作戦立案1
数カ月前、ダリウスはSOH社支部の廊下にいた。休日の、しかも朝6時に「重大な問題の発生」という連絡だけ受け、上司に呼び出されたのだ、良い予感はしない。
SOH社とは、アメリカのIT企業である。生体データ(体温、脈拍、網膜、歩行パターン、表情、視線移動、呼吸、言葉遣い、しぐさ等)をリアルタイムで記録、分析し、様々な用途で利用する企業だ。
オフィス手前にある改札は、4~5人の社員が集まり、慌ただしい雰囲気を出している。
セキュリティチェックを受けている1人がダリウスに気づき、「君もかい」
IT関連の技術者がダリウスに微笑みかけた。急いで出勤したようで服が少し乱れている。
列が進み、ダリウスの近くに警備兵が来て、「セキュリティカードを用意しておいてください」
「IT関連の技術者は総出ですか?」ダリウスが技術者に訊く。
「ああ、大規模なシステムの更新があってね……僕なんか休日出勤だよ」
セキュリティチェックの番が来、ダリウスはカードを警備兵に渡す。
カードが差し込まれ、警備兵が確認する。警備兵の見ているモニターには、セキュリティシステム支援グループ・D班・主任と表示されているはずだ。その表示は嘘ではないにしろ、本当の仕事とは乖離している。
ダリウスはカードを受け取ると、上司の部屋に向かう。
上司の部屋に入ると、ダークスーツに身を包んだ強面の男が座っていた。男は研がれた刃物のような雰囲気を放っている。オールバックの白髪に、整えられた髭は狼を連想させる。
セキュリティシステム支援グループの長が顔を上げ、ダリウスを睨んだ。
ダリウスは男の本名を知っていたが、課長補佐と呼んでいる。
「本当は早く呼ぶ必要がないIT関連の技術者を同時に呼んだ。これで、お前も目立たないはずだ」
「ありがとうございます。それで重大な問題とは?」
「CIAがうちに仕事を頼んできた」
呼吸が一瞬、乱れる。かつてアメリカ陸軍に所属していたダリウスにとって、良い印象のある組織ではない。
「うち、とはSOH社にですよね?」
そう聞いたのは、ダリウスが所属している「システム管理課・セキュリティシステム支援グループ」が行っている業務が少々特殊であるためだ。SOH社に仕事を頼むのと「システム管理課・セキュリティシステム支援グループ」に仕事を頼むのでは、全く話が変わってくる。
SOH社は、国防総省と提携し、兵士の生体データを分析し、PTSDの治療に役立てることで巨大化した。しかし、生体データが莫大な利益を生み出し始めると、犯罪組織からの攻撃や国防総省からの干渉が激増した。そのため、国防総省とは表側協力関係にあるが、水面下で駆け引きが行われている。
そして、その駆け引きを行うのが、ダリウスの所属する「システム管理課・セキュリティシステム支援グループ」という部署である。その存在は数人の幹部のみしか知らず、黒羊という通称で呼ばれている。黒羊は元諜報員や元特殊部隊で構成され、B~D班の三つの班が活動している。
「そうだ、CIAはSOH社に仕事を依頼してきた」
本当は黒羊のことを知っているだろうに、とダリウスは心の中でぼやく。
「CIAが提示した内容は、諜報活動に利用する生体データ分析プログラムの改良だ。CIAはそれを特別プログラムと呼んでいる。本社にCIAの技術者がやってきて、SOH社の技術者の意見を聞きながらプログラムを改良していく。そして、それを行う上でSOH社が使っている生体データ分析プログラムの情報を明かし、生体データの一部を開示して欲しいと言ってきた」
分析プログラムの改良は建前だろう。だとすれば、本当の目的は何か。まず考えられるのは、改良に必要だと言っている生体データ分析プログラムか生体データそのものだろう。
「うちの生体データ分析プログラムって、そんなに最先端でしたか?」
「確かに高性能だが、最先端ではない。CIAなら、当然保有しているレベルのものだ」
だとすれば、SOH社が保有する膨大な生体データという事になる。だが、生体データはそれこそ利用法によって、いくらでも使いようがある。
「仕事内容は建前で本当の目的は別にあるか、もしくは何か付随する目的があるのではないかと思いますが」
「ただの建前だとは思わない。だが、お前が考えている通り、付随する何かがあるんだろう」
「そんなことを国防総省がすんなりと受け入れるんですか?」
現在でもCIAと国防総省は縄張り争いを繰り返している。SOH社は国防総省が構築したある種の機密と言える。それを開示してくれ、と言われて「はい、分かりました」とはいかないだろう。
「国防総省は、SOH社の幹部に対し、CIAの仕事を受け入れるように指示してきた」
「CIAの目的を探るのが今回の任務ですか?」ダリウスはうつむいた。
正直、CIAとは関わり合いになりたくなかった。面倒な仕事だなと思った。
「いや、お前のD班には別の仕事を振る。CIAの目的を探るのは、B班がやっている」
B班は黒羊最大の部隊で、表側では国防総省と協力しつつ、裏で情報を盗み取るのが仕事だ。今回も協力してCIAの目的を探りつつ、水面下で諜報戦が繰り広げられているに違いない。
「我々、D班は何を?」
「目的を探れなかったときの保険として、CIAのスパイ狩りをしてもらう。黒羊内に潜むCIAの二重スパイ、もしくは今作戦のCIAのスパイネットワークを把握しろ、もしB班がCIAの目的を探るのに失敗した場合、それをCIAとの取引に使い、情報を引き出す」
「分かりました。D班が動くのをSOH社幹部は知っているんですか?」
「ああ、一部の幹部も了承済みだ」
「もし、黒羊がCIAの目的を暴いたとして、それは国防総省に伝えるんですか?」
「時と場合による。それはまた、追って話そう」
ダリウスは立ち上がり、「予算、お願いしますよ」
「多めに申請しても通るようにしておく」そういって、紙の束をダリウスに渡してきた。
「今度のCIAとの連絡会で幹部に質問させる事項だ、確認しておいてくれ、特に何もなければ報告はいらない」
「分かりました」ダリウスが立ち上がると、課長補佐が呼び止めた。
「幹部の誰かは必ず途中で怖気づくぞ。それに、もしかしたら作戦の中止もありえる。その時はどうする」
その時は、国防総省に守ってもらう―そんな甘い言葉が浮かび、それを呼吸と共にかき消す。SOH社を自分たちで守れなくてどうする。
「CIAには隠している目的があります。そして、それを実行するためにSOH社に干渉をするでしょう。そんなことはさせません。いろいろとこねくり回して作戦を継続させるまでです」
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