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人喰い

 課長補佐にCIAから連絡が届いたのは三時間前だった。ちょうどD班が二重スパイと思われる男を拘束し、逃げ始めている時だ。


 黒羊が用意した部屋に、男は居た。窓がなく、出入り口は一つ、机と椅子だけが無機質にある。机を隔て、黒羊の尋問官が座っていた。


 黒羊への攻撃を行っていたCIAの責任者・オスニエル・ヒューイット、その佇まいは異様なほど静かだった。


 部屋の壁はマジックミラーになっており、課長補佐他、数人の分析官が隣の部屋にいた。


「マッチ棒みたい……」黒髪をボブにした女性分析官がぼそりと言った。


 オスニエルの頬はこけ、肌は光沢がない。灰色の長髪をオールバックにしていたが、攻撃的には見えない。着ているダークスーツも質素という言葉が思い浮かぶ。


「首が長くて喉ぼとけがしっかりしてる男って嫌いじゃない」分析官が緊張感のない声で言う。


「あ、そう」


 オスニエルからは政府関係者特有の尊大さもなく、マフィアのように暴力の匂いも発散していない。だからこそ、妙に弛緩した雰囲気がある。


 二時間前にダリウスから、アルバートが二重スパイだという連絡が来ていた。今頃は送り込んだ精鋭チームと合流し、逃亡を続けているだろう。


 ただ、その一時間前にはオスニエルは課長補佐にコンタクトをとってきていた。


 課長補佐は、自ら取引を持ち掛けようと考えていたので、先を越される形になってしまった。しかし、それでもやることは同じだった。二重スパイの譲渡や入手した情報の秘匿を条件に特別プログラムの内容を開示させること。


 ただ、印象として、オスニエルは潔いと感じた。もっと複雑なルートでの接触もあるはずだが、二重スパイが残したであろう連絡方法を使い、黒羊の存在も知っていると明かしたうえで連絡を直接取ってきたのだ。


 尋問官が咳をし、「オスニエルさん、今回はまたどうして」


 オスニエルは、言葉を無視し、下を向いている。


「あの……」


 持ち上げたその顔に表情はない。表情が、そぎ落とされた、という言葉が浮かぶ。存在感がないのに、不思議と芯のような物を感じる。


 課長補佐の脳裏に奇妙なビジョンが浮かぶ。真っ白な柔らかい繭、そこに何もかもが絡めとられていく奇妙な白昼夢。


 オスニエルは自分の耳を指さし、聞こえないというようにジェスチャーする。そして、タブレットを取り出し、机の上に立て、文字を打ち込む。


『急で申し訳ありません。対応していただき、ありがとうございます。何年か前から難聴が続いていて、今はこれでお願いします』


 無機質な自動音声が流れ、部屋に反響した。


 課長補佐は一瞬、あっけに取られたが、「音声を分析、心理的影響がないか確認しろ」


「カメラからの映像からすると、市販されている音声言語ソフトを使用しているようです。ですが、文字入力時の予測変換と入力した履歴の表示の機能がオフになっています。それにブラインドタッチのようですね」分析官が言う。


「履歴や予測変換を見る際の視線移動で思考を予想することはできないという訳か」


 オスニエルのコミュニケーション中の細かな動作から何かを探り、そこから主導権を握ろうとしていた。しかし、それは一切封じられた。


 オスニエルは一番楽な姿勢を取り、全身を硬直させている。表情、姿勢からは何も読み取れない。瞬き、呼吸すら一定の間隔で行っている。


『お貸しした方が良いですか?』オスニエルがタブレットを指さす。


「借りるな、メモ帳を使え」課長補佐は尋問官に指示。


『要件はなんでしょう』尋問官は自分のメモ帳を使い、文章を書き込む。


『その前に何故、私がここに来なければならなかったかを説明しても良いでしょうか?』


 分析官がどういう意味でしょう、という視線を歌謡補佐に送る。


「何故だと思う?」課長補佐はあえて分析官に聞いてみる。自分の中では、答えは出ていた。


「ここでCIAが黒羊に来る理由を明確にしないとCIA側に不利益があるからでしょうか?」


「かもしれん」


 CIAの責任者(と言っているだけの偽物の可能性もあるが)が敵の本拠地に赴くような緊急事態、もしくは重要な案件が黒羊との間で発生したとなれば、それを隠して話を進めた方が有利なのは確かだ。しかし、それを捨てようとしている。


 来た理由を開示せずに要件だけ伝えてくれば、聴いたが最後、断れないような要件でも条件によっては断れない可能性があるのにも関わらず。


 何よりも、ダリウスの作戦で捕捉した五人のスパイは捨てることもできるし、アルバートは奪還することができる。とすれば、黒羊にあるカードはアルバートだけという事になる。


 課長補佐は時計を見る。


 ダリウス達が逃亡を始めて三時間。もしも、CIAの襲撃犯が彼らに追いつけば、ここでの取引は消えてしまう可能性がある。逃げ続けている間に取引を成立する必要があった。しかし、襲撃の事実が判明すれば、SOH社幹部や国防総省にCIAの暗躍が伝わり、特別プログラム自体への探りがさらに激しくなるはずだ。だが、中止にはならない。


 もしここで取引のチャンスを失えば、黒羊の特別プログラムへの介入の機会はもう二度とないかもしれない。


 理由を聞くべきだ、と課長補佐は判断した。


『ここに来た直接の原因は、特別プログラムで我々が利用していたスパイがあなた方に捕捉、拘束されたためです。カウンセラー三人、黒羊の隊員が一人』


 課長補佐は微かに微笑む。小細工を使わないのは好意を抱ける。


『そうですね。確かに先日の攻撃で数人のスパイを捕捉しました。確か……名前は』さらに小細工をするかどうかチェックする。何故なら、定例会議で捕捉した五人と、カウンセラーへの攻撃で捕捉した五人は別であり、もしカウンセラー攻撃で捕捉した五人ならオスニエルは嘘をついていると分かる。


『これが捕捉、拘束されたスパイの一覧です』


 表示されていたのは、定例会議の攻撃で捕捉されたカウンセラー三人とアルバートだった。引っかかったデコイがいない。つまり、オスニエルは攻撃を何らかの方法で察知している。そして、黒羊を小細工で混乱させるつもりはないらしい。


 分析官が慌てて振り返る。


 課長補佐は、上着を脱ぎ、ゆっくりと丁寧にハンガーにかけ、ワイシャツの腕をまくった。


 何としてもアルバートが奪還される前に取引を終わらせなくてはならない。


 アルバートは国防総省が拘束しているという嘘をつくべきか迷い、やめる。


『確かに我々が三人を捕捉、一人は拘束しています。その情報は国防総省、SOH社には報告していません』


 迷ったが、報告していないことも告げてみる。


 オスニエルの表情は変わらない。


『認めて頂きありがとうございます。ここで要件を言わせていただきます。捕捉、拘束されたスパイの情報を他の組織に漏らさないで頂くこと、拘束されたスパイの解放をしていただくこと。その対価として特別プログラムの情報の一部と我々が持つ国防総省の情報を開示します』


「国防総省……」分析官が呻く。


 尋問官がハンカチで汗を拭う。


 課長補佐は腕を組み、目をつむった。

 読んでいただき、ありがとうございます

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