⒉ 世捨て人の森の少女
その森は昔から、『世捨て人の森』と呼ばれていた。
広大な土地に鬱蒼と繁る背の高い木々は、所々倒れて日が差し込む場所はあるものの、そのほとんどが日を遮っており、暗く静かで、そして豊富な森の恵みを包み込んだ空間がずっとずっと遠くまで続いていた。
様々な生き物達が森の恩恵を受けながら暮らす森ではあったが、近くの村の人々は基本的に近寄ることはなかった。なぜならその森のずっと奥には、恐ろしい人々が住んでいる、という噂が絶えなかったからだ。
それが本当なのか知る者はおらず、あくまでも噂の範囲を出なかったが、それでもその深く暗い森は、人々に畏怖の念を抱かせるほどの近づきがたさがあった。
そんな森の奥深く、少しだけ開けた場所に、とある名もない村があった。そこには小さな小屋のような家々が十数軒、まばらに建っており、様々な事情を抱えた人々が、互いの事情を詮索することなく穏やかに暮らしていた。
その隠された村に、ある小さな少女とその父親も、ひっそりと暮らしていた。
「お父さーん!薬草いっぱい採ってきたよ!見て見て!」
綿でできたベージュの上下を着た、お父さん、と呼ばれた男性は、白髪混じりの茶色い髪を後ろで束ね、小さな畑で収穫作業に勤しんでいた。肩に掛けていたタオルのようなもので汗を拭うと、走ってきた娘を見ながら笑顔になる。
「フィオレイナ!どれ見せてごらん!」
両手を広げてしゃがんで待つ。フィオレイナと呼ばれた七歳位のその少女は、薄いブルーの入った銀色の髪をふわふわさせながら、父親の腕の中に飛び込んでいく。
「すごいな、これは!ずいぶたくさん採ったんだね。フィオは頑張り屋さんだ!でもね、森がくれるからと言って、とり過ぎてはいけないんだ。今日はとても頑張ったから、明日は採ってはいけないよ。いいかい?」
褒められながら優しく諭す父の言葉に、フィオレイナは笑顔のまま頷いた。
「うん!わかった!明日も明後日も採らないよ!」
「そうだね。フィオはいい子だ!さあ、父さんも食べる分を収穫したよ。今日はこの野菜と昨日捕まえた鳥の肉で美味しいごはんを作ろう。」
「うん!おうちに帰る!」
フィオレイナは父親の前をたくさんの薬草を抱えてスキップしながら家に向かった。小さな足で進む娘を見守りながら、父もまた、籠を抱えて家路についた。
二人が到着したその家は、木を何本も使って組み立てた家だ。大きくはないが、二人で暮らすには十分な広さだった。小さなかまどと煙突があり、水は近くに流れる美しい川の水を、大きな樽に汲み置いて使っている。
トイレは外に小さな小屋を作り、匂いを吸収する木の削りかすや土などを混ぜた穴を掘ってそこを使っている。お風呂は無いが、いつも清潔な水が豊富に得られるので、川の水を沸かして大きな樽に入れて体を洗うなどして、日々清潔に過ごしていた。
足りないものも多くあるが静かで豊かなその村での生活を、父娘は楽しんで受け入れ、生きていた。
「お父さん、今夜もご本を読んで!」
近くの村で買ってきたオイルランプには温かな火が灯っている。そのランプをフィオレイナのベッドの横、小さなテーブルの上に置いて、今夜も父は持っている本の中から一部分を読んでいく。
それは決して子供向けの内容ではなかったので、フィオレイナには内容はよくわからなかったが、父の優しい声が心地よい眠りを誘ってくれるので、本を読んでもらうのは大好きだった。
「・・・おやすみ、フィオレイナ。」
そうして日々は穏やかに、ゆっくりと、だが確実に過ぎ去っていった。
ー ー ― ― ― ― ―
「フィオ、十二歳の誕生日、おめでとう!」
父のマシュートが、今日はたくさんのご馳走を用意してくれていた。二人で使ってちょうどいい大きさしか無いそのテーブルの上には、今やそこから落ちそうなほどの皿が並べられている。
「お父さん、ちょっと作り過ぎじゃない?」
「あはは、でもまあ、誕生日は大切な日だからね。お母さんの命日でもあるし、一緒に祝っている気持ちになりたいんだ。」
フィオレイナはそう言われてしまうと何も言えなくなり、むにゃむにゃと誤魔化してお皿から一口つまんだ。
「あ、こらまだ感謝のお祈りをしていないよ?」
「はーい、ごめんなさい!」
そして二人は、神に目の前の食事への感謝の祈りを捧げ、父が奮発して近くの村で買ってきた葡萄ジュースで乾杯した。
「美味しい!!甘い飲み物なんて滅多に飲まないから、何だか口がびっくりしちゃった!」
マシュートは面白そうに笑いながら、飲み切ったグラスにさらにジュースを注いでくれる。
「そうかい。それは良かった!思ったよりも今回作っていた籠の売れ行きが良くてね。フィオのアイディアを取り入れてよかったよ。」
数ヶ月前にふと思いついて、いつも作っている籐の籠の持ち手に皮を巻いて持ちやすくしたり、蓋がついた小さめの物を作ってもらったりして、女性や子どもが使い易いように工夫してみたらと話していたのだ。父がその話をきちんと受け入れてくれたことがフィオレイナには何より嬉しいことだった。
(売れ行きが良かったのならなお嬉しい!)
「プレゼントもあるんだ。たいしたものじゃないけど・・・これ。」
そう言ってマシュートが手渡してくれたのは、二冊の本だった。父から読み書きの基本を教わり、家にある全ての本を読み漁り、つい最近読み切ってしまったフィオレイナには、最高のプレゼントだった。
「嬉しい!!お父さんありがとう!!」
「喜んでくれたならよかった。お前の好きな植物学の本と、お前の年代の子が買うような物語にしたんだ。物語はよくわからなかったから、若い女性の店員さんのお勧めを買ってきたよ。」
フィオレイナは二冊の本を抱きしめて、満面の笑顔で立ち上がった。
「うー、早く読みたい!お父さん早くごはん食べよう!」
「せっかくの誕生日会なのにかい?ジュースもあるんだからゆっくり食べよう。本は逃げないよ?」
「そうだね・・・うん。じゃあ食べよう!」
そうして彼女の十二歳の誕生日は、穏やかに過ぎていった。