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108. 囚われのイチカ

 翌朝、目が覚めたイチカは自分の置かれておる状況が見えず混乱して辺りを見渡した。そこは宿でもあの小屋でもなく、なぜか豪華な装飾を施した馬車の中だった。


「何ここ!?」

「イチカ・・・起きたかい?」


 イチカの目の前には、肩に包帯を巻いたハルバートが座っていた。


「ハルバート様、もう大丈夫なんですか!?」

「ああ。君が看病してくれたお陰でね。本当にありがとう。」

「いえ。よかったです。・・・でもあの、なぜ私は馬車に乗っているんでしょうか?」

「君を私のものにするため、と言ったら怒るかな。」

「え!?」


 ハルバートは少し痛そうに肩を持ち上げ、顔を顰める。


「まだ、少し痛むんだ。もちろん付き添ってくれるよね?」

「・・・私が断れないとわかってそう仰ってるんですね。」


 ハルバートの笑顔が翔太の笑顔と重なる。


「私の顔とお願い事が重なれば、君なら断れないんじゃ無いかと思ってはいるよ。」

「酷い方ですね、ハルバート様。」

「それだけ君を私のものにしたいんだと、わかってもらえると嬉しい。」

「・・・」


 イチカは逃げられないことをわかっていても、どうにかして隙を見つけたいと焦っていた。そしてその焦りをあっさりと見抜かれ、逃げ道を塞がれる。


「ああ、ちなみにこの馬車を見てわかると思うが、もう私達は仲間と一緒に移動しているから。」

「・・・ハルバート様、どうか、私を帰してください!」

「嫌だよ。」

「そんな!!」


 ハルバートはそれまで見たこともないような冷たい瞳でイチカを見つめて言った。


「昨日言っただろう。あの瞬間しか君に逃げ道は無かったんだ。君はそれを逃した。どうして君はチャンスを逃したんだい?私にも・・・心惹かれているからなんじゃないのかな?」

「!!」


 イチカはその言葉に、自分が思っていた以上に動揺してしまう。そしてその隙を彼は逃すことは無かった。


 その一瞬の心の隙をつかれて、イチカは隣に座ってきたハルバートの腕の中に包まれていく。


「イチカ・・・私の側にいなさい。それが全ての人にとって幸せなことだよ。もちろん、君にとっても。」

「嫌、いやです、私は帰りたい!!」

「イチカ、美しい人。諦めなさい。私から逃れられないことは、もうわかっているだろう?」


 その声と言葉の裏に隠された意味から、彼がイチカの秘密を知っていることにようやく気づいた。


「ハルバート様、もしかして・・・全てご存知なんですか?」


 イチカの声は震えている。ハルバートはイチカの頭を、髪をそっと撫でながら怯えているイチカを先ほどより強く抱きしめた。


「ああ、知ってしまったんだ。あらゆる手を使って君のことを調べている間にね。だが君をあの塔に幽閉するつもりはないよ。君はこの三百年の間一度も現れなかった生まれながらの女性の聖人だ。男性でないなら国を揺るがすような力を持つことはまずないだろう。君にはそもそもそんな野心も無いようだしね。だから君は私の側に置いておく。大丈夫、一生大切にするよ。」

「そんな・・・私は・・・」


 ハルバートはイチカから離れ、その顔をじっと見つめながら微笑む。そしてその微笑みは翔太のようでやはり翔太ではなく、イチカを心底震え上がらせるものだった。


「ああ、嬉しい。愛しい人がこんなに近くにいる。私を恐れて慄いている。美しい人、もう離さないよ。」

「いや、いや、やめてください!!」


 そしてイチカは、その唇をゆっくりと、ハルバートに奪われていった。



 ― ― ― ― ― 



 ガシャン、と音を立てて持っていたグラスを落として割ってしまったシオンは、自分の部屋で何かよくわからない恐怖に包まれていた。そしてそれはもしかしたらイチカの恐怖なのかもしれない、と思い至る。


「イチカ、どこにいるんだ!!」


 その割れたグラスを拾う気にもなれないまま、シオンはベッドに座り込み、頭を抱えた。血の契約まで無理やり結ばせたと言うのに、イチカの居場所がわからない。それなのに彼女の恐怖だけが伝わってきた気がして、不安と焦燥感で苛立ちを募らせる。


 そして結局テオニタスからの情報など待ちきれず、その日も朝から外に飛び出してイチカを探し歩いた。


 祭りは昨日の一件のせいで早々に幕を閉じてしまい、今日はもう町の中が閑散としている。シオンはイチカの情報を求め歩きながら、彼女の姿をただひたすら探していった。



 一度昼過ぎまで探したがやはり見つからず、落胆の表情を浮かべたまま宿に戻ると、そこにテオニタスが待っていた。


「シオン。」

「テオ!!何かわかったか!?」

「おい、すごい顔だぞ?落ち着いて座れよ。」

「・・・ああ。」


 テオニタスにそう言われ、シオンは静かにロビーのソファーに腰をおろした。テオニタスがその前に座る。


「はっきりとした情報ではないが、いくつか目撃情報があった。まず、昨日イチカらしき女性を抱えた黒髪の男性が目撃されている。」

「なんだと!?」


 一気に噴き出したシオンの威圧感に、テオニタスが両手を上げてシオンを宥める。


「落ち着けって!!その男は他にも騎士らしき格好の男性を二人連れてる貴族のようだったと。それと馬車で山の方に向かったってことまでわかってる。」

「山?」


 テオニタスは少し冷静になった様子のシオンに安心したのか、身を乗り出して話し続ける。


「ああ。北西の方に行くと山があって、その山の中腹に別荘地が広がってるんだ。この国の貴族達がそのいくつかを持ってるって聞いてる。たぶんそこに向かったんじゃないかな。」

「セタの別荘か!!」

「シオン、知ってるのか?」

「ああ。うちの別荘がそこにある。」


 テオニタスが目を丸くする。


「うちって、シオン、貴族なのか!?」

「ああ。テオ、ここから先は奴らに近づくな。あんた達が敵う相手じゃない。」

「そうか。まあそうかなとは思ってたけどな。わかった。その代わり無茶はするなよ。イチカを悲しませるな。」

「わかってる。」


 そうしてシオンはスッと立ち上がり、「助かった」とだけ告げると部屋に戻った。



 剣を持ち、最低限の荷物をリュックに詰める。そして宿には一週間分追加の費用を前払いして一部屋だけ押さえておき、イチカの部屋から荷物を全て自分の部屋に移動させた。


 全ての準備を整えると、近くの店で馬を借り、目的の別荘へと急ぎ走り出した。



 ― ― ― ― ― 



 そしてイチカの方はというと、見たこともない屋敷の中に軟禁されていた。そこは素晴らしい調度品で囲まれた女性向けの部屋だったが、イチカの心が浮き立つことも晴れることも無かった。


 ハルバートに連れられてやってきたのがニ時間前。それからずっとそこから出ることは叶わず、イチカはただひたすら部屋の中にこもる時間を過ごしていた。


「どうしよう、どうやって逃げたらいいんだろう。聖人の力は使えない。この屋敷の誰にも効果が無い・・・」


 そしてイチカは先ほどのハルバートからのキスを思い出し、深くため息をついた。翔太そっくりの顔で近づいてきたハルバートから顔を背けることもできず、イチカは無意識にその唇を受け入れてしまった自分に、どうにもならない嫌悪感を感じていた。


(こんなことシオンにとても言えない。それにたとえシオンでも、そう簡単に半殺しにはできない人だよね・・・)


 どんなにふざけたようにそう考えてみてもどこかであのキスを意識してしまう自分がいて、イチカはどんどん落ち込んでいく。


「彼はしょうちゃんじゃないのに、最低だ、私・・・」


 そしてその独り言に合わせたかのようにハルバートがドアを開けてイチカの部屋に現れた。


「ハルバート様!?」

「イチカ。ノックもしないですまない。何が最低なんだい?」


 イチカは後ろにさがっていく。


「何でもありません。近寄らないでください!」


 ハルバートは笑顔でイチカに寄っていく。


「君が私のキスを受け入れたことかな?」

「やめて!!」

「やはりね。でもこれで終わりじゃ無い。君はいずれ私の妻になるんだからね。さあ、ここにおいで、イチカ。」


 ハルバートが腕を大きく広げる。イチカは壁沿いにドアの方へと逃げていく。


「外には私の部下がいる。逃げられないよ?」

「だとしても必ず逃げます。諦めません!!」

「シオンのことはもう諦めなさい、と前にも言ったよ?」


 イチカはその言葉に一瞬で身動きが取れなくなった。


「なぜ、彼の名を?」

「聞いていないのか。あれは私の腹違いの弟だよ。」

「・・・え?」


 衝撃的なその言葉は、イチカの精神力をぐんぐん吸い取っていく。そして再び、イチカに近づいてきたハルバートの腕の中に落ちていった。


「ほら、捕まえた。全く、そんな大切なことを君に告げないままあれは君の側にいたというのか。愚かな。イチカ、我が弟ファルシオンのことはもう忘れなさい。君のことを本当に考えているのは私だよ。」

「ハルバート、様・・・」


 イチカはショックのあまり力が抜けたようになって、ハルバートの胸に寄りかかる。ハルバートはそんなイチカの頭をそっと撫でる。


「イチカ、いい子だ。今日はここに食事を運ばせる。しっかり食べてもう休みなさい。これからのことは明日ゆっくりと話そう。」


 そうしてハルバートの顔をぼんやりと見上げたイチカに彼は深くキスをすると、ベッドに座らせてから静かに部屋を出ていった。



 イチカは、もう何も考えられず、ただ自分の心の殻の中にすっぽりと入って、布団も掛けずにそのまま浅い眠りの中に落ちていった。


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