39. 知りたい彼、悩む彼女
仕事に抜かりのないシオンは、どうやらあらかじめマルコに「今日は夕食はいらない」と話してあったらしく、当たり前のようにケーシーの家に宿泊する予定で動いていたことがわかった。
それを知ったイチカは、全くそんな話を聞かされていなかったことに抗議の声を上げる。
「最初から別のところに泊まるつもりだったならもっと早く教えてよ!何も荷物を持ってないのに、このままよそのお家にお泊まりしろってこと!?」
かなり機嫌を損ねた顔でそう言うと、
「ごめんイチカ!この通り!必要なものはケーシーに頼んで準備してもらうから!」
と言って、まるで祈るかのように両手を前で組み、少ししゃがんでイチカの顔を覗き込みながら謝ってきた。今までしたこともないような子どもっぽい謝罪姿に、イチカは閉口する。
(何だろう、私だんだんシオンのペースに流されていってない!?)
「もういいわよ!・・・はあ。」
シオンは急に、ソファーに座っていたイチカの横に腰をおろし、肩に腕を回してニコッと横から笑いかけた。
「優しいね、イチカ!それでこそ俺の相棒!」
「調子いいことばっかり言って!ほら、腕をどけて!」
イチカはしかめっ面のままシオンの重い腕をグッと上に持ち上げ、そこからスルッと抜け出した。シオンは寂しそうにその腕を元に戻す。
「これもダメなのか?なんだよイチカ、つれないなあ。」
「ダメに決まってるでしょ!男同士じゃないんだから、その辺りはわきまえてちょうだい!」
イチカが冷たくそう言い放つと、一旦席を外していたケーシーが荷物を抱えて戻ってきた。
「これはとりあえずお前の分。好きなのを選んで持ってってくれ。あ、洗濯屋は宿の近くにあるからそこに出してから返してくれよ!イチカさんの分は、午後に妻が帰ってくるんでその時に用意させます。」
「何から何までありがとうございます!」
イチカはシオンから少し離れて座り直し、丁寧に感謝の気持ちを伝える。ケーシーは手を振っていいんだいいんだと優しく答えてくれた。
「それよりも夕飯までまだ時間もあるし、この辺りは何にもないけどのどかでいい所なんだ。よかったら、うちの周りでも散策してきたらどうだい?・・・二人で。」
「ケーシーさん!?」
「お、そうしようか、イチカ!どうせ明日から恋人同士のふりもしなきゃならないし、練習練習!」
嬉しそうにはしゃぐシオンが、イチカの手を許可もなく握りしめて立ち上がった。温かい目で見つめるケーシーを横目に、イチカはシオンに無理やり立たされ外に連れ出されていく。
「ちょっとシオン!ふざけてないで手を離して!」
イチカはぎゅっと握られた手の大きさに少し動揺しつつも、しっかりと文句は伝える。しかしシオンは全く意に介さず「まあまあ、ケーシーもああ言ってたし」などと言いながらどんどん先に進んでいった。
家の周りには、遠くまで広がる畑と土でできた道だけが延々と続いている。夕日が沈む時間に差し掛かり、辺りはオレンジ色の輝きを帯び始めていた。決して見慣れた景色ではなかったが、夕日が映し出す郷愁はなぜかイチカの胸を締めつけていく。
「綺麗ね。夕日が落ちる時間帯は切ないけどなんかいいな。」
歩きながらイチカが独り言のように呟く。
「・・・まだ日は暮れない。もう少し歩こう?」
「もう!わがままな弟を持つと大変ね!」
半分ふざけて半分呆れた調子でそう言うと、シオンは急に真面目な声で反論した。
「イチカは俺の姉じゃない。」
「・・・え?」
彼は突然振り向き、立ち止まった。その目はじっとイチカを見つめ、先ほどの言葉を繰り返す。
「俺はイチカを姉とは思っていない。」
「えっと、それはもちろん私も本当に弟とは思ってないけど・・・え?どうしたのシオン?ここ数日ちょっとおかしいよ?」
「・・・自分でも、よくわからない。」
絞り出すような声、そして昨日見たあの憂いを帯びた表情がまた現れた。
「ただ、俺の知らないイチカがいるんだと思うと・・・苦しい。イチカは絶対に過去を話してくれない、でも俺は知りたくて足掻いてるんだ。なあ、どうしても俺に話せないことなのか?」
「シオン・・・」
シオンの苦悩がそのことに起因しているのは心のどこかでわかっていた。それでも何かが変わってしまうのが怖くて、決断できずにここまできてしまった。口に出すのも辛いあの過去をうまく言葉にできる気もしなかった。
(それにもし私が聖人だって気づいたら、彼はどうするんだろう?そもそも元の髪の色の秘密、彼は知っているのかしら?)
そんなイチカの不安をよそに、彼は強く手を握った。もう片方の手も握られてイチカはハッとして顔を上げる。シオンの強い視線がイチカのそれを捉えようと待ち構えていた。
二人の目が合う。心臓の音が大きくなっていく。
イチカは自分でもなぜかわからないまま、その目を見ているのが怖くなって思わず目を伏せた。
「は、話してもいいけど・・・誰にも言わないって約束、できる?」
思わず考えなしに言ってしまってから後悔し、取り下げようと口を開いた。だがシオンの小指がもうそれを許さなかった。
「イチカ。ほら小指はもう繋げた。誰にも言わないって約束する。頼む。俺の知らないイチカを教えてくれ。」
結ばれた小指を見ながら、イチカはとうとう覚悟を決めた。
「・・・わかった。でも猫の件が解決してからにさせて。それでもいい?」
ゆっくりとシオンを見上げると、彼は優しく微笑みながら頷いた。イチカは指切りをした後すぐに両手を離し、急いで来た道を戻った。シオンは黙ってその後を追って歩いてくる。
(シオンにとうとうあの話をするのか・・・ちょっと怖いな)
頭の中で様々な結果をシミュレーションしてみるが、結局どのルートでも碌なことにはならないような気がして、イチカは少し暗い気持ちになっていた。
ケーシーの家に戻ると、彼の妻マーサが帰ってきていた。挨拶を交わし、部屋のインテリアについても話を振ってみる。するとマーサは大喜びし、あっという間に意気投合してしまった。すっかり仲良くなった二人は、四方山話に花を咲かせつつ夕食の準備に取り掛かる。男性陣もそこに加わり、その夜はさらに四人で交流を深めていった。
気のいい夫婦のおかげでケーシー宅滞在はとても楽しい時間となった。その夜はみんなでわいわいと食事や酒を楽しんでから就寝し、翌日イチカは気持ちの良い朝を迎えた。
「イチカ!この服どうかしら?あなたにとても似合うと思うのよ。」
「凄く素敵です、マーサさん!でもこんな綺麗な服お借りしちゃって本当にいいんですか?」
「いいのよ!滅多に着る機会も無いし、イチカなら似合うと思うわ。胸の大きさは、私ちょっと負けてるけど・・・」
今イチカはマーサの部屋で、パウヌの宿への宿泊用の服を選んでいる。マーサはまだ二十歳ということで、若い女性の服をたくさん持っていた。その中でも特に上品なものを試着させてもらっていたのだが、そんな服など全く着慣れていないイチカは、どれを着てみても服に着られているような気がして落ち着かなかった。
「そんなに派手では無いし、ぜひこれにしてみてよ。大丈夫、似合っているし大人っぽいわよ!あ、もう一着はこっち!どっちも旅行をする貴婦人達が着るようなドレスだから、あそこの宿に泊まっても問題ないわ。」
「ありがとうございます!きちんと洗濯してお返ししますね。」
マーサはにっこりと微笑んで鏡台の椅子に腰かけた。
「ねえ、ところであなたとシオンさんは、やっぱり恋人同士というか、そういう関係なの?」
「え!?違います違います!仕事の相棒ってだけです!」
ついムキになって否定してしまい、マーサに笑われてしまう。
「ふふふ!可愛らしいのねえ!まだ若いんだからこれからよね。ああ、だけどケーシーが、シオンさんは女性に結構好かれるって言ってたから、早く押さえてしまいなさいよ?」
「いえ、ですから違うんです、本当に・・・」
ニコニコと頷くマーサにこれ以上言っても無駄な気がして、イチカは困り顔で服を受け取り、苦笑いを浮かべた。
そして二人にお礼を言ってケーシー宅を後にすると、すでに着替えた様子のシオンが外でイチカを待っていた。
(ウソ・・・海外のモデルさんみたいなスタイルね!服装もスーツとは少し違うけど、海外の昔の紳士って感じで・・・似合ってる)
シオンは濃いグレーの服に身を包み、白いシャツを中に合わせていた。高価な服を当たりのように着こなしている彼の様子を見て、やはり裕福な家の息子なのかしらと訝しむ。
よく見ると彼の後ろには馬車が停まっており、どうやら今日はそれに乗って宿まで行くようだ。
「シオン、おはよう。ずいぶん用意がいいのね?」
「もちろん。仕事をするとなったら徹底してやるさ。さあお嬢さん、お手をどうぞ?」
いつもの大きな手が服装の効果なのか、より遠いものに感じて、手を添えるのをつい躊躇ってしまう。シオンがふっと笑いながら、そんなイチカの手をグッと引っ張って体を引き寄せた。
「え、ちょっと!?」
「それとも抱き上げた方がよかったかな?どうする?」
「またそうやってふざけて!もう!乗ります、乗りますよ!」
シオンの手を支えにしながら馬車に乗り込み、席に座った。シオンも隣に座って優しく微笑む。
「ではイチカさん、行きましょうか。」
「・・・ええ、参りましょう。」
気取った二人が顔を見合わせて笑い合う。シオンが馭者に合図を送ると、ゆっくりと馬車は動き出した。




