16. 大きなお屋敷と怖い噂③
それからしばらくして、二人はそれぞれの部屋に案内された。そこは先ほど居た応接室ほどではないにせよ、置かれている家具もカーテンも壁紙までも、昔テレビで見かけたヨーロッパの歴史あるホテルのように優雅な部屋で、イチカはどうにも落ち着けなかった。
(しかもベッドは天蓋付きだし・・・)
その柱のような部分にまで凝った装飾が施されていて、手を触れるのさえ申し訳なく感じてしまう。
持っている服の中から少しはましなワンピースに着替えて部屋を見渡す。部屋に置かれたランプが、温かな光でぼんやりと室内を照らしている。そのランプの側で持ってきた本を読んでいると、しばらくして食事の時間を知らせにメイドが部屋にやってきた。イチカは彼女と共に階下の食堂に降りていく。
そして食堂に入ると、そこはまた重々しい雰囲気の大きな部屋だった。細長く、角が丸くなっている焦茶色のダイニングテーブルの上を、大きな数本の蝋燭の炎が照らしている。ハイバックの木の椅子を引いてもらい着席すると、ウォーレスがその柔らかな光の向こうで優しい笑顔を見せていた。
急遽彼が開いてくれたその晩餐会は、イチカにとって忘れられない一夜となった。ほっぺたが床まで落ちそうなほど美味しい食事に、ついつい小さな感嘆の声を上げてしまう。特に仔牛の煮込み料理は、口の中でほろほろととろける濃厚な味わいが最高で、イチカは顔も心もすっかりとろけてしまった。
(王城に勤めていたキャリアって伊達じゃないのね!)
そしてそんなすっかり弛みきったイチカの顔を、シオンはちょっと呆れ顔で眺めていた。
顔は弛みっぱなしだったイチカだが、マシュートに叩き込まれたテーブルマナーはきちんと守りつつ、最高の食事と優しいウォーレスとの会話を楽しんで食事を終えた。
そして問題は、食後の幸せなひと時にやってきた。
この後はのんびりと部屋で過ごそう!とウキウキしながら階段を登ろうとするイチカを、シオンが笑顔で捕まえた。ランプと共に二人が先ほどの応接室に入っていくと、彼女はそこで、衝撃的な話を聞かされることとなった。
「はいいいい!?そんな話聞いてないんですけど!!」
まさかの後出しの話に怒りと動揺でつい大声を出してしまったイチカを見て、シオンはたしなめるでも宥めるでもなく、ただ笑って立っていた。
「あれ、幽霊とか苦手な感じ?へえ、意外だな。結構何でも平気なのかと思ってたよ。」
「いやだって、幽霊なんて触れないじゃない!触れなきゃ一発殴ったりとかできないのよ!?どうやって対処するのよ!!」
「もうすでに殴る気でいるお前の方が怖いよ・・・」
「だって・・・もういい!あなたの話に釣られた私がバカだった!」
すっかり機嫌を損ねたイチカは、ソファーにどっかりと座り込んだ。ランプをテーブルの上に置いたシオンは、そんなイチカを悪戯っぽい表情で見つめている。
「約束通り美味い飯食べたんだから、もう引き受けたも同然だよな?」
「事前に説明なく契約を結ばせようとするのは詐欺でしょ!それにあなたがご馳走してくれたわけでもないし!」
「まあいいじゃん。美味しかったんだろ?いい顔してたし。・・・それに俺は別に今回の騒ぎ、本当に幽霊だとは思ってないよ。」
ソファーに座っているイチカは上目遣いで睨みながら、シオンの言葉の意味を探る。
「どういうこと?」
シオンは火が揺らめいているランプの幌を、少し屈んで爪で軽く突つきながら、ゆっくりと話し始めた。
「この屋敷は相当古い建物で、もう何世代もの人間が暮らしてきた場所だ。でもたまたまなのか運が良かったのか、ここで亡くなった人間は一人もいないんだ。みんな病院や、屋敷の外で不慮の事故とかで亡くなっている。つまりこの屋敷には何のいわくもないんだよ。」
イチカは膝に右肘を乗せ、頬杖をついた。
「ふうん。何もないのに突然始まったんだ、幽霊騒ぎ。」
「そ。しかも一ヶ月前に始まったばかりだって言うんだ。おかしくないか?」
「確かに変ね。」
シオンは部屋をぐるっと周ってからイチカの近くまできて、隣に座った。
「な、何?」
「イチカ、やっぱりすぐに俺の相棒にならない?」
「え、その話今日の午後したばかりでしょ?まだ何もあなたのこと見極めてないわよ。」
ちぇ、とつまらなそうに顔を背け、シオンは天井を眺めた。
「四年前に会った時からなんか忘れられなかったんだよね、イチカのこと。こんな面白いやつがいるんだーって。後で調べてもお前がどこに住んで何をしているのかさっぱりわからないし、さすがに諦めかけてたんだけど。またあの本屋の外で会ったからさー。これってもう奇跡だろ?」
「いや、偶然でしょ。」
「感動が無いな!」
「仕方ないのよ。」
「何がだよ。」
「色々あるのよ。」
シオンはイチカの方を見て突然笑い出した。
「あはははは!本当に面白いね、イチカは!まあ仕方ないか。でもとりあえず幽霊騒ぎだけは相棒として付き合ってよ。ちょっと気になることもあるしさ。」
「気になること?」
「ああ。テレンス、この屋敷の執事さ、彼とその奥方もメイド長としてここで一緒に暮らしてるんだけど・・・どうも最近彼女の様子がおかしいみたいなんだ。」
イチカは先ほどのテレンスの様子を思い出す。
「それってテレンスも当然わかっているのよね?」
「まあそうだろうな。だが何もウォーレスには言ってこない。・・・どうも最近彼女は頻繁に上の空になったり、突然他のメイドの仕事を奪ってみたり、指示が的確だったのに急に思い立ってそれを変えたりしているらしい。」
「大問題じゃない!しかもメイド長でしょ?誰も何も言えないから余計困るわよね。」
腕を組み、イチカは目を伏せたまま考えてみる。なぜ最近そんなことが起きているのか、テレンスは何か知っていて、だが言えない事情があって黙っているのか。
(考えていても仕方ない。明日はメイド達に聞き込みをするしかないわね。やだちょっとワクワクしちゃう!)
イチカの目がキラキラしてきたことに気づいたシオンは、あえてそれには触れずにほくそ笑んだ。
「明日はそれを調べたいんだ。悪いけどメイド達に話を聞いてもらえないかな?」
「そうね。まあ、いいわよ。」
イチカは、満更でもない顔をしていた自分を嬉しそうに見ているシオンにちょっと腹が立って、腕をペシッと軽く叩いてから部屋に戻った。




