「はい?無理無理ムリ!!」


 シオンが耳元で囁く。


「俺はお前にとって親友なんだろ?昨日俺はお前のわがままをきいてロイクを洞窟に連れていった。これまでだってたくさんお前の無茶を通してきたんだ。そのくらいしてもらってもいいと思うんだけどねえ。」

「ううう、反論できないことで追い詰めてきたわね!」

「たまにはこうしてお前を追い詰めたいんだよ。ほら、早く!」

「・・・三分だけね。」

「いいよ、三分だけ。」


 そう言ってシオンに手を引かれてベッドに座る。シオンは布団の中に、イチカは布団の上に、できるだけ離れた状態で渋々横になった。


「布団の中に入らないと添い寝とは言えないんじゃないの?」

「そんなことないしそれは無理!!」

「じゃあ手を握ってて。」

「わがままばっかり言って!」

「わがままで結構。あー眠い眠い。」


 そう言ってしばらくすると、本当にシオンはスウスウと寝息を立て始めた。その彼の顔を見ながら、ゆるめられた手を離し、そっとベッドを降りた。


 結局、シーツもシオンの服もすぐに洗うのは諦め、部屋の外に出てドアを静かに閉めた。


「イチカ・・・」


 なぜかイチカには、彼女を呼ぶ寂しげなシオンの声が、ドアの向こうから微かに聞こえた気がした。




 その日のお昼前、賑やかな子ども達の声と共に、ロイクがやってきた。


「イチカさん、シオンさん、こんにちは!」

「「こんにちは!」」


 イチカが外で洗濯物を干しているのに気がついた彼は、幼い子どもたち二人と手を繋いで近くまで来てくれた。ロイクにそっくりの十歳前後に見える男の子とお人形さんのように可愛らしい小さな女の子が、ニコニコしながらイチカを見ていた。


「ロイクさん!それに弟さんと妹さんかしら?はじめまして、イチカです!」

イチカはゆっくりとしゃがんで二人の子供たちに笑顔を向けた。

「はじめまして!僕はカイルって言います。妹はミラです!イチカさん、お兄ちゃんを助けてくれてありがとう!」

「ミラですありがとう!」


 イチカは感動してしまいつい涙ぐむ。


「なんて可愛いの、二人とも!お兄ちゃんには私の方がいっぱい助けてもらったからそんなのいいのよ!それより二人はこれから学校でいっぱいお勉強ができるね。お姉さんはそれが一番うれしいな!」


 そう言うと、二人はニコニコしながら頷いた。


「僕は来年から学校に行きます!ミラはまだ先だけど、一緒に通えるのも楽しみ!イチカさん、イチカさんは、その・・・僕たちのお姉さんになってはもらえませんか?」

「え?」

「こら、カイル!!」


 ロイクが焦ったようにカイルの口を優しく塞いだ。イチカは苦笑してゆっくり立ち上がった。


「すみません、弟が変なこと言って!あの、イチカさん。」

「はい?」

「僕はあなたのことを諦めたわけではないんです。」

「え?」


 ロイクはイチカに一歩近寄る。その表情は明るい。


「でも、まだ僕らは若いし、知り合って間もないですから、その、これからはまずお友達として仲良くしていただけませんか?」

「ロイクさん・・・」


 イチカはその年若く優しい少年に、嘘をついたり誤魔化したりするのはやめようと心に決めていた。


「ロイクさん。私達はもうお友達ではないですか。そんなに畏まらないでください!でも、その先にお友達以上の関係は、ほぼ間違いなく無いと知っていてください。」

「イチカさん・・・」

「それと私はいずれここを離れます。もう二度と会うこともないかもしれません。でも、あなたのように真っ直ぐで頑張り屋の男性に出会えたことは一生忘れません。」


 ロイクは一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、弟達の視線を感じたからか、すぐに笑顔になった。


「わかりました。イチカさん、短い間でしたが本当にありがとうございました。僕もあなたに出会えたこと、一生忘れません。」

「ありがとう。」

「シオンさんにも、どうかよろしくお伝えください。感謝しています。あ、あの剣は貰っちゃいますね!・・・それじゃあ、さようなら、イチカさん。」


 そしてロイクは弟と妹に挟まれて優しい笑顔のまま、手を振って家に帰っていった。イチカも大きく手を振って、彼らをゆっくりと見送っていた。



「帰ったのか?」

その時、シオンが後ろにそっと現れた。

「うん。」

振り向かないままその声に返事をしつつ、イチカは湖の向こうを見つめていた。


「なあ、イチカ。」

「なあに?」

「そろそろこの町を離れないか?」


 ゆっくりと振り返り、少し上を見上げた。


「いいよ。次はどこへ行くの?」


 シオンがイチカの手を握る。あまりにも普通に握ってくるので、イチカはもうそれを不自然とは感じなくなっていた。


「次は少し遠くに行こう。彼を見つけなきゃいけないけど、今は情報が途切れてる。だったら情報が入るまで、イチカのしたいことをしてみないか?」

「したいこと?」

「ああ。魔女に本格的に仕事、教わってみたくないか?」


 イチカは目を輝かせる。


「行く!!遠くてもいい、会ってみたい!!」

「お、いいね。いつものイチカだ。」

「何よ、まるで最近の私が変だったみたいじゃない!」

「変ではないさ。でも色々あったからさ。」

「まあ、そうね。」

「もちろん俺も。」

「・・・」


 黙ってしまったイチカに苦笑しながら、シオンは話を続けた。


「今回の件、一度きちんと話し合おうか?」

「うん。」



 シオンの手に導かれるまま、日が高く温かい昼間の湖沿いを歩く。湖畔に打ち寄せる小さな波の音が微かに聞こえてくる。


「イチカ、お前は『聖人』なんだよな。」

「・・・うん、たぶん。」

「髪の色、どうやって変えたんだ?」


 イチカは無意識に髪に触れる。


「特殊な方法で。父が隠し持っていた本に書かれていた方法を実践したの。染めているわけじゃないから、術を解除しない限りずっとこの色に見えているはず。」

「そうだったのか。じゃああの綺麗な青みがかった銀色の髪は、今もそのままなんだな。」

「うん。シオンはずっと、私の本当の髪色を知ってたでしょ?あの髪の色の意味、知ってたんじゃないの?」


 シオンは湖を見つめたまま静かに答えた。


「・・・そんな話を聞いたことがあったような気もする。でも昨日のことがあるまですっかり忘れてたよ。」

「そう・・・」


 なぜかイチカは、彼が嘘をついているような気がしたが、それ以上追求することはできなかった。



 数分の沈黙の間に、二人は小さな見晴らしのいい広場のような場所にたどり着く。湖からの冷たい風が二人の間を絶え間なく吹き抜けていく。


 イチカは着ていたコートの襟を狭め、美しく輝く湖面を見つめた。


「イチカのその秘密は、俺の胸にしまっておく。だけどあの札は危険だ。あれを使うことで聖人だと疑われる可能性がある。魔女の札とは桁違いの効果が出てるし、なんなら薬だって効果が強すぎる。神の力が何かしらの方法で薬に入ってしまったんだと思うが、このままここで評判になるのはまずいだろう。」

「そうね。できるだけ早くここを離れた方がいいよね。」

「ああ。」


 シオンが手を離し、自分の上着を脱いでそっとイチカの肩に掛けた。


「シオンが寒いよ?」

「いいから、俺は大丈夫だから。」

「ありがとう。」


 イチカは何気なく、ずっと不安に思っていたことを確かめる。


「ねえ、シオンは私が『聖人』だって知っても、相棒でいてくれるの?もしかしたら誰かに追われることになるかもしれないのに?」

「当たり前だ。そんな生半可な気持ちで相棒になってくれと言ったわけじゃない。どんなイチカでも絶対に側にいる。追われるなら俺が守る。それより魔女見習い、本当にやってみるか?」


 シオンの温もりを感じる上着に少し恥ずかしくなりながら、シオンの顔を見上げた。彼の真剣な眼差しがイチカの不安を拭い去っていく。


「聖人でも魔女になれる?」

「さあ。でもなれるならそれが大きな隠れ蓑になる可能性はある。」

「うん。今は本の知識だけだから、もし魔女を詳しく知っている人が見たら、色々と違和感を感じてしまうかもしれない。それが心配なんだよね。」

「じゃあやっぱり一度魔女の修行を受けてみよう。ダメならダメで、別の方法を考える。」


 シオンが自分のために一生懸命今後のことを考えてくれることが本当に嬉しかった。イチカは珍しく自分からシオンの手を両手でぎゅっと握りしめる。


「イチカ?」

「ありがとう、シオン。私の味方でいてくれて。」

「そんなの当たり前だろ。だってイチカが先に俺の味方になってくれたんじゃないか。」

「そうだね。」

「そうだよ。」


 そう言って二人はフフっと笑い合う。イチカは不思議ともう寒さを感じなくなっていた。そっと彼の手を離しありがとうと言いながら上着を返すと、グーッと両手を上に伸ばして背伸びをした。


「はー!!気持ちいい天気!!あーあ、シオンのシーツ洗い損ねちゃったじゃない。また明日晴れるかな?」


 シオンが眩しそうに目を細め、伸びをしているイチカを見つめる。


「食いしん坊で洗濯好きの悪い魔女さん。そろそろ帰ろうか、かりそめの我が家へ。」

「そうね。今夜は寒くなりそうだからシチューにしましょう?」

「お、いいね!」


 そして二人は何気ない会話をしながら、秋の寒さが近づく森の家に、肩を並べてゆっくりと帰っていった。


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