15. 大きなお屋敷と怖い噂②
シオンがウォーレスに連れられて隣の書斎に入ると、至極真面目な顔をした彼が、唐突に小声でシオンに問いかけた。
「あの子は何者だ?私が知っている名前と同じなら、彼女はアースラール家の関係者だぞ!?王国の中でも特に天才と言われていた文官長マシュトリク・アースラールは、友人である私の父から「アースル」と呼ばれていたはずだ。しかも彼は何年か前に失踪したと聞いている。」
シオンは一切顔色も態度も変えずウォーレスを見ていたが、隣の部屋でカップを置くカチャ、と言う微かな音が聞こえると「そうか。・・・その話、誰にも言うなよ」とだけ言って目を逸らした。
「だがシオン!・・・はぁ、わかった。あの名は聞かなかったことにする。ただ彼女には偽名でも使わせておいた方がいいな。お前のように。」
ウォーレスは表情を曇らせたままシオンの横顔を見つめていた。気まずい空気の中で、夕方の少し強い風が窓をカタカタと揺らす音だけが響く。
「・・・それで、本題は?」
「ああ、そうそう。まあ掛けてくれ。」
その書斎には大きく重厚なデスクとそれに合わせた革張りの椅子が置かれており、それ以外には一つだけ小さな一人掛けのソファーが置いてある。ドアに面した壁際には、分厚く古めかしい本がぎっしりと詰まっていた。シオンはその本棚を背にしてソファーの方に座り、ウォーレスはデスク側に回って立っていた。
「ここのところ屋敷でよくない噂が飛び交っていてね。どうもここ最近幽霊が歩き回っているという話があるんだ。実際見たと言う者もいる。住み込みの使用人達が怖がってしまって、このままだと数名が辞めたいと言い出しかねない状況で本当に困ってるんだ。もし数日滞在してくれるなら、調査を頼みたいと思ってね。」
暗くなりかけた部屋の中で、ウォーレスの表情に影が落ちていく。
「ふうん。幽霊ねえ。何のいわくも無いこの屋敷で、突然幽霊の噂が立ち始めるってのもおかしな話だな。」
「そうなんだ。本当にここ一ヶ月位の間に突然というのも不自然だろう?・・・お前がここに居合わせたのも神の思し召しだ。どう?頼めるかな?」
暫し悩んだが、シオンは承諾した。とりあえず三日滞在して調査し、その間に何も起きなければ終了ということで納得してもらう。
「イチカが幽霊、平気だといいんだけど。」
そしてシオンはウォーレスと、少しの間懐かしい友としての会話を交わし、部屋が暗くなる頃にようやく二人で応接室に戻った。
応接室のイチカはその頃、美味しいお茶も飲み切ってしまい、すっかり時間を持て余していた。
仕方がないのでソファーから立ち上がって、暗くなり始めたその部屋の中の調度品や絵画などを鑑賞していった。
(さすが、貴族ともなると飾ってあるものも凄そうなものばかりなのね・・・)
美術品の価値などよくわからないイチカだったが、明らかに高額なものだということはわかった。手で触れないように気をつけながら眺めつつ、時間を潰していく。
そうこうしているうちに、廊下の方から何やら物音なのか気配なのか、人が近づいてくる感覚があり、テレンスさんがランプに火を入れにきたのかしらとドアの方を見て待っていた。
だが、しばらく待っても誰も入ってこない。気のせいかなとも思ったが、何となく気になってそっとドアを開け、廊下を確認した。
「ん?今誰か通った?」
黒っぽい影のようなものが廊下の向こう、先ほど入ってきた玄関ホールの方にすっと消えていくのを目の端で捉えた。だがイチカは言い知れぬ怖さを紛らわすように「暗いから気のせいね」と決めつけ、部屋に戻ってドアを閉めた。
そのほんの数十秒後、テレンスが控えめなノックと共に静かにやってきて、応接室のランプに次々と火を灯していく。イチカはその後ろ姿に思わず声を掛けた。
「あの、テレンスさん。今玄関ホール側に誰か行きませんでしたか?」
「え!?・・・いえ、私はそちら側から来ましたが誰ともすれ違っておりませんが・・・」
「そうですか。じゃあ気のせいかな?」
全てのランプに火を灯し、居心地が悪そうな表情を一瞬浮かべた後、テレンスは「それでは失礼いたします」と言って応接室を離れた。
テレンスの様子は少しおかしいような気もしたが、とりあえず部屋が明るくなったことで安心して、イチカは再びソファーに腰をおろす。するとそれから一、二分ほどで、続きになっている書斎からシオン達が戻ってきた。
「イチカ、お待たせ。」
「はい。」
「イチカさん、今日は部屋を用意させますのでもう少し待っていてください。この屋敷は父が隠居して家を出たので今は私しか暮らしていません。ですから今はもてなしのできる女性がおりませんが、女性のメイドも多くいますから安心して過ごしてくださいね。ではまた後ほど、晩餐で。」
ウォーレスはそう言うと、優しい笑顔を残してそこを去っていった。
「いい方ね。」
「ん?ああ、そうだな。腹黒いけど。」
「そう。なら尚のこと信頼できそう。」
シオンは納得がいかないような顔をイチカに向ける。
「面白いこと考えるんだな。」
「そうかしら。腹黒いところがある人の方が安心できる気がしない?・・・で、結局何の話だったの?」
「ああ、実はこの屋敷でちょっと調べてほしいことがあるって依頼を受けてさ。二、三日滞在して調査したいんだ。・・・それでさ、早速だけどイチカにも手伝ってもらえないかなーと思って。」
「・・・まだ正式な相棒じゃないんですけどねえ。」
シオンのお願いの言葉に、イチカはつい嫌そうな表情でそう答えてしまう。だがシオンはそれを見越していたかのように、笑みを浮かべ、イチカの心をくすぐる一言を放った。
「この屋敷のコックは王城でも働いていた凄腕でさ、特に彼の作る煮込み料理は絶品・・・」
「仕方ないわね。三日くらいなら付き合うわ。」
イチカの澄ました顔をしてやったりと見つめるシオンは、「・・・これ使えるな。」
と小さく呟いた。
「美味しくなかったら承知しないから。」
我ながら食い意地が張ってるなと思いつつ、イチカは美味しそうな食事への期待に胸が膨らむ。
そうして結局シオンに流されるままに、メイヤー家のお屋敷で、慌ただしい三日間を過ごすことになった。




