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102. 初めては衝撃的に

 イチカはただひたすらシオンの家まで走った。こんなに走ったのなんていつ以来だろうと思うほどに、肺が痛くなり咳き込んでしまうほど必死で走った。


 シオンはもしかしたらもういないかもしれない。


 あんな風に大切な場面で拒絶してしまったことで、もう見限られてしまったかもしれない。


 それでも、イチカはもう止まれなかった。最後の秘密を打ち明けてでも、彼の側にいたかった。



 そしてイチカは、街中の明るい光の下で、その心を打ち砕くような光景を目撃する。


「うそ、シオン・・・」


 それはこの町を出発したあの日、シオンがマリアと呼びかけていたあのグラマラスな女性とキスを交わしているシオンの姿、だった。


「イチカ!?」


 シオンがイチカに気づき、シオンに抱きついていた女性も振り向いた。その赤い口紅の色が、間違いなくシオンの唇に触れたことをイチカに教えてくれていた。シオンの唇も、彼女と同じ色に濡れている。


「ごめんなさい。お邪魔しちゃって。」

「イチカ、違う、違うから!!待ってイチカ!!」


 イチカはただ頭を真っ白にして再び走り出した。もう行く当てはどこにもなく、何も考えられずにただ暗闇へと走っていく。息も絶え絶えになりながら走り続けて行き着いた先は、あの深い森への入り口だった。


 いくら慣れた森とは言え、この暗闇の中で森の中を歩くのは無謀すぎる。ランタンはいつもの小さな蝋燭ランタンしかなく、イチカはその場にしゃがみ込んで、途方に暮れた。


 そして、彼の気配が近づいてくるのに気づく。


(逃げなきゃ、でもどこに!?)


 イチカは息を必死で整え、仕方なく森の中へと足を踏み入れる。だが数十メートルほど進んだところで、一気にシオンに追いつかれた。


「イチカ!!」


 その大きな手がイチカの腕をガシッと掴む。そしてイチカの蝋燭ランタンを取り上げ、近くの木の幹にポケットから取り出した小さなナイフを刺してそこに吊り下げた。本当に僅かな光が、辺りをぼんやりと照らす。


「シオン、離して・・・」

「嫌だ!!」


 イチカは身動きが取れず、シオンの顔も見られないままそこに立ち尽くす。


「イチカ、嫌なものを見せてごめん!ふいを突かれたとはいえ、俺も隙があった。言い訳できないことをした。本当にごめん!!」


 イチカは、何も言えないまま、掴まれた腕の痛みに耐えながらただその場に立っていた。


「イチカ・・・頼む。許してくれないか?彼女とはただ飲んでただけなんだ。寂しかったからつい飲みに行って・・・もちろんあんな醜態を見せたことは本当に謝る。でも彼女とは何もない。いや、キスはされたけどでもそれだけで、今後も会うことは無いから!」


 シオンの必死の弁解は、イチカの頭の中に何も入ってはこなかった。そしてイチカは、ただ一筋、二筋と静かに涙を流した。


「イチカ、泣かないで!俺、ああ、俺本当に最低だ・・・イチカを待つって、何年でも待つって言ったのに!この間も、今日も、俺は結局イチカを追い詰めてばかりで・・・」

「シオン」

「イチカ!?」


 ようやく彼の名を呼んだイチカに、シオンは笑顔を向けて抱き寄せようとする。だがイチカはそれを拒んだ。


「イチカ?」

「私・・・あなたに今日最後の秘密を打ち明けにきたの。」

「え・・・?」


 シオンがイチカの両腕を掴む。


「でも、やめる。」

「どうして!?」

「決意してきた自分がバカみたいだから。あんな光景をもう見たくないから。ねえシオン。だから私達ここで、今度こそ本当にお別れしよう?」


 その言葉は、シオンの心の中にある最後の砦を、突き崩した。


「・・・イチカ。約束を破るのか?」


 その声は、低く、冷たく、そして今までで一番熱くイチカの胸に響く。そしてこの時本当の意味で、シオンを心底恐ろしい人だと理解した。


「悪い。こんなやり方は最低だと想う。でも、お前に一つ秘密を打ち明ける。だから許してくれ。」


 彼はイチカをその腕の中に閉じ込めた。もう、逃げられるとは到底思えなかった。


「シオン何!?怖い、いや・・・」


 シオンは突然自分の唇を強く噛み、その表面に血が滲む。イチカが驚いて声を出そうとした、その瞬間。



 その唇に、シオンの赤く濡れた唇が、深く重なった。


「!?」



 声にならない声さえ、シオンの深い口づけに飲み込まれていく。そしてイチカは、シオンの唇に付いていた血の味を微かに感じていた。


「イチカ、少し痛いけど、我慢して。」

「え?」


 一瞬離れた唇が再びイチカを襲う。そして鋭い痛みが唇に訪れた。


「んん!?」


 シオンに噛まれた感覚が一瞬強い痛みを引き起こし、そしてまた柔らかな感触に覆われていく。頬にキスをした時とは比べ物にならないほど、身体中に甘い痺れが回っていくような、頭が真っ白になっていくような感覚がイチカを飲み込んでいく。


 それはイチカのどちらの人生でも体験したことのない、あまりにも衝撃的な二人のファーストキスだった。



 イチカはシオンの唇が離れると、力が一気に抜けてしまい、その場にへたり込んだ。シオンが慌ててイチカを支えて抱き上げる。


「イチカ、ごめん。」

「シオン・・・何、これ。」

「ちゃんと説明する。でも今は家に帰ろう。」

「でも」

「もう、俺達は離れられない。」

「どういうこと!?いったい何のつもりでこんな」

「いいから!帰ろう!帰ったら話す。」

「・・・」


 イチカはシオンの手を力無く払い、自力で立つ。シオンは木の幹からナイフを抜き取りランタンを手渡すと、イチカの手を握り歩きだした。



 二人は黙りこくったまま夜道を歩き続け、真夜中近くにようやくシオンの家にたどり着く。イチカは一瞬中に入ることを躊躇ったが、シオンの手はそこに留まることを許してはくれなかった。


 リビングに入るとソファーに座らされ、部屋のランタンにシオンが火を灯していく。部屋の中でゆらゆらと小さな影達が揺れているのをイチカはぼんやりと目で追った。


 放心しているイチカの隣にシオンが座り、その両手をそっと握ってからイチカの顔をじっと見つめた。


「さっき、痛かっただろ?ごめんな。」

「何よ、あんな、あんなの、だって二人の初めてのキスだったのに・・・しかも他の女の人としたその日になんて・・・」


 イチカは再び泣き始めた。混乱し過ぎて自分でもどうにもならない感情が、イチカの中で暴れている。


「ごめん!本当にごめん!!でも、もうああするしか方法がなかったんだ。」


 イチカはその言葉に困惑し、シオンの目を見る。苦しげな表情の彼とようやく視線が交わった。


「どういうこと?」

「・・・俺とお前は、血の契約で結ばれたんだ。」

「は!?何?何の話!?」


 イチカは訳の分からない言葉に涙も止まり、シオンの襟元に掴みかかった。そんな状況でもシオンは至って冷静にイチカを見つめながら話を続けた。


「イチカ。今から秘密を一つ打ち明ける。聞いてくれるか?」

「え?う、うん。」


 シオンは深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いた。


「俺は、元守護騎士なんだ。」


 イチカの目が、口が、大きく開き、襟元にあった手も離れていく。


「え・・・シオンが、御使いの、一人・・・?」


 イチカは体が震え出すのをどうしても止められなかった。シオンはイチカの手を握り、震えを少しでも止めようとそっと手の甲を撫でてくれる。


「守護騎士、御使い・・・聖人の力が効かない者達は、ほとんどが家系的なもの、血の繋がりの中で生まれてきた。男親の血を受け継いで、あの常人には無い力を持つ者が生まれる。女性にはその力が引き継がれることは無く、強い力を持つ男達が、その力を誇示しながら貴族としてのし上がってきた歴史があるんだ。」


 イチカは力が抜けた状態でソファーの背もたれに寄りかかる。


「シオンのお父様にも、同じ力があったの?」

「ああ。そうだ。」

「そう、なんだ・・・だからあんなに強いんだね。」

「ああ。そしてこの血は聖人を縛る枷にもなる。」


 シオンのその言葉に、何か恐ろしいものを感じてイチカは息を呑んだ。


「囚われた聖人達があれほどの力を持ちながら逃げられないのは、人質を取られているとか、守護騎士達に見張られているからって理由だけじゃないんだ。あれは、血で縛られてる。」

「どういうこと?」


 イチカはその言葉を聞きながら、先ほどのキスを思い出す。シオンと自分の血の味を感じながら交わした初めての口づけに、何か重い意味があるなんて全く考えていなかった。


 そしてシオンは言いにくそうに最も大事な部分について話す。


「聖人の血を取り入れた守護騎士は、その聖人との強制的なつながりを作ることができる。どこにいてもその聖人の居場所がわかり、何があってもまた引き合わされる力が生まれる。ただし守護騎士側から血を与えなければ、聖人からはその縛りを受けない。通常はそうして何名かの守護騎士達が血を取り入れて聖人を監視している。」

「そんな・・・」

「だけどもし、守護騎士側も聖人に血を与えた場合は別だ。それは、死ぬまでわかつことのできない縁がその二人に結ばれたことになる。そうするとそれ以外の守護騎士とは全ての繋がりが切れるし、新たな繋がりができることは無くなるんだ。」


 イチカはその言葉の意味を、すぐには理解できなかった。そして繰り返し考えて考えてようやく意味を理解すると、イチカは顔を真っ赤にして叫んだ。


「シオン、まさか、さっきのあれって・・・嘘!?」


 シオンは無表情になり目を逸らす。自分が強制的にイチカにしたことの意味を、シオンも相当重く受け止めているのがその顔からわかった。だが、だからといってこの状況をすぐに受け入れられるほどイチカの心には余裕がなかった。


「どうして、どうしてこんなことしたの!?」

「イチカをどうしても失いたくなかった。それに、あの人に奪われたくなかったんだ。」

「あの人?って、ハルバート様のこと?」

「・・・今日は一つだけだよ。秘密の開示。」


 イチカはため息をついて、下を向いた。これからどうしたらいいのかわからなくなり、目を閉じる。そして再び目を開けると、シオンの顔が目の前にあった。


「ひゃっ、何?」

「イチカ、初めてのキス、やり直してもいい?」

「な、何言って!?ダメ、ダメダメ!!」

「でも、したい。」


 その瞳には、イチカが断りきれないほどの深く熱い想いが宿っている。


「・・・シオンのバカ!!」

「知ってる。」

「・・・」


 そして二人は何一つ二人の間の問題を解決させていないまま、その唇に甘く切ない想いを乗せて、あの衝撃的だったファーストキスのやり直しをしていった。


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