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少女と魔女 4

 レクシー寮は、町娘のグレーテには古城のように見えた。中央に高い塔をもつ、石灰色の城だ。男女で棟が分かれているらしく、グレーテたちが案内されたのは西側の棟だった。玄関を入ったところの壁に、皇后の肖像画が掲げられている。


 グレーテは、自室となる三階の一室に通された。部屋に入ると、そこには大量の荷物と、忙しく動き回る侍女二人の姿があった。シルヴィアは荷物をかき分け、奥の部屋に続くドアを開けると、グレーテをそこに押し込む。


「わたくしたちは荷解きをして参ります。ユリアナ様はしばらくこちらでお休みください」


 シルヴィアはそう言い残してドアの向こうに消えた。一人になったグレーテは、途端にそわそわと部屋の中を見回りはじめた。本当は一目見た瞬間に声を上げたかったのだが、今の今まで我慢していたのだ。


 落ち着いた雰囲気の寝室だった。部屋の中央には、天蓋付きのベッドがあり、天蓋を支える柱には草花や小鳥のレリーフが彫り込まれている。部屋の左右の壁にはそれぞれ扉がついており、左の扉の先はワードローブに、右の扉の先は付き人用の控え室になっているようだ。ドレッサーには布が掛けられている。本棚は、まだ空っぽだ。


「すごい」


 グレーテは興奮を抑えきれなかった。お金持ちの寝室ってこんな感じなんだ。一度マダムについて商人の家に入ったことがあったが、あの家の奥にもこんな寝室があったのだろうか。いやきっと、こちらの方が何倍も素敵に違いない。


 緑のガラス窓を開けると、庭が見下ろせた。ずっと奥の林まで小道が続いている。敷地は広大で、下町の一区画がすっぽり入ってしまいそうだ。


 うっとりと庭を眺めていたグレーテは、ドアをノックする音で我に返った。


「侍女たちは返しました。一度応接室へ」


 手前の応接室に戻ると、そこはいつの間にかすっかり整えられていた。壁際には食器棚があり、その傍にはローテーブルとソファーがある。


「どうぞ」


 シルヴィアが椅子を引く。グレーテは恐る恐る座面に腰掛けた。固い木の椅子に慣れたグレーテには、どうも座り心地が悪い。ふかふかの座面に沈みこまないよう悪戦苦闘しているうちに、テーブルには白磁のティーセットが用意されていた。シルヴィアがポットから、湯気の立つ液体をカップに注ぐ。


「カモミールティーをご用意いたしました。どうぞお召し上がりください」


「わあ、ありがとう」


 グレーテはティーカップに手を伸ばすが、持ち方が分からない。ちらりとシルヴィアを見れば、既に対面に座って、涼しい顔でカップを傾けている。とりあえずそのまま真似をした。鼻腔の奥にカモミールの香りが広がる。


「美味しい」


 ほっと息をつく。自然と力が抜けて、胃がぽかぽかと暖かくなった。


「カモミールはユリアナ様のお好きな紅茶です。覚えておいてください」


 気づけば、シルヴィアがカップを置いてグレーテを見つめていた。


 グレーテは居住まいを正してシルヴィアに向かいあう。


「ねえ、シルヴィアさん。ちゃんと教えてください。何であたし、ここに連れてこられたの。あの魔女はいったい何なの。それから、あたしはこれから、何をすればいいの」


「まあ焦らずに。初めからご説明いたしましょう」

 

 シルヴィアはそう言うと、紅茶で唇を潤した。


「まず、ユリアナ様は帝国貴族メノックス家のご息女でいらっしゃいます。今回ブレシュタットにやってきたのは、魔法使いの卵としてこの学院に入学するためでした」


 帝国貴族。魔法使い。グレーテは息を飲んだ。やっぱり、ユリアナは別世界の人間らしい。シルヴィアはグレーテの驚きには構わず、滔々と話し続けた。


「今日、本来ならばそのまま学院に向かう予定だったのですが、大聖堂の目の前でユリアナ様からストップがかかりまして。少し気になることがあると仰って、馬車を降りられたのです。しばらくして、あの宿に来るようにと連絡を受けました。行ってみますと、既に貴女方は入れ替わっており、ユリアナ様からは貴女を自分として学院に入れるよう指示されました。以上です」


 グレーテは目を白黒させた。


「ちょっと待ってよ。それだけじゃ全然分からない。少し気になることって何? どうしてわたしを?」


「さあ、どうしてでしょう。わたくしにも分かりません」


 シルヴィアはまたティーカップを傾けた。


 その後いくつか質問をしてみたが、シルヴィアは全てのらりくらりとはぐらかす。これ以上の情報は得られそうにない。グレーテは別の方向から攻めることにした。


「じゃあ、最後に一つだけ。どうしてユリアナの命令に従うの?」


 グレーテはおや、という顔をした。


「変なことを聞きますね。主人に従うのは使用人として当然では?」


「そうじゃなくて、魔女だってことは気にならないの?」


 外見と話し方から、グレーテは、シルヴィアが自分と同じ帝国民だと確信していた。帝国では魔女は忌避されている。それなのにシルヴィアがユリアナに協力していることが、グレーテには不思議でならなかった。


 しかしシルヴィアはあっさりと頷いた。


「ああ、なるほど。ええ、全く。それどころか嬉しくさえあるのです。わたくしは悪魔教徒ですから」


「悪魔教徒?」


 グレーテはぎょっとした。禍々しい響きだ。


「悪魔と呼ばれるいと尊き方々と、その使徒たる魔女様方を支え、お守りし、少しでも思うがままにその力を振るっていただけるよう、陰に日向に活動する人間のことです」


 シルヴィアは淀みなく答えた。その両目は既にグレーテを映していない。こころなしかうっとりしているようにも見える。


「じゃあシルヴィアさんにとって、あの魔女──ユリアナは、主人であるのと同時に崇拝の対象でもあるってこと?」


「そうですね。あのお方にお仕えできるのは、わたくしの心からの喜びです。あなたもじきにそう思うようになりますよ」


 シルヴィアはさらりとそう言った。グレーテが何も言えないでいると、シルヴィアは飲み干したカップをカチン、と受け皿に戻した。


「さて、それでは次はわたくしからお話が。ユリアナ様から預かった二つ目の『お願い』です。聞いていただけますね?」


 「お願い」。グレーテははっとして頷いた。


 シルヴィアは一度席を離れると、何やら紙片を持って帰ってきた。見ると、洒落た筆跡で何かが箇条書きされている。


「これは何?」


「ご覧の通り。聖ロズロー学園の入学式の進行表です」


「つまり?」


「入学式に出席しろということです」


「無理!」


 グレーテにはできる気が全くしなかった。だってそれは、衆人監視の席でユリアナの振りをしろということではないか。


「無理じゃない、やるんです」


 シルヴィアはぴしゃりと言った。グレーテは嫌な予感に身を震わせる。


「だってわたし、そんな式での振る舞い方とか知らないし。見たこともないんだもん。出来ないよ」


「それを出来るようにするためにわたくしがいるのです。さあ、今日から特訓ですよ」


 駄目だ、泣き落としは通用しない。グレーテは早々に自らの運命を悟った。


「ご安心ください。わたくしとしても、貴方の正体が知られると困りますので。一端の貴族に見えるよう、精一杯やらせていただきますわ」


✯✯✯


「終わったー……」


 グレーテは頭から湯気を出しながら、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。しっとりしたマシュマロのようなマットに、思わず頬ずりする。


 シルヴィアの指導法はごくシンプルだった。徹底的な反復練習。歩く、立ち止まる、座る、立つといった基本動作を、何十回も何百回も何千回も、身体に染み込むまで繰り返すだけ。グレーテにとっては拷問にも等しい仕打ちだった。元々飲み込みがよいほうではないのだ。


 それでも何とか及第点をもらって、食事にありついたのが一時間ほど前のこと。眠気と疲労で朦朧としていたグレーテが、はっと意識を取り戻したときには、既にシルヴィアの手で寝室に放り込まれた後だった。全身がさっぱりと清められ、髪にはオイルが塗りこめられ、つやつやとした絹のネグリジェに包まれている。


 グレーテはごろんと寝返りをうった。ベッドの天蓋には、琴を弾く乙女の物語が描かれている。その視線から逃れるように、ゆっくりと目を閉じた。


 激動の一日だった。たった半日でずいぶん遠くまで来てしまった。五番街の道を走り回っていた昼間のことが、遠い昔のように思える。


「マダム、怒ってないかなあ」


 誰かの描いた絵に紛れ込んでしまったかのような居心地の悪さ。全部悪い夢でありますように、と叶わない願いを抱きながら、グレーテは気絶するように深い眠りに落ちていった。


✯✯✯


「はい。……いいえ、計画は滞りなく。多少修正は必要でしょうが。ええ。もちろんです」


同時刻。グレーテが寝ている横の部屋、漆喰の壁がむき出しの簡素な控室で、シルヴィアが誰かと話している。虚空に向かって話す彼女の表情は見えない。ただ、その左手は、胸元の黒いペンダントをしっかりと握りしめていた。


「ええ、全て仰せのままに。我が主、メリッサ様」


〈To be continued...〉


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