58. 諦められない気持ち
その日の午後、シオンが剣を持って帰ってくると、イチカは早速先ほど来た少年のことを彼に話した。
「へえ。幼い弟と妹を学校に行かせたいから、ねえ。」
シオンはイチカが作ったクッキーを頬張りながら、テーブルに肘をついて話を聞いている。
「でもだからってあんなことまでするなんて。若いって怖いわね・・・」
「お前だって人のこと言えないだろ。」
「何よ。いつのどの話をしてるの?」
「全部。」
「それはいくらなんでも言い過ぎじゃ無い!?」
「胸に手を当てて考えてみろよ。」
「むう。最近シオンは冷たい!」
イチカが本気でむくれていると、シオンがふっと優しく微笑んで「これでも優しくしてる方だよ」と言う。
「あっそ。もういいわよ。そうだ!剣を見せてよ!一度ハリスさんの店で見たけど、怖くて触りもしなかったから見てみたい!」
「ああ、でも危ないから気をつけろよ。」
シオンは玄関の側に、布に包んで置いてあったそれを持ってきてゆっくりとテーブルの上に置いた。布を外し、鞘に入った状態の剣が現れる。実物を目の当たりにして、イチカは息を呑んだ。
「凄い・・・迫力があるのね。」
「ああ。ちなみにこの剣は特注で作ってもらったんだ。俺の体格とか手の大きさとか癖を見てもらってから作ってるから、さっきちょっと試してみたけど手に馴染んで使い易いよ。イチカにはちょっと重いかな。」
「こんな剣振り回そうとも思わないわよ。ねえ、私は怖くて触れないから、鞘を抜いてみせて!」
シオンは手でイチカに少し離れるよう指示を出す。そしてそっと鞘から剣を抜いた。
それは鋭く尖った剣先を持つ美しい両刃の剣だった。触れたらすぐに手が切れてしまいそうなその姿を見て、イチカは体が震えた。これは飾りではなく、実際に人を切るものなのだとようやく理解する。
「シオンは、こういう世界で生きてきたんだね。」
「ああ。そうだ。」
「だからいつも私を心配してくれてたんだね。」
「・・・」
イチカは黙ってしまったシオンに笑顔を向け、
「見せてくれてありがとう。」
と言って部屋に戻った。それ以上彼に怯えているところも、実は体が震えていることも気づかせたくなかった。
「イチカ。」
少し経ってから、ドアの向こうからシオンの声が聞こえた。
「なに?」
イチカは声が震えるのを抑えるので精一杯だった。
「ドアを開けて。剣はもうしまったから。」
「いや。」
「イチカ!」
「大丈夫。本物の剣にちょっと衝撃を受けただけ。平気だから。」
「平気じゃないだろ。」
「平気だってば!」
「強情だな!」
「そっちこそ。」
「可愛げがないぞ。」
「可愛げなんてとうの昔に捨て去ってるわよ。」
「・・・」
シオンは一瞬黙ったかと思うとあっさりとドアを開けてイチカの部屋に入ってくる。
「ちょっと!?何して」
「バカ!怖いなら怖いってちゃんと言えよ!」
気がつくとイチカはシオンの腕の中にいた。久々に訪れたその抱擁に、イチカは動揺が隠せない。
「え、あ、その、離して!大丈夫!大丈夫だから!」
「はあ。結局俺がもたなかったか・・・」
「なにそれ?」
「イチカ。震えは止まったか?」
シオンに言われて自分がもう震えていないことに気づく。
「うん、止まった。」
「そうか。」
そう言うとシオンはイチカから離れてそっと頭を撫でた。愛おしいものを見るような優しい瞳に、再び動揺してしまう。
「剣は見えないところに置いておくから心配するな。」
「うん。」
イチカは、以前のようにシオンが触れてくれたことに少し嬉しいと思ってしまった事実を、まだ受け入れられないでいた。
「イチカー、お茶のおかわりが飲みたい!クッキーで喉が渇いた!」
「うん。わかった。」
二人は日常に戻るべく、再びお茶を淹れて穏やかな午後を過ごした。
そして翌日、例の少年は再びイチカの元に現れた。
「こんにちは。」
「ロイクさん?」
彼の手にはもう包帯は巻かれておらず、イチカは顔を顰める。無理をして外してしまったのかと訝っていると、ロイクが口を開いた。
「イチカさん。あなたの薬、効きましたよ。」
そう言って昨日ナイフで切ってしまった手のひらをイチカの目の前に突き出した。
「え!?本当にそっちの手ですか?」
「反対も見ますか?」
ロイクはもう片方も見せるが、やはりどこにも傷は無かった。イチカは目を疑った。
「あなたの薬は凄い。一瞬ではなかったかもしれない。でもこんなに素早く治るはずはないですよね。やっぱりゾーヤさんの言った通り、こんなに効き目の高い魔女の薬は見たことないです。イチカさん!」
「へっ!?」
「お願いです。僕をここで働かせてくれませんか!?」
「はい!?」
イチカは突然の意味不明なお願いに素っ頓狂な声を上げる。それを聞きつけたシオンが部屋から出てきた。
「なんだ朝から、騒がしいな。」
「イチカさん、こちらはどなたですか?」
「彼は仕事の相棒のシオンです。魔女の仕事の方じゃないですけど。シオン、彼がロイクさん。」
「ああ、昨日の!」
ロイクはなぜか挑戦的な視線をシオンに向ける。シオンはそんな彼の視線など全く意に介さない様子で「朝飯食べてくる」と言ってキッチンに行ってしまった。
「イチカさん、もしかしてあの人とここで暮らしていらっしゃるんですか?」
「え?うん、そうですけど。」
「・・・」
ロイクの視線の意味がわからず困惑したが、それよりもさっきの発言の方が問題だと、イチカは話を戻した。
「ところでさっきの話はなんですか?ここで働くって、どうしてまたそんなことを!?」
「イチカさん。僕には化け物を倒す力なんてない。その代わり怪我をしても逃げ切れるように、あなたの薬がたくさん必要なんです!でもお金をそんなに出す余裕もありません。だから薬代を僕の労働力と引き換えにしてもらえませんか?もちろん今の仕事を続けながらにはなるので、向こうは夜間の仕事に変えてもらって、昼間はこちらで働きます!」
イチカはとんでもない提案に眩暈がした。ロイクは至って本気のようで、真剣な表情でイチカに迫る。ふと気配を感じて後ろを振り向くと、シオンがイチカのすぐ後ろに立っていた。
「ずいぶん勝手な話だな。それに洞窟に入るって言ってもその細い体じゃなあ・・・正直、薬があっても探索するのすら無理があると俺は思うけど。」
ロイクは睨むようにシオンを見つめて言った。
「これは僕とイチカさんとの話です。部外者の方は黙っていてください。」
「俺は部外者じゃない。彼女の相棒だ。」
「ですが薬作りには関わっていらっしゃらないんですよね?」
「だからどうした。そっちこそ他人だろ?」
「イチカさんはどうしてこんな粗暴な物言いをされる方と一緒にいるのですか?イチカさんのような素敵な方ならもっと」
二人がヒートアップしていくのをしばらく黙って見ていたが、イチカはそこでストップをかけた。
「ちょっと待って!シオン、後でゆっくり話すから今は向こうに行っていて!ロイクさん。私は一人で十分仕事ができますし、あなたに薬を売る気もありません。怪我をしたなら来てくれれば対応しますけど、洞窟に入るためというなら売れませんから。」
「イチカさん!!」
ロイクは突然イチカの手を掴んだ。シオンがすかさずその手を外す。
「おい、イチカに触れるな!」
「どうしてあなたにそんなことを言われないといけないんですか?あなたは彼女の恋人ではないんでしょう?」
「それは・・・そういう問題じゃない!」
ロイクはシオンを無視して再びイチカに頭を下げてお願いする。
「イチカさん。どうかお願いします!僕にチャンスをください。弟達の将来がかかってるんです!どうかお願いします!!」
イチカは、必死に家族の未来のために頑張ろうとする少年の姿に心が揺れる。だが受け入れてしまえば、いずれ必ず彼はあの危険な洞窟に一人で入っていってしまうだろう。
(一人じゃなければいいのかな?)
イチカが下を向いて何やら考え込んだ様子を見て、シオンが苦い顔をして言った。
「おい、イチカ。また良からぬことを考えてるだろ!?」
シオンにはイチカの考えなどお見通しのようで、その考えに反対する気満々なのがよくわかった。だがイチカも負けてはいない。今までにしたことのないような上目遣いで、少し微笑む。
「やっぱり、ダメ?」
「お前!?それは反則だろ・・・」
シオンは片手で目を覆い、大きくため息をついた。
「おい坊主、俺達は来週には洞窟に潜る。ただし俺達は宝石目的じゃないからお前の手伝いをするつもりはない。だが少なくとも俺といればそうそう怪我をすることもないだろう。」
ロイクはまさかの提案に驚いたようで、シオンの顔に釘付けになっている。
「本当に、一緒に行っていいんですか?」
シオンが顰めっ面のまま冷静に返事をする。
「もちろんただじゃない。さっき言ったように来週までの一週間、イチカの仕事の手伝いをするのが条件の一つ。もう一つの条件は、イチカの仕事の前に俺の剣の稽古を受けること。後でそれなりの剣を買ってやるから少しは身を守る術と体力を身につけろ。付け焼き刃でもやらないよりはマシだ。どうする?」
「やります!!」
シオンはニヤッと笑うと、手を振り後ろを向いてキッチンに帰っていく。
「イチカに触れた分きっちり稽古してやるから覚悟しとけよ!」
そう言い残して去っていく彼の姿をイチカも目で追って、ため息をついた。
「はあ・・・まあそういうわけだから、しばらくよろしくね、ロイクさん。」
「はい!よろしくお願いします!」
少女のような笑顔を向けてくる彼に苦笑して、イチカはロイクの嬉しそうな顔を眺めた。
(仕方ない。少年の夢を叶えてあげるために、一肌脱ぐか!)
大したことはできないけど、と思いつつ、イチカは明日からどう働いてもらうか考えるため、中で相談しましょうと声をかけて、ロイクを部屋に招き入れた。




