70話 虫女
本戦第二回戦。
この日の一番の目玉は、やはり<英雄皇子>と<黒の歴史書>の試合だ。
結果は見えている。
なんといっても世界最強。
<英雄皇子>が勝つに決まっているだろう。
だから観客が期待しているのは、1回戦で自分たちの期待を良い意味で裏切った<黒の歴史書>がどこまで英雄に食らいつけるかだ。
もしくは<英雄皇子>の強さをよく知らない者たちはこうも思っているかもしれない。
あの滅茶苦茶な賞金首なら、あるいは――――と。
「……武帝コーン、おまちです」
「カメメメ! お祭りといえばこれだカメ!」
「なんだし、これ?」
「冒険都市で流行りのお菓子である」
真っ白い豆のようなモノがたくさん詰まった袋を渡された。
どうやら主食である、とうもろこしから作られるお菓子らしい。
塩っぽい味がして美味しいが、袋に描かれたムキムキの男の絵が食欲を失くす。
口の中に武帝コーンを放り込みながら、辺りを見渡す。
朝もまだ早い時間だというのに、満席の観客席からは熱気を感じた。
「この中にキルトさんがいるとして、探すのは難しそうだし」
いつもフードマントを被っているから、遠目からだとわからない。
そんな格好していれば逆に目立ちそうなものだが、冒険都市には賞金首も集まってくるからか、こんな公共の場でも怪しい風体の者がたくさんいる。
実際、あたしの隣にも一人いる。
<B・F>の時に来ていたスタイリッシュなマントではない、地味なマントを頭から被っているフォートさんだ。
「なんだよフォート、おめぇその格好が気に入ったのか?」
「しっ! 隠れてるんだから名前で呼ばないでよ……!」
「ガッハッハッ! じゃあ暗黒狩人さんでいいかよ」
「ホントやめてよ……! ここで見つかったら僕はもう生きていけないよ」
2日前の試合で、謎に包まれていた<B・F>の全貌が明らかになった。
そしてそれが確かな実力を持ち、さらに女性ウケする甘いマスクの青年であった事から、フォートさんは今や冒険都市の有名人だ。
特に少々婚期を後ろ倒しにしている女性たちからは大人気らしい。
なんでも「あの自信満々なところが可愛い」とのこと。
しかし本人は自らの意思に反した黒歴史に耐えられない様子だ。
宿の部屋からずっと、顔を晒さないように頭からマントを被っている。
黒塗りだった弓も、どうやったのか今朝にはもう普通の色の弓に戻っていた。
「まだしばらく時間あるし。飲み物でも買ってくるし」
「では拙者も参ろう。一人では持ちきれぬであろう」
武帝コーンは美味しいけど、喉が渇く。
あたし達は人混みをかき分けて、屋台が並ぶ通りへと歩いていった。
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私は選手控室を目指して歩いています。
目指す先は今日の試合でアルベルト様と対戦するあの男。
<黒の歴史書>ディ・ロッリ。
あの人はホビット族の街で最初に出会った時、私の事を知らない名で呼びました――――キルト、と。
私には記憶がありません。
気づいた時にはホビット族の国の海岸で、ゲイラに保護されていました。
ゲイラは言いました。「あなたは<敵対者>として酷いことをされてきたのよ。思い出さない方がいいのよ」と。
私はその言葉を信じていましたが、それは確かめる術もなかったからです。
それに事実、私にはスキルと呼ばれる力が宿っていないようでした。
あのルッルという少女の待遇をみるに、ゲイラの言葉には真実味があるように思えたのです。
しかしあの男にキルトという名を呼ばれた時、私の脳裏に何かが引っかかったような感覚がありました。
ゲイラはナンパの常套手段だといって気にしないようにいいましたが、ホントに私のことを知っている可能性があります。
次に会ったらちゃんと話をして確かめるべきだと思いました。
しかし二度目に会った時の事は記憶から抹消しました。
そして三度目。
<沼地ダンジョン>の最奥で、巨大なヘビの魔物にあの男が丸呑みにされた時。
私の胸は締め付けられるように痛んだのです。
まるで大切な何かを目の前で失ってしまったかのような苦しみ。
であれば。
あの男が、記憶を失う前の私に関係している可能性は高いのではないかと思うのです。
「ここですね」
闘技場の外側から回り込み、西側入口が選手控室に通じています。
入り口の前には獣人族の兵士が2名立っていました。
「すいません、ここを通りたいのですが」
「あー、悪いが今は無理だぜ。選手以外は通れねえんだ」
「ディ・ロッリの知り合い……、だと思うのですが」
あいまいな私の言葉に、獣人族の男は苦笑します。
「ファンか? まあそういう奴も多いんだけどさ。会いたいなら試合が終わるまでここで待っているといい」
「ファン? ファンとは何ですか?」
「何って言われてもな……、あんたディ・ロッリが好きなんだろ?」
「燃やされたいんですか?」
「唐突にっ!?」
なんでしょう。
ものすごくいらっとしました。
なぜか口から燃やされたいのか、なんて言葉出てしまいましたが、私に火魔法は使えません。
しかし困りましたね。
試合が始まるまでにはゲイラ達のもとに戻らなくてはいけません。
ここであの男を見つけられたのは偶然でした。
ホビット族の国から移動して、もう二度と確かめられないものと思ってました。
帝国という大きな国の皇子であるというアルベルト様は、スキルの力で私に<力>を授けてくれました。
詳しい事は教えてもらっていませんが、とても大きな目的のために、私の力が必要になるのだそうです。
命を救われ、新たな<力>まで授けて頂いたのですから、その恩を返す必要があります。
ただ、私自身の記憶を取り戻せるなら、やはり知っておきたいのです。
例えそれがひどい過去であったとしても。
「どうしても無理でしょうか?」
「残念だがな」
「では仕方ありませんね。――<コンプレッション>」
「な――ッ!」
「お前――――ぐッ!」
圧縮された風が兵士たちを打ち抜きます。
ホントは魔名を唱えなくてもいいのですが、何故かこの方がしっくり来るのです。
多少無理やりでも今でなければ、次に会える確率はほとんどないでしょう。
私は倒れた兵士たちを横切り、中へと進もうとし――――。
「キルトさん……だし?」
「あなたは――」
ホビット族の国で蔑まれていた少女に呼び止められたのです。
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表通りで見覚えのあるフードマントみかけて後を追いかけた。
人混みでなかなか前に進めない私を尻目に、キルトさんはすいすいと進んでいく。
くっ。修行、修行が足りないだけだし……!
突きつけられる運動能力の差に精神的ダメージを負いながらも、あたしは兵士とやり取りをしているキルトさんにようやく追いついた。
「ディ殿の控室に行くつもりのようであるな?」
「今キルトさんは<英雄皇子>側の人間のはずだし。わざわざ対戦相手である師匠の方にどうして?」
「向こうも話をしたがっているか、あるいは――」
「――妨害、だし」
とはいえ相手は<英雄皇子>。
妨害だなんてしなくても実力だけで十分だと考えられる。
しかし、周りの取り巻きがそれを許すかは別の話だ。
「――! 兵士をやっつけたし」
「強行であるか。とりえあず止めてみるか? 拙者たちでは実力不足だが」
「話をしてみるし」
あたしは闘技場の中に入ろうとするキルトさんの背中に声をかけた。
サスケはあたしの後ろで、キルトさんからは見えないように刀に手をかけている。
「あなたは――ルッルちゃん、ですか?」
「ルッルさん、だし。聞いた話じゃあたしの方が年上だし」
「失礼しました。ルッルさん」
随分素直な受け答えだ。
これならちょっと聞くだけですみそうだ。
よかった。
「聞きたいことがあるし。あなたはキルトさんだし?」
「――キルト、というのが私の名前であるかはわかりません。記憶がないのです」
「……! なら、やっぱり――」
「待て<守護者>よ」
あたしの頭にへばり付いているムーシが口を挟んだ。
キルトさんはムーシが話せるとは思っていなかったようで、驚いて目を見開いている。
「その変わった髪飾り……話せるのですか?」
「<守護者>よ。この女――」
「ちょっと待つしムーシ。キルトさん、これ髪飾りだと思ってたし?」
頭の上のムーシを指差して問う。
キルトさんはおずおずと頷いた。
「はい。随分と――変だなあ、と」
「ムーシ、あっちいけし! あたしが変な女だと思われてるし!」
「何が変なものか! 古来より英雄は精霊と共にだな――」
「やかましいしっ! 頭に虫をくっつけた英雄なんていないしっ!」
「おいお主ら。今はそれどころでは――」
「乙女にとっては最優先事項なんだしっ!」
「それは間違いありませんね」
キルトさんが大きく頷いて同意してくれる。
あたしもしかしてあの亀女と同類に思われてた? 虫女だし!?
そんなの耐えられないしッ!
ムーシをわし掴みにして引き離そうとするものの、足でへばり付いて抵抗される。
「いたたたっ……! 放すしムーシ……!」
「共に……! 共にあるのじゃ……あっ――!」
「女性の嫌がることをするのは許せませんね。<プチ・サイクロン>」
キルトさんの指先から放たれた小さなつむじ風が、ムーシを吹き飛ばした。
強風に煽られてあたしの髪はボサボサだ。
それをキルトさんが取り出したクシで整えてくれる。
「身だしなみは大切です。あんな虫に負けないでくださいね」
「ううう……。キルトさんいい人だし……」
「年上とはなんであったろうなあ」
1歳しか違わないのだからセーフだ。
キルトさんはあたしの髪を整え終えると、クシを懐にしまった。
「あたしがディ・ロッリの知り合いであるキルトという人物であるのなら、直接話せば記憶が戻るかも知れません。それを確かめに行きたいのです」
キルトさんが、師匠の知るキルトさんであるか確かめる。
それはあたし達も望んでいることだ。
ならここで引き止める理由はないだろう。
「分かったし。じゃああたしも一緒に――――」
「だから待てと言うに<守護者>よっ!」
戻ってきたムーシが声を荒げる。
まったく、しつこいし。
「なんだし? 師匠と話をするなら、そうしてもらった方がいいし」
「邪魔する理由がないであるな」
サスケも同意している。
だがムーシは大きく羽を広げて、空中で止まりながら器用に前足でキルトさんを指さした。
そして――――。
「そこの女、人間ではないぞ――ッ!」
――驚くべきことを口にしたのだった。




