―変身―
ダリウスはセーフハウスで、アルバートを寝かせた。
CIAの特殊部隊が来る。それは確実だった。
D班の班員はロバートと逃走させ、技術班は女王蜂に匿わせた。
後は自分たちの外部協力者に、逃亡を指示すれば終わりだ。
蟲や印を使い、全ての外部協力者に指示を出し終えた。
ダリウスは禁煙を破り、煙草を吸った。もうすぐ死ぬかもしれないという事実に、なぜか納得していた。
「ボス」
マーブの声で、ダリウスは呼吸を乱される。
「フィルター、吸ってますよ」
「ああ、すまん」ダリウスは煙草をつぶし、マーブに渡す。
もう何歳かも分からない娘のことを思った。
もう犠牲は出さないと誓った女王蜂との約束を思った。
「やるか、カウボーイ」
マーブはただ頷き、微笑んだ。
何故、国防総省の情報を黒羊が欲しいと思うのか訊くべきだろうか。いや、さっき報告するべき情報を報告していないことは言ったばかりだ。オスニエルは黒羊の現状を知っていて条件を提示しているという訳だ。
捕捉、拘束したスパイと引き換えに、特別プログラムの情報と国防総省の何らかの情報を受け取れるなら取引としては十分だ。
課長補佐は深呼吸し、伸びをした。
入手した特別プログラムの情報は、黒羊で利用し、秘匿する。何故なら、ここで得られた情報は“CIAと二重スパイを取引して得られたもの”なのだ。オスニエルとの取引で情報の出どころを明かせない以上、国防総省には報告はできない。だが、国防総省が特別プログラムに関わるネットワークに関わるように誘導するとは考えているかもしれない。
「ここが正念場だが、終わりじゃない」課長補佐は自分に言い聞かせる。
「分かりました、協力しますと伝えろ」
尋問官が書き始めるのを、オスニエルが止める。
『協力するかしないか決めていただく前に、お伝えしなければならないことがあります』
空気が硬直し、課長補佐は髭を撫でる。
『伝えなくてはならないという事は、我々も知っていた方が良い、と?』
オスニエルは頷く。
ここで引き返せるならば、情報は聞いておいたほうが良いだろう。
『分かりました。聞きましょう』
『私は、特別プログラムを個人的な目的のために利用しています。そして、それをCIA上層部は知らない』
部屋は騒然とした。
『それをCIA上層部に伝えるとどうなるんです?』
『スパイ捕捉、拘束の件同様に私は任を解かれ、作戦に監査が入ります』
仮に国防総省内にCIAのスパイが潜んでいたとしよう。だとしても、どのみち先ほどの取引で黒羊から国防総省へは情報の提供は行えない。
だが、課長補佐が保有しているCIA内のスパイを使い、オスニエルの言っていることの信ぴょう性を確かめ、脅迫に使うこともできる。だが、それも織り込み済みだろう。つまり、ここで何を聞いても我々はどこにも言えないのだ。
『分かりました。我々の保有するスパイの情報、身柄は渡します。個人的な理由も含め、特別プログラムについて教えて頂きたい』
『特別プログラムの目的は、生体データ取得プログラムを騙すことでした。CIAは大手IT企業や様々な諜報機関の生体データの読み取りを騙す計画を行っていました。それが、特別プログラムです。生体データ読み取り時のアルゴリズムを分析し、任意の生体データを読み取らせる方法を探る、それが目的でした』
課長補佐は生唾を飲んだ。
オスニエルは鞄から冊子を取り出し、渡してくる。
『現在、行われている物を含め、記録と計画です。一部は黒塗りですが』
『後で見させて頂きます。それで、伝えなければならないこととは?』
『現在、生体データはSOH社を始め、様々な企業で利用されており、その中には検索エンジンを司る企業も含まれています。その企業もSOH社、その他企業の生体データ、登録されている個人情報、位置情報、検索したワード、見たサイトからユーザーに合った情報を提供します。それらによって作られたフィルターはユーザーの好みを反映しながら、ユーザーを完全に閉じ込め、制約してしまう。フィルターを使用し、アイデンティティを支配し、なりたい自分となる。それを支援するのに私は特別プログラムを利用していました』
黒髪ボブがぽかんと口を開け、「自己啓発セミナーですかね?」
『抽象的過ぎて、少し話が理解できないのですが』
『すいません。つい急いでしましました。まず、対象者になりたい自分を想像してもらいます。例えば、早起きできるとか、資格を取るとか。そのような自分になるためにフィルターバブルを形成するのです』
『つまり、ホログラムやネットのピックアップ表示を使い、なりたい自分になれるように誘導する。そんなことが可能なのですか?』
『可能です。個人の性格、生活様式、価値観、様々な物を時間をかけて分析し、どのようなフィルターバブルを形成すれば、うまく行動を誘導でき、かつフィルターバブルを拡張、補強できるかを考えるのです』
『人格を無理やり捻じ曲げているようにも感じますが』
『いえ、フィルターバブルは便利なもので、上手に誘導してくれるのですよ。それこそ、習慣レベルになるまでね』
「まずいな……」
課長補佐の唸りに、皆が目を向ける。
「SOH社の患者が何人参加しているか分からんが、CIAに情報を与えれば経過観察もなしに放置されるかもしれんし、もしくは存在を隠される。国防総省に知らせれば、モルモットになる」
「人質ってことですか?」
課長補佐は頷いた。
『何人が参加しているのですか?』
『現在は三十人です。これからもっと増えます』
「結局、孤独な戦いか……」課長補佐はため息をついた。
オスニエルは表情を変えずに、
『特別プログラムの経過は随時報告します。国防総省の動きについても』
『分かりました。もう大丈夫ですか?』
『ええ、ありがとうございました』オスニエルが立ち上がり、一瞬、顔が横を向く。色素の薄い瞳と視線がぶつかる。
やってやろうじゃないか。
課長補佐は鏡に顔を近づけ、敵を睥睨した。
オスニエルは気づかず出口へ進んだ。
課長補佐は息を大きく吐き、「さっきの資料、すぐに精査しろ!」
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