46. 言えないこと
イチカはハルと名乗った翔太そっくりのその男性に連れられ、市場を抜けて大きな通りに出る。少し歩くと赤茶けた色の大きな建物の前で立ち止まり「ここですよ」と言って彼はイチカの手を離した。
建物の入り口の横に、見慣れた木の看板が掛けられている。「グリーズ商会ジェンク支店」と書かれたそれを見て、イチカは安堵のため息を漏らした。
「ふう。よかった・・・あの、ありがとうございます!本当に助かりました。見ず知らずの私に親切にしてくださって、その・・・嬉しかったです。」
イチカが深く頭を下げてお礼を言うと、ハルは可笑しそうにハハッと笑ってイチカに優しい笑顔を向けた。その顔があまりにもあの頃の彼に似すぎていて、イチカの胸は押し潰されそうになる。
「いいんですよ、イチカさん。困っている方のお手伝いができたなら何よりです。この町は広いですから、また迷わないように気をつけてくださいね。それでは私はこれで。」
そう言って軽く会釈をすると、彼はそのまま元来た道を戻っていった。イチカはなんとなく別れが惜しくて、つい見えなくなるまで彼の後ろ姿を目で追ってしまった。
「イチカ!?よかった!!探したんだぞ!!」
その時後ろから突然大きな声が聞こえた。振り返ると、汗をかいたシオンが走り寄ってくる姿が見えた。
「シオン!ごめんね、市場の中で迷っちゃって・・・親切な方にここまで案内してもらったの。」
「そうか、とにかく無事でよかった!・・・ちなみに今見送ってたのって・・・」
シオンが先ほどのイチカの視線の先を見る。イチカはなぜかシオンには見られたくなくて、大きな身振り手振りで誤魔化した。
「ああ、そうそう、もう見えなくなっちゃったかなー?いい人に助けてもらってよかった!ねえ、今度ははぐれないようにするからもう一度朝食を食べに行かない?」
「まあ、いいけど。」
イチカの怪しい動きに何か不審なものを感じているのか、疑うような目でイチカを見つめる。イチカは満面の笑顔でシオンの腕に自分の腕を絡ませた。
「ほら!これならはぐれないでしょ?さあ、朝食!お腹すいたー!!」
「なんか怪しいけど・・・まあ、とりあえず朝飯だ!俺もお前を探して走り回ったから結構限界・・・」
限界と言いながらもどこか嬉しそうな彼の様子を見て、イチカはほっと胸を撫で下ろした。
(ついシオンに隠しちゃった・・・必要ないのに、どうしてそんなことしちゃったんだろ、バカだな私!)
とにかく朝食で元気をつけようと、イチカはグイグイとシオンを引っ張って、市場の中に再突入していった。
当初予定していたよりも遅くなってしまったが、無事シオンお勧めの屋台を発見し、店の丸椅子に腰掛けてようやく朝食にありつく。
いくつかの屋台は外国の食べ物も扱っているとシオンが教えてくれて、この国では珍しいスープ入りの麺を食べることができた。麺のコシはそれほどなかったが、野菜と魚介の旨味が詰まったスープは最高だった。朝の胃にも優しい。
(アジアな感じの食べ物なんて久しぶり!ううう、ここに来れてよかった・・・!)
野菜もたっぷりのそのスープを飲み干して大満足のイチカの顔を、「そうかそうか美味しかったか」と言いながらシオンがうんうんと頷いている。その顔に少し苛立ちを覚えて、「空腹の孫に美味しいものを食べさせて喜ぶおじい様みたいね」と言い返すと、ちょっとだけムスっとした顔になったのでイチカは多少スッキリした。
そんな慌ただしい朝を過ごし、宿を出たイチカ達は早速移動を開始した。
当初の目的通り、穏やかで安心して細々と暮らしていける場所を探すため、市場のある賑やかな地域を離れ、様々な花を栽培しているのどかな地域に向かう。
「ねえ、シオンは商会の仕事、色々深いところまで関わっているんでしょう?こんなに本部から離れた場所に来ていていいの?」
少しずつ喧騒から離れていく道すがら、イチカがずっと気になっていたことの一つに触れていく。
「イチカにはお見通しか。確かに本部に関わりのある人間ではあるよ。詳しくは言えないけど。でもこの町なら支店があるから何かあれば連絡は取りやすいし、俺のことは心配しなくていい。イチカこそ、ここにずっと住み着くつもりじゃないんだろ?」
「うん。数ヶ月後には行きたい場所もあるし、まずは商会の仕事に慣れるのが今回の滞在の目的かなあ。」
「そうか。イチカと同じ所に住みたかったけど、俺はここの支店の隣の建物に部屋があるからしばらくはそっちにいるよ。近くにいないとできない仕事もあるしな。イチカは商会に度々顔を出すことになると思うから、その時は必ず寄ってくれ。商会か部屋か、どちらかには必ずいる。」
シオンが仕事に対して誠実なのがその言葉から伝わってくる。そしてそんな中でもイチカのことを考えてくれているシオンの存在が、今は心からありがたいなと思う。その感謝の気持ちが自然な笑顔となって溢れ出る。
「ありがとう、シオン。」
「お、おう。何だよ、素直なお前は心臓に悪い!」
なぜかその顔は少し赤くなっていた。
「何それどういう意味よ!」
「あはは!そっちの怖い顔のイチカの方がほっとするな!」
「あっそう。じゃあもうシオンにはずっと怖い顔で対応します。」
「え!?それはまた話が違うって言うか、おいイチカ拗ねるなよ!」
いつもの二人、いつものやり取りを続けながら、四十分ほど歩いて目的地に到着した。
そこは一面に花畑が広がる、息を呑むほど美しい場所だった。イチカは元々花には詳しくないのでわからないが、少なくとも今まで見たことのない花なのは間違いなかった。
この世界にあるものは元の世界と大差ないものがほとんどだが、薬草や動植物は見たことのないものに出くわすことも多い。だが花畑を見た時の感動や高揚する気持ちは、世界に関係なく湧き起こるものなのだと、イチカは今心からそう感じていた。
少し遠くを眺めると、広々とした花畑の少し先に一本大きな通りがあり、通り沿いには小さな商店がいくつか並んでいるようだ。今回はその通りから少し奥に入った場所にある部屋を、シオンに紹介してもらうことになっている。
花畑が見え始めてからさらに十五分ほど歩くと、大きい通りを抜けて細い道に入る。そのまま真っ直ぐ進むと道が少し斜めに曲がっているところがあり、そのカーブになっている場所に、小さな庭のついた真っ白い家が見えた。
白い板張りの壁が目に眩しいその家は、シェアハウスのような形で数名の女性が住んでいる場所とのことだった。キッチンやリビング、水回りは全て共同、寝室は一人一部屋ずつ割り当てられ、ベッドや小さなデスクなどは元々置かれているものを使用できるとシオンが説明してくれた。
「とにかく一度中を見てみよう。その後で住むかどうか決めてくれればいいよ。あ、ローザ!久しぶり!」
シオンの視線が上に移動し、ローザという女性に声をかけた。その女性は二階の窓から手を振った後、階下におりて玄関のドアを開けた。
「あらシオン、本当に久しぶりね!会いたかったわ!」
そう言って彼女は突然シオンに飛びついた。
「おわっ、何だよ突然!びっくりするだろ!?わかったからほら離れてくれ!」
珍しく動揺した様子のシオンを見て、イチカは何かを察したかのようにニヤッと笑う。ローザに抱きつかれながらもその視線に気づいた彼は、慌てて彼女を引き剥がした。
「いや、違う、彼女はその、そういうんじゃなくて・・・」
「嫌だ何、シオンがそんなに慌てるなんて天変地異の前触れかしら?・・・ねえ、こちらの可愛い子はどなた?」
金色に光るウエーブした長い髪を揺らしつつ、ローザと呼ばれた女性はシオンから離れ、少し屈んでイチカを見つめる。背が高くスタイルも抜群のその女性にイチカもすっかり見入ってしまっていた。焦茶色の体の線がよくわかるロングワンピースが、彼女によく似合っている。
「初めまして、イチカ・アオキと申します。今日はシオンにこちらの部屋を紹介してもらいにきました。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
イチカが丁寧に挨拶をすると、キョトンとした顔でローザが姿勢を伸ばした。
「あら、入居希望者だったの?でもシオンがわざわざ連れてくるなんて意外ね。どういう関係?」
シオンとイチカは一瞬目が合い、二人同時に口を開いた。
「大事な相棒だよ。」
「仕事仲間です。」
「・・・温度差があるわね。」
「イチカ・・・」
イチカはアハハと乾いた笑いでその場を乗り切る。ローザから「とにかく入って」と中に促され、シオンの視線をうまく躱しつつ中に入った。
「ここは自分の部屋以外は全て共同になっているの。キッチンだけは二人で使えるようになってるけど、みんなあまり料理はしないから大体空いてるわ。お風呂は日時を予約しながら自分で準備して入ってもらう感じね。水は井戸水がどんどん湧いてくる土地だから、すぐ裏にずっと流れ出ている場所があるからそれを使って。キッチンとお風呂にも流せるからまたそれは別途説明するわ。まあそんな感じだけど、部屋も見たい?」
「はい、ぜひお願いします!」
「・・・可愛い子ね。いいわ、いらっしゃい。」
最初は少し派手な怖いお姉様かしらと思っていたが、何やら気に入られてしまったようでイチカは少しほっとする。
ローザの後ろをついて二階に上がり、一番奥の部屋に案内された。そこは南向きの日当たりの良い部屋で、ベッドや寝具はもちろん、カーテンも付いていていつでも入居出来そうな部屋となっていた。
「明るくて素敵な部屋ですね!」
「そう?気に入ってもらえたなら何よりよ。ちなみに家賃は週払いと月払い両方できるわ。共同だし、市場周辺よりは格段に安いから安心して。」
イチカはその場で決断した。
「シオン、私ここにしたい!」
「お、いいね。決めるとなったら早いのがイチカだよな!了解。最初のニ週間の家賃は俺が持つ。その間に商会で仕事をいくつかやってみたらいい。どのくらいのペースで働けばいいか、どんな仕事があるかを確認するのに最低でも一週間は必要だろ?」
シオンの提案に、また彼に甘えてしまっているような気がして少し気が引けた。
「いいの?そんなに甘えちゃって?」
「当たり前だ。俺がしたくてしてることだし、正式ではないにせよ俺達は相棒としてこれからやっていくんだから。しばらくは別々の仕事になるとは思うけど、せっかくだからまずは一人の仕事を頑張ってみろよ。」
「うん。色々ありがとう、シオン!」
「おう!」
シオンはイチカの頭に上にポンと手を置くと、優しく微笑みかけた。そしてその後すぐ、ドアの近くで二人の様子を遠巻きに見ていたローザを連れて下に行ってしまった。
イチカは一人その部屋に残り、窓に近づく。カーテンを開け外を見ると、そこには先ほど通ってきた一本の細い道が見えた。その道の先には、建物で切り取られてしまった花畑の欠片が見える。
「素敵ね・・・」
しばらく滞在することになった新しい部屋は、もうすでにイチカの大好きな場所になりつつあった。




