57. 少年の来訪
クライドの家での出来事から三週間が経った。ゾーヤの口コミで、近所の人達がイチカの薬を買い求めに来てくれることが増え、貴重な薬草もクライドから購入できるようになったことで、順調に売上を伸ばしていった。
そしてシオンはあの日以来、ピタリとイチカに触れることをやめた。
いつも通りふざけたり二人で人探しをしたりする生活は続けながらも、彼が何かしらイチカのことを考えて距離を置いて接してくれているのを、しっかりと感じていた。
(そう、これでいいのよ。私はしょうちゃんの妻なんだから。余計なことは考えず、精一杯日々を生きていくの!)
そうして秋は少しずつ深まり、木々が色付いた葉を落とし始める頃になり、ついに洞窟の中に入るための準備ができたとシオンがある夜、唐突に話し始めた。
「イチカ、実はずっと準備していたものが出来上がったから、そろそろ洞窟に入ってみたいんだ。イチカはどうする?」
夕食後の片付けの最中、突然の相談にイチカは目を丸くした。
「準備ができたって、準備って何をしていたの?」
「ああ、剣を作ってもらってた。」
「剣・・・本物!?」
「偽物の剣を持って俺は何をするんだ?時々イチカは変なこと言うよな。」
「まあ、それもそうか。ほら、私が前の世界で住んでいた国だとね、剣とかそういう武器を持つのは違法で、どうしても所持する場合には許可が必要だったのよ。普通の人は武器なんて気軽に買えなかったの。だからすごく新鮮で!」
へえ!と驚いた顔でシオンが皿を片付ける。彼はかなり几帳面で、皿の拭き方もしまい方もいつもとても丁寧だった。
「とにかく俺のは当然本物。化け物が本当にいるかどうかは別として、誰が洞窟に入り込んでいるかわからないから、きちんとした武器を持っていないと不安だったんだ。明日はその武器を取りに行くんだけど、一緒に行くか?」
「ううん、明日はゾーヤさんが薬を取りにくる日だからやめておく。でも持って帰ってきたらぜひ見せて!そんな本格的なもの、展示されているところしか見たことないから!」
「展示?お前のいた世界は変わってるな。じゃあ明日は俺一人で行ってくる。ゾーヤさんによろしくな。」
「うん。」
シオンは全ての皿をしまい終えると、おやすみと言って部屋に入っていった。イチカはテーブルを拭いて少しだけ彼の部屋のドアを見つめてから、顔を洗ってその日はすぐベッドに入った。
翌日、ゾーヤが薬を買いに来たが、なぜかその日彼女は一人ではなかった。
「イチカさん、こんにちは!今日はねえ、お客様を連れてきたのよ。」
「ゾーヤさん、こんにちは!お客様、ですか?」
ゾーヤの後ろからひょっこり現れたのは、とても可愛らしい少女だった。丸く大きな目と長いまつ毛、栗色のストレートの髪はざっくりと切られた肩までの長さ、どこからどう見ても美少女が立っていると思ったその直後、声の低さに驚いてイチカは頭が混乱した。
「こんにちは。」
「えっと、男性の方、ですか?」
「あらやだ、女の子だと思ったの?まあ確かに可愛らしい顔はしているけれど、彼は男性よ!ロイク、彼女が前に話した可愛らしい魔女さん。イチカさん、彼はねえ、幼い弟さんと妹さんを養いながら食堂で働いている真面目な子なの。イチカさんとそう歳は変わらないんじゃないかしら?」
その少年はおずおずとゾーヤの後ろから出てくると、真っ直ぐにイチカを見つめた。
「僕はロイク、十七歳です。あの、ここでよく効く薬を売っているとお聞きして、どんな薬があるのかぜひ教えてほしくてゾーヤさんについてきました。もしよければこの後少しお時間いただけませんか?」
イチカはその可愛らしい容姿以上に、素直そうで礼儀正しい彼の姿勢に感心し、満面の笑顔でそのお願いを受け入れた。
「もちろん構いません、ロイクさん!私はイチカと言います。年はあなたの一つ下ですね。どうぞそちらにお掛けください。ゾーヤさんにお薬をお売りしたら少し時間を取りますから。」
ロイクの心配そうな顔は一瞬で明るい笑顔に変わり、「ありがとうございます!」と言ってソファーに腰掛けた。
(可愛らしい子ね!そしていい子だわ。何かこう、最近の諸々が癒されていく気がするな・・・)
遠い目をしながら薬を準備すると、ゾーヤに手渡しいつもの料金をもらう。ゾーヤは笑顔で薬を受け取り、私は先に帰るわねと言って外に出た。イチカはドアの所まで彼女をお見送りした後、部屋に戻ってロイクにお茶を出した。
「どうぞ。熱いので気をつけて飲んでくださいね。」
「ありがとうございます!」
ロイクはゆっくりとお茶を飲み、美味しいと言ってカップをテーブルの上に置いた。そしてゆっくりと口を開く。
「それで、ここではどんな薬を扱っていらっしゃるのでしょうか?」
「えっと、その前に、どうしてそんなことをお聞きになるのか知りたいのですが。」
「え?」
彼の前に座ったイチカもお茶を一口飲み、カップを持ったまま彼に質問する。
「だって普通は『こういう症状に効く薬が欲しい』と言って皆さんいらっしゃるから、あなたのような方は珍しくて。」
「・・・そうですよね。変なことを聞きました。じゃあ質問を変えます。僕はあの洞窟に入りたいんです。怪我が瞬時に治るような薬はありませんか?」
動揺したイチカは、カップのお茶をこぼさないようそっとテーブルの上に置いてからロイクの目を見つめた。
「洞窟に入るって、あの化け物が出るって言われているあの洞窟ですか?」
「そうです!僕はどうしてもあの洞窟で、あの宝石を見つけたいんです!」
ロイクの真剣な眼差しと焦った表情を見て、イチカは困惑した。
「まず、傷を瞬時に治す薬など存在しません。もちろん徐々に効いていく塗り薬はありますし、痛みを軽減する薬なら作れます。でもいくら強い魔女のまじないがかかっていたとしても、それはさすがに無理だと思いますよ?」
(まあ、癒しの札なら可能だけど・・・)
「そんな・・・でもあなたの薬はとても速く効くとゾーヤさんが仰っていました!」
必死になって食い下がる彼に、イチカは唇を噛んでから現実を伝える。
「それは彼女の症状が冷えからくる腹痛か何かだったからだと思います。飲み薬でしたしブランケットで温めたらだいぶ良くなりましたから、私の薬の効果だけで良くなったわけではなかったと思いますよ?」
「・・・じゃあ、試してみてください。」
そう言うと急に立ち上がった彼は、ポケットからナイフを取り出し、イチカの目の前で手のひらをスッと切りつけた。鋭利なナイフだったのか、最初は切れていないのではないかと思ったが、徐々にじわじわとその傷口から血があふれ出てきた。
「ちょっと、何をしてるの!?」
イチカは慌てて立ち上がり、まずは手近にあったタオルで患部が隠れるようにギュッと手を縛った。その状態で手を上に上げさせ、奥の部屋から救急セットといくつかの薬を持ち出す。
「手を出して!」
ロイクは黙ったまま手を差し出す。タオルを一旦外して傷口を見る。救急セットの中のガーゼに傷によく効く塗り薬を塗り込み、それを患部に当てて今度は包帯で少しだけきつめに手を縛った。
「はあ。驚いた!というか君、何してるの!?」
「こうでもしないと薬、出してくれないかなって。」
「ふざけるにも程があるわ!自分の体を大切にできない人に売る薬なんか無い!!洞窟に入って宝石が欲しい?そのためにこんな真似をして、しかも薬でどうにかしようなんて本当にどうかしてる!!悪いけど私にはあなたのご要望にお応えできる薬は作れません。今日のお代は結構ですから、お引き取りください!」
イチカはそれだけ言うと、ドアを開いてロイクを帰そうとする。だが彼はその場で俯いたまま動かなかった。
「嫌だ。僕は絶対に宝石を手に入れるんだ。二人を学校に通わせるためにも、諦めるわけにはいかないんだ!!」
ロイクのその苦悶に満ちた表情と必死な声に、イチカは言葉を失う。事情はその言葉で十分把握したが、だからといって薬でどうにかできる話ではない。シオンですら剣を準備するほどの洞窟に、細身で体力のあまり無さそうな彼が入ったらどうなるのかは目に見えている。
「ロイクさん。事情はわかりました。でもあなたが怪我をしたり万が一のことがあれば、弟さん妹さんは余計悲しむし、困ることになってしまうんですよ?もっと別の方法を考えてみませんか?」
「ですが!!」
「どちらにしろ、そんなに瞬時に効く薬なんて作れません。今日は手を怪我もしていますし、帰ってゆっくり休んで、もう一度冷静になって考えてみてください、ね?」
イチカは優しくそう語りかけると、ロイクは俯いたまま頷き、落ち込んだ表情で帰っていった。
「はあ。思春期の少年は何をしでかすかわからないわ・・・」
イチカは散らかった部屋を片付け、冷めてしまったお茶を一気に飲み干してから深いため息をついた。




