43. 過去を告げる時
パウヌの宿を出た二人は、その足でマルコの待つ宿へ向かった。歩いて数分という距離なので、帰りは馬車を呼ばずに歩いて帰る。町は相変わらずそれなりに人が出ていて、寝不足のイチカもそんな明るい景色に少し元気をもらう。
マルコの宿に着き、二人は一旦各々の部屋に戻った。イチカはすぐに服を着替えていつもの動きやすいシャツとスカート姿に戻る。おしゃれな服は肩が凝るわ・・・などと言いながら脱いだ服を布の袋に入れて、洗濯屋に行こうと再び外に出た。
「あれ、イチカどこに行くんだ?」
シオンが部屋のドアから顔を覗かせてイチカを呼び止める。
「洗濯屋さんだよ。せっかくだからシオンのも持っていこうか?」
シオンはもういつもの旅人スタイルに戻っており、部屋の奥から洗濯物の袋を持って近づいてきた。そしてイチカがぼーっとしている間に、彼はイチカの袋を優しく奪っていく。
「あ・・・」
「まだ昼食まで時間があるから少し部屋で寝てろよ。これは俺が出してくるからさ。」
そう言い残して彼はあっという間にそこを離れ、宿を出ていってしまった。イチカはありがたいなと思いながらすぐに部屋に戻り、明るい日差しが入る窓のカーテンを閉めてベッドに横になった。
洗濯物を出して一息ついていたシオンは、昼食は外で何か食べようと思い立ち、昼近くにイチカの部屋を訪れていた。イチカの部屋はなぜか鍵が開いていて、不用心だなと眉を顰める。
「イチカ、起きろよ。昼飯食べに行こう!イチカ?イーチーカー?」
「ううん・・・しょう・・・」
シオンは小首を傾げてイチカの寝言を聞いていた。
「しょうちゃ・・ん・・・」
イチカの手が少しだけ上にあがって、またベッドに落ちる。そして再び彼女の顔に目を向けたシオンは、その目に涙が浮かんでいるのを見て、一気に表情を変える。眉間に皺が寄っていく。
「それ、誰かの名前なのか?」
答えの返ってこない質問を投げかけたまま、シオンはイチカの頬に触れた。目の横に流れた涙を親指で拭うと、起きる様子のない彼女を置いて、一人外に出ていった。
紙袋のガサガサという音が耳に届き、何かとてもいい匂いのするものがイチカの鼻腔をくすぐる。まどろみの中から少しずつ覚醒し、すぐ目の前にあるシオンの顔に驚いて確実に目を覚ました。
「んなっ、何して・・・!?」
「おお!やっと起きたか!昼飯買ってきたから食べるぞー。」
シオンは何事もなかったような顔をしながら紙袋をイチカに手渡し、自分はさっさと椅子に座って何かを食べ始めた。
イチカはまだバクバクしている心臓を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返してから体を起こした。
「どうして部屋の中にいるのよ!?」
「え、だって鍵が開いてたから。」
「え!?本当?やだ、あの後すぐ寝ちゃったから・・・」
シオンは食べながら横目でイチカをチラッと見た。
「あんまり不用心が過ぎると今後ずっと宿は同室にするけど。」
「やだやめてよ!気をつけるから・・・。」
「そうしてくれ。あ、それ今日の昼食。早く食べてマルコさんのところで待機だな。もし彼女が来なかったら迎えにいかなきゃならないし。」
イチカは紙袋の中身を見て一気にお腹が空いてくる。いい匂いの元はフライドチキンだったようだ。ハーブが効いた鶏肉のいい香りがイチカを一瞬で幸せにする。
(いただきます!)
心の中できちんと食べ物への感謝を述べて、フライドチキンとまだ温かさが残る野菜サンドを頬張る。思っていたよりボリュームがあって、イチカはすっかり気力と体力を取り戻した。
そんなイチカの様子を見ていたシオンが、紙袋をゴミ箱に捨て、唐突にイチカに尋ねた。
「なあ、イチカ。『ショウチャン』って、なんだ?誰かの名前か?」
イチカは、食べ終わった袋を持ったままそこで立ち尽くした。
「どうして・・・その名前・・・?」
シオンは黙ってイチカに近づき、その手から紙袋を取り上げてゴミ箱に捨てた。ガサっという音が妙に耳に残る。
「さっき寝言で言ってた。ついでに泣いてたから、誰かの名前かなって。」
「・・・そう。」
「イチカ。」
「後でちゃんと話すから。今はやめて。」
「・・・わかった。」
そうして微妙な雰囲気になった二人は、静かに部屋を出るとマルコの待つ自宅へ繋がる入り口へと足を運んだ。
宿の入り口から見える小さなロビーの奥に、小さなフロント部分に当たるテーブルがある。そのさらに奥にドアが付いていて、そこはこの宿の主人であるマルコの自宅に繋がるドアになっていた。
まだ早いとは思ったが、イチカ達はロビーのソファーに腰かけて二人を待った。先に現れたのはエマで、朝とは打って変わって落ち着いた様子の彼女は、丁寧に二人と挨拶を交わすと、そのまま静かに立っていた。
そしてマルコが奥のドアから現れる。
「エマ!」
「・・・マルコ、ごめんなさい、ごめんなさい!」
二人は少し距離を置いたまましばらくそこに立っていた。何人か宿泊客が近くを通ったが、それにも気づかず立ち尽くす二人を見るに見かねて、シオンが立ち上がった。
「お二人さん。ここじゃ話がしずらいだろ?移動しませんか?」
「はっ、そうですね!すみません。あの、僕の自宅の方へどうぞ。」
マルコが我に返り歩き出した。そうして四人は、例のドアを抜けて、彼の自宅へと入っていった。
案内されたのはダイニングルームで、そこにあったテーブルにエマとマルコが向き合うようにして座ってもらい、イチカ達は椅子だけ借りて少し離れて座る。
マルコの家は古い家具が多かったが、どれもしっかりと手入れされていた。汚れていたり乱雑になっているものはほとんどなく、どれも丁寧に磨き上げられ、古くても艶を保っていて、大切に使われていることが窺えた。
彼の丁寧で几帳面な仕事ぶりは宿泊していても伝わってきていたので、イチカは『マルコさんらしいわ』などと納得しながら部屋を眺めていた。
「エマ。テスのことは、もういいよ。君が嫌がらせでこんなことをしたんじゃないなら。・・・違うって思っていいんだよね?」
マルコが話の口火を切る。エマは少し青ざめた顔をしながらも、今日は俯かずに話を聞いていた。
「嫌がらせなんかじゃないわ。でも、結果としてあなたに嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。」
エマは目を閉じて頭を下げ、そしてまたマルコの顔を見た。
「エマ、僕は・・・」
苦しそうな表情を浮かべるマルコを見て、イチカは思わず立ち上がった。
「イチカ?」
「マルコさん。私達、もういなくても大丈夫ですよね。ここから先はお二人で話をなさってください。第三者がいたら話せないことも多いと思います。私達はまだ今夜も泊まる予定ですから、報酬のことなんかは後でシオンと話をしてください。シオン、行こう?」
「・・・ああ。では、失礼します。」
イチカは前を向いて一歩歩み始めた二人を心の中で応援しながら、マルコの家を出て黙々と自分の部屋へ向かう。そして部屋に入る前に、シオンを呼び止めた。
「シオン、話があるの。」
彼はハッとしたように顔をあげ、イチカを見つめた。
「おう。今でいいのか?」
「うん。私の部屋でいい?」
「ああ。」
「・・・どうぞ。」
イチカはそう言ってドアを開け、シオンを中に招き入れた。
「そこに座って。」
イチカは彼に椅子を勧めたが、なぜかシオンはベッドに腰をおろしたイチカの横に座った。
「ここがいい。」
「・・・近いんだけど。」
「知ってる。」
「はあ。もういいわよ。・・・何から聞きたい?」
「お前を悲しませている原因。」
「・・・!」
イチカは一瞬ドキッとして動きを止めた。シオンのその声に、なぜか言い知れぬ恐怖を感じていた。一度目を閉じてその感覚を振り払う。
「今から話すこと、もし信じられなかったらそれでもいい。でも決して誰にも言わないで。」
「わかった。」
「・・・私には前世の記憶があるの。しかもこことは全く違う世界で生きた記憶。」
「どんな記憶?」
シオンは全く驚いた様子もなく淡々と質問を返した。
「それは、私の話を信じてくれるってこと?」
「前世の記憶があること?とりあえずそれは納得したからいいよ。俺が気になってるのはそこじゃないから。」
「シオン、怖い顔してる。」
「イチカ、俺が知りたいのはどうして時々悲しそうな顔をしてるのかってこと。お前がずっと隠してきたことだよ。」
イチカはベッドから立ち上がろうとして動いたが、シオンに手を掴まれて再び元の場所に戻った。そして彼から距離を取ることを諦めて話を続ける。
「私は前の世界で、四十二歳まで生きて、夫と死別した後に事故で死んだの。」
「夫・・・?」
シオンの顔色は変わらない。だが何か深く考えている様子ではあった。
「彼の名前は『ショウタ』、その愛称が『ショウチャン』だったの。たぶん、寝言で話してたのは彼の名前。」
「・・・それでいつもあんな悲しそうな顔をしていたのか。」
シオンはイチカの手をぎゅっと握りしめる。だがその表情はやはり変わらないままだ。
「私は彼と本当に愛し合っていたの。十三年間も一緒に暮らして、その間ずっとずっと仲が良かった。本当に優しくて、温かくて、いつも私の味方でいてくれた、世界一大切な人だった。」
「・・・」
イチカはポロポロと涙をこぼし始めた。一度泣き始めるとその涙はもう止まらなかった。
「でも彼は事故で死んでしまった。まだ私達これから長い長い時間を一緒に過ごすつもりだったのに。老後はたくさん旅行をしようって約束してたのに。なのになんで、なんで死んじゃったの!?どうして私はあなたのいる天国に行けなかったの!?違う世界になんて生まれ変わりたくなかった!!早く天国の彼に会いに行きたかったの!!しょうちゃんに会いたい、会いたいよ・・・」
それはもうシオンに向けた言葉ではなく、自分の中に何年も積み重なってきた耐えきれぬ苦痛を吐き出しただけの、叫びに近い言葉だった。
そしてその時、シオンがふいにイチカを抱きしめた。
「イチカ・・・」
イチカは驚いて全力でシオンを押し返す。だが彼はびくともせず、その腕の中でイチカはそこから逃れようと無駄な足掻きを繰り返す。
「やだ、やめてよ!離して!!」
「いいから、泣いていいから。ここにいろよ。」
「・・・!」
穏やかな彼の声に、彼の腕の中の温もりに、イチカは全身の力が少しずつ抜けていく。
そしてそのまま、溢れ出る涙が彼の服を濡らしていることにすら気づかないまま、イチカはひたすら嗚咽を漏らしながら涙を流し続けていた。




