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45. 新たな町と迷子のイチカ

 幌の下、日を浴びずに移動できることになり上機嫌のイチカは、外の景色をぼんやりと眺めながら馬車に揺られていた。


 この町に来る時に嫌というほど見ていたあの高い藪はもう見えず、今度は少し開けた丘と草原が広がる景色の中を進んでいった。ビビカナからの移動に比べれば、多少の揺れなど我慢できる範囲だ。


 そして心地よい風が吹き抜けるその場所を過ぎると、少しずつ花畑が目に入るようになってくる。



「イチカ!もう少しその箱ずらしてくれないか?俺の方が体がでかいんだからちょっとはさ・・・」

イチカは取りつく島もなく「いや」と言ってそっぽを向いた。

「私はまだここ数日のあなたの所業を完全に許してはいないんだからね。あなたの方から『何でもするから許してくれ』って言ったんだから最後まで頑張りなさいな。」

「うう、仕返しがキツすぎる・・・ケーシー、あとどのくらいで向こうに着くんだ?」


 ケーシーは笑いながら「あと三十分はかかるなあ!」と返してくる。


「はあ。なあイチカー、悪かったよ!何度でも謝るからさ。頼む!一箱分だけ!!」

「いーやーでーすー。」

「くそう!!」

「ハハハ!楽しそうだな、お前達!」


 荷馬車に乗る前、ここ数日の目に余るシオンの愚行の数々に対しイチカが愚痴を言い始めたところ、シオンが自ら「何でも言うことを聞きますからお許しを!」と言い出した結果が現在のこの状況だ。


 イチカは野菜の箱をシオンの方にできるだけ寄せて広々と場所を取り、足を伸ばしてゆったり座っている。対するシオンの方はというと、イチカに大きい箱一つ分の場所を譲ってしまったので、体を小さく丸めて荷物の隙間にどうにか挟まって座っていた。


「まあ、あと少しだから仲良くやってくれよ、お二人さん!」


 ケーシーは面白そうにそう言うと、また前を向いてしまった。イチカは苦笑しながらシオンの方を見て声をかける。


「ねえ、次の町には商会の支店があるのよね?」

「ああ。ジェンクは比較的大きな町だからな。ただ危険な依頼はあまりない。家事や店の手伝い、それから花の収穫や販売の手伝いなんかが多いんじゃないかな。でも市場の賑わう時には護衛の仕事も少しは増えるよ。・・・うう、きつい!」


 シオンは少しでも楽な姿勢になろうと身動きをしながら返事をする。イチカはほんの少しだけ箱を自分の方に引き寄せた。シオンの表情が明るくなる。


「イチカ!やっぱり俺のイチカだな!ありがとう!」

「あなたのものになったつもりはないけど。・・・これで少しは足、伸ばせるでしょ?」

「おう、ありがとな!」


 ニカっと豪快に笑うその元気な顔を見て、イチカも釣られて笑ってしまう。



 ケーシーが言っていた通り、三十分ほど経つと次第に景色が変わり始めた。花畑が多かった穏やかな風景から、建物が増えて賑やかな街並みが現れ始める。煉瓦造りの高い建物が並ぶ美しい通りには、たくさんの人々が生き生きと動いている様子が見られ、イチカはその活気のある庶民的な雰囲気に魅せられていた。


「人がいっぱい!活気があっていい!それとビビカナの時とは違って、こっちはいろんな人達が歩いているのね・・・」


 ビビカナの大通りは比較的裕福な人達なんだとわかる服装ばかり目についたが、ここでは商人も観光客も貴族も庶民も、あらゆる人々が行き交う生きた町、という印象を受けた。


「お前が望むような静かな生活環境がある地域はもっと先にある。でも気になるなら今夜だけ市場の近くの宿に泊まって、明日は市場の観光してみるか?」


 イチカはシオンの提案にすぐさま飛びつく。


「え!いいの!?行く行く!!活気ある市場ってちょっと行ってみたかったのよね!楽しみ!!」

「どうせ美味いものが食べたいとかだろ?」

シオンが小馬鹿にしたように言う。

「何よ!美味しいものは人類共通で好きでしょ!」

イチカは全力で反論した。

「人類って、スケールがでかいよ!・・・まあ好きだろうけどさ。」

イチカの勢いに押されてシオンが引くと、イチカはわざと顎を上げて腕を組み、強気な態度に出た。

「ほら見なさい!私だけ食い意地が張ってるみたいな言い方はやめてちょうだい。箱戻すわよ。」

「わー!ごめんって!イチカ様の言う通りです!」

「わかればいいのよわかれば。」


 ケーシーはこっそりと噴き出し、シオンは苦い顔で、全くイチカには敵わないよと言ってふて寝してしまった。



 ケーシーとはその後市場の前でお別れし、二人はそのすぐそばにある簡素な宿に宿泊した。観光地化しているのでこの辺りの宿は高いらしい。イチカは安心して寝られればどこでもいいと思っていたので、ベッドしか入らないような小さな部屋で一晩寝るだけの時間を過ごした。



 翌日はいよいよ市場に向かう。


 市場というだけあって、その朝はとても早い。夜明け頃に起床してウキウキしながら繰り出すと、もうすでに人がかなり出ている状態だった。


「すごい!こんなに朝早くから活気があるのね!」

「そうだな、朝の方が新鮮な野菜や隣の町にある湖とか海とかの魚介類も出揃うから、近所の人はこの時間に狙ってくるんじゃないかな。」

「へえ!まあ食材はさすがに買わないけど、朝食は屋台とかで食べられそうね!」


 シオンはやっぱり、という顔でイチカを見つめていたので、ちょっとだけ腕を叩いて膨れた顔を向けた。


「何その顔?言うと思った!みたいな顔でしょそれ!」

「ハハハ!膨れた顔も可愛いよ、イチカ!」

「かっ、可愛いって・・・!ちょっと恥ずかしいこと言わないでよ!もう!」


 照れた顔を隠すように前を歩き、様々なお店を見て歩いた。


 しばらく夢中になってあちこちを見ていると、なぜか途中からシオンの気配が無いことに気づいて振り返る。


「あれ、シオン?」


 周りにはシオンらしき影はなく、先ほどよりも人が増えてきた市場の中では逆行することも難しかった。仕方なく先に進みながら彼を探すが、なかなか見つけられない。


「シオン、どこに行っちゃったのかしら。ていうよりむしろここを知らない私の方が迷子ってこと!?やだ恥ずかしい!どうしよう・・・」


 人混みを避けるように市場のメインの通りから少し離れ、細い横道に逸れてシオンの姿を探した。背が高いシオンの顔が見えないということはかなり離れてしまったのだろう。これは誰かに聞くしかないかと、何気なく後ろを振り返ってイチカは硬直した。


 そこで見たものは、夫、翔太の姿だった。


「え・・・しょうちゃん?」


 その細い道に奥の方に、数名の騎士の服装を纏った男性達が立っている。その手前で何やら厳しい顔で指示を出している様子の黒髪の男性、彼だけは貴族の普通の装いのようだが、その横顔は紛れもなく愛する夫の顔だった。


(嘘でしょ、しょうちゃんがここにいるはずない!いやでももしかしたら彼もここに?・・・いやそれはない。だって私は前の姿とは違うし・・・それにしても似てる!)


 イチカの怪しげな視線に気づいたのか、目が合った途端、その翔太にそっくりな男性がこちらにずんずんと近づいてきた。


「お嬢さん、私に何かご用ですか?」


 顔はよく見ると当時の翔太よりもずっと若々しく、出会った頃の彼に近い容姿だ。ただ声も翔太にそっくりで、あまりにも似過ぎている彼にイチカは動揺が隠しきれなかった。


「あ、あの、すみません、ジロジロ見てしまって!あなたが私の知り合いにあまりにも似ていたもので・・・」

イチカが恐縮しながらそう言うと、翔太の顔をしたおそらく別人の男性が、優しく微笑んで言った。

「そうですか。珍しいですね。私の母は異国から嫁いできたので、この国でこの容姿は少し目立つのですよ。あなたの知人の方も異国の方かな?」


 イチカは戸惑いながらただ黙って頷いた。


「そうですか。世の中には似ている人がいるものですね。事情がわかったので安心しました。・・・突然声をかけてしまってすみませんでしたね。それではこれで。」

「あ、あの!」


 思わず呼び止めてしまい、イチカは冷や汗をかいた。だがどうしてもこの男性のことが気になっていた。チャンスを逃したくないと脊髄反射的に声が出てしまい、男性がゆっくりと振り向く。


「はい、何でしょう?」

「私、ここは初めてで道に迷ってしまって、その、グリーズ商会の支店ってどこにあるかご存知ですか?」


 その男性は一瞬冷たい眼差しを向けたように感じたが、そのすぐ後にはまた優しい笑顔を浮かべ質問に答えた。


「知っていますよ。迷っていらっしゃるのでしたらご案内しましょうか、お嬢さん?」

「はい、ありがとうございます!私はイチカと申します!」


 彼はふふっと面白そうに笑って言った。笑った顔すら彼に似ている。


「私はハルと言います。ではご一緒に参りましょう。はぐれてはいけないですから、お手をどうぞ。」


 イチカは顔をほんのり赤くしながら、ハルと名乗ったその男性の手に自分の手を載せた。ただその手は少し冷えてゴツゴツとしていて、いつも温かく柔らかかった翔太の手とは違っていた。


「ありがとうございます。」


 そしてイチカは優しくエスコートされながら、賑やかな市場の中を抜け、まだ知らぬこの町のグリーズ商会に向けてゆっくりと歩き始めた。


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