31. 緊急囮捜査②
翌日、イチカはなぜかカーラの部屋に連れていかれ、大きな姿見の前で彼女が差し出した服を着させられていた。
「これはね、娘が働いてる店の商品なの!仕立てもするし既製品も売ってる大きなお店でね。あの子もすごく楽しんで働いてるのよ。でね、昨日連絡したら仕事に行く前にいくつか持ってきてくれたの。どう、可愛いでしょう?」
今着せられているのは前の人生でもほとんど着たことのないような可愛らしすぎるドレスだった。ドレスと言っても比較的飾りは少なく、くるぶしまである長い丈の服なのだが、胸元や肩がいつもよりは若干露出したり強調されたりするようなデザインで、前世より胸が大きくなったイチカには少し刺激的に感じる服だった。
「あのこれ、ちょっと胸元が強調されてて・・・恥ずかしいんですけど・・・。」
おずおずとカーラにそう伝えると、カーラはニコッと微笑み、「それが狙いよ!」とウインクした。
「狙い、ですか?」
「そうそう!この間のあいつに見つけてもらうためには、少しでも目立っておかないとね。あ、お化粧は薄くしていきましょ!はい、ここに座って!」
そうしてカーラにされるがままに着飾らされ、あっという間にそれなりに見映えのする美少女に変えられてしまった。
ニコニコと満足顔のカーラにあれよあれよという間に送り出され、玄関の外で待っていたシオンと対面する。
「お待たせしました・・・。」
「おう、結構待った・・・よ・・・!?」
いつもよりも暗いトーンの服を着たシオンが、イチカを見た瞬間、開けていた口を閉じ、棒立ちになる。
「シオン?・・・やっぱり変、というかやりすぎよね。私着替えてくるわ!」
「ちょっと待った!いや、大丈夫。その・・・ちょっと驚いただけだ、いつもと違うから。」
シオンの顔には何の感情も浮かんでいない。本当に驚いたのだろうか、とイチカは訝しんだ。
「コホッ、じゃあ出発しよう。途中までは一緒に行く。昨日見つけた奴のアジトの近くまで行ったら別れよう。・・・なあ、イチカ。」
「うん?」
気がつくと、真剣なシオンの顔が思ったより近くにあった。
「絶対に無理はするな。動かないで待っていれば、必ず俺が助ける。俺を信じて待てるか?」
「・・・もちろん。頼りにしてるわ。」
そう言ってシオンに微笑むと、伸びてきた手が優しくイチカの頭に触れた。
「おう。任せとけ。」
そうして二人は昨日あの男が入っていった道の近くまで、黙って歩き続けた。
昨日、あのイネスという名前らしい男が逸れて入っていった横道の方に一人で向かうと、そこには表通りには無いような小さく可愛らしいお店がいくつも並んでいた。何もないところを歩くのはさすがに怪しすぎるが、こうして女性も入れそうなお店があるのなら少し安心だ。ちょっとお洒落して買い物に来ただけだと思ってもらえるだろう。
どこもそれほど高級なお店という感じもなかったので、二、三軒は店の中に入って商品を眺めた。そしてその一つ、アクセサリーを売っているお店で、イチカは一つの商品に目を止めた。
それは、昔夫からもらったものによく似たデザインのネックレスだった。小さな猫に一粒、誕生石のアクアマリンが付いているデザインのそれは、初めて彼に買ってもらった誕生日プレゼントによく似ていた。
若かった二人、猫が好きだった二人、あの初めて一緒に過ごした誕生日、二人でゆっくり歩いた街並みは、少しだけ開花し始めた桜の木が春の始まりを告げていたのを思い出す。
懐かしくてつい手に取ってしまい、そのままの勢いでそれを購入してしまった。
(大事な役目があるのに私何してるのかしら。しっかりしないと!)
店の外で我に返り、再びその道を歩き始めた、その時だった。
「やあお嬢さん、久しぶりだねえ。今日はおめかしして一人で買い物かい?」
その低く冷たさを感じる声は、間違いなくあの時の男性のものだった。イチカは覚悟を決めてゆっくりと振り向く。
やはり顔には傷はなく、服装も最初に見た時よりも落ち着いた雰囲気のものを着ている。しかしニヤニヤとした笑みはあの日と同じで、イチカは寒気を覚えながら距離を詰めてくる男の顔を睨んだ。
今日も例の札は持っているが、あえて使わずに誘拐されるのが目的だ。だが、素直に従いすぎるのも変に思われかねないと思い、イチカは慌てたように見せかけつつ走り出した。
深い森育ちの野生児ではあっても、男性に勝てるほど足は速くない。五分ほど走った先で道が行き止まりとなり、シオンから「イネス」と呼ばれていたあの男にあっさり追い詰められた。
「私を、どうする気!?」
イチカはあえて喧嘩腰で対面する。イネスはあのいやらしい笑みを絶やさないままじわじわと近づいてくる。
「昨日はお貴族様に売っ払おうと思ってたけど、気が変わった。お前いい女だな。このまま俺の女になれよ。」
「・・・お断りです!」
「へえ。でも俺、気が強い女の方が好みなんだよねえ。これは随分と掘り出し物を見つけちまったな。ほら、どうせもう逃げられないんだから、さっさと行こうぜ。」
そう言ってぐっと手首を掴まれ、一気に羽交締めにされる。もう片方の手の中には小さなナイフがすでに用意されていた。
「ここで服を切り裂かれたくなかったら大人しく歩きな。すぐそこに俺の家がある。ほら、歩け。」
「・・・」
イチカは黙ったまま、眉間に皺を寄せて歩き出した。
ナイフは見えないところに当てられている。通りすがりの人に笑顔で挨拶をするイネスは、ナイフに気づかれさえしなければ、体調が悪そうな女性を抱えて歩いている人の良さそうな男性にしか見えないだろう。
(思っていたより怖い、この状況!でも、シオン達を信じよう!)
気がつかないうちに体は震え、イネスが少し奥まった場所の古ぼけたドアを開けた時には、すでに額は汗でびっしょりだった。
「ふん。気が強くても所詮若い女だな。怖いのか?いいねえ。ほら早く入れよ。」
ナイフを突きつけられて慌ててドアの向こうに入る。そこは薄暗く、長い廊下のような空間が広がっていた。そのまま真っ直ぐ歩かされ、突き当たりのドアの鍵を開けると、地下に降りる階段が続いていた。
「ゆっくり降りろ。」
言われた通りに一歩一歩地下に降りると、下の方から二、三人の女性が啜り泣く声が聞こえてきた。そして地下に降り立つ。
すると目の前には、ランプの灯りが二つだけ置いてある、暗く湿った空間が広がっていた。その場所には薄汚れたテーブルと椅子が何脚か置いてあり、そのテーブルの上には食べ物や飲み掛けのカップなどが乱雑に置かれている。そして椅子には二人のガラの悪そうな男性が座っていた。
「イネスさん、早いですね。その女は?」
濁声の男がイネスに話しかけた。
「俺の女。俺はしばらくこいつと奥にいる。あの女達は着飾らせて午後にでもあいつの所に連れて行け。金はその場で貰ってこいよ。」
「わかりました!」
イチカがその薄暗い部屋の奥、まるで牢屋のように鉄格子が巡らされた小部屋のような所を見ると、二人の女性が怯えきった表情で座り込んでいた。
(誘拐されてきた女性達!?見たところ貴族とかじゃなさそうだけど・・・)
自分もそこに入れられるのかと身構えた時、イネスはもう一つの別のドアに向かってイチカを押し出した。
「お前はこっちだ。」
ナイフで脅されつつ渋々その部屋に入ると、そこは壁の上部に一箇所だけ小さな窓が付いている狭い部屋だった。床には絨毯が敷き詰められ、ベッドとハイバックの一人用ソファーだけが置いてある。
「さて、じゃあお楽しみといきますか?」
その言葉に、イチカは一気に青ざめた。男はイチカをじろじろ眺めながら部屋の隅に追い詰めていく。
(囚われの身になるだけじゃなく、今ここでこいつに襲われるの!?冗談キツイ!いや、絶対にここから逃げ切ってみせるわ!!)
最悪の状況にも関わらずなぜかイチカは震えも止まり、心は一瞬で戦闘態勢に入った。
ドレスの胸元に仕込んでおいた札は、昨日のうちに新たに作成した、この間のものより少しだけ威力を上げた札だ。スッと抜き出ししっかり握りしめ、迫ってくるイネスを待ち構えた、その時―――
突然天井の板が割れ、物凄い量の埃とバキバキ、ドカーン!という音が響き渡る。同時に大きな何かが上から落ちてきて、イチカは腰を抜かしそうなほど驚いた。
埃が収まり、目の前に落ちたものを確認すると、そこには埃まみれになったシオンが、片膝を立てて立っていた。




