三つのお願い 3
入学式の肝となる修道の誓いは、聖女ロズローへ向けて行う宣誓だ。
グレーテは祭壇の前に進み出て、聖女像の足元に跪いた。像の左右には、カイゼル髭を生やした帝国貴族と、あごひげを伸ばしたグスタフ司教が立っている。胸の前で両手を組み、顔を伏せたグレーテは、おもむろに口を開いた。
「わたくし、ユリアナ・メノックスは、聖ロズローの精神に則り、悪を打ち、良き人々を支える杖となるべく、魔術を学ぶことを誓います」
宣言して、顔を上げる。カイゼル髭の帝国貴族が腕を振り上げた。石像の台座部分に置かれていた手のひら大の小箱が、ふわりと浮かび上がる。それを見たグスタフ司教は、指を二度回してから、グレーテを指さした。小箱は、縦に回転しながら降下して、グレーテの掌中にぴたりと収まった。
驚きを隠せないグレーテに、両側から声がかかった。
「ユリアナ・メノックスよ、聖ロズローは貴君の誓いを確かに聞き届けた」
「よく学び、よき魔術師となるように」
「はい」
席に戻ったグレーテは、大きく息を吐いた。今のが魔術。シルヴィアに聞かされてはいたけれど、実際に目にするとやっぱり不思議だ。グレーテはじっと祭壇上の儀式を見つめる。グレーテの視線の先で、生徒たちが次々に小箱を受け取っていく。すべての生徒の宣誓が終わると、グスタフ司教はあごひげを撫でながら咳払いをした。
「では、諸君。箱を開けてみたまえ」
開けてみると、白銀色に輝く小さな金属片が入っていた。表面には、重ね合わせた杖の紋様が彫られている。このときグレーテはまだ、それが学院の紋章だということを知らない。
「それは聖銀のバッジだ。当院の生徒だという証であり、聖街内では身分証明にもなる」
グレーテはバッジをそっと手に取った。手のひらでころんと転がし、目の高さまで掲げてしげしげと観察する。バッジは、光を反射してキラリと光った。
「今はシンプルなプレートにすぎないが、魔術で様々な形に変形させることができる。クラスや役職、学院での実績に応じて、意匠が変わっていくんだ」
カイゼル髭の帝国貴族は、自慢げに言った。生徒の一部から、ほう、と声が漏れる。グスタフ司教は満足そうに頷き、長く続いた入学式をこう締めくくった。
「諸君の学院生活に、聖ロズローの御加護があらんことを」
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式が終わると、生徒たちはぞろぞろと帰りはじめた。グレーテも、目立たないように後に続く。
馬車軌道に乗り込んだグレーテは、車外を眺める。風に木の葉が舞っていた。行きは目に入らなかった車窓の風景を、グレーテはゆっくりと楽しんだ。
シルヴィアは、寮のエントランスで待っていた。
「おかえりないませ、ユリアナ様。いかがでしたか」
「なんとかやりきったわ」
グレーテは自信を持って頷いた。実際、大きなミスもなくやり遂げられたのだから、成功と言っていいはずだ。シルヴィアは「そうですか」と頷いたきりだったが、グレーテには彼女がほっとしているように見えた。レッスンの成果だろうか、シルヴィアの感情を読めるようになっているのかもしれない。
ドレスを脱ぎながら、グレーテは気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、今日の朝、ロビーで声をかけてきた人は誰だったの? 知り合いだったみたいだけど」
シルヴィアは「ああ」と声を漏らした。
「カテリーナ・マウローラ。伯爵家の娘で、ユリアナ様が昨年まで通っていた、ラヴェル女学院の同級生ですよ」
「ラヴェル女学院?」
「貴族の息女が通う、名門校です。帝都にあるのですが、聞いたことはありませんか?」
「ない。そんなに有名なの?」
「ええ、私たちの世界では。覚えていてください」
貴族の世界では、ってことね。グレーテは頷いた。ついでに、軽く憎まれ口を叩く。
「ドキドキしたよ。そんな人がいるのなら、先に教えてくれたらよかったのに」
「ユリアナ様からは、カテリーナ様とはさほど親しくないと伺っていたもので。うまくかわせましたか?」
「どうだろう。ちょっと怪しまれたかもしれない」
グレーテは、カテリーナのライム色の瞳に猜疑心が宿っていなかったか思い出そうとしたが、上手くいかなかった。
「まあ、少々の違和感は織り込み済みです。別人だという証拠さえ与えなければ、何とかなりますから」
そう言いながらシルヴィアは、ペチコート姿になったグレーテをベッドに座らせた。ついでベッドサイドの封筒を手に取ると、にっこり笑って差し出した。
「さて、それではこちらをご覧ください」
グレーテはこわごわと蓋を開けた。封筒の中から出てきたのは、飾り文字が描かれたカードだった。苦労しながら一文字ずつ解読していたグレーテは、「晩餐会」の文字に愕然とした。
「晩餐会って、パーティーってこと? 日時は……今日じゃない!」
「そうです。男女各寮の寮長主催で行われるもので、寮生全員に招待状が送られているそうです。先日届いたので、出席すると返信しておきました」
「嘘、なんで断らなかったの? わたしパーティーなんて無理だよ! まず踊れないし」
「ダンスはないので安心してください。いいですか、これはいわば入寮式なんです。新入生のお披露目も兼ねているので、欠席なんてできません」
「でも」
なおも言いつのろうとしたグレーテの口を、シルヴィアは人差し指で押さえた。
「でももさてもありません。晩餐会に出席してください。これは「お願い」です」
「お願い」。これが「三つ目のお願い」。グレーテはすぐに、ユリアナのお願いを何でも三つ聞くと約束したことを思い出した。晩餐会に出ることがユリアナからのお願いなのだとしたら、拒否することはできない。
「わかったわ。出席するわ」
「わかっていただけて何よりです。では、着替えますよ。その後は時間いっぱいまでテーブルマナーのレッスンです。せめてもう少し優雅にカトラリーを使えるようになっていただかないと」
そう言いながらシルヴィアはクローゼットに向かった。グレーテはその言葉を聞いて、げんなりとした気分で顔を覆ったので、シルヴィアが唇を吊り上げていることには気が付かなかった。