34. 夢の向こう側
その夜、イチカは夢を見た。
しょうちゃんこと、夫の翔太と、夕食を食べ終わっていつものように片付けをしていた。
「一花、今日は俺が洗い物するよ。」
「だめ!しょうちゃんは昨日仕事遅かったんだから今日はそっちで休んでて!」
「大丈夫だって!あ、じゃあ俺キッチンの床をドライシートで掃除しようかな。」
「ほら!そこ働かない!ソファーに座って寛いでなさい!」
「えー?だって寂しいじゃん。いいからいいから、一緒にやれば早いよ。」
翔太はそう言って結局洗い物を手伝ってくれた。優しくて、穏やかで、結婚してもう十年以上経つのに、いつまでも一緒にいて楽しくて大好きな人だった。
「しょうちゃん、食後のデザート食べよう!」
「おお!今日はいける。ご飯軽めにしといたから。」
「美味しそうな桃もらったの!夏だねえ。」
「あはは!そうだねえ。」
一花が桃の皮を剥き、一口サイズに切ってお皿に入れていく。すかさず爪楊枝でつまみ食いを始めた翔太に苦笑しながら、薄いピンクの花が咲いたようなお皿を持ってテーブルに移動した・・・
「あれ、夢か・・・」
目を覚ますと、朝を迎えていた。まだ日が昇って間もない時間のようで、朝日がカーテンの隙間を通って真横から差し込んでくる。
(桃、一緒に食べたかったな・・・)
決して食い意地が張っているわけではなく、単に翔太と一緒に食後の幸せな時間をもう一度楽しみたかっただけだと自分に言い聞かせる。
「でも結局昔から美味しいものには目がなかったんだな、私・・・」
ちょっとだけ自己嫌悪に陥りながら、朝の身支度を済ませてシオンの部屋に向かった。
「シオン?まだ寝てる?」
もし寝ていたら申し訳ないと、小さくノック、小さく声をかけてみる。するとドアの向こうからゴトゴトと何やら音が聞こえ、ガチャっとドアが開いた。
「・・・お」
寝ぼけ眼のシオンが、白っぽいシャツとユルッとしたズボンを着て、なぜかお腹あたりを掻きながらあくびをしている。
「はいそこ!お腹出して寝てると冷えて痛くなるわよ。しっかりしまって!」
「・・・朝から口うるさい母親みたいなこと言うなよ。何か用?」
「うん。昨日の真っ白になっちゃった服、洗いたいから洗濯物出して。」
シオンはそこでようやく目が覚めたのか、眉間に皺を寄せてイチカを見た。
「なんでお前が俺の洗濯物を洗うんだ!?いいよ、後で洗濯屋に持って行くよ!」
「え、なんで?だってお金が掛かって勿体無いじゃない!私が洗えばタダだよ、タダ!今日は天気もいいしさ。ほらいいから出して。下着も全部!」
シオンは慌てだし、全力で拒絶する。
「い、いいよそんなの!お前は俺の母親か!?」
「何よ、昨日は姉って言ったんだから、さらに年上になったって問題ないでしょ?」
「根に持ってる、絶対根に持ってる・・・!」
イチカはニヤリと片方の口角を上げ、目を細めた。
「スキアリ!!」
まだぼーっとしている彼の隙を突いて勢いよく部屋に飛び込むと、洗濯物が入っているであろう布の袋を発見し、しっかりと右手で掴んだ。そのまま部屋の外に出ようとして、あっさりシオンに捕まる。
「キャッ、ちょっと、離してよ!!」
「男の部屋に勝手に入ってきて、離してよは通用しないんじゃない?イチカさん?」
イチカを後ろからガッチリホールドしているシオンが、耳元で悪戯っぽく囁く。突然のことに驚きつつ、肘で鳩尾あたりを軽く突いて下にサッとしゃがみ、その腕から抜け出した。
「バカ言ってないでもう少し寝てて!疲れてるでしょ?これ『お姉さん』がしっかり洗っておくわ!じゃあね〜!」
ヒラヒラと左手を振ってドアをバタンと閉める。
「全く、おふざけも大概にしてよね!もう。」
イチカはぶつぶつ言いながら自分の洗濯物も取ってから、そのまま階下におりていった。
その頃シオンは、閉まったドアをぼーっと眺めながら、イチカとの先ほどのやりとりを思い出し、固まっていた。イチカの華奢な体とその腕の辺りの柔らかい感触が、まだ彼の両手にほんのり残っていた。
「何やってるんだ、俺は・・・」
しばらくその手を見つめた後、シオンは頭を振ってもう一度ベッドに潜り込んだ。
洗濯も掃除も終えて昼食を準備したイチカは、カーラに借りたエプロンで手を拭いてから再びシオンを起こしに行く。だが、階段を上がる途中でちょうど彼が降りてきたので、昼食できたよと言って、一緒にダイニングに入った。
「お、美味そう!」
「今日はねえ、ミートボールを乗せたトマト味のスパゲッティです!サラダもどうぞ!」
カーラは朝からハリスの店の方に行っていたので、二人だけで昼食をとる。食べ終わるとシオンがイチカの分まで皿を片付け始めた。
「俺が皿洗いやるよ。イチカは美味い昼食を作ってくれたしな。」
イチカは今朝見ていた夢を思い出し、持っていたフォークが手から滑り、ゴンという鈍い音と共にテーブルの下に落ちた。
「あ、ごめん。」
「・・・?」
不思議そうな顔でシオンが見ている中、すぐにしゃがんでフォークを拾った。うまくポーカーフェイスができずに、少しだけ悲しい顔のままフォークを彼に渡す。
「またその顔。何かあったのか?」
「んー、ちょっとね。懐かしくて幸せで、ちょっと悲しい夢を見ただけ。」
「へえ。」
「果物も食べ損ねたのよ。」
「はい?」
「美味しそうな果物だったの!一口も食べられないまま目が覚めちゃったのよ。」
「・・・心配して損した。」
うまく誤魔化せたかなと思いつつ、シオンの皿洗いを手伝う。夢が再現されたかのようでまた胸が少し痛んだが、今は泣かないと決めて笑顔を作った。
そのあと午後からは、地図を広げて今後の行き先について相談しあった。イチカは今の町だと大きすぎるので、もう少し静かな所がいいとシオンにお願いする。
「そうだなあ。そうすると東側にあるここの二つ隣の町がお勧めかな。穏やかでいい町だよ。でもその前に手前の町にも立ち寄りたいんだ。ちょっと知り合いから頼まれた仕事があってさ。・・・イチカも、手伝ってくれるんだろ?」
「当たり前よ。」
「そっか!」
シオンは嬉しそうに地図をしまうと、「明日出発するから準備しといて!」と言って出かけていった。まだ昨日の件でやらなければいけないことがあるらしい。
(シオンはただの古参の登録者ってわけじゃなさそうね、やっぱり。あれはだいぶ商会内部の仕事にも関わってるわね・・・)
イチカは、それ以上触れても仕方ないと考え、特に追求もしないまま彼を見送った。いずれ時が来れば彼が教えてくれるだろう。
数時間後。
洗濯物を綺麗に畳んでシオンの部屋に置き、自分の分もリュックの中にしまい込んだ。明日からまた旅が始まる。荷物やお金のチェックをしてから夕飯を作った。
そしてだいぶ日も落ちて暗くなってきた頃、シオンはカーラとハリスと一緒に帰ってきた。そしてもう一人、あの赤毛の男性も一緒だった。
「お、いい匂い!なんだいイチカ、夕飯作ってくれたのかい?」
カーラが嬉しそうにイチカに歩み寄る。ハリスも優しい笑顔を向けてくれたが、例の赤毛の男性は何やらイチカを警戒しているような様子だった。
「あの、僕はこの後すぐ帰りますのでお気遣いなく。」
「あ、はい、わかりました・・・。」
イチカもまた遠慮しながら返事をすると、シオンが間に立って紹介してくれた。
「レオン、彼女は俺の相棒、イチカ・アオキ。今後しばらくは彼女と各地を旅しながら仕事をする予定だ。イチカ、彼はレオン・モレッティ、俺の・・・」
珍しくシオンが言い淀む。
「ん?」
「僕はシオンさんを尊敬してやまない本部の人間の一人です。シオンさんにはいつもお世話になっています。イチカさん、できれば!早くシオンさんを連れて本部の方に戻ってきてほしいところではありますが、各地に支店がありますので最低限どこかとすぐ連絡が取れるところにいてもらえればありがたいです。」
レオンが穏やかだが有無を言わせない調子でイチカに迫る。シオンが前のめりに話すレオンを少し後ろに引っ張った。
「まあ、そういうことだから、とにかく二人ともよろしく。」
「はあ。」
何だか納得いかない紹介ではあったが、とりあえず夕食はもう一人分増やさなくて良さそうだとイチカは内心ほっとして、カーラと一緒にキッチンに入った。




